魔王娘「さあ行こう、学者様!」 歴史学者「その呼び方はやめてよ姉さん」その3

2010-12-18 (土) 12:17  魔王・勇者SS   0コメント  
魔王「我輩と一緒に世界を救ってくれ」から始まった長編SSの続編です。

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467 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/09/04(土) 21:43:55.00 ID:WceOMyso




 ~第三章 「超人」~



468 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/09/04(土) 21:46:23.97 ID:WceOMyso

あるとき、獣が森で歩いていると、囁きかける声があった。
「あなたはなぜ人間の奴隷なのですか」
魔物は答えていった。「神が私にそのように命じられたので」
声はさらに訊ねて、「しかし、あなたは人間より優れているではありませんか」と言った。
獣は驚いて訊ねた。「私はそのように考えたことはありませんでした。私のどこが優れていますか」
声は答えた。「あなたには人間を屈服させるだけの力と、人間を驚嘆させるだけの知恵があります」
魔物はそれを聞き、気分を良くした。



声は、「では、人間を打ち、従えますか」と訊ねた。
獣は頷いたが、「しかし、失敗すれば、私は殺されてしまいます」と躊躇った。
声はすぐに答えて言った。「ならば更なる力をあなたに与えましょう。私と契約しなさい。さすれば万事がうまくいくでしょう」
それを聞いて、獣は喜んだ。
「ただし」声は続けて言った。「あなたは永遠に神と人間に呪われるでしょう」
獣はその言葉を聞いたが深くは考えなかった。
そこで初めて声の主が姿を現した。
獣は言葉を失った。
それは獣と全く同じ姿をした者だったからである。
二匹は契約を交わし、獣は神に近しい力を得た。
すなわち、火を操り、雷を従え、世の決まりごとを捻じ曲げた。
こうして獣は人間を襲い、世界をその手から奪ったのである。
神はこれを見、怒り狂って言われた。「獣よ、あなたはどこでそのような力を得ましたか」
獣は答えて言った。「私とよく似た者から」
神はそれを聞き、天の上から地の底までその者を捜し歩いた。
程なくして見つかったそれは、悪魔を名乗った。
「私はかの獣を祝福します」
神は怒りのままに雷を彼らの上に下されたが、彼らは非常に狡猾で、二匹は世界のどこかに逃げ失せた。
神はかの獣を魔の物、魔物、かの獣が使う業を魔の術、魔術と名付け、これを呪った。



469 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/09/04(土) 21:47:26.43 ID:WceOMyso

それから時が流れた。
人間と魔物は世界を取り合い、争っていた。
人間の上に神の祝福があり、魔物の上に悪魔の祝福があった。
あるとき、一人の人間の男が突如苦しみ、床に伏し、火を吐いた。
他の人間は恐れ、戸惑った。
数日の後、男は力を得て床から起きあがった。
魔物と同じ力であった。
他の人間はそれを見て、魔の穢れが男の身にとりついたのだと噂した。
このような者がたびたび現れた。
彼らは力の使い方を知らず、ほとんどの者が身を滅ぼした。
神はそれらの者を寛大な心でもって許され、天使によって人間にその使い方を示された。
彼らはそれにより力の使い道を得て、魔物に敢然と立ち向かった。
戦いは苛烈を極め、人間と魔物とはいまだに争いを続けている。



  ――神話(続き)より抜粋――



473 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/09/06(月) 09:28:54.54 ID:tI3V57so

◆◇◆◇◆


 午後の日差しが、窓からやさしくさしこんでいる。外を覗き込むと往来を行きかう人々が見えた。それとレンガ造りの整然とした街並み。青く透明に晴れ渡った空。
 馬車がゆっくりと進み、人々の歩みもゆったりと交差する。昼下がりにふさわしい、どこかゆるんだ空気だ。何かにおびえたり、傷つけられたり、乱されたりすることはない。そう、平和そのもの。
 ニューサイト。石畳の歩道が続く、新しい都市。歴史は浅いが、都市自体の持つ意味は大きい。魔物と人間とが公式に同じところに住まう、前例のない場所だからだ。
 都市にはそれぞれ性格があるという。当然といえば当然だが、住民、行政、気候・風土など、様々な要素が都市を個性豊かなものにする。
 ニューサイトで言えば、明るい日差しのあう、まっさらな都市だ。住民はそれぞれ新しい生活を求めて海を渡った者たちで、好奇心が強い。新し物好きともいいかえられる。昔ながらのレンガ造りの家とは裏腹に、革新的で先鋭的な性格を有している。

 たとえば宿泊施設におけるサービスだ。よりクオリティを高め、満足度を増やすための工夫が随所にちりばめられている。
 まず、清潔だ。掃除は基本的に一日一回、全室を徹底的に行う。埃一つも残さない。ニューサイトの行政区により細かく規定されており、全宿泊施設において月に一回立ち入り調査も行われる。基準に満たない施設は最悪の場合営業停止に追い込まれることになる。
 次に、プライバシーの徹底だ。全室の扉には当然鍵が設けられているが、それらは複雑で、魔術でも開けられないものとなっている。
 他にもルームサービスという新システムなどがあったりする。最近開発され、実用化に至った電話なるものを使って、部屋にいながらにして食べ物などを取り寄せることができる。
 このように宿のこと一つとっても、ニューサイトは“新しい”都市だということができるのである。



474 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/09/06(月) 09:34:48.08 ID:tI3V57so

 ルイスはその清潔な部屋で、ルームサービスを利用して取り寄せたサンドイッチをかじりながら、窓の外を眺めていた。
 黒髪、黒目。十九歳にしてはやや幼さの残る、と言えばいいのだろうか、とりあえず他人に年相応に見られない顔立ちである。緋色のローブを纏っており、それはタフレム大学で教授相当の地位にあることの証だ。
 彼は疲れた顔で、頬杖をついていた。
 やや頭がぼーっとする。十日前にニューサイトに疲労困憊のていで辿りつき、倒れるように眠った影響がまだ残っている。

「……」

 あれから――あの戦闘から、二週間が経った。ルイスたちは途中、傷を癒し、空間転移を併用しながら街に到着した。夜中だったが、それにかまわず行政区の議事堂に駆け込み、市長に事情をまくしたてたことは覚えている。興奮と疲労でうまく説明できた自信はなかっが、それでも市長はすぐさま自治軍のいくらかを動かしてくれた。それから昏倒し、目が覚めたのはその二日後だ。
 だが、市民をいたずらに怯えさせないよう密かな警戒態勢の中、派遣された自治軍から届いた報告は不可解なものだった。

 『殺人人形と思しきものは全滅。遺跡の一部が崩落し、そこに九百体以上が埋まっているとみられる。回収されたそれらはみな損傷が激しい――』

 馬鹿な。ルイスの感想だ。あれはそんなやわなものではなかった。直接戦闘を繰り広げた者としてそう思う。現に殺人人形は埋めたぐらいでは傷一つなかったし、転移の魔術文字も持っていたではないか。

 とはいえ、現実はそうなのだからルイスの感想など益体もないものでしかなかったが。
 ともあれ、新しい発見としてその遺跡は再調査が行われ始めた。とりあえず危険はないということだ。



475 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/09/06(月) 09:38:52.21 ID:tI3V57so

 ルイスたちの荷物は回収され、送り届けられた。試料として接収されそうになったそれらを引き止めてくれたのは市長である。ほとんどは損傷していたが、いくつか使えるものは残っていた。
 これだけでもありがたかったが、ルイスはあつかましくもさらにある嘆願を市長に申し入れた。

「あの剣を調べさせてください」

 人形が持っていた剣のことである。これも自治軍によって回収されたらしい。すぐに調査チームや研究機関に送られる手はずになっていた。
 さすがに市長もいい顔をしなかった。いや、市長はむしろ譲ってくれるつもりですらあったらしい。だが、当たり前だが調査チームがそれに反発したようだ。

「君たちが頑張ったのだから、私としては報いてあげたいんだがね」

 と言いつつ期限付きの貸出までこぎつけてしまうのは、市長としての資質というやつだろう。
 というわけで、宿のルイスの部屋には例の剣が据え置かれている。

 サンドイッチを食べ終わった手を軽くふき、ルイスは席を立った。剣を手に取り、しげしげと眺める。
 革製の鞘に入った、長大な剣だった。ルイスの身長より少し短い程度。儀式用の剣のごとく装飾が施されている。目立つのは柄にある丸く、淡い月の色をした飾りと、その上に鎮座する何やら醜悪な化け物の彫刻だった。



476 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/09/06(月) 09:42:31.93 ID:tI3V57so

 無言で鞘から剣を引き抜く。現れた刀身が鈍く光を放った。一般的な剣とはどことなく雰囲気が異なる。それは装飾からくるものなのか、それとも剣の輝きからくるものなのか。いや――

(魔術、文字……)

 それはきっと、刀身に描かれた文字のせいなのだろうと思う。天から降り注ぐ雷のような形状。文字というよりは文様。どことなく怪しげな力を放っているようにも感じられる。
 そして、それらはただの文字ではない。魔術文字だ。少なくとも現在までの魔術文明で否定されているもの。
 人形との戦いを思い出す。人形は体にいくつもの魔術文字を持ち、さらに新しく文字を描くことができた。そしてそれは、リオの類稀なる強大な魔力と遜色ない、いやそれ以上の威力を発揮して見せた。それによりルイスたちはほとんど死の間際まで追いやられたし、実際死んでいてもおかしくはなかった。

 ルイスは紙を一枚取り出しながら記憶を探る。よみがえる男の悲鳴。懇願の目。砕けたそれら。永遠に取り戻されることのないそれら。
 気分が沈むのを自覚しながら、ルイスは一息に剣を突き出し、紙を貫いた。

「……」

 ワンテンポおいて剣を引き抜く。紙にはいびつに切り裂かれた穴が残った。だが、それだけだった。紙にはそれ以上のダメージはなく、ましてや石化することもない。

「――っかしいなぁ……」

 石化の剣。人形はこれを使い、調査チームの人々を虐殺して回った。遺跡の中からは十一人分の石化した死体――というのかどうなのか――が見つかったらしい。この剣は、物を石化させる性質を持つようだ。



477 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/09/06(月) 09:46:19.89 ID:tI3V57so

 いや。

(もしかして、生物限定なのかな?)

 可能性としてはあり得ないことではなかった。だが、まさか人間で試すわけにもいかない。動物で試すのもルイスには荷が重い。罪もない生物を殺すのは彼の苦手とするところだった。小さいころから故意には虫も殺したことがない。
 さて困った。このままでは、これ以上の調査はできない。もともと個人で進めるには限界がある。
 早くも行き詰まりを感じたその時。

 ずん……

 わりあい近くから地響きが聞こえてきた。爆発の振動。
 何かと思い、窓の外を見る。数区画離れた所から煙が上がっていた。
 緊張が走った。窓枠をつかむ手に力が入る。二週間前と同質の硬直。まさか……

 その時ドアが叩かれた。びくりと跳ね上がる。ドアにおそるおそる近づいて、開ける。

「失礼します」

 早口で言ったその男には見覚えがあった。秘書の男。

「…… どうしました?」

 上ずった声は隠しようがなかった。男はそれは気にせず続けた。

「リオさんが――」

 男の言葉に、ルイスはいやな予感を覚えた。



481 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/09/06(月) 20:20:23.25 ID:tI3V57so

 現場にたどり着き最初に目に入ったのは、爆風でえぐられたと思しき地面だった。

「……」

 凄まじい爆発痕に絶句する。どんな力が働いたのやら、石畳が剥がれてその下の土肌が見えてしまっていた。
 中央区の広場の一角に空いたそれは、野次馬たちの関心を集め、遠巻きに人だかりができつつある。
 惨状といえば惨状だ。もとは大きなテントだったらしい物体が、はじけ飛んだ姿そのままで焦げ跡をさらしていた。

「こ、これはまさか……」

 うめく。と。

「そのとおりだ」

 涼やかな声が隣から聞こえてきた。
 見やると、腕を組んだ男の姿がそこにある。
 黒の長髪。ぴったりとしたスーツ。長身の体だが、筋肉はなくただ細長い。手足も長いので、どこかそういう昆虫じみた印象を覚える。
 半眼で確認する。ついさっきまでは絶対にそこにはいなかった。気配すらも感じなかった。声が上がるまで気付かなかったと断言できるし、声を上げなかったらいまだに気付いていなかっただろうとも断言できる。

「ミサンガさん」



482 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/09/06(月) 20:21:43.38 ID:tI3V57so

 彼の名はサンダ―・ストロンガー。行政区の職員だろうと思われる男で、二週間前の戦闘の直前までは一緒にいた人物だ。『職員だろうと思われる』というのは、ルイスがいまいちそれにピンとこないためである。

「ルイス君、これは非常事態だ」
「そうですね」
「対応が後手に回れば回るほど、悲惨なことになる」
「かもですね」
「だからもうちょっと泳がせよう」
「なんでですか」

 このように。
 ところで以前の殺人人形との戦闘のとき、彼はそれに参加しなかった。ただ、戦闘の意思もない一般人に、戦えというのも酷、というか理不尽だろう。彼には逃げてもらった。
 しかし、それで役に立つこともあった。自治軍の派遣の迅速化に寄与したのである。実のところ、ルイスたちがニューサイトに到着したときには、すでに市長への彼の報告が終わり、自治軍の出発準備が整っていた。
 ただ、やはりというか不可解な点はあった。彼の到着は空間転移を併用してきたルイスたちより、一日近くも早かったのである。ニューサイトへ向かいはじめるのに時間差はあまりなかったはずであるから、これは理解ができなかった。
 まあ彼の場合こういう男なのだ、という理解で十分な気もしたが。



483 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/09/06(月) 20:23:13.15 ID:tI3V57so

「それより、何があったんですか?」

 もやもやと膨らむ不安を抑えつけて、ルイスは訊いた。

「うむ、厄介なことになった」
「アレ、ですか?」
「ああ、アレだ」

 ひやり、と体が温度を下げた。どうしようもなく膝が震えてくる。自分の恐怖を静かに認める。
 だが、なんとか冷静に、冷静に思考するよう努める。

「じゃ、じゃあ、住民を避難させないと……」

 あたりをせわしなく見回しながらつぶやく。どこかにあのガラス光沢の体が見当たらないかと神経を尖らす。
 心臓の音がやけに大きく聞こえた。
 そして、サンダーの声。

「まあ、そこまで身構える必要はないぞ」

 同時に、潰れたテントの方から音がした。



484 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/09/06(月) 20:24:45.73 ID:tI3V57so

「ぷはー!」

 音を立ててテントの一部が崩れる。ぎょっとして見やると、栗色で肩までのポニーテールが目に飛び込んできた。

「あ、ルゥ君!」

 溌剌と輝く目、人好きのする笑顔。活発そうな彼女の装いは、Tシャツにジーンズとラフなものである。
 リオ。家名はない。というより魔物は基本的に家名を持たない。自由奔放に生き、定住しない輩が多かった時代の名残だ。
 彼女は、テントの残骸から抜け出すと、こちらに駆け寄ってきた。顔が少し赤い。

「やっほー、ルゥ君――って、わっ!」

 ルイスはリオの手をとって引き寄せると、あたりに意識を巡らした。

「姉さん、気をつけて。奴が……」
「奴?」

 リオはきょとんとしてルイスを見た。



485 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/09/06(月) 20:25:27.13 ID:tI3V57so

 あまりの緊張感のなさとあたりの静けさに、ルイスは違和感を覚えて彼女の目を見返した。

「あれ、殺人人形は?」
「いないよそんなの」
「え?」

 ルイスは拍子抜けして警戒を解いた。

「……じゃあ、この惨状は何さ」
「あ、いや、えーと」

 リオが急に歯切れが悪くなる。その様子を見つめるうち、ルイスはあることに気付いた。

「姉さん、お酒飲んだ?」
「……」

 リオがふいと顔を逸らす。その彼女から、かすかに酒臭さが漂ってくる。
 ルイスはようやく合点がいった。



486 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/09/06(月) 20:26:15.46 ID:tI3V57so

 リオは以前、酒場を一つ吹き飛ばしている。その酒場の弁償は、何故か市長がやってくれた。

『君たち――というか君たちの関係者には、ちょっと借りがあるのでね』

 とのことだが、ちょっと良く呑み込めない。まあとにかく、リオが吹き飛ばした酒場の方は、今建て直し中である。ただ、酒場の店員たちはその間も働かなくてはならない。そこで用意されたのが、広場に用意された大きいテントだった。

「姉さん、散歩に行くとか言って、飲みに来てたんだ」
「で、でも、あたしちょっとしか飲んでないよ!」

 しっかりと視線を合わせてリオが言う。少ししっかり過ぎるくらいに。
 ルイスは嘆息した。ついでに手を離す。

「で?」
「……うぅ」

 ルイスの視線に耐えきれずに、リオは白状した。
 いわく、ふらふら歩いていると酒場を見つけて入った。しばらく飲み続けて相当出来上がっていた。そこにこの前ルイスを殴った男が入ってきた。お互い腹にすえかねていたので喧嘩になった。

「というわけです」



487 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/09/06(月) 20:27:06.80 ID:tI3V57so

「ちょっと待った。何言ってるかちょっと分からない」
「……?」
「いや、本気で分からない顔されても」

 ルイスは半眼でうめいた。

「僕の常識だと、喧嘩でテントはこうならないんだけど」
「…………なんだろ。女の子の意地?」
「……はぁ」

 ルイスは次にサンダ―を見上げた。

「何であんなこと言ったんですか……びっくりするでしょう」
「む、ご指名かねルイス君」

 サンダ―は、こちらにゆったりと向き直った。若干横に傾きながらこちらを見やる。
 ルイスは緊張が解けてイライラしていた。そんな些細なことにもとげとげしさを覚える。

「さっき、殺人人形がいるようなことを言ってましたよね」
「いや?」
「言ってましたよ。僕がアレかって聞いたら、そうだって」



488 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/09/06(月) 20:28:59.46 ID:tI3V57so

「ああそのことか」

 サンダ―はぽんと手を打って見せた。

「私はてっきり猥談だと」
「ねえよ!」

 思わずつかみかかるが、襟首をひねりあげたところで何ができるわけでもなかった。身長差が激しい。
 その時だった。

「君は、ルイス君じゃないかい?」
「え?」

 サンダ―の襟首をつかんだまま、そちらを見る。
 野次馬たちは、そのころには二種類に分かれていた。こちらを遠巻きに見ている者、そしてとりあえずテントの残骸撤去や被害者救出を始めた者。声の主はそのどちらにも属していなかった。

「やっぱり、ルイス君だ」

 人影はルイスの顔を真正面から見ると、にっこりと笑った。



490 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/09/07(火) 20:09:37.43 ID:Y1G5wJYo

 次の日の朝、ルイスたちは馬車の心地よい振動に揺られていた。
 馬の蹄と馬車の車輪の音だけが聞こえている。いや、それと話し声もだ。

「ねえ、ロゼちゃんてさ」
「ん、なんだい?」
「ルゥ君とはどこまでいったの?」
「あはは、いいのかいそれを聞いて。きっと後悔するよ」
「……むぅ」

 やたらと元気のいい声と、落ち着いた穏やかな声がやり取りしている。ルイスはそれを聞きながらどうにも居心地の悪さを感じずにはいられなかった。そして頭痛もじわじわと忍び寄ってくる。ついでに胃もきりきりと痛みだした。
 だがそれでもひたすら無視するよう自分に命じる。できるだけ関わりたくなかった。

「……手はつないだ?」
「とっくに」
「き、キスは?」
「どう思う?」
「ま、まさかCまで!?」
「ああもう、うるさい!」

 最後はルイスの声だ。



491 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/09/07(火) 20:11:06.89 ID:Y1G5wJYo

 閉じていた目を開くと、こちらを見るポニーテールとロングヘアーが目に入った。
 ポニーテールは言わずもがな、リオである。ルイスの隣から、向かい側に身を乗り出した姿勢でこちらを振り向いていた。そして、その向き合って座っているのが黒髪ロングヘアーの人影だった。先ほどリオがロゼと呼んだ人物である。

「ああ、ちょっと騒がしかったね。ごめんよ」

 ロゼは言って、笑みを浮かべた。さっきの話題のアレさはまったくもって気にならない様子だった。

「声のトーンを下げるから、寝ててくれ」
「いや、音量の問題じゃなくてだね……」

 半眼で頭を掻く。それから顔をあげて視線を合わせた。
 理知的な笑み、一部編んだ黒髪、細身の身体。おおよそ歳に似つかわしくない落ち着きを纏っていた。そして冗談のような女顔。
 ロゼ。本名、ロゼイユ・ブルーベリー。キエサルヒマ大陸タフレムの大魔術士カシス・ブルーベリーの養子である。
 そして――

(本人も、生粋の魔術士)



492 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/09/07(火) 20:12:08.00 ID:Y1G5wJYo

 時間は前日にさかのぼる。潰れたテントの撤去作業が始まった広場で、ルイスはある人物と向かい合っていた。

「久しぶりだねルイス君」
「……」

 かけられた声に、ルイスはしかし返事を返さなかった。頭から血が引いていくのを感じる。
 必死でその優れた脳細胞を活性化させた。一瞬で思考をフル回転させ、急速に加速する意識のなか、彼は一つの答えに至った。
 すなわち。ルイスはくるりとその場で振り向き、できる限りの全力で一目散に駆けだしたのである。
 だが次の瞬間――

「はっ!」

 突如足を蹴飛ばされて、ルイスは無様にすっ転んだ。顔面を強打し、無言の悲鳴を上げる。

「な、何するんですか!」

 鼻を押さえてサンダ―を見上げた。

「うむ、なにやら面白そうな気配がしたのでな」
「何も面白いことなんてありませんよ!」

 怒声混じりに叫ぶ。



493 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/09/07(火) 20:13:22.22 ID:Y1G5wJYo

「傷つくね。いきなり逃げることはないじゃないか」

 と言いつつもその笑みを崩そうとしない人影をルイスは恐る恐る見上げた。

「ロゼイユ……」
「もう一回言うけど、久しぶり。会えてうれしいよ」

 言って差しのべた手は借りずに、ルイスは自分で起き上がる。ロゼイユはやはり気にした様子もなく手をひっこめた。
 知り合いである。もともとルイスはロゼイユの養父を頼ってタフレムに来た。ロゼイユとはその時からの付き合いだ。ちょうど二年前にロゼイユが新大陸に渡ってからは親交が途絶えていた。

(親交?)

 ルイスは顔をしかめた。冗談じゃない。

「ねえねえ」

 先ほどから蚊帳の外だったリオが口をはさんだ。

「ルゥ君の知り合い?」
「ああ、そうだよ」

 ロゼイユは首肯した。そして付け加える。

「まあ、正確に言うなら元恋人ってところかな」
「――!?」

 リオが音をたてて硬直した。ルイスはもう一度逃げたくなった。



497 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/09/08(水) 12:08:55.33 ID:6ci70iAo

 馬車が、何かに乗り上げたのか一度大きく揺れた。意識を現在に戻す。

「で、実際のところはどうなのさ?」
「それは僕の口からは」

 ついさっき怒鳴られたことなどどこ吹く風で会話が再開している。がんがん痛む頭を抱えてルイスは嘆息した。

「じゃ、じゃあルゥ君、どうなの?」
「何もないよ。せいぜいが手をつないだだけ」

 うんざりと言ってやると、こわばっていたリオの顔がいくらかほぐれた。

「で、でも二人は元恋人だったんでしょ? 本当にそれだけ?」
「それだけだってば」

 今度はこちらに身を乗り出すリオの頭を押さえてルイスは馬車の窓の外に目を移した。
 何本もの木々が目に入る。森林と呼べるほどに密度があるわけではないが、それでも林と呼ぶにはふさわしくない。今向かっているところは、ここを抜けて一時間ほど行ったところにある村だ。

「あー、目をそらした!」
「違うって」



498 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/09/08(水) 12:10:25.01 ID:6ci70iAo

 昨日、ロゼイユとの再会の後、簡単に近況報告をしあった。ルイスとしてはその場をすぐに離れたかったが、ロゼイユがどうしてもというので仕方なく付き合ったのだ。だが、それによって収穫もあるにはあった。
 新大陸に来た理由を説明し、遺跡の出土品――例の剣だ――を調べているが行き詰っていることを話すと、

『だったらいい人を紹介するよ』

 という風に話が運んだ。
 できればロゼイユと関わりあいになりたくないルイスにとって、その提案は軽いジレンマのもととなったのだが。
 まあとにかく、今はロゼイユが紹介するその人に三人で会いに行く道の途中なのである。

「ひどいよひどいよルゥ君、あたしに黙って恋愛なんて!」
「別に姉さんに許可取るもんじゃないでしょ」
「そうだけども!」

 それに、と胸中で付け加える。ルイスは付き合っていたというよりだまされていたのだ。
 しかし、それを言うのは気が重かった。とはいえ誤解は解かなくてはならない。

「姉さんは勘違いしているよ」
「なにがさ!」
「ごほん」

 ロゼイユがわざとらしく咳払いした。だが、それを無視してルイスは続ける。



499 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/09/08(水) 12:11:49.42 ID:6ci70iAo

「いいかい、姉さんはこう思ってるはずだ。僕――ルイス・フィンランディは、過去にロゼイユ・ブルーベリーという女の子と交際していた、と」
「……なにか違うの??」
「全然違う。まったくもって見当違いだ」
「……付き合ってなかったってこと?」
「いいや」

 これは認めなければならない。ルイスはロゼイユと付き合っていた。忌々しいことではあるが。

「じゃあ、勘違いじゃないじゃん!」
「いやそれでも勘違いさ」
「どこが!」
「姉さん。ロゼをもっとよく観察するんだ」

 言われてリオの視線がロゼイユを上から下までなでる。つられてルイスもロゼイユを見た。
 白いブラウスに黒のスカート、黒のソックスに茶色の靴。落ち着いた雰囲気、というか学校の制服のようにも見える服装である。だが、問題はそんなところにはない。

「気付いたことは?」
「……あたしよりかわいい」
「光栄だね」
「違くて」

 ルイスはかぶりを振った。頭痛が最大限まで高まっていた。どうしても言わなければならないことを、どうしても言いたくない。それでもルイスはそれを吐きだした。

「これ、男」
「……へ?」



500 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/09/08(水) 12:13:21.34 ID:6ci70iAo

 硬直したリオと向かい合って、ロゼイユは特にうろたえたようすは見せなかった。平然と笑っている。

(……はぁ)

 七年前、タフレムに遊学に来た時、初めて会った同年代がロゼイユだった。会ってすぐ心を奪われた。ロゼイユはその性格に似合った凛とした美しさを備えていたし、個性的で、何より頭が良かった。優れた頭脳により孤独を感じていたルイスにとって、最後のファクターは実に大きい意味を持っていたのだ。
 三年間片思いを続けた。その間、思いは弱まるどころか次第に強くなって抑えつけることができないまでになった。四年目、ルイスはついにロゼイユに告白する。ロゼイユはその気持ちを快く受けとめてくれた。それから交際が始まったのだ。
 清い関係だった。初めて手をつないだのが、付き合い始めてから一年後である。そこから一歩進んだ関係になろうという時に悲劇は起きた。
 ロゼイユの性別が発覚したのである。

 ルイスは自分の鈍さを呪った。ロゼイユは別に隠していたわけではなかった。言われてみれば骨格が女性のものと異なるし、言葉使いも男のものだったのだから。だから、ルイスの不注意、というか勘違いだったのだ。
 むろんのこと関係は破綻する。その数日後にロゼイユが新大陸に渡ったのが幸運といえば幸運ではあった。
 思い出しながら、気分がささくれ立つのを感じた。

「え? え? じゃあルゥ君、男と付き合ってたの!?」
「……そうなる。不本意だけど」
「ふ、不潔!」
「まあ、そう言ってやるな。僕の美貌じゃ仕方ない」

 どことなく自慢げに彼、ロゼイユが言った。



501 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/09/08(水) 12:14:11.08 ID:6ci70iAo

「君がだましてたんだろうが」

 ロゼイユを険悪に睨みつける。どうしようもなくどうしようもない心地のなか、ルイスは死にたくなってきていた。

「だましていたなんて人聞きの悪い。君が勘違いしていただけだろう。僕は全然普通さ」
「女装が趣味の男がどこにいる!」

 思わず立ち上がって怒鳴りつける。それでもロゼイユはひるまなかった。

「仕方ないだろう。引き取られた養父が悪かった。あの人がくれた服はみんな女物ばかりでね、それを良く分かってなかった僕に罪はない」
「判断力のある今は違うだろうが」
「長年の習慣というものはなかなか抜けきらないものさ」

 まだいいたいことはあったものの、なにやらどっと疲れた気がしてルイスは座りこんだ。がっくりと肩が落ちる。

「ルゥ君、元気出して。いい病院紹介するから」
「姉さん、僕は正常だ。できればロゼに紹介してやってくれ」

 そうしているうちに、前方に村が見えてきた。
 開拓民の村、ローグタウンだ。



508 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/09/09(木) 16:19:24.64 ID:fEe2Dpwo

 ローグタウン。新大陸の南端に位置するニューサイトから、北に行ったところにある開拓民の村。
 当たり前だが、ニューサイトとはかなり趣が異なっていた。
 まず、道がほとんど舗装されていない。土肌がむき出しのままで、ところどころでこぼこしている。平らな個所も、ところによっては若干傾斜がかかっていた。
 次に、建物が統一されていない。掘立小屋のような粗末なものから、木造の比較的しっかりしたものまでまちまちだ。見渡した限りでは、ニューサイトのレンガ造りのように手の込んだものは見当たらなかった。建物の並びも整然としているとは言い難い。
 洗練されたニューサイトと違って、ここはどうにも土臭い雰囲気が漂っている。

「でも」

 と、リオは言う。

「これぞ開拓民! って感じだよね」

 ルイスもそれには同意した。
 さらにルイスは、もともと田舎の祖父母のところに住んでいたので、なじみのある雰囲気に懐かしさすら覚えてもいた。
 穏やかで静かながら、どこか発展の前の鼓動を感じさせる空気。



509 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/09/09(木) 16:22:35.83 ID:fEe2Dpwo

 息を大きく吸い込んで、ルイスはあたりを見回した。馬車から降りたところはちょうど馬小屋の近くだった。中の馬が、外からやってきた自分たちにどこか珍しげな視線をよこしてくる。
 だが、あたりには人の気配はなかった。

「みんな今の時間は働きに出てるんだよ」
「開墾?」
「そうさ。ここからさらに北に行ったところに森がある。そこを焼いて畑にしてるんだ」

 ロゼイユは説明をしながら歩き出した。それに従ってルイスとリオも足を踏み出す。

「ここはまだ開拓民が入って日が浅い場所でね、今急ピッチで作業が進んでる」
「急ピッチ?」
「ああ、移民が増えているのは知っているだろう? ニューサイトは立派な都市だが何しろキエサルヒマのと比べると広さが足りない。これからさらに増えるであろう移民に対応するためにはさらに大きな都市を作っていかなきゃならないってわけさ」
「他にも開拓村はあるんだろ?」
「まあね。でも地盤の問題があったり、地理的な問題があったりしてどこもそんなに進みが良くない。で、結局今一番期待されているのがここ、ローグタウンというわけだ」



510 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/09/09(木) 16:24:57.24 ID:fEe2Dpwo

 解説を聞きながらしばらく歩くと、比較的大きく、しっかりした造りの木造建築が見えてきた。

「あれが村長殿の家さ」
「あれ、仕事に行ってるんじゃないの?」

 リオの質問にロゼイユが頷く。

「さすがに村をすっかり空っぽにするわけにはいかないだろう? 長が代表として残るのが筋というものだ。まあ他にも自警団が数人詰め所にいるんだけどね」

 家の前で立ち止まる。

「さて」
「どうかしたのか?」

 訊ねるルイスに、ロゼイユは苦笑して見せた。

「いや、ここの村長殿なんだが、ちょっとね」
「んー?」

 リオが、鞄から飴を取り出して口に放り込む。



511 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/09/09(木) 16:26:50.67 ID:fEe2Dpwo

「仕事はできる人なんだよ。本当にね」
「それが?」
「いや、仕事はできるんだが、その、素行が良くないというのかなんというのか」
「ヤなやつってこと?」
「まあ、当たりだ」

 ロゼイユが頭を掻く。

「汚職癖があってね、前に上から回ってきた予算を一部横領しようとした」
「それは酷い……」
「だろう? それに女癖も悪い。村の女性で彼に声をかけられなかった者はいないって話だ。かくいう僕もナンパされたクチ」
「げっ」

 リオが顔をしかめた。ルイスも苦笑する。それはなんとも趣味が悪い。

「で、だ。住民がリコールをしかけたんだが、上に取り入るのがうまいやつでね、仕事ができることを盾にいまだにその地位についているというわけだ」



512 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/09/09(木) 16:29:34.92 ID:fEe2Dpwo

「なんとも困った男だな」
「同感だ。みんなこの家には近付かないようにしている」

 手でその建物を示す。

「なにより始末が悪いことに、村長殿は自分に甘く他人に厳しい。家を訪問した相手には必ず罵声を浴びせるんだ」
「それはそれは」

 からころ、と飴を転がしながらリオが言う。

「怖い人なんだね」
「まあ、慣れてしまえばどうってことはないさ。最初に言ったように仕事はできる人なんだ。適度に泳がせとけばいい。罵声は聞き流してればいい。さ、長くなったね。入ろうか」

 ノックをして、返事を待たずにドアを開ける。

「村長殿ー、客人を連れてきた」

 それに呼応するように奥から大声が聞こえてくる。

「もう勘弁してください!」

 それは思っていたのとはずいぶん趣の異なるものだった。
 こちらを振り向いたロゼイユが変な顔をする。

「おかしいな。罵声のバリエーションでも変えたのか?」

 そう言って内部に踏み込んだ。ルイスたちもそれに続いた。



516 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/09/10(金) 18:41:51.17 ID:I4Bxz1ko

 玄関から入ると、右に二階に続く階段、そして目の前にもう一つ扉があった。ロゼイユは扉の方に進み、開けた。

「村長殿、失礼するよ」
「失礼します」
「たのもー」

 それぞれ声をあげて入室する。
 そこはどうやら応接間になっていたようだ。部屋は広く、革張りのソファが低いテーブルをはさんで互いに向かい合うように置かれていた。
 そして、

「お願いですからそれだけは!」

 だいぶ額の後退した、小太りの男がその一方に座っていた。年のころ五十といったところだろうか。年相応の貫録と白髪を持っている。いかにも不遜な感じの空気を纏っているが、今はその広い肩幅を、ただただもっとも収納効率がようなるように縮め、頭を低くしていた。
 向かいにも人影がある。

「うむ、苦しゅうない」

 ふんぞりかえることなく真顔でそんなことを言ってのけるその男には、見覚えがあった。



517 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/09/10(金) 18:45:22.25 ID:I4Bxz1ko

「ミサンガさん?」
「おや」

 こちらを顔を向けたのは、ニューサイトで別れたはずのサンダ―・ストロンガーだった。

「ストラッチャ・シュナイダーじゃないか」
「いえ、ルイスです」
「どうしてこんなところに?」
「こっちが聞きたいです。主に移動手段的な意味で」

 この村に来るまでの交通手段といえば、先ほどルイスたちが乗っていた馬車である。定期便のそれは、彼らが乗ってきたのが始発のものだった。とはいえ、サンダ―は役所の人間であるから公用で馬車を出せても不思議はない。

「ていうか、僕たちがこの村に来ることは知っていましたよね?」
「むろんだ。君たちの行動は逐一把握している」
「じゃあなんで聞いたんですか」
「深い意味はない」

 サンダ―は鷹揚に頷いて見せた。



518 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/09/10(金) 18:46:09.49 ID:I4Bxz1ko

「私の方は君たちが心配になってついてきた」
「はあ」
「初めのうちは念力で無事を祈っているだけだったのだが、そのうち、遠近自在エネルギー法でも追いつかなくなった」
「なんですかそれ」
「六千八百二十九通りある幸せを祈る方法のうち、もっともお勧めなやつだ。効き目はすごいぞ? 飛ぶ鳥をきりもみで落とす勢いだ」
「さいですか」
「あ、あの」

 最後のはサンダ―の向かいの男が上げた声だった。いかにも怯えた目でサンダ―を見つめている。

「彼がかの邪智暴虐の村長だよ」
「なるほど」

 ロゼイユが小声でルイスに告げる。聞こえなかったのか、気にせず村長はサンダ―に声をかけた。

「なんとかなりませんかね……」



519 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/09/10(金) 18:46:47.60 ID:I4Bxz1ko

 何の話かと思えば、なにやらテーブルに書類が並べられていた。

「なんとかなれば私はここに来ていない」
「それはそうですが……」
「なんの話?」

 リオが口をはさむ。サンダ―はこちらを向いて頷いた。

「愛の、話だ」
「絶対違うよねそれ」
「実を言うと、この男がまたも不正を働いたのだ」

 村長を指さす。彼はびくりと身体を震わせる。

「横領だ。上から出された資金をおいしくゲッチュと、そういうことだ」

 ちなみに真顔だ。



520 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/09/10(金) 18:47:28.20 ID:I4Bxz1ko

「わ、私は働きに見合った正当な報酬を……!」
「人々を困窮させるほどの取り分が正当かね?」
「そ、そんな事実はない!」

 ほう、とサンダ―は息を吐いた。

「先月のリコール騒ぎ。あれは人々の不満を如実に表しているのでは?」

 村長はその言葉にうめき声をあげて黙り込んだ。
 サンダ―はその様子に目もくれず、テーブルの上の書類を示した。

「とにかく、上からの処分はこの書類の通りだ。心当たりがないとは言わせん。甘んじて受けるんだな」
(す、凄い)

 とルイスは思わずにいられなかった。サンダーが仕事をしている。実に奇妙な光景に見えた。

「ひいては――」

 サンダ―は言葉を続ける。



521 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/09/10(金) 18:49:28.34 ID:I4Bxz1ko

「私もその横領のおこぼれにあずかりたい」

 べしゃ。

 とは、リオとルイスが転倒した音である。

「な、なんですかそれー!」
「ミサンガきたなーい!」

 二人のあげる抗議の声を、サンダ―はどこ吹く風と聞き流して見せた。
 村長もまた、同じようにぽかんとしていた。しかし、頭の回転が速いのだろう、すぐに表情が下卑た笑みに変わる。

「……なるほど。賄賂を請求しますか。それを渡せば、上に口利きしてくれると、そういうことですな」

 村長はすぐに懐から、なにやら重みのありそうな袋を取り出した。

「分かりました。これでいかがです?」
「その二倍だ」

 村長は顔をしかめたが、逆らう気はないようだった。すぐにもう一つ袋を取り出して、それらをサンダ―に手渡した。



522 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/09/10(金) 18:50:09.52 ID:I4Bxz1ko

「ふむ、これで良し」

 どことなく満足げなむっつり顔になると、サンダ―はこちらに顔を向けた。

「こちらの要件は終わった。そちらの用を済ませるといい」
「……」

 こちらの半眼を気にも留めないように、サンダ―は立ち上がると、こちらに席を譲った。
 気になることはあったが、ロゼイユに促されるままとりあえずソファに三人で腰掛ける。

「村長殿、客人を紹介しよう。こちら、ティー姉妹に用があって来訪したルイス・フィンランディ。そして、となりがリオだ」
「……よろしくお願いします」
「これはこれはようこそローグタウンへ。この村の代表として歓迎しますよ」

 にこにこと笑みを浮かべて挨拶をよこしてくるが、先ほどのこともありどうにも印象は良くない。しかも村長の視線はルイスを早々に通り過ぎ、リオにじっとりと注がれていた。

「リオさんですか。おきれいですな」
「ど、どうも……」

 リオが珍しくひるんでいた。



523 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/09/10(金) 18:51:31.93 ID:I4Bxz1ko

「とりあえず挨拶は済ませたから、これで失礼するよ」
「そんな急ぐことでもないだろうロゼ。ゆっくりしていってもらえ。リオさん、お菓子は好きですかな」
「いえ、甘いのはあんまり……」
「それはちょうど良かった! いまちょうどいいのがあるんですよ。食べていってください」

 リオに熱烈な視線を注ぎながら、時折ルイスを睨みつける。
 その視線いわく、男はいらんから出ていけ。ルイスの中で、さらに村長の印象が悪くなった。

「……姉さん、あんまり長居も失礼だし、行こうか」
「う、うん」

 さっさと立ちあがって部屋の扉までいく。

「そうだ! 今夜この家で歓迎会を開きましょう! いかがですかな?」
「いえ、結構です」
「村長殿、そういうことだ、失礼するよ」

 村長の苦々しげな視線を背中に感じながら扉をくぐった。



524 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/09/10(金) 18:52:44.90 ID:I4Bxz1ko

「そうだ、村長」

 ルイスたちに続いて部屋を出ようとしていたサンダ―が、ふいに声をあげた。

「は、はい、なんでしょうかな?」
「村長のお気持ち、感謝する」
「は?」

 あっけにとられる村長に、サンダ―は告げる。

「私は村長に金銭を要求した。だが、上に口利きするとは言っていない。そういうことだ」
「え? ちょ、ちょっと!」
「ではさらばだ」

 村長の罵声が響くが、思いのほか分厚い扉がその声を遮って、閉じた。



526 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/09/10(金) 20:15:31.64 ID:faa5WUSO
ミサンガやるな



530 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/09/12(日) 19:18:51.67 ID:a.2wW6SO
今更だが今回の話はニギが帰ってきてからの話なんだよな?



531 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/09/12(日) 19:24:27.23 ID:lbMgsf.o
>>530
トンクス

>二ギガ帰ってきてからの話
その通り
で、その二ギが魔翌力増幅の指輪をリオに渡して、って感じです




532 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/09/12(日) 19:39:40.31 ID:a.2wW6SO
そうか
生きた証人が生還したのに認められなかったのか
ルイスカワイソス

やはり物証が必要だったのか




533 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/09/12(日) 20:02:25.24 ID:lbMgsf.o
>>532
確かにニギは生き証人
でもキエサルヒマでは新大陸と違って、人間の魔物に対する不信がまだそれなりに残っています
この世界の学会では魔物の意見は軽く扱われる傾向にあり、魔物を証人として召喚するのはリスクが高い
また、異世界は時間の進みが遅く、ニギは若い?ままでしたが、なまじ魔物の寿命が長いために分かりずらい、となります
そして、何より主張が突飛なので>>532の言うように物証が欲しいところです
こんなところでしょうか、長文すみません




534 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/09/12(日) 20:19:54.19 ID:a.2wW6SO
そうか証人が魔物ばかりなのが痛いのか
物証は難しいからな

それが引っ掛かってたんだ
ありがとう




556 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/10/11(月) 22:49:25.95 ID:Vf6qyyMo

 村長は追いかけてまでは来なかった。下手に騒げば、また処罰の話が出ると分かっているのだろう。

「よかったの?」

 村長の家を出たところでリオが口を開いた。

「かまわん、少しぐらい痛い目を見た方が彼のためにもなる」
「そのためにミサンガさんが得をするのはどうかと思いますが……」

 半眼でうめくが、そちらは風に流された。
 ロゼイユが笑う。

「ミサンガさんは面白い人だ」
「そう、何を隠そう私が面白い人だ」

 何を言っているのだか。ルイスはあきれた。

「それで、ロゼ。ティー姉妹というのは?」
「ああ、例の紹介したい人たちさ」
「その人たちが僕を助けてくれるのか?」
「そういうこと。まあ、楽しみにしてるといい」

 そう言うとロゼイユはさわやかにほほ笑んだ。



557 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/10/11(月) 22:50:20.46 ID:Vf6qyyMo

 案内されたのは村のかなりはずれの方だった。森に半分突っ込んだところにこじんまりとした木造の家があった。雨も降っていないのに、地面はしっとりと水分を含んでいるようで、足音はどこかくぐもる。小鳥が頭上を飛び去った。

「ここが……」
「そう、ティー姉妹の家さ」

 ロゼイユは頷いてルイスの方を向いた。

「彼女らは古典、神話に精通している。きっと君を手助けしてくれるはずだよ」
「学者なのか?」

 驚いて訊ねると彼は首を振ってこたえた。

「いいや、彼女らは一般人だ。ただ、彼女の家は古くは語り部をやっていた血筋でね、そういう記録に残っていないことに関してとても詳しい」
「へえ」

 あれ、でも、とリオが声を上げる。

「そう言えば、この時間はみんな開墾に出ているはずじゃないの?」
「そうなんだけどね、ただ一番下の――」

 悲鳴が聞こえたのはその時だった。



558 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/10/11(月) 22:52:51.90 ID:Vf6qyyMo

 小さくか細いそれは、かすかながらもかろうじてルイスたちの耳に届いた。感覚に狂いがなければ、目の前の家の裏からだった。

「なんだ?」

 ルイスが訝しんだ時には既にリオとサンダ―が走り出していた。続いてロゼイユが、そのあとをあわててルイスが追った。
 家の裏は木がだいぶ侵略してきているもの、ちょっとした広場になっていた。
 そこに少女が一人、尻もちをついているのが目に入った。それに手を伸ばす二人分の人影。

「光よ!」

 躊躇なく放たれたリオの呪文の叫びは、魔術の効力を引き出し、光が視界を埋め尽くす。
 光熱波は離れたところにある木の一本に突き刺さると、大爆発を起こした。少女に伸びる手が止まった。
 リオの判断は常に早い。こうだと決めたことはすぐに実行する。対してルイスはいまだ、事態の認識ができずにいた。なんとか冷静になるように自分に言い聞かせ、じっくりと場を見渡す。
 人相の悪い男の二人組が、こちらに驚いた視線を寄こしていた。両方とも擦り切れた粗末な服装で、よく見るとそれぞれ武装している。それににじり寄られる格好で、十歳そこそこに見える少女が腰を抜かしていた。



559 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/10/11(月) 22:54:56.64 ID:Vf6qyyMo

 ルイスにもようやく状況が呑み込めた。構成を瞬時に編む。が。
 相手の判断もまた早かった。男ふたりは闖入者があるとみると、すぐにこちらを背にして走り去った。ルイスの魔術速度を持ってしても捉えられない、あっという間の撤退だった。
 茫然とそれを見送る。二人の背中はすぐに森の緑にまぎれた。

「大丈夫かい」

 見るとロゼイユが少女に手を差し伸べていた。少女は震えながらもその手を取ると、立ちあがって小さくうなずいた。

「今のは……」

 ルイスが声を上げると、ロゼイユがこちらに顔を向けた。

「多分、武装盗賊だ」
「武装盗賊?」
「ああ、こちらの大陸に渡ってきたものの、仕事にありつくことができなかったり、犯罪に手を染めたりしてドロップアウトした者たちのなれの果てだ。他の開拓村で襲撃があったとは聞いていたが、ついにこの近辺にも出た、か」

 彼はやれやれ、と首を振る。

「まあ、とりあえずは君に危害が及ばなくてよかった」
「……」

 ロゼイユのそばで、少女はぱちくりと瞬きをした。

「その子は?」
「ああ、そうだな紹介しよう」

 ロゼイユは少女の頭に手を乗せた。

「この子はティー姉妹の一番下の子、ミルク・ティーだ」

 少女はつぶらな瞳で、もう一度ぱちくりと瞬きを繰り返した。



563 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/10/23(土) 00:26:32.59 ID:wGpqbjwo

 ミルク・ティーは無口な子だった。他に二人いるという姉妹を待つ間、お茶を出す以外はもじもじと肩までの茶色い髪をいじりながら、こちらをちらちら見ては目をそらすを繰り返している。その様子にルイスも気後れのようなものを感じたが、リオはというと特に気にならないようで、早々にくつろぐ態勢に入ったようだった。

「中は結構広いねえ」

 リオの声に周りを見渡す。彼女の感想ももっともで、小さいと見えたのは外観だけのようだった。家具があまりないせいかもしれない。代わりに部屋の真ん中には八人ほどで囲むことのできるテーブルが置かれており、ルイスたちはそこについていたが、三人姉妹であることを考えるとこれは奇妙なことに思えた。

「ああ、それは」

 ロゼイユが口を開く。

「彼女らが語り部の家系であることに由来しているんだ」

 ルイスは少し考えて、それに応じた。

「つまり……人を招いて語り聞かせるため、か?」
「御名答」
「ふーん」

 リオが相槌を打ってお茶に口をつける。

「ってことはこの子 ――ミルクも何か語れるのか?」
「……」

 ミルクはこちらと視線が合うと、さっと目をそらしてうつむいた。

「この子も語れないことはないさ。でもなにぶん恥ずかしがり屋でね、一番上の姉を待つ方がいい」
「そうか」

 頷いてルイスもお茶に口をつけた。まだしばらくは待たなければならないらしい。懐中時計を取り出して確認する。時間は昼になるかならないかといったところだった。



564 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/10/23(土) 00:28:11.19 ID:wGpqbjwo

 それから三十分ほど経っただろうか。ロゼイユは、ティー姉妹の残り二人がどれくらいで戻ってくるのか確かめてくる、と言って家を出ていた。リオは無口なミルクに何やら話しかけている。ルイスはというと本を引っ張り出して読書を始め、サンダ―は茶柱がないかとお茶くみに無駄に熱をあげていた。
 外から足音と話し声が近づいてきて、扉が開く。振り向くと、三人分の人影がルイスの視界に入ってきた。

「待たせたね」

 と言った一人は言わずもがな、ロゼイユである。他の二人はどちらも茶色の髪をしていて、ミルクの姉たちであることがうかがえた。
 一人は十五、六ほどの少女で、肩甲骨あたりまで髪の毛を伸ばしていた。利発そうに瞳が輝いている。そしてもう一人はそれより少し背が高く、年のころ二十ほど。腰までの長髪をそよ風になびかせていた。

(若いな)

 というのが、ルイスの感想だった。

「どうも、お邪魔しております」

 席を立って頭を下げると、長女であろう女性は頭を下げて応じた。

「いらっしゃい、歓迎いたします」
「ゆっくりしていくといーよ」

 次女とおぼしき少女の方はにかっと笑って手をひらひらさせた。



565 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/10/23(土) 00:28:58.65 ID:wGpqbjwo

 三人は部屋に入ると、ルイス達と向かい合うようにテーブルに着いた。

「紹介しよう、こちらティー姉妹の長女、ハーブ・ティー。そしてこちらが次女のアップル・ティーだ」
「よろしくお願いします」
「よろしくね!」

 三姉妹はこちらから見て右側からちょうど年の順になるように並んで座っていた。そして長女の隣にロゼイユがいる。
 ロゼイユはいったん席を立つと、対面のこちら側にまわってきた。ルイスの横に立つと、

「そしてこちらがティー姉妹のご教示を受けに来た、歴史学者のルイス・フィンランディ。その随伴、リオ。そしてニューサイト行政区の職員、サンダ―・ストロンガーさんだ」
「よろしくお願いします」
「よろしくー」
「うむ、苦しゅうない」



566 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/10/23(土) 00:30:33.16 ID:wGpqbjwo

 サンダ―の挨拶は気になったが、とりあえず顔合わせが終わって、ルイスは早速口を開いた。

「まずは急に押しかけたご無礼をお許しください。僕はある研究のためにこちらの大陸に渡ってきました。ただ、お恥ずかしながら研究の進捗状況はいまひとつで。そんなときにロゼからあなた方の紹介をいただきまして、こうしてうかがった次第です」
「お聞きしてます。若いのになかなか高名な学者さんでいらっしゃるとか」

 ほほ笑むハーブの言葉に、ルイスは苦笑いする。

「いえ、そんなことはありませんよ。ただの助教授です」
「でも、頭はいいよね。歴史書の暗誦なんて余裕だし」

 リオがあっけらかんと言うが、ルイスとしてはそちらにも苦笑しかできない。

「まあ、力不足のところがありまして。研究内容はロゼから聞いてますか?」
「ええ。魔術の起源と魔法についてだとか」
「そうです」



567 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/10/23(土) 00:31:13.77 ID:wGpqbjwo

「うさんくさ」

 アップルがふき出した。

「こら、失礼ですよ」
「ごめん、でも魔法の研究ってちょっとアレでしょ」
「いえ、まあ、その通りなんですが。それでもテーマを与えられれば研究せざるを得ないというのが学者のつらいところで」
「うむ、魚は地上には住めんしな」

 サンダ―のそのたとえは正しいのかと胸中で首をひねりながら先を続ける。

「ということで力を貸していただけないでしょうか。どうかお願いいたします」
「ええ、かまいませんよ。そういうことならば、微力ながらお力添えいたしましょう。もっとも、お仕事の合間合間に、ということになりますが」
「かまいません、ありがとうございます」

 ルイスは頭を下げた。



568 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/10/23(土) 00:32:29.97 ID:wGpqbjwo

     ・
     ・
     ・

「というわけでこれなんですが……」

 長大な剣をハーブに手渡す。彼女には少し重かったようで、軽くよろめいた。
 例の石化の剣である。彼女らには殺人人形との邂逅を包み隠さず説明した。そして何か分かることはないかと実際に物を見てもらうことになったのである。

「……ずいぶん大きな長剣ですね」

 ハーブは剣をゆっくりと持ち直し、革の鞘からそれを抜いてみせた。くすんだ色の刀身が外気に触れる。そして目に入る紫電を模したような形の文字。

「これは……」
「ご存知ですか?」

 ハーブの声に問いを投げる。

「ええ、キエサルヒマ島でもかつて使われていた古代語の一つです」
「では?」
「はい、バルトアンデルス。そう読めます」
「バルト、アンデルス?」
「“いつでもほかのなにか”」

 アップルの声。そちらを見やると、どこか得意げな顔で彼女は笑っている。

「そういう意味よ。現代語ではね」
「いつでも、ほかのなにか?」
「どういう意味だろうね」

 リオがルイスに声をかけるが、考え込んでいたために応えられなかった。



569 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/10/23(土) 00:34:08.34 ID:wGpqbjwo

「古代語……」
「ええ。千年ほど前に使われていた言語です。今ではまったく使われてませんが。古代人と呼ばれる人々が主に使っていたとされています」
「古代語については僕も断片的には知っています。ただ、古代人というのは?」
「私の家では私たちの祖先として伝えられています。緑の髪と瞳が特徴的で、魔術的な素養が飛びぬけて高かったとか」

 どこか、記憶に引っかかることがあった。すぐに思いだせないのは記憶力の優れているルイスには珍しいことで、多少のいら立ちを感じたが、しばらく頭を探ったのちに諦めた。

「魔術文字を信じますか?」

 問いかけると、ハーブとアップルは難しい表情になった。

「先ほどのルイスさんの話を疑うわけではありませんが……」
「やっぱり信じがたいわよね」

 文字を媒体にする魔術。実際に見たルイスでもその存在をいまいち信じることができずにいる。
 ただ、古代語、そして古代人。それらと魔術文字は関係あるように思えた。

「私も気づいたことがある」

 唐突に声が上がった。今まで特に口をきかずに離れたところでこちらを見守っていたサンダ―だ。

「なんですか」

 多少驚いて問いかけると、彼は一言、

「空腹だ」

 とのたまった。



570 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/10/23(土) 00:35:35.81 ID:wGpqbjwo

 昼食を終えると、長女と次女はいったん仕事に戻っていった。
 残されたルイスたちは、とりあえずということでロゼイユとミルクに村の案内を頼んだ。
 とはいえ、何かめぼしいものがあるわけでもなく。適当にぶらぶらし、自警団の詰め所に挨拶するぐらいで、時間はあらかた潰れてくれた。

 夕方。食事を終え、七人は再びテーブルについていた。卓上にはバルトアンデルスが横たわっている。

「説明した通り、この剣は攻撃したものを石化させる性質を持っているようです。実際に目にした僕たちにも信じがたいことですが」

 ルイスが口を開くと、全員の視線が、剣からルイスの方に移ってきた。

「魔術文字が実際にあるとすれば、剣の性質はそれによるもので間違いないでしょうし、効果は人間が使うものとは比べ物になりません」
「そこで古代人と古代語ですか」

 ハーブの言葉にルイスは頷く。

「ええ。古代人について知っていることを教えてもらえませんか?」
「分かりました」



571 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/10/23(土) 00:37:39.92 ID:wGpqbjwo

「お昼に説明したとおり、古代人は私たちの祖先と言われています」

 それから続く一時間ほどの話の要点をまとめると、古代人はキエサルヒマ島に何かを求めて、もしくは何かから逃げるように移住してきたらしい。彼らの魔力は絶大で、運命すら改ざんし、疑似生命を生み出すことすら可能だったという。

「あくまで言い伝えにすぎません。書物に記載されたものではなく、私たち以外の語り部の伝承は古代人という共通点こそあれ、様々に異なっています」
「例えば?」

 とロゼイユ。

「古代人は私たちの祖先ではなく、祖先と一緒に海を渡っていったというものや、もともとキエサルヒマ島にいた祖先のところに、海の向こうから古代人が渡ってきたというものなど、いろいろです」
「なるほど」

 古代人。絶大な魔力。運命の改竄。疑似生物の製造。思い当たる節があった。
 だが、口を開きかけたルイスを、ハーブは手で制した。

「今日はここまでです」
「……?」
「語り部の掟で、一日に語る物語は一つか二つと決まっているのです。今日は古代文字と古代人について話しましたからこれでおしまい」
「はあ」
「……というのは建前で、本当のことを申し上げますと、私、仕事で疲れてしまいました。今日はここで休ませてください」



572 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/10/23(土) 00:38:48.23 ID:wGpqbjwo

「あ、それはかまいません。長く引きとめてしまって申し訳ありませんでした」
「ルイスさんたちは今夜はいかがなさいますか? すみませんがこの家にはあと二部屋しか空きがなくて」
「ああ、お気遣いなく。僕はテントで寝ます。近くの場所をお借りしてもかまいませんか?」
「ええ、どうぞ」

 遠慮するロゼイユと、テントで一緒に寝るとごねるリオを無理やり部屋に押し込み、ルイスはテントの中に寝転がった。ちなみにサンダ―はというと、

「私はあてがあるものでな」

 と言ってどこぞに出ていった。

「……」

 研究の成果、いまだ出ず。ルイスはため息をついて目を閉じた。



573 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/10/23(土) 00:40:02.72 ID:wGpqbjwo

 朝、目が覚めて家に入ると、アップルとハーブはすでに仕事に出発していた。ルイス、ロゼイユ、ミルクの三人で(リオはねぼすけだ)用意されていた朝食をありがたく平らげたころ、サンダ―が家を訪ねてきた。

「おはよう諸君」
「おはようございます、ミサンガさん」

 いつもと同じスーツ姿。ただ、いつもと違うのは、手に何やら小さな袋を持っていることだ。

「なんですかそれ」
「うむ、ある人からの心配りだ」

 そう言ってサンダ―が袋を掲げると、ちゃりんとかすかに音がした。

「……村長さんですか?」
「ほう、勘がいいな。昨日は村長のところに泊ったのだが、村長がくれるというのでもらったのだ」

 昨日金をせびっておいて堂々と泊りこみ、あまつさえさらにカツアゲできるなんてどういう神経だ。ルイスはあきれたが、サンダ―はどうということもなく彼の視線を受け流して見せた。

「またお金をせびったんですか」
「くれと言ったらくれた。それだけだ」

 まあ、いいか。ルイスは追及を諦めた。



574 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/10/23(土) 00:40:52.01 ID:wGpqbjwo

 リオが眠そうに起きてきた。彼女が朝食を食べ終わると、全員手持無沙汰になってしまった。やることがないのに時間だけが余っている。

「じゃあさじゃあさ、森の方へ行ってみようよ。昨日ミルクちゃんが教えてくれたところ、見てみたいな」

 ようやく眠気が抜けたらしいリオが元気よく声を上げた。

「昨日教えてくれたところ?」

 ルイスの言葉にリオが頷く。

「うん。昨日、ハーブさんとアップルちゃんが来る前に私、ミルクちゃんと話してたでしょ? その時にね」
「……」

 ミルクを見ると、彼女はどこか恥ずかしそうに首肯した。

「何があるの?」
「それは見てからのお楽しみ。ねー」
「……うん」

 はにかむように発せられたそれは、昨日の悲鳴以来初めて聞いたミルクの声だった。



575 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/10/23(土) 00:43:48.60 ID:wGpqbjwo

 平たい石が風を切って飛ぶ。それは水面に接すると、沈むどころか逆に跳ね上がった。それを繰り返し、川の向こう岸に乗り上げる。

「さっすがルゥ君」
「まあね」

 振り返ると、手をたたいて笑うリオが目に入った。その隣に目を見開くミルク。

「すごい……」
「あれはね、水切りっていうんだよー」
「水切り……」

 ルイスたち五人は森の中にある川に来ていた。ミルクのお気に入りの場所らしい。十メートルほどの幅の緩やかな川の流れが、小さな水の囁きを発していた。
 昨日の武装盗賊が気にならないでもなかったが、あまり深いところではなく、またこの人数ならば多少のことは大丈夫だろうと判断した。

「やってみるかい?」

 ロゼイユが、拾ってきた石をミルクに見せた。

「こういう風に平べったい石の方がうまくいくんだ」
「……」
「あたしもやろっと!」

 三人はそれぞれ石を手にすると、川べりに近づいた。



576 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/10/23(土) 00:45:15.22 ID:wGpqbjwo

「こうやって回転させるように投げるんだ。平べったい面が水面と平行になるようにね」
「分かった……」
「よし、じゃ、せーの!」

 石が三つ、それぞれの勢いで飛んで行った。
 ルイスと同じように向こう岸にたどり着くもの、一回跳ねて沈むもの、水に勢いよく突き刺さって無様に沈んでいくもの。

「……姉さんって相変わらずこういうの苦手だよね」
「うーん……」

 沈んだ石が、実はリオのだ。

「すごいねミルク、一回跳ねたよ」

 ロゼイユに撫でられ、ミルクがくすぐったそうにほほ笑む。

「すごい……?」
「ああ、すごいとも」



577 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/10/23(土) 00:46:06.41 ID:wGpqbjwo

 その時、水面にもう一つ石が跳ねた。その石はまるで意思があるかのように、跳ねるごとに円を書くように軌道を変えていき、ひときわ大きく跳ねたかと思うと男の掌に収まった。

「ふむ、悪くない」

 言わずもがな、サンダ―・ストロンガーである。

「いやおかしいでしょ」

 半眼で指摘する。

「なんで水切りで石がカーブするんですか」
「なに、君たちはカーブできないのか?」

 怪訝そうにサンダ―がこちらを見る。

「こんなもの三歳児でもできるぞ」
「わたし、できない……」
「あ、ミルク、泣かないで!」

 何やら感じるところがあったらしく、ミルクがべそをかきはじめ、ロゼイユが必死になだめていた。



578 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/10/23(土) 00:46:55.15 ID:wGpqbjwo

「あー、ミサンガ泣かせた!」
「心外だ。私は女性は泣かせても子供を泣かせる趣味はない」
「ミサンガさん、言っていいことと悪いことがありますよ。多分……」

 サンダーは変人であるため――という理由で納得できるかは人次第だが――あんなことができても不思議はないのだが、よく知らない子供は真に受けてしまうのだろう。

「ふむ……」

 サンダ―が髭の生えそうにない顎を撫でる。

「では小娘、こうしよう。私がお前にカーブの極意を授けてやる。ついてくるか?」

 大人と子供では背丈が違うのは当たり前だが、サンダ―の場合は一際長身である。見下ろされる形でミルクはひるんだ。しかし気丈にも歯を食いしばり頭を下げる。

「お願いします、師匠……」
「師匠て」
「うむ、よかろう、ついてこい」

 サンダ―は珍しく満足そうに笑った。



579 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/10/23(土) 00:48:34.37 ID:wGpqbjwo

「結局、夕方までやってたね……」

 リオの声に疲れがにじんでいた。
 あの後、サンダ―のカーブ講座に何故か全員が付き合わされた。

「なかなか見どころのある弟子だ」
「……」

 無言で照れくさそうに笑うミルクは、全員の中で一番頑張っていた。

「まさか、本当に曲がるとは思わなかったよ」

 ロゼイユが信じられないといった顔で神妙に言う。
 サンダ―の教えに付き合った四人のうち、カーブに成功したのはミルクとロゼイユだけだった。とは言っても、一度だけ、わずかに軌道変更する程度のものだったが。

(曲がったから何、って気もするけどね)

 ミルクが泣くかも知れないので、実際に口に出すことはしなかった。



580 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/10/23(土) 00:50:59.59 ID:wGpqbjwo

 ティー家に戻ると、すでにハーブとアップルは帰宅しており、夕食の準備は整っていた。

「今日は妹がお世話になったようで」

 食事の席でハーブがサンダ―に言う。

「いや、たわいもない児戯を教えていたにすぎない。気にしないでくれ」

 応えるサンダ―はどちらかというとスープを飲むのに夢中になっているようで、返事も上の空といった様子だった。

「わたし、カーブができたんだよ」
「カーブ?」

 ミルクの言葉にアップルが怪訝そうな顔をする。

「ああ、何と言ったらいいのやら」

 ロゼイユが複雑そうな表情で解説する。

「水切りでカーブする方法をサンダーさんに教わったんだ」
「水切りで、カーブ……?」

 アップルの眉間のしわが深まった。



591 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/10/29(金) 00:45:29.18 ID:v2yhHZ.o

 夕食を終え、全員でテーブルに着く。

「さて、昨日はどこまで話しましたでしょうか」
「古代人の魔術について、です」
「ああ、そうでしたね」

 ハーブは頷くと、あとを続けた。

「古代人は強大な魔力を持っていました。それこそ世界を改変しかねないほどの」

 古代人は運命を改竄し、疑似生命を作り出すことができた。それが昨日聞いたことだ。

「それについては僕にも心当たりがあります。人工的平和維持機構については知っていますか?」
「人工的、平和……?」
「人工的平和維持機構です。膨大な術式で、ある程度の紛争ならば除去してしまうといった効果があったそうです」
「紛争の除去、ですか?」
「ええ、『起こりうるものをなかったことにする』。そういうことです」
「……それがもし本当ならば、あり得ないほど強力な魔術ですね」
「そう、信じられないでしょうが、これが実際に使用されていた時代があったそうです」



592 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/10/29(金) 00:46:36.21 ID:v2yhHZ.o

 ハーブがそれを聞き、怪訝そうな顔になる。だが、そちらについては訊いてはこなかった。

「では、それが古代人の魔術と関係あると?」
「その通り」

 ルイスは鞄から一冊の本を取り出してテーブルの上に置いた。
 古びてくすんだ表紙に、剥がれかけの金色の文字でなにやら書かれている。

「“世界書”」

 アップルが読み取ってつぶやく。
 ルイスは頷いて表紙をめくった。

「これはニューサイトを発つ際に、市長から譲り受けたものです」



593 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/10/29(金) 00:47:20.21 ID:v2yhHZ.o

◆◇◆◇◆


「世界書?」
「そうだ」
「一体何の本ですか?」
「君の求める真実の一つ、とだけ言っておこう」

 手渡された本を見て、ルイスは片方の眉を上げた。
 かなり損傷の進んだ本だった。その重厚な雰囲気通り酷く分厚い。

「真実、ですか?」

 市長エリムはじっと、こちらを見つめていた。

「それをどう扱うかは君次第だ。私は君に――君たちに託そうと思う」

 その視線と言葉には妙に重みがあって、ルイスは少し戸惑った。

「君たちとの付き合いは短いが、私は君たちを信用している。君たちの一族を信じている。どうか道を誤ってその身を滅ぼすようなことだけはしないでほしい」
「あなたは、いったい……」

 市長の言っていることはいまいち分からなかった。
 が、その言葉に込められたひたすらな真摯さだけはひしひしと伝わってきた。

「……健闘を祈るよ」


◆◇◆◇◆



594 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/10/29(金) 00:48:06.04 ID:v2yhHZ.o

「多少読みにくいところはありますが、人工的平和維持機構や、疑似生物の製造方法などが記されていました」
「……」

 開いた頁をそのままに、ハーブが読めるように移動させた。そしてある一点を指で指し示す。

「ここ、見てください」

 皆の視線が集まる。そこには。

「古代文字……」

 バルトアンデルスに刻まれているものと同じような文様が記載されていた。
 古く、かさかさに干からびた紙の上を鮮やかに流れる文字。
 文字だという認識がなければ、それはこの手の書物によくあるただの装飾のようにも見えた。

「運命改竄と人工的平和維持機構。疑似生命の製造法。そして、古代文字。少なくとも、古代人と呼ばれる何者かが存在していたのは確かのようです。強大な魔術が実在していたことも。もちろんこの本に書いてあることが真実であると仮定しての話ですが」

 ルイスは紙の表面から指を離すと、ゆっくりと腕を組んだ。



595 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/10/29(金) 00:49:07.09 ID:v2yhHZ.o

「ざっと読んでみて分かったことがあります」

 そして目をつむる。深く思考の海に潜るために。暗く温かいそこは、ルイスをゆりかごのようにやさしく包み込む。

「それは?」
「人工的平和維持機構については最後の項に書かれていますが、その魔術は僕たちが使う魔術とは大きく異なっていること、です」

 息を吸い込み、脳に酸素を送る。そして活性化する脳をイメージする。

「音声魔術。これが僕たちの使う魔術の別名です。魔術文字や魔法陣が力を持つとまことしやかに語られていた時代の呼び方ですね。音声を媒体にして魔術を発動させる形式。僕たちが使える、実際には唯一の魔術手法です」

 ワンテンポ置いて、「ですが」と続けた。

「人工的平和維持機構に用いられるのは、契約に似た形式の魔術です」
「契約?」

 ハーブの言葉に目をつむったまま頷き返す。

「そう、音声魔術の効果が持続するのは短いものでほんの一瞬。長いものでもせいぜい一時間程度です。しかし、人工的平和維持機構の性質を考えてみれば分かるように、そんな超短時間のものではそれは意味を成しません。もっと別の形式を用いる必要があるわけです」

 目を開く。
 腕組みを解き、手を伸ばしてハーブの目の前の世界書をめくる。最終項。

「人工的平和維持機構においては神体を媒体に置くようです。そして――その神体に文字を刻むのです。細かく、いくつも」



596 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/10/29(金) 00:49:49.77 ID:v2yhHZ.o

 理解したのだろう。ハーブの視線が、紙上からルイスの顔にさっと移動した。

「魔術文字……」
「ええ」

 人工的平和維持機構。今更繰り返すまでもなく大規模かつ強力な魔術である。以前、研究をするうえでルイスが疑問に思っていたのは、人間が用いる音声魔術ではそれだけの効力を引き出せるのか、ということだった。
 だが魔術文字を実際に目にし、その威力を経験した今なら、それが全くの不可能ではないことが分かる。
 古代人と魔術文字。おぼろげだったその二つの関係が、今はっきりとした。

「古代人について、もっと詳しく教えてください」

 ハーブは一度間を置き、静かに「分かりました」と応えた。



610 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/11/20(土) 00:28:12.04 ID:2ubMd0Io

◆◇◆◇◆


 夜の月は冷え冷えと薄蒼い光を地表に投げかけていた。昼の光と違って何かを温めることはない。ただ夜の底をひんやりと凍えさせている。その光を受けた木の葉は、凍りついたかのように動かなかった。
 夜の森は、だがその月によって思いのほか明るい。そのほの明るい中を、彼は歩いていた。
 外套のフードからのぞく外界は恐ろしいほどに静か。世の終わりまでずっとこのままなのではなかろうかという不安を居合わせた者に植えつける。そして植えつけられた者もまた、物言わぬ何かになり果てる。夜の一部として、この場にひっそりと凍えつく。そんな夢想を彼は抱いた。

「……」

 それでも歩く足は止めない。しかし急ぐわけでもない。夜の静寂を乱さぬように慎重に歩を進める。
 明確な目的地があるわけではなかった。あれば幾分かはよかったのではないかと思う。だがないものはないのだ。
 それに類する様々な何かは、千年前に失ったのだ。あの忌々しい災厄の具現によって、すべてが剥ぎ取られてしまった。

(女神め……)

 静かに毒づく。目の奥が――剥ぎ取られた運命が、夜の静謐さと同じ残酷さでじくじくと痛んだ。



611 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/11/20(土) 00:29:11.06 ID:2ubMd0Io

 しばらく歩いたのち、開けた場所に出た。切り立つ断崖。彼はそこに立ち止まって、しばらくじっと息を細くした。すでに呼吸の必要がない体なのだが、人間だった頃の習慣を忘れられるわけでもない。それがたとえ千年の隔絶をはさんでいようともだ。
 目を凝らす。別に何かが見えるわけでもない。眼下には今まで歩いてきたのと同じ、夜の沈黙が薄く立ち込めている。その中に動くものはいない。
 ――いや。

「……」

 さらに目に力を込める。森のある一部分。その木の陰で何かがうごめいた。
 それはちろちろと、まるで蛇の舌のように震え、そしてぬらりと影が揺れる。
 しかし、それはほんの一時のことだった。すぐにその何かは闇の中に溶け込んだ。

「……」

 それでも彼はしばらくは息を殺して物思いに沈んでいた。
 細く、自分の呼吸音が聞こえる。心音は聞こえない。かくわけもない汗が、背中を伝うのを感じる。
 夜の闇はまだまだ濃度を薄めない。ただただ月の光が地表を照らし、すべてを凍りつかせている。


◆◇◆◇◆



612 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/11/20(土) 00:30:09.36 ID:2ubMd0Io

 ぱしゃん――!

 水面の上を小石が跳ねる。それは二回ほどバウンドすると、小さな音を立てて水中に消えた。

「見た!? ねえ見た!? 今確かに跳ねたよね、ね?」

 興奮するリオに、ルイスは苦笑いして頷いて見せた。これで義務を果たしたと、手の中の分厚い書物に目を移す。ぞんざいな対応だったが、水切りの成功の方がよほどうれしかったのか、リオは文句は言わずに遊びに戻っていった。
 川から少し離れた木陰に座り、丁寧にページをめくっていく。今日も川遊びに来たのだが、ルイスは水切りには参加していなかった。

(――時間操作を深化させた常世界法則改竄による世界改変機構と、魔術の昇華可能性?)

 書物の文面を目で追う。他のものに比べるといくらか新しい文字。それは本の最終項に書かれていた。

(書き足されたものか?)

 ぱらぱらとめくっていくと、最後のページに署名がなされているのを見つけた。

≪シェロ・フィンランディ≫

(爺さん?)

 ルイスは片眉を持ち上げた。



613 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/11/20(土) 00:31:38.25 ID:2ubMd0Io

 しばらく考えた後、パタンとそれを閉じた。
 分厚い書物。名を世界書という。魔物の間に古くから伝わる、強大な魔術が記された禁書だ。
 とはいえ、記された魔術はすべてが魔物による産物というわけではなさそうである。中に記されていたのは古代人と呼ばれている人々が使っていた古代文字だ。少なくともその魔術のいくらかは古代人が生みだしたものだとして間違いない。

 古代人。いや、

(またの名を、≪天人≫)

 天の人。それは人間と区別した呼び方なのだろう。彼らはすくなくとも今のヒトとは異なる者たちであったようだ。
 昨夜のハーブによる説明を思い出す。彼女は語り部らしい涼やかな声でこう語った。

「前にも述べたように、古代人は緑の髪と目を持ち、かつて強大な魔力を誇った人々、そう言われています」

 古代人はその力の強さから天人、または天使と呼ばれ、現代人と区別される。らしい。少なくとも彼女らの間ではそのように伝えられていたようだ。

「彼らは何らかの理由で海を渡ってキエサルヒマ島に渡りました。この理由としては、私たちの家でもはっきりとは伝えられていません。何らかの災害によって渡らざるを得なかった、何かを探していた、はたまた単なる好奇心によるものだとも」

 ただ、と彼女は続けた。

「ほとんどお伽話ですが、理由を説明したものもあります。聞きますか?」

 ルイスが頼むと、ハーブは一度、深呼吸をしてから言葉を紡ぎ始めた。



614 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/11/20(土) 00:33:05.80 ID:2ubMd0Io

◆◇◆◇◆


 天人たちはかつては神の国で暮らしていた。神々は天人たちを愛し、そこに不足はなく、争いもまたなかった。
 何不自由なく暮らしていた天人だったが、それゆえに増長し、よこしまな心を育てることになった。
 そしてその増大した欲は天人たちをして神々の全知全能の業の秘儀を盗ませたのである。

 神々は怒り狂った。
 そして天人たちを打ち、大勢を殺した。
 天人たちは自分たちの過ちの大きさを知り、神々に許しを乞うたが、神々は決して許しはしなかった。

 まだ殺されていない天人たちは、追い詰められ、神の国を出る決意をした。
 神の国を捨て、海の向こうに逃げ出したのである。
 無事逃げおおせ海の向こうにたどり着いた天人たちを追って、神々は世界を駆け巡ったが、ついに見つけることは出来なかった。

 しかし、神々は天人たちに呪いをかけた。
 世界のどこにいようが届く、絶大な呪いである。
 天人たちは呪いに苦しみ、また大勢が死んでいった。


◆◇◆◇◆



615 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/11/20(土) 00:33:47.81 ID:2ubMd0Io

     ・
     ・
     ・


「はかどりますか?」

 穏やかな声に、ルイスははっと意識を現在に戻した。顔を上げると、茶の長髪が視界に入った。ティー家の長女、ハーブ・ティー。
 今日はアップルとともにいつもの仕事が休みらしく、ルイスたちの川遊びについてきていた。

「ええ、まあ、それなりに」

 言ってほほ笑むと、ハーブもまたほほ笑み返してきた。

「私たちのお話は役に立っていますでしょうか」
「ええ、それはもう」
「それは良かった。私たちにできることなら、なんでも言ってくださいね」

 その言葉に、ルイスはあわてて首を振った。

「いえいえ、これ以上ご迷惑をかけるわけには…… お話をうかがうどころか、食事まで出していただいて」
「気にしないでください」

 ハーブはほほ笑むと、ルイスに許可を取って隣に腰を下ろした。



616 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/11/20(土) 00:34:28.06 ID:2ubMd0Io

「私たちこそ、末の子を危ない人たちから助けていただいて……本当に感謝しております。だから協力させていただきたいんですよ」
「こちらこそ気にしないでください。でも、ありがとうございます」

 ふと、ハーブはこちらの手元に視線を落とした。

「それ、世界書、というのですね」
「? ええ。それが何か」

 ハーブは、いえ、と言葉をはさんで先を続けた。

「似たような名前に見覚えがあったもので」
「似たような名前?」

 ええ、と彼女は頷く。

「≪世界図塔≫、というのですけれど」
「≪ 世界図塔≫?」

 聞き覚えのない名前だった。



617 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/11/20(土) 00:35:29.41 ID:2ubMd0Io

「≪ 牙の塔≫はご存知ですか?」
「ええ」
「森の奥に、あれとそっくりの塔が建っているんです」
「それが、≪世界図塔≫?」
「ええ」

 川の方から歓声が聞こえてきた。どうやらサンダ―の水切りカーブが炸裂したらしい。それを見て笑いながらハーブは後を続ける。

「よく探さないと見つからないのですが、壁面に古代文字が書かれています」
「≪世界図塔≫と?」
「そう」

 やや強めの風が吹いて、ハーブは髪をおさえた。風が吹き去って、彼女は言葉を続ける。

「天人が関わっている可能性がある、ということですね」
「なるほど、ありがとうございます」
「いえ」

 彼女はこちらを向いて一度笑ったが、すぐに表情を戻した。



618 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/11/20(土) 00:36:08.80 ID:2ubMd0Io

「それより、ルイスさんに聞きたいことがあります」
「なんですか? 僕に答えられることならなんでもどうぞ」
「ルイスさんは、それをどうするんです?」

 言って、こちらの手元を示す。手元の、世界書を。

「……どうする、とは?」

 質問の意味を知っていて、ルイスはわざと回答を避けた。だが、ハーブはさらに言葉を続けた。

「世界書には、それこそ世界を変えてしまいかねないほどの強大な力が秘められています。……勘違いしないでくださいね、別にルイスさんがそれを悪用するとか考えているわけではないんです。ただ――」

 彼女はじっ、とルイスの目を見つめた。

「ただ、あなたはそれを全世界に公開するつもりですね?」
「……」

 ルイスは答えなかった。



623 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/11/20(土) 14:01:56.49 ID:2ubMd0Io

 しばらくの間沈黙が落ちた。川の方で歓声が上がる。そちらの方を見ながら、ルイスはじっと黙考していた。
 そして、何度目かの水音の後、ルイスは口を開いた。

「なぜそう思われます?」
「ルイスさんは優秀な学者さんですから」

 特に茶化すような風でもなく、真面目な声でハーブが告げる。

「あなたならそうするんじゃないかと」
「……」

 ルイスは今度こそ、黙ってやり過ごそうとしたが、ハーブがそれを許してはくれなかった。

「ルイスさんは言っていましたね。世界書に記されている人工的平和維持機構。それが実際に行われていた時期があったと。私たち一般人はそんなこと知りませんでした。秘密にされていたのでしょう? ならば何か不都合なことがあって隠されていたということに他なりません」

 ハーブのしゃべるその声は、神話を吟じている時のそれとそう変わりがなかった。凛として芯がある。

「それなのに実施するのは偉い方々のただの横暴というものです。そして、あなたが手にしているのは人工的平和維持機構の存在を証明する確たる証拠。ならばルイスさんはみんなにその秘密を明かすのでしょう。そうすれば自分の身に何かしらの危険が及ぶと分かっていても」
「僕は――」

 ルイスはそこでようやく口を開いた。



624 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/11/20(土) 14:03:03.62 ID:2ubMd0Io

「僕はそんな大した正義感の持ち主ではありません」
「そうでしょうか」
「ええ。僕はただ証明したいだけです。自分の正しさを」

 彼女の言うことを暗に認めて、ルイスは空を見上げた。

「僕は学者ですから、真実からは逃れられません。つまり、常に自分の正しさを証明し続けなければならないということです。僕は僕の研究をみんなに認めてもらいたい。ただ、それだけです。たとえ、自分が危険にさらされようともね」
「それは、ルイスさんが学者だからでしょうか」

 不意を突く言葉に上空をさまよう視線を彼女に落とす。

「え?」

 彼女は静かな目でルイスをじっと見ていた。

「真実から逃げられない。それはきっとルイスさんが学者だから、ということではありませんよ」
「…… どういうことです?」
「多分ルイスさんがルイスさんだから……」

 彼女の言葉は少しばかり不可解な空気をはらんでいた。



625 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/11/20(土) 14:03:49.74 ID:2ubMd0Io

「僕が、僕だから?」
「ええ」

 ハーブはそっと頷く。

「きっとルイスさんは真実に愛されたいのですね」

 そのとき、何かは分からなかった。それは断言できる。ただルイスは、胸の奥をぽん、と叩かれたような心地になった。ああ、そうなのか、と。どこかでそう思ってしまった。そういう気配があった。

(……?)

 だが、それも一瞬ののちには風にさらわれてどこかに消えていってしまっている。

「ルイスさんは恐らくさびしいのでしょう。どこかに欠落が生じてしまっている。だからそれを埋め合わせるものを探さざるを得ないのですよ」
「あなたに……」

 ぴくり、とルイスの胸の奥が震える。
 それは吐きだすと、瞬時に怒りの声に化けた。



626 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/11/20(土) 14:04:33.76 ID:2ubMd0Io

「あなたに何が分かる……」
「……」

 しかし、ハーブは目をそらさなかった。ルイスの出所不明の怒りを前にして、彼女は少しもひるんだところを見せなかった。ただ静かに口を開く。

「私たちは幼いころに両親を亡くしました。ミルクは彼らの顔を知りません。欠落は私たちとて同じです。心に空隙を生じてしまっているのです。私たちはそれでも見つけ出しましたが、あなたはきっとまだそうではないから。まだ暗闇を探っているところなのでしょう」
「……」

 ルイスは黙り込んだ。視線が落ち、世界書の上で跳ねる。
 何かを言うべきだと思った。何か反論すべきだと。それでも言葉は出てこなかった。

「私はルイスさんみたいな真面目な人は好きですよ」
「……なんですかいきなり」

 視線を落したまま返す。ふふ、と笑う気配だけが隣から伝わってくる。



627 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/11/20(土) 14:05:31.09 ID:2ubMd0Io

「だからこそ、ルイスさんには危険な目に会ってほしくないんです」
「……」
「こんな話があります」
「……?」

 唐突にハーブは話の方向を変えた。視線を彼女の方に戻す。

「これも昨日したのと同じようなお伽話なんですけどね」

 川の方から一つ二つ、小さな水音が聞こえる。

「どこかに神様の国があるそうです。そこにはもちろん神様がいて、六匹の獣と暮らしていました」

 伝承を語るときとは違って、物語を語る時の彼女の声はどこかやさしい響きがあった。

「神様と六匹の獣はお互い仲良しで、何不自由のない生活をしていました」



628 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/11/20(土) 14:09:21.47 ID:2ubMd0Io

「ところで神様は、とても大事な宝物を持っていました。それは持っていると世界のすべてのことが分かるきれいな宝玉でした。神様はこれには絶対に触らないように獣たちには言ってありましたが、獣たちはそれが気になって気になって仕方ありませんでした」
「……」
「ある時、神様がお出かけしなければならなくなりました。今までそんなことはなかったのですが、どうしても行かなくてはならない用事でした。神様が出発した後、動物たちは我慢できずに宝玉に触ってしまいました。すると、獣たちはとても頭がよくなり、身体は力に満ち溢れました。獣達は喜びました。帰ってきた神様は、獣たちを見て言いました。あなた方は私の言いつけを破ったな、と」
「どうして分かったんですか?」
「それは、獣たちの瞳が全員緑色になってしまっていたからです。宝玉に触るとそうなってしまうのでした。神様は大層怒り、獣たちを神の国から追い出しました。それだけではありません。神様は動物たちに呪いをかけました。動物たちは今も苦しみながら生きているそうです」

 緑色の瞳。神の国からの追放。そして呪い。聞き覚えがあった。

「ええ、その通り。この話に出てくる六匹の獣のうちの一匹は、天人を示しているのではないかと私も考えています。ですが、大事なのはそこではありません」

 ハーブはそこで一拍置いた。



629 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/11/20(土) 14:12:19.05 ID:2ubMd0Io

「本当に大事なのは、宝玉を手に入れても幸せにはなれない、ということです。宝玉は『真実』の比喩です。真実をその手におさめたところで神の愛を得ることはできない。だから私たちも気をつけなければなりません」
「真実に価値がないと?」
「いいえ。ただ、真実というものに盲目的になりすぎるのはよくない、ということです。私たちは本当に大事なものを、自分の目で見極めないといけないということなんです」
「本当に、大事なもの……」
「ええ」

 ハーブは頷いて、ようやくルイスから視線を外した。そして立ち上がる。

「なんでもいいんです、なんでも。心から大事と思えるものを探してください。それから、人工的平和維持機構の秘密公開はもっとよく考えること。じゃないときっと後悔します」
「後悔なんて」
「気を付けてください。人生において落とし穴は数限りなくあります。そしてそれは現在だけのものも限らない。過去から開く大穴が、あなたを呑み込むかもしれない。気を付けてください」

 そう言って彼女は川の方に歩きだす。ルイスは声を上げた。

「待ってください。では、両親を失ったあなた方を救ったのは一体何なのですか?」

 ハーブは立ち止まって肩越しに振り返った。迷いのない視線がルイスを包む。

「難しいものではありません。私たちを救ったのは、人の愛ですよ」

 そういい残して、彼女は歩みを再開した。ルイスはじっと黙って世界書に視線を落とした。

(……)



631 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/11/20(土) 14:13:44.72 ID:2ubMd0Io

 と、その時だった。

「あれはなんだ?」

 サンダ―の訝しげな声がした。

「どうしたの、ミサンガ?」
「あそこに何か見えるな」

 言って指差した指先は、川の上流の方を向いていた。その先には――

「なに、あれ……?」

 川岸に薄汚れた何かがあった。ちょうど人間がうずくまったような大きさと形で、服のようにも見えて、

(いや……)

 ルイスはあわてて立ち上がった。

「人だ!」

 アップルの声。全員の間に緊張に似たものが走った。



632 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/11/20(土) 14:17:20.85 ID:2ubMd0Io

 駆け寄った先に倒れていたのは、一人の男だった。粗末な服が川を流れてきたせいだろう、べったりと濡れそぼち、無残にあちこち傷み汚れている。
 同じくぐっしょりと濡れた金の短髪、彫りの深い顔立ち。しかしその精悍な顔も今は憔悴し、青ざめている。
 ルイスはその口元に耳を寄せた。呼吸はかろうじて感じ取れた。

「生きてる」

 簡単に調べたが、特に大きな傷はないようだった。止血の必要はなさそうだ。

「じゃあ、早く手当てしないと」

 雰囲気の質を普段のそれから戦闘時のそれに変えて、鋭い声音でリオは言う。頷き、男を背負う態勢に入った。
 ティー家に運ぶ間、背中から染み透ってくる水の感触に辟易としながら、ルイスは疑問を禁じえなかった。

(いったい、この人はどこから流れてきたって言うんだ?)

 川の上流は、森の奥へと続いている。閉ざされた深緑の覆いの奥。そこから流されてきたということか。

(まさか……)



633 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/11/20(土) 14:17:58.23 ID:2ubMd0Io

「武装盗賊でしょうね」

 家に着き、男を寝かせ、看病がひと段落したところでハーブが言った。
 男の世話は二階でアップルとミルクに任せ、ルイスたち五人は一階のテーブルについていた。

「だろうね」

 とロゼイユも頷く。

「彼は森の奥の方から流れてきた。服も汚れる前から粗末なものだったように見えるし、武装はしていないけれど、体つきが妙に屈強だ。それに……」
「それに?」

 リオが問うと、ロゼイユはにやりと笑って見せた。

「女の勘が、彼が犯罪者だって言ってる」
(女の勘ね……)

 ルイスはげんなりと胸中でつぶやく。



634 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/11/20(土) 14:19:27.68 ID:2ubMd0Io

「いや、他の可能性も否定できない」

 サンダ―がゆったりと腕を組んで、言う。

「……ってどういうことですか?」
「うむ」

 無駄に間をとってから、サンダ―は続けた。

「実はあれは人間ではないのだ」
「いやいいです」

 頭に手を当てて、ルイスがとどめる。が、サンダ―は無理やり言葉をつなげた。

「実はあれは太古からこの森に住むジャングルヒトモドキという種族で、群れでのリーダー争いに敗れて川に突き落とされたのだ」
「もういいですって」

 無理やり彼を遮って、ルイスは口を開いた。



635 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/11/20(土) 14:20:16.90 ID:2ubMd0Io

「彼が武装盗賊だという推測は、僕もそう思います。あんなところに倒れているなんて不自然です」

 言葉を切ってハーブを見やる。

「じゃあ、彼を自警団に突き出しますか?」
「流れで言えばそういうことになりますね。ですが」
「何かまずいことでもあるのかい?」

 ハーブはちらりとロゼイユを見て続けた。

「あんなに弱っている人を自警団に引き渡すのは気が進みません」
「とは言っても……」
「ええ、住民の義務です。でも弱っている人をあちこち動かしまわるのは酷と思いませんか? せめて明日まで待ってから……」
「それでも医者には見せた方がいいね」

 ロゼイユの声にルイスは頷いた。

「ああ、そうだな」



639 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/11/20(土) 23:37:25.71 ID:2ubMd0Io

「駄目!」

 部屋の前でアップルが両腕を広げて立ちはだかった。ミルクはその隣でぱちくりと見上げている。

「アップル?」

 戸惑うハーブに、アップルは続けた。

「姉さん、私聞こえたんだから。あの人を自警団に引き渡すんでしょ」
「そうじゃないわ、お医者様にお見せするって言っているのよ」
「同じことだよ!」

 アップルの目が険しくつり上がる。

「医者に見せれば、あの人が何なのか絶対怪しまれるじゃん!」
「それは……」
「だったらそれは自警団に引き渡すのと同じくらい酷いよ!」

 アップルの怒声は、譲るところなど一つもないと暗に告げていた。



640 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/11/20(土) 23:38:20.17 ID:2ubMd0Io

「でもねアップル、お医者様にお見せしなければ大変なことになるかも知れないのよ?」
「っ……」

 それはアップルも理解していただろう。しかし、言葉に詰まった彼女はそれでも折れる気配はなかった。

「でも、それでも、駄目だよ……!」
「そんなこと言っても……」
「ねえ」

 こわばった空気の中、口を開いたのはミルクだった。

「よく分からないけど、あの人捕まっちゃうの……?」
「それは……」
「あたし、あの人が嫌な思いするの、ヤだな……」

 そう言って、泣きそうな顔になる。

「二体一」

 ぽつりと、アップルがつぶやいた。



641 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/11/20(土) 23:39:07.76 ID:2ubMd0Io

「? なんです?」
「うちの決まりごとなんです」

 ルイスに振り向いて、眉をしかめながらハーブが言う。

「大事なことは、三人の多数決で決めようって……」

 彼女は困った顔のままアップルに視線を戻し、しばらく考え込んだようだった。

「姉さん、お願い……」

 数秒、間をおいて、

「……ああ、もう、分かったわよ」

 ハーブの方が仕方ないといった声でついに折れた。

「ホントっ?」

 アップルの表情がぱっと明るくなった。

「でも、あの人の容体が少しでも悪くなるようだったらすぐにお医者様をお呼びするわ。いいわね?」
「うん、わかった!」
「それと、あの人の世話はあなたが責任もってすること」
「もちろん!」



642 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/11/20(土) 23:40:50.50 ID:2ubMd0Io

「ルイスさんたちも、それでよろしいですか?」

 ルイスとしては、本当にあの男のことを思うならば無理にでも医者に診せるべきだとも思ったが、

「まあ……かまわないんじゃないでしょうか」
「でも、容体が悪化しないか細心の注意を払わなければならないね」
「分かってるよ、ロゼ」

 アップルが頷く。さっきとは打って変わってうれしそうだ。

「私は心配ないと思うぞ、何しろジャングルヒトモドキだしな」
「そ、そう」

 サンダ―とリオも何か言っていたが、特に異論はないようだった。

「それじゃあ、ちょっと早いけど、夕食にしましょうか」



643 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/11/20(土) 23:42:28.89 ID:2ubMd0Io

     ・
     ・
     ・


 結果から言うと。男の容体は悪化しなかった。二日後の現在も特に変わったこともなく、しかしいまだ昏睡したままベッドに寝かされている。いまだ目を覚まさない。一度も。
 奇妙なことに思えた。少しも食事をとっていないものの、男がさらに衰弱する様子はなかった。それどころか顔色は二日前に比べるといくらか回復していたし、素人目から見ても安定しているように感じられた。
 ルイスたちは首をかしげたが、アップルの献身的な看病が功をそうしているとして特に騒いだりといったことはしなかった。


     ・
     ・
     ・



644 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/11/20(土) 23:44:00.77 ID:2ubMd0Io

「……」

 雨が屋根を叩く音がしていた。しっかりした家だが、それはずいぶんはっきりと聞こえていた。雨の音は人を物思いに沈ませる。しとしとと深みに潜る思考。その中で、ルイスはテーブルに頬杖をつきながら母のことを思い出していた。

 雨に濡れた窓のガラス。そこに母の顔が映る。もちろんルイスにしか見えないそれ。
 細面の彼女の視線は、いつもずっと遠くを見ていた。ルイスとは交わらない視線。その先にあるものをルイスは知っている。彼女が待ち焦がれるその人を。

(……母さん)

「お茶、入りましたよ」

 台所からハーブが姿を現す。ルイスの前にティーカップを置くと、向かいの席に腰かけた。

「ありがとうございます」
「ふふ、どういたしまして。……何か考え事ですか?」
「ええ、まあ」



645 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/11/20(土) 23:45:22.34 ID:2ubMd0Io

「何を考えてました?」

 ルイスはちらりと階段の方を見上げた。時刻は午前九時過ぎ。二階ではアップルがいまだに彼につきっきりで看病している。少しくらい休めばいいと思うのだが、彼女はひどく熱心だった。
 リオとロゼイユの方はというと、ミルクの部屋で彼女の遊び相手になってやっている。サンダ―はまだ家に来ていなかった。

「いえ、別に。取りとめもないことを」
「……もしかしてホームシックとか」

 彼女には珍しく、いたずらっぽく笑って言ってきた。
 当たらずとも遠からずといったところか。ルイスもつられて笑った。

「そう言われれば家が恋しい気もします」
「どちらのご出身?」
「生まれは最接近領ですが、ここに来る直前まではタフレムにいました」
「そういえばタフレム大の助教授なんですよね。凄いです」



646 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/11/20(土) 23:46:19.78 ID:2ubMd0Io

 それほどでも。笑ってルイスは手をひらひらさせた。

「何歳ぐらいのときにタフレムに?」
「十二歳の時ですね」
「そんなに若い……いや幼い時に? 両親と離れて寂しくはありませんでしたか?」

 ぴくり、と身体がこわばるのを感じた。

「……いや、その時はまだロゼイユの養父のところにお世話になってましたから」

 すぐに答えたが、不自然に一拍空いたことには気付かれただろう。案の定、ハーブは訝しげに眉を寄せていた。

「……そうですか?」
「それより」

 ルイスは心もち強引に話の方向を変えた。

「昨日、一昨日は忙しくて話をうかがうことができませんでした。今日は何か話していただけませんか?」
「あ、ええ、かまいませんよ。今日は――そうですね、魔術の話でもしましょうか」

 すっ、と。息を吸って、ハーブは言葉を続けた。



652 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/11/21(日) 08:06:35.55 ID:/fJl5Nso

「ルイスさんは魔術の起源についてどう思いますか?」
「起源ですか……そうですね、まず、僕は魔術は世界の物理法則――個人的に常世界法則と呼んでいますが――に干渉しそれを利用する技術だと考えています。魔物がそれを何らかの手段によって体得し、それが伝播・遺伝していったのではないかと」
「なるほど。では、私は語り部の視点から魔術の起源について考察してみたいと思います。これは私が独自に考えたことで、伝承の類ではありません。そのあたりを理解して聞いてください」

 ルイスは同意の印として頷いて見せた。ハーブは続ける。

「伝承されている神話においては、亜人が悪魔と契約して魔の力を得たのだといわれています。もしかしたらご存知かもしれませんね。人間にも魔の汚染が及んだというあれです」
「ええ、知ってます。でも」
「そうですね、所詮は神話です。ですが、神話にはもととなった実話があるものです。語り部にとって神話というのは、真実を含んだ大事な訓話なのですよ」

 にこり、とハーブはほほ笑んだ。そして人差し指をつい、と立てる。



653 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/11/21(日) 08:09:41.34 ID:/fJl5Nso

「ルイスさんの、魔術というものは世界を決定する法則に干渉し引き起こされるもの、という見方には私も賛成です。しかし、それが伝播・遺伝によるもの、という考えには少しばかり疑問を感じます。初めて魔術を得た者が――亜人か人かは分かりませんが――どれほどそれを理解したかは知りません。ですが、簡単に教え伝えられるものではなかったのではないかと思います」

 釘の打ち方というものがあるでしょう? とハーブは言った。

「村の大工さんに教わったことがあるんですが、私は上手く打つコツがついにつかめませんでした。技術というのはそういうものです。時間をかけて伝え、広まるもので、そう簡単に全員が全員使えるようにはなりません。なのに、亜人は多くの者がそれを行使することができる」

 次に、とハーブは二本目の指を立てた。

「遺伝、という可能性ですが、これも私は懐疑的です。確かに人間においては魔術士の子は魔術の才能を受け継ぐことが多いようです。しかし例外もいますし、後天的に得た能力というのは遺伝しないというのが普通です。それに、遺伝によるものでは伝播のスピードがあまりに遅すぎます」
「伝播も遺伝も、広まるのに十分な時間が経過したのでは?」
「それもあり得ますね」



654 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/11/21(日) 08:10:22.61 ID:/fJl5Nso

 そこでハーブは三本目の指を立てて見せた。

「ですが、私が提示するのは別の可能性です」
「というと?」
「≪始祖の楔≫、という考え方です」

 ≪始祖の楔≫? ルイスはその単語を口の中で転がした。

「なんです、それは?」

 訊ねると、ハーブは手を下ろした。

「一枚のぴんと張った布を考えてください。それを指で押します。するとどうなりますか?」
「どうって……」

 思い浮かべて、しばし黙考する。

「押された部分が山のようになりますよね?」
「その通り。指で押した部分以外も引っ張られてついてきます」

 そうですね、と同意する。まだ彼女の言いたいことが見えてこない。



655 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/11/21(日) 08:11:40.38 ID:/fJl5Nso

「指で押した部分を楔、とします。そして打ちこむ先は世界を決定する法則。これで分かりませんか?」
「つまり……」

 手を顎に当てて、ルイスはしばし間を空けた。

「始祖と呼ばれるような者がいて、その者が常世界法則に接続され、周りの者――この場合は同種族ということになるんでしょうか、それにも影響を与えたと?」
「凄い……その通りです」

 心底感心した顔をルイスに向け、ハーブが頷く。
 ルイスはカップを持ち上げ、一口喉に通した。

「でも、そうなると人間と魔物両方に魔術が発生した理由が説明できませんよ?」
「確かにその通りです。ではもうひとつ要素を足してみましょう」
「……?」
「天人です」



656 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/11/21(日) 08:12:33.35 ID:/fJl5Nso

 天人。古代人の別名。強力な魔術を行使した人々。

「そして、魔術文字を用いる者たち」

 雨の音がしている。さらさらと水が流れる音も。

「伝承では、天人は神々から全知全能の業の秘儀を盗んだとされています。また、別の伝承では、神の宝玉に触れた獣の一匹としても推測できます」
「つまり、天人も同じようにして魔術を手に入れた?」

 カップをテーブルに戻す。ことりと小さな音を立てる。

「分かりません。でも、可能性はゼロではありません」
「でも彼らは……」
「魔術文字という魔術体系ですね。音声による魔術も使えたのかもしれませんが」
(と、するなら……)

 もし仮に≪始祖の楔≫という考えが正しかったと仮定して、天人と魔物・人間とは別のタイプの魔術を得たことになる。それは始祖となる者が別であったためではないのか。



657 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/11/21(日) 08:13:08.19 ID:/fJl5Nso

(いや待て、まさか……)
「ルイスさんも気づきましたか?」
「いや、でもそんな」
「そう、亜人と人間は同じグループに属することになります」
「それはつまり……」
「亜人と人間は、大本を同じくしている。こう考えることもできますね」
「っ……」

 ルイスは愕然として背もたれに寄りかかった。何やら得体の知れない寒気が背中をよじ登ってくるのを感じる。だが不快ではない。それは昂揚と同じだった。
 自分が、一つ真実に近いところにいるのを感じてルイスは興奮を禁じえなかったのだ。

「魔物と人間の起源が、同じ?」
「ええ。私の仮定が正しければ、という条件付きですが」

 真剣な顔つきで、ハーブは言う。ルイスは頷くことも忘れてその発見をかみしめた。



658 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/11/21(日) 08:14:23.32 ID:/fJl5Nso

「そしてまた、天人が私たちとは別の種族だという考え方もできます。もっとも、これは天人と魔術文字の関係がルイスさんによって明確にされたことによってやっと分かったことですが」
「……」

 雨音が、一定の大きさで絶えることなく空気にしみこんでいる。沈黙はそれによって縁取られる。雨音が音の空隙を際立たせる。
 少し考えてルイスは口を開いた。

「……では、魔術の根源をたどるにはその始祖を探せばいい、ということですね」
「ええ。くどいようですが、私の仮定が正鵠を射ているならば、です」
(始祖の魔術士……)

 ふと雨音が弱まった。窓から一時的なものだろうが日の光が差し込む。そちらを見ながらルイスはぬるくなった紅茶のカップに再び手を伸ばした。



662 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/11/21(日) 14:41:33.12 ID:/fJl5Nso

     ・
     ・
     ・

 それから数日が過ぎた。例の男はいまだ目を覚まさない。それでもアップルは献身的な看病をやめなかった。ルイスが部屋に顔を出すと、ベッドのそばの椅子でうたたねしていることもあった。
 男の容体は安定している。小さな怪我も治り、顔色も悪くなかったが、ただそれでも目は覚まさなかった。

 それを除けば、日々はつつがなく過ぎていった。昼は仕事で出かけるティー姉妹の留守を預かり、男の看病をし、ミルクの遊び相手をする。夜は集まってハーブの話す神話や伝承を聞く。毎日は平穏そのものだった。
 その日もいつも通り一日を終え、これから就寝しようかというところだった。

「ルゥ君、ちょっといいかな?」

 テントの入り口を空けると、夜の闇の中にリオが立っていた。

「? どうしたの姉さん」
「うん、ちょっとね。散歩に付き合ってほしいんだけど」
「こんな時間に?」
「あー、うん、もしよかったらだけど」

 ルイスは少し考え、了承した。最近は特に疲れるようなこともやっておらず、眠いわけではなかったのだ。



663 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/11/21(日) 14:42:16.19 ID:/fJl5Nso

 闇が落ちた森の中を歩きながら、たわいもないことを話した。とはいっても主にしゃべっているのはリオの方で、ルイスは相槌を打つ程度だったが。
 ミルクがどうした、ロゼイユがこう言った。そんな話を聞いているうちに、ややぼーっとしていた頭が徐々に冴えてきた。

「ルゥ君ってさ、ロゼちゃんには親しい話し方するよね」
「うん?」
「だから、ロゼちゃんには話し方が違うなあって」
「そうかな?」
「そうだよ」

 心もち唇を突き出すようにしながらリオは言う。

「ていうか、まだロゼ“ちゃん”なんだ」
「その方がしっくりくるんだもん」

 まあそれは分からないでもなかった。



664 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/11/21(日) 14:43:14.19 ID:/fJl5Nso

「…… そうだなあ、僕自身は意識してないんだけど、確かにロゼは気楽に話せるかな。長い付き合いだったし」
「長い付き合い?」

 リオがこちらをじとっ、と見る。

「あたしたちだって長い付き合いじゃん」
「ああ、まあ、そうなんだけどね。それぞれ話しやすい話し方ってのがあるもんさ」
「ふーん」

 リオは少しばかり不満そうだったが、ルイスはあえて気付かないふりをした。
 今度はルイスの方が、口を開く。

「それよりさ」
「ん?」
「姉さん、僕に何か用事があるんじゃないの?」
「……そう思う?」

 ルイスは苦笑いして続ける。

「だって姉さん、僕を散歩に誘うのって何か落ち着かない時がほとんどじゃない」



665 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/11/21(日) 14:44:33.63 ID:/fJl5Nso

 んー、とリオはごまかすように言って、しかしすぐに観念した。

「用事ってほどの用事じゃないんだけどね」

 足元を蹴飛ばすようにしてから言葉をついだ。

「あの人覚えてる? 遺跡で石にされちゃった人」

 唐突に叫び声がルイスの胸中で蘇る。悲痛なその声は、今も夢で聞くことがある。

「……うん、覚えてる」
「……あたし、あの人を助けられなかった」

 リオがそんな力のない声を出すことは珍しかった。彼女は頭はよくないが、馬鹿ではないのだ。ずっと責任を感じていたのだろう。
 気にすることはない。そう言おうとして、しかし声が出てこなかった。何も言うことができないうちに、彼女は言葉を続けた。

「あの人、すっごく怖がってた。そしてあたしには助けてあげられるだけの力があった。そのはずだった……のに」
「……」



666 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/11/21(日) 14:45:27.93 ID:/fJl5Nso

 リオは、うつむいて歩をゆるめた。ルイスもそれに合わせて速度を落とす。相変わらず適切な言葉は出てこなかったが、それでも言わなければならなかった。

「姉さんは、悪くない」
「……」
「悪くないよ」

 こんなときには働いてくれない頭脳を、ルイスは心底憎んだ。それでもリオは弱弱しく笑ってくれた。

「ありがとう。……ごめん、最近になってあの人のことよく思い出すんだ。何でだろ」
「うん……」

 リオはこちらから視線を外すと、上を見上げた。つられてルイスも見上げる。木々に遮られ夜空は見えないが、暗く重い天蓋の隙間から、なんとか星は見えそうな気がした。
 力及ばず、または力があっても何かが足りず大事なことを逃してしまうことはままある。それが取り返しのつかないものであればどうしようもない。失ったものは返ってこない。だから落とした後の手は、固く握りしめるしかないのだ。
 リオの足が止まった。ルイスもそれに従って歩みを止める。



667 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/11/21(日) 14:46:00.85 ID:/fJl5Nso

「たしか」

 ぽつりとリオが言う。

「たしか、ニューサイトにあの人のお墓ができたんだよね」
「らしいね」
「そっか」

 リオは上向いた顔を元に戻すと、今度は俯き気味に歩きだした。ルイスもそれに続く。

「行こうか」
「え?」

 ルイスの声にリオがこちらを向く。

「行こう、あの人の、いや、あの人たちのお墓参り」

 さわり。木の葉が小さく音を立てる。かすかな風を頬に感じながら、ルイスは続けた。



668 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/11/21(日) 14:47:09.93 ID:/fJl5Nso

「もう、ハーブさんからの話は大体聞き終わった。今後の僕の方針も定まった。だから明日にでもニューサイトに戻ってお墓参りに行こうよ。ね?」
「…… うん、そだね」

 こぼれおちた水は、もう二度とコップには戻らない。だから、やれることをやるしかない。たとえそれが自己満足の類だったとしてもだ。
 それからしばらく無言の散歩が続いた。数十分ほど歩いて、適当なところで折り返した。
 帰りの道で、ルイスは思うところがあって口を開いた。

「僕も、自分にできることをしないと」

 リオが顔に疑問符を浮かべてこちらを見る。ルイスは重い唇を持ち上げる。

「いや……姉さんは自分を責めてるけど、僕にだって責任はある。僕は姉さんほど強くはないけど、それでもできることがあったはずなんだ。だから僕も同罪」
「……」
「だから、僕もあの人に何かしてあげなくちゃいけない。たとえ自己満足だとしてもね」

 リオの栗色のポニーテールが揺れるのを見ながら、小さく息をつく。

「僕は、あの人が死ななきゃいけなかった理由をはっきりさせる」
「どういうこと?」



669 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/11/21(日) 14:47:47.08 ID:/fJl5Nso

「あの殺人人形が言っていたことは覚えてる? あいつは人間を根こそぎ殺すよう誰かに命令されていたんだ。だから、僕はあいつの裏にいる奴を引きずり出してやる」
「真実を、つきとめるってこと?」
「うん。僕にできる唯一の罪滅ぼしだ」

 リオは黙ってルイスの顔を見つめて歩いていたが、「うん、そっか」というと、顔を前に戻した。
 再び沈黙が落ちたが、今度はそう長くは続かなかった。

「ルゥ君はさ」
「ん?」
「ルゥ君は、真実に対していつだって真剣だよね。それ以外はまるで何も見えないみたい」
「……」
「あたし、たまに心配になるな。ルゥ君はそれで危ない目にあっちゃうんじゃないかって」

 『気を付けてください』
 ハーブの言葉がよみがえる。『落とし穴はあちこちに』と。

「ルゥ君、無茶だけはしないでね」



670 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/11/21(日) 14:48:44.41 ID:/fJl5Nso

 ルイスは真実からは逃げられない。そうやって生きてきたし、これからだってそう生きていく。そう決めていた。
 だが、それでも周りの人々を心配させるほどに猪突猛進するわけではない。
 だから、大丈夫だ、そう言おうとして――

「しっ――!」

 リオが唐突に人差し指を口に当てる。声を上げるな、のジェスチャー。

「え?」

 折り返してだいぶ歩いたため、ティー姉妹の家の背面が見えてきていた。そのそばの広場にルイスの入っていたテントが、半ば森の木々に突っ込むように立ててある。
 リオはルイスにここにいるように手振りで合図し、無音の足取りで家の壁に駆け寄った。そして表の方をさっと覗く。
 待たされたルイスは何が何だか分からなかった。だが、なにやらただ事でない気配を感じる。
 その時声が聞こえた。いや――ただの声ではなく、悲鳴。
 リオの手招きに従ってルイスも壁による。

「こっそり覗いてね」

 言われて覗き込んだその先には――



676 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/11/22(月) 19:00:00.23 ID:7crQRh6o

「放してよ!」

 月明かりの下で、屈強な男に腕を掴まれたアップルが抵抗しながら叫んでいた。いるのは彼女だけではない。他にもハーブとミルクが寝巻のまま、十人ほどの男たちに囲まれている。
 男たちはほとんどが擦り切れたりした粗末な服を身につけ、思い思いに武装しているようだった。

「武装盗賊……?」
「たぶんね」

 小声でリオが言う。

「一体なんでこんなところまで出てきてるのかは分かんないけど……」

 ルイスたちが散歩している間に武装盗賊がティー家に押し入った、ということだろうか。
 アップルの腕をつかんだ男が怒声を上げた。

「おい、大人しくしねえか! ぶんなぐるぞ!」

 だが、別の声がそれをとどめる。

「やめておけ」
(あ……!)

 そう言った男の顔には見覚えがあった。



677 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/11/22(月) 19:00:38.60 ID:7crQRh6o

 だいぶ後退した髪の薄い額。小太りの体型。年のころ五十ほど。顔にはいかにも傲岸そうな表情が浮かんでいる。

(村長!)
「なんかヤなやつだとは思ってたけど、まさか武装盗賊とつながってたの……!?」

 ルイスたちの驚きをよそに、屈強な男が反駁する。

「でもよ……」
「口答えするな。俺はこいつらに聞きたいことがあるからな」
「聞きたいこと、ですか……?」

 ハーブがこわばった表情で訊ねる。

「ああ、簡単な質問だよ」

 村長がにんまりと笑うのがここからでもよく見えた。

「…… 分かりました。ですがその前にアップルを放してやってください。痛がってるでしょう」
「おい」

 村長が言うと、アップルをつかんでいた男は乱暴に彼女をハーブの方に突き放した。アップルはよろめいてハーブに縋りつき、ハーブは彼女を抱き寄せた。。



678 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/11/22(月) 19:01:40.98 ID:7crQRh6o

「…… それで、質問というのは?」

 ハーブは気丈にふるまっているようだったが、月の明かりの下でも彼女の顔が青ざめているのはよく分かった。

「あの役人の居場所だ」
「役人?」
「お前のところに毎日来ていただろうが。無駄に背の高い木偶の坊だ」

 いらいらとした口調で村長が言う。

「……サンダ―さんのことですか?」
「そうだそいつだ。あの野郎、俺から有り金すべて持っていきやがった」

 唾を吐く。

「返すもん返してもらって礼をしなけりゃならんからな。さあ言え、あいつはどこにいる」
「し、知りません。今夜ももあなたのところに泊っていたのではないのですか?」
「今日は来ていないから聞いてるんだ!」



679 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/11/22(月) 19:03:02.71 ID:7crQRh6o

「あいつら、ミサンガさんを探してるのか」
「なんか動機がちっちゃいね」

 リオが冷静に言うが、ハーブたちが危険な目にあってる以上それどころではなかった。

「どうする姉さん」
「下手に動くとまずいから、もうちょっと様子を見ないと――」

 さすがにリオはこんな状況には動じないようだった。しかし。

「早く言え!」
「知りませんと言っているでしょう!」

 村長が舌打ちする。明らかに苛立って、村長は傍らの武装盗賊の一人に命令した。。

「やれ」
「へい」

 その一人がハーブの前に立つ。ただならぬ気配にハーブが身体をこわばらせるのが分かった。

(まずい……)

 とんとん、とリオがルイスの肩をたたいた。
 振り向くと、彼女はにこりとほほ笑んだ。

「頼んだよ、ルゥ君」

 何を。そう聞く前にリオは地面を蹴り、勢いよく飛び出していった。



680 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/11/22(月) 19:05:32.98 ID:7crQRh6o

◆◇◆◇◆


 リオは躊躇しなかった。足音をたてないで出せる最高速度で集団の背後に迫る。

(十一人……)

 全員ハーブと、その眼前に立つ男に注目している。好機だった。
 ハーブに向かって男が拳を振り上げるのが見えた。ハーブは身を縮こまらせただろうか。そちらは見えなかった。
 リオは最も手前にいた男の後頭部に拳を叩きつけた。男がよろめいて前に出る。別の男にぶつかって、二人とも倒れ込んだ。

 全員の注意がそちらに移る。あっけにとられた視線。リオはさらにその死角に回り込んだ。
 別の男の背骨に拳を埋める。声もなく崩れる男の体を別の男に突き飛ばす。ぶつかられた方は、倒れはしなかったがよろめいた。リオは瞬時に肉薄し、隙間を縫って無傷の方の男の急所を殴りつけた。

 武装盗賊たちは、ようやく自分たちが攻撃を受けていることに気づいたらしい。罵声が上がる。だが、全員がリオに気付いたわけではなかった。見当違いの方に叫んでいる二人の男の脇腹にそれぞれ一撃を入れて昏倒させる。



681 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/11/22(月) 19:06:13.14 ID:7crQRh6o

 こちらを認めた一人がナイフを構えて飛び出してきた。が、リオはさがらず前に出た。
 胴を薙いでくるその手首をつかみ、関節を握りつぶす。悲鳴を上げてのけぞったその顎を殴り飛ばした。これで六人。だがそこまでだった。

「止まれ!」

 リオはその声の方をちらりと見、顔をしかめて足を止めた。ゆっくりと両手を肩の高さまで上げる。
 小さな悲鳴が上がる。武装盗賊の一人がミルクを抱え上げ、その喉元に刃物を突き付けていた。

「よりによって一番小さい子を人質に取ることはないんじゃない、村長さん」
「これはこれはリオさん、こんばんは」

 さすがに動揺は隠せない様子だが、それでも鷹揚に村長が言う。

「どうも見当たらないと思ったら、こんなところにいらっしゃいましたか」

 下卑た笑いを浮かべて彼はリオに近づいてきた。



682 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/11/22(月) 19:07:46.71 ID:7crQRh6o

「武装盗賊とお友達なんて、なかなか村長さんって交友の幅が広いね」
「はは、おほめにあずかり光栄です」

 リオの目の前で立ち止まると、村長は無遠慮にじろじろと彼女を眺めた。熱っぽい視線で一通り眺めた後口を開いた。

「リオさんはあの役人の居場所をご存じありませんかな?」
「さあね」
「そうですか」

 さほど追及するでもなく村長は口を閉じると、手をリオの太腿に触れさせた。リオは顔をしかめる。

「ちょっと、何するのさ」
「いえ、武器でも持ってられると怖いものでこうやって」

 そのままゆっくりと太腿をなでまわし始めた。

「身体検査をね」

 村長が好色な笑みを浮かべる。



683 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/11/22(月) 19:08:56.16 ID:7crQRh6o

(……)

 リオはぐっと奥歯をかみしめた。
 武装盗賊の一人が声を上げる。

「おい、ずるいぜ村長」
「何を言っている、俺はただの身体検査をだな……」

 すすす、と手がジーパンの尻に移動する。やわやわと揉んでくる感触に、リオは眉をしかめた。

「お前たちは黙って見てろ。後でいい思いをさせてやるから」
「本当だな、約束だぞ」

 下半身をなでまわす手が、ゆっくりと腰を通り過ぎ、脇腹を撫で上げる。手はただ撫で上げるだけでなく、Tシャツを一緒にずり上げる。リオの滑らかな肌が裾からのぞいた。
 リオがかすかに身をよじり、村長はごくりと唾を飲む。

「初めてお会いしたときからこうしたいと思ってました」

 村長の手がするりと裾から滑り込んだ。じかに肌に触れてくる手の感触。

「……変態」
「いえいえそれほどでも」

 手がさらに肌を撫で上げる。つつつと上り、いったん止まる。そして、ゆっくりとその丸い膨らみを――



690 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/11/23(火) 17:22:31.79 ID:xMiXqPIo

「我は放つ光の白刃!」

 にやけた村長の顔の前で小爆発が生じる。全く威力はないものの、驚かし後退させるだけの効果はあった。
 振り向くと、ルイスが家のわきに立ち、こちらに右手を掲げていた。

「そこまでだ!」

 武装盗賊たちが驚きの声を上げた。

「おい、今……」
「魔術……」

 ルイスはこちらに数歩近づくと、さらに叫んだ。

「そうだ、僕は魔術士だ。今すぐ四人を解放しろ。さもないと殺すぞ」
「学者か! 馬鹿め、こちらには人質がいるんだぞ!」

 村長が邪魔された怒りか、怒声を上げる。
 それを無視してルイスは叫んだ。

「我は呼ぶ破裂の姉妹!」

 とたん、武装盗賊と村長が一斉に目を押さえる。ルイスの魔術によって生じた衝撃波によるものだ。

「……今のはほんの挨拶だ。次は本気で撃つぞ。どうなるかわかるよな?」
「……」

 村長たちはしばらく黙りこんだ。しかし、ティー姉妹を放すことはしない。じりじりとした間が空いた。

(通じたかな、ルゥ君のハッタリ……)

 リオは固唾をのんで次の動きを見守った。

「……」



691 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/11/23(火) 17:23:23.71 ID:xMiXqPIo

◆◇◆◇◆


 冷や汗がぐっしょりとルイスの背中を濡らしていた。足が震えそうになるのを必死で押しとどめる。悟られてはいまいか、それだけが気がかりだった。心臓が大きく鼓動する。

(次どーしよ)

 リオが言っていた頼む、とはこういうことだろう。リオ一人ではどうしようもなかったから、ルイスに後のことは任せたのだ。ただ、これが精一杯で手詰まりなのは確かだった。
 武装盗賊と村長は何か考えているようだったが、早く決めてもらわなければ困る。時間がたてばたつほどハッタリの効果が薄くなる。

 しばらくしてようやく村長は口を開いた。

「お ――」
「お前たちは何をやってるんだ?」
「へ?」

 武装盗賊たちの後方、村へと続く道の上に、男が立っていた。背の高いシルエットが月の光に照らされて、どこか不気味な雰囲気を醸し出している。



692 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/11/23(火) 17:24:36.62 ID:xMiXqPIo

「ミサンガ!」
「ああ」

 リオの声に頷いてサンダ―は無造作にこちらに近寄ってきた。

「貴様、今までどこに隠れていた!?」

 そして村長の声に立ち止まる。彼から一番近い武装盗賊との間にちょうど十メートルほどの距離があいている。

「ぬ、村長。よい月夜だな」
「俺の質問に答えろ!」
「そんなによそ様のプライベートが気になるか」

 ふう、とわざとらしくため息をつく。

「今日はルヒタニ様との交信日だからな、それに適した場所を探していた」
「ルヒタニ……? ええい、相変わらずわけのわからないことを!」
「リンパ腺で交信するのだ」
「もういいわ!」



693 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/11/23(火) 17:25:30.68 ID:xMiXqPIo

 心もち残念そうな空気を発して口を閉じたサンダ―に向かって、村長は続けた。

「やっと見つけたぞ。俺から奪った金、まだ持ってるんだろうな!?」
「ふむ、これか」

 先ほどから手にぶら提げた革袋をサンダ―は持ち上げて見せた。

「おい!」
「おうよ」

 村長の声に、武装盗賊の一人がサンダ―にゆっくりと近づく。サンダ―は特に身構えることはしなかった。ただ、武装盗賊との距離があと五歩ほどに近づいたところで急に動きを見せた。

「ふん!」
「あ」

 声とともに革袋を放り投げる。
 両手一杯ほどの革袋は、弧を描いて武装盗賊たちの中に飛んでいく。口を結ぶ紐が切れていたらしく中身を盛大にぶちまけながら。かすかな金属音を立てて硬貨があたりに散らばる。全員の目が地面に落ちた。それは明確な隙だった。



694 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/11/23(火) 17:27:13.04 ID:xMiXqPIo

「子犬さんのキャンプファイヤー!」

 その好機を狙って声が響いた。ティー家の二階の窓から飛来した抑えられた火炎は、ミルクを拘束した武装盗賊の顔に直撃した。悲鳴を上げる男の腕からミルクが落ちる。その時にはリオもまた動いていた。

「は!」

 顔が炎上した男を張り倒す。さらに転んだ男のみぞおちを踏みつけ意識を奪う。

「この!」

 気づいて二人の男がリオに襲いかかる。

「我は放つ光の白刃!」

 ルイスの呪文が炸裂し、男が二人とも転倒する。そして同時にリオに意識を閉じられる。

(後一人!)

 と思いサンダ―の方を見ると、どうやったのやら最後の一人はすでに叩き伏せられていた。

「ルヒタニ様を甘く見るな」

 何やら言っているが相変わらず意味は分からなかった。



695 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/11/23(火) 17:28:28.31 ID:xMiXqPIo

「くっ……」

 村長がうめく。残りは彼一人だった。逃げようにもちょうど逃げ道にはサンダ―が立ちふさがっている。

「そこまでだ村長」

 ティー家の二階から重力中和でロゼイユがゆっくりと空中を降りてくる。
 降り立った彼を見て村長が毒づく。

「見当たらないと思ったら隠れていたのか」
「武装盗賊との結託、村民への脅迫。今ちょうど役人さんもいるね。観念するといい」
「っ……」

 村長の顔が歪む。あたりを見回すが、目にはるのは倒れ伏した武装盗賊たちだけだろう。
 ――その時だった。
 がしゃぁん!
 ガラスの割れる音が響いた。

 軽い着地音。ロゼイユのそばに降り立つ黒い影。

「あ!」

 アップルの声が響く。
 それは今までずっと眠り続けていたはずの、例の男だった。



696 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/11/23(火) 17:30:10.05 ID:xMiXqPIo

「フレッディン……?」

 村長がつぶやく。男は着地後、うずくまったまま動かない。
 フレッディン。

(彼の名前?)

 だがしかし……村長が彼を知っているということは、やはり武装盗賊だったということか。

「まさか俺を助けに来てくれたのか?」

 男は答えない。
 ルイスはふと妙な胸騒ぎを覚えた。

「そ、そうか、ならこいつらを――ごぶっ!」

 ルイスは断言できる。それは他の全員も同じだったろうが、とにかく断言できる。
 “見えなかった”
 ルイスはそれを目視することができなかった。男が身を起こすところも移動するところも、そして――

「が――がふっ!」

 男の腕が、村長の胴体を貫くところも、だ。



701 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/11/23(火) 22:01:33.85 ID:xMiXqPIo

(な!?)

 ルイスは絶句した。そして誰の声も上がらなかった。状況を理解できる人物は、この場にいなかっただろうから。
 状況を理解できていないのは村長も同じらしく、目を見開いたまま、抵抗することも忘れているようだった。
 沈黙の中、男は掲げた腕に村長を串刺しにしている。

「な、んで……」

 口から何かの液体を垂れ流しながら村長が言う。男は答えない。代わりに腕をひと振りして村長を振り落とした。

「……」

 ふしゅー、と男の口から息が漏れる。ルイスの方から顔は見えないが、おぞましい表情をしている気配は感じ取れた。
 男が地面を蹴る音が響く。次の瞬間、村長の身体が跳ねる。

「がっ!」

 その浮いた身体を男がたたき落とす、蹴りつける、殴る、踏む、貫く、ぶち破る。
 みるみる内に村長がただの肉塊と化す。



702 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/11/23(火) 22:02:21.11 ID:xMiXqPIo

 凄絶な殺気の中、最初に動いたのはアップルだった。
 男に向かって一歩を踏み出し――

(まずい――!)

 男の目がアップルを捉えた。
 次の瞬間、アップルの身体が倒れ伏した。
 悲鳴が上がる。それはハーブのかそれともミルクのものか。

「アップル!」

 男の腕は空を切っていた。アップルの倒れた上に、覆いかぶさるようにリオがいる。

「光よ!」

 おそらくなんの手加減もしなかっただろう光熱波が、男を真正面から撃ち抜いた。



703 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/11/23(火) 22:03:02.98 ID:xMiXqPIo

 男は転がって、

「何!?」

 そのまま何事もなかったかの様に起き上がった。
 直撃だ。直撃だったはずだった。それなのに、なんの支障もなく起き上がって見せた。

(一体、何なんだ!?)

 そして、その時には事態はもう動き出している。
 気合の声が上がる。蹴りあげられた土くれが舞い上がる。リオの突進が、男の身体に突き刺さる。
 しかし、男は問題なくそれを受け止めた。



704 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/11/23(火) 22:03:44.10 ID:xMiXqPIo

 そのまま、二人はがっちりと組み合う形になる。膠着。静かな緊張があたりに満ちる。

(力勝負ならば、魔物の姉さんの方に分がある……)

 状況はいまだ全く理解できないが、とにかく男を止めなければならないことは分かる。
 だが、リオの勝つ姿が想像できないのは、一体どういうことだ。

 ぎち――っ!

 何かがきしむ音がする。それは筋肉の音なのか。

「ぐっ……」

 声を漏らしのは、リオの方だった。
 その声とともに彼女は徐々に押され始めた。じりじりとリオの足が地面を滑る。

 ばきゃ!

「あああああああ!」

 リオの悲鳴が上がった。寒気がルイスの背筋を冷やす。



705 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/11/23(火) 22:04:28.10 ID:xMiXqPIo

「ルゥ…… 君!」

 はっ、と遠くなりかけた意識をルイスは現実に戻した。リオが……リオがこちらに片方の手を伸ばしている。

(……!)

 それだけで理解する。ルイスは地を蹴り、そちらに駆けだし――
 だが、到達する前に男がリオを片手で打ちすえる。リオは地面にたたきつけられた。

「―― まだまだぁっ!」

 それでもリオが男の足をつかむ。

「うおおおおお!」

 同時にルイスがリオの隣に滑り込んだ。リオの手を取り、

「我は踊る天の楼閣!」

 視界をはじめとするすべての感覚が閉じる。吐き気を誘うそれらの中、最後に見えたのは泣きそうなアップルの顔だった。



707 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/11/24(水) 00:48:13.87 ID:QzEVGxko

「はっ!」

 空間転移の終了と同時に、リオがルイスを抱えて飛び退る。男はすぐには追ってこなかった。
 鬱蒼とした草木が視界を酷く不鮮明にする。転移した先は暗闇に沈む森林の奥。月の光は緑の天蓋を突き破ることはできない。ルイスにはほとんど何も見えなかった。
 ただ、リオは夜目が利く。十分男と距離をとったところでルイスを地面に下ろした。

「我は癒す斜陽の傷痕」

 リオの砕けた手首を治癒する。リオは一二度その手を振ると、小さくつぶやいて短剣を異空間から取り出した。

「ルゥ君、これはいったいどういうこと?」
「僕にもわからない。ただ、あの人は僕たちを殺す気だ。……っ」

 リオがルイスを突き飛ばす。先ほどまで彼がいた場所を、高速の物体が駆け抜けた。

「速い……」

 突き飛ばした分を駆け寄ってリオがつぶやく。ルイスは起き上がるとリオの手を取った。

「じゃあ次、どうするルゥ君?」
「逃げるのがベストだろうけど、あまり長距離を転移できなかった。放置すれば村が危ない。それに――」
「あの人が一体何なのか突き止めないと?」
「そういうこと」

 真実からは、逃げられない。



708 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/11/24(水) 00:49:00.93 ID:QzEVGxko

「我は生む小さき精霊!」

 ルイスの手から光球が生まれ、勢いよく上方に飛ぶ。それは頭上十メートルほどで制止すると、あたりを明るく照らし出した。
 その光の範囲の中に、男の姿が浮かび上がる。それはちょうどうずくまるような突撃姿勢で――

「! 我は紡ぐ光輪の鎧!」

 ぎん――!

 男の突進を防御壁が受け止める。ルイスが念じると、防御壁は膨らんで男を弾き飛ばした。

「それにアップルが彼を待ってる!」

 それを呪文に魔術を発動させる。再び突撃の構えを見せた男が不自然に動きを止める。まるで右腕が丸ごと固定されたような、そんな様子だった。



709 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/11/24(水) 00:50:21.70 ID:QzEVGxko

 空間支配。その効果は目には見えない。男の右腕を包む空間をよじり、固定する。つまり不可視の完全な束縛。これで男は腕を切り落とさない限りは動くことができない。

「すみませんが、しばらくそうしていてください!」

 初めての術の出来にルイスは満足して声を上げた。

「あなたはなぜ僕たちを殺そうとするのですか!?」
「……」

 男は答えない。ただ動かない右腕を不思議そうに眺めている。

「僕たちはあなたと敵対する気はありません! どうか落ち着いてください!」

 だが。
 男は肩をねじると、“腕だけをその場に残して”再び突進してきた。引きちぎった傷口から血が噴き出すが気にした様子もない。



710 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/11/24(水) 00:51:13.03 ID:QzEVGxko

「我は放つ光の白刃!」

 手加減することなど忘れた。光が男を貫く。
 いや。その一瞬前に男の姿が掻き消える。

(速すぎる! どこに……)

 唐突にリオがルイスの腕を引く。よろけたルイスの鼻先を高速の何かが通り過ぎ、彼は無言の悲鳴を上げた。
 そのままリオはルイスを引きずって走る。いくつもの突風がその後を追いかけて空間をえぐる。怪我をしているとは思えないほどのスピードだ。
 魔術の光明もそれについて移動する。その明かりの範囲に見え隠れする男の顔は、醜く歪みルイスの背筋を粟立たせる。

「ルゥ君!」
「我が指先に琥珀の盾!」

 男とルイスたちの間に大気を圧縮させてできた防御壁が発生する。男はそれにまともにぶつかって一歩後退した。

「我は放つ光の白刃!」



711 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/11/24(水) 00:52:27.56 ID:QzEVGxko

 光が空に向かって撃ちあがる。次いで一気に分散し、男の周りに降り注ぐ。
 それでも男は動揺しない。光の柱の中で悠然と立ち、咆哮する。

(これじゃあ埒があかない……)
「ルゥ君」

 リオの声に振り向くと、彼女はいつの間にやら呼び出した長剣を、ルイスを放した手に持ちこちらを見つめていた。

「やるよ」
「でも、アップルは……彼女は彼のことが――」
「駄目だよ。話は聞いてもらえない、手加減するのも無理そう」

 ゆっくりと言う。

「ついでに言えば魔術も、発動する前にやられちゃうかも。だからあたしがやる。ルゥ君はさがってて」
「でも!」

 そこまでだった。ルイスは背後から地面を蹴る音が響くのを聞いた。
 リオはルイスを突き飛ばし、跳躍した男と激突した。



715 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/11/24(水) 05:47:22.28 ID:QzEVGxko

◆◇◆◇◆


 まだ、リオが幼いころ、師匠である元帥は言った。お前は力で相手を圧倒する戦術が得意のようだ、だから純粋な破壊力を磨きなさい。リオはそれに従って鍛錬を積んだ。実際時が経つにつれて、彼女のパワーに真っ向から対抗できる者はいなくなった。それは体術においても、魔術においても同じで、リオはおおむねそれに満足していたし、誇りでもあった。
 しかしもう一人の師匠は言った。君の力は強い。だが、いつか君よりも力の強い者が現れる。戦いの術を学ぶなら必ず、そういう日が来る。
 だから、リオは問うた。じゃあ、そんな時はどうすればいいんですか? 師は、くすりと笑うと、話をしようと言った。私の昔の話を、と。



716 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/11/24(水) 05:53:38.87 ID:QzEVGxko

     ※


 甲高い金属音が響く。相手の拳を受け止めた長剣が、わずかに歪むのを手の内側で感じる。それを無視して、左手の短剣で相手の手首を狙った。男はすばやく手を引いてかわすと、こちらの足を刈るように蹴りを放つ。リオは足の裏でそれをいなし、飛び退った。後ろにルイスがいるため、あまり大きな後退はできないが。
 長剣を振りかぶる。男が飛び出すのをそれで牽制し、一歩を踏みこむ。男はそれに応じて一歩退くと、片手だけで構えて見せた。

(……)

 ほぼ獣のようなものだと思っていたが、どうやら違うらしい。相手にはちゃんと知能があり、こちらに対応した攻撃を仕掛けてくる。
 そして、認めなければならない。自分は、片手を奪いなおかつ完全武装で挑まないとこの相手には敵わない。

「はっ!」

 すばやく一歩を踏みこみ、長剣を振り下ろす。相手は小さく横に避けるが、それを追って左の短剣がひらめく。それも避けた相手を、回転によって振るわれる長剣が襲う。

「ていやッ!」

 両手武器による連撃。無数の剣の閃きが男を襲う。



717 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/11/24(水) 05:55:14.29 ID:QzEVGxko

 だが、合計二十ほどの攻撃はいずれも彼に届かない。そして心に生まれる焦り。それが斬撃をわずかに鈍らせる。
 その隙を縫って男の姿が掻き消えた。

(どこに!?)

 考える前に前方に身体を投げ出す。少なくとも、そこにはいないことは分かっているから。
 背後を突風が吹きぬけるのを感じる。起き上がって構えた。その時にはもう懐に男がいる。

「くっ!」

 振り下ろされる手刀を体さばきでかわす。後ろに跳ぶと、ルイスの叫びが聞こえた。

「転べ!」

 呪文。その声に、というわけではないが、男の足がわずかに鈍る。



718 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/11/24(水) 05:58:02.36 ID:QzEVGxko

 その隙に、リオは長剣を大きく肩の上に担ぎあげた。剣先を相手に向けて。
 そのまま一気に突き出す!

 剣はまっすぐ男を目指して飛んだ。間違いない、当たる。これは必殺の距離。だが――
 男が考えられないほどの反射で後ろに跳んだため、それは必殺ではなくなる。
 それでも、長剣は男の右の大腿を大きくえぐって地面に突き刺さった。その時にはリオもすでに動いている。
 一気に駆けだし、着地する男のわきを駆け抜け、ルイスの隣に滑り込んだ。つながれる手と手。

「ルゥ君!」

 伝わっただろう。それでも彼は一瞬躊躇した。が、それ以上は迷わず叫ぶ

「我は歌う、破壊の聖音!」



719 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/11/24(水) 05:59:17.74 ID:QzEVGxko

 世界が鳴動する。いや、それは錯覚だろう。

 ばきゃ!

 唐突に周りの地面がひび割れる、めくれ上がる。木々が倒れる、粉砕される。そしてそれは際限なく広がり、轟音を響かせる。
 破壊の波は男まで到達し、土煙りが彼の姿を覆い隠した。
 スピードを無視する大規模破壊。連鎖する自壊。

(これでどう!?)

 勝利を確信してリオは胸中で叫ぶ。
 砂煙はしばらくあたりを漂い、ゆっくりと薄まった。
 見回すと、半径三十メートルほどの円が森の中に発生している。男は、その範囲の中にいなかった。



720 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/11/24(水) 06:00:35.28 ID:QzEVGxko

 咆哮の声が響く。聞くものすべてを恐怖させる、悪魔の声。

「まだ、生きてる!」
「どこに……」

 見回すがそれらしい影は目に入らない。男の声だけが聞こえる。それは急速に、そして確実に近づいてくる。リオは聴覚に集中力のすべてを注ぎ込んだ。近づいてくるその方向は――

(上!)

 見上げると、木々が無くなったことによって開けた夜空に満月がよく見えた。それに重なる黒い影。
 絶好のチャンスだったが、魔術は間に合わない。リオは舌打ちしてルイスとともに跳躍する。その残像を男が薙ぎ払った。



723 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/11/24(水) 12:03:39.23 ID:QzEVGxko

     ※


 実際、リオは師には勝てなかった。師はリオを凌駕する力の持ち主だというわけではなかったが、五回やれば、四本は師が取った。
 納得のいかない顔のリオに師は問うた。何故か分かるか、と。

「分かったら勝ってます」

 師は笑った。その通りだな。だが、それなら考えなければならないよ。
 必死に考えて考えて、さらに数えきれないほどの手合わせを経て、数年後、リオは少しだけ理解した。

 戦闘時、人は最高と最低の間を流動的に行き来する。それは体力的な意味であったり、集中力的な意味であったり何でも良いが、なんにしろ最高潮を維持したまま際限なく戦い続けることは不可能である。師は、彼我のそれの見極めに異常に長けているのだろう。師は常に相手の弱いところを突く。必ず生じる弱点。力には隙、反射神経にはフェイント、巨体には死角。だから師は勝つ。
 もっとも問題は、分かったところでそれに対抗する手段と真似する技量がないことで、相変わらず勝率は変わらなかったのだが。



724 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/11/24(水) 12:04:30.99 ID:QzEVGxko

     ※


(あたしがあいつに勝つには、お師様と同じことをするしかない)

 リオは男の正面に立った。というよりも、どう回り込もうと相手が正面から逃がしてくれないからだが……

(お師様、どうかお守りください……)

 胸中で祈る。
 数瞬の沈黙をはさみ――両者は同時に駆けだした。
 とは言ってもやはり男の方が数段速い。左腕を振り上げ、突進してくる。
 リオは、それに対し右に身体を振った。男が反応するのを見る前に、逆に飛び込む。



725 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/11/24(水) 12:06:24.01 ID:QzEVGxko

 フェイントによって男の振り下ろす腕すれすれに懐に飛び込むことに成功する。拳と肘を一発ずつ叩きこむがダメージを与えるには至らず、ただ相手の頑健さを思い知るにとどまった。
 下から打ち上げられる手をさらに左に回り込むことで避ける。相手には右腕がないため、比較的簡単に避けることができる。さらに短剣を突きたてようとするが、硬質な手ごたえを残して弾かれる。何故か驚きはなかった。
 ついで、横に薙いできた腕をしゃがんでかわす。そのまま相手の足を刈るように蹴りを放つ。

「!?」

 しかしそれを空を切る。同時に顔に激痛。飛び蹴りを食らって吹き飛んだ。

(痛ぅ……)

 だが痛みに毒づく暇もない。転がって追撃をかわす。転がった勢いのまま跳ね起きて必死に距離をとった。短剣は手からすっぽ抜けていた。

(この……)

 もう一度地を蹴り、距離を詰める。何度目かの交錯に向かって。



726 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/11/24(水) 12:07:31.06 ID:QzEVGxko

 相手は強靭で強力で、なおかつすばやさも尋常ではないがそれでも勝機はないことはない。どんなに化け物じみていようともおそらくはまだ人間である以上、弱点は必ずある。ならばそれを見極めて、そこを攻めればよい。
 考えているうちに距離は詰まる。相手の攻撃に合わせて、それにカウンターを――

「がっ ――!」

 そのとき、何が起こったのか彼女には分からなかった。一気に視界が白み、身体が崩れ落ちる。真っ白の世界の底に叩き落とされ、許容量を超えた激痛が全身をさいなんだ。
 “当てられた”。それだけを悟る。身体の中心がじんじんと痛む。猛烈な吐き気が口へと殺到する。
 負けた? ぞっとした。急速に諦めに向かう気持ちに鞭を打つ。
 あたしが負けたらルゥ君はどうなるんだ!

(……この!)

 意志の力だけで身体を引き起こす。起きろ! 戦え! 命じると視覚が瞬時に回復する。



727 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/11/24(水) 12:08:17.83 ID:QzEVGxko

 思い通りにならない身体に鞭打って必死に後退する。

「姉さん!」

 ルイスの声が聞こえたと思うと同時に後退の勢い以上の力で吹き飛ばされる。なんとか両足で着地するものの、ふらつくのは隠しようがない。
 息が不規則に乱れる。視界が揺れる。
 身体はその場にうずくまって転がりまわることを要求していた。もう意識を閉じて何も考えないようにしたい。倒れたい。

 それでもそれらを意志の力で抑えつける。まだ……まだやれる!

「はあああああああああ!」

 気合いの力など信じない。戦いにおいて勝敗を分けるのは純粋に技能とパワーだ。それでも力の限り叫ぶ。
 男は気にも留めずにこちらに向かって駆けだした。



728 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/11/24(水) 12:08:59.52 ID:QzEVGxko

     ※


 師の昔話は、予想にたがわず彼が強敵と戦った時のものだった。相手は体術も魔術も、力も技能もすべてにおいて師を上回っていたらしい。
 それでも勝てたよ。師はほほ笑む。
 守りたいと思うものがあれば、それだけで人は力を得られる。どんな奴にだって負けない。必ず勝てる。
 そんなのくだらない精神論だ。リオが言うと、師はあっさりと認めた。その通りだね。

 でも、と続ける。大事なことだ。どんなに陳腐だろうと安っぽかろうと。
 さあ。師は言った。訓練を続けよう。守るために必要な技・力を君に授けよう。

 リオは――



729 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/11/24(水) 12:12:41.59 ID:QzEVGxko

     ※


 リオはそこにただ、静かに構えた。左の足を前、右の足を後ろ、相手と自分を結ぶ一直線上に置く。身体もそれに合わせて完全に半身を切る。
 これは力の道筋だ。ただただまっすぐ相手へと届く威力の経路。相手の攻撃を真っ向から迎え撃つ態勢。
 後はタイミングの問題だった。右の拳を振りかぶる。

 半呼吸、男の踏み込み、猛烈な勢いでつきこまれる攻撃、切り裂かれる風の音。
 刹那、リオの目がかっと見開かれた。同時に全身の筋肉が爆発的に始動する。

 放たれた拳は、一直線に伸び、男のそれとぶつかり、凄絶な音をたててエネルギーを解放した。

(ぐっ!)

 激痛を超えた激痛が神経を駆け巡る。どうしようもなく脳を焼くそれを、リオは完璧に無視した。
 男の悲鳴が上がる。拳を打ち返され、態勢を大きく崩している。
 リオは言うことの聞かない身体に最後の命令を下した。
 すなわち、ほんの半歩の踏み込み。



730 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/11/24(水) 12:16:37.31 ID:QzEVGxko

 それだけだ。それだけで事足りる。男の懐に入り込み、潰れた拳とは反対の拳を胸部に突きつける。喰らえ――!

(寸打による――心臓打ち!)

 一瞬は数秒に、数秒は数時間に。時が引き延ばされる感覚を経て、筋肉が躍動する。

 ずだんッッ!!

 男の身体が、はじけ飛んだ。ゆっくり小さな弧を描いて地面に倒れ伏す。そして始まる痙攣。
 だが、リオは手を抜かない。

「光よ!」

 鋭く放たれた光熱波が、男の首を刎ね飛ばした。それはがらごろと地面を転がり、数秒後、ゆっくりと停止する。

 それで最後だった。しかし、リオは勝利を見届けることはなかった。彼女は昏倒し、地面に倒れ伏したから。
 ルイスが駆け寄ってくるのを目の端に見ながら、リオの意識は闇の中に消えた。



734 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/11/24(水) 21:51:34.31 ID:QzEVGxko

     ・
     ・
     ・


 ルイスはリオの応急処置を終えると、彼女を背負って立ちあがった。お世辞にも軽いとは言えない。が、文句も言ってられない。彼女は命がけで戦ってくれたのだから。

「……お疲れ、姉さん」

 肩越しに、戦闘の疲労によって青ざめた顔へ告げる。
 身体の心配はないはず。例によって魔物は頑健だ。ただ、今日の敵の強さは異常なものだった。ちらりと最悪の事態が頭をかすめる。
 もしも姉さんに万が一のことがあったら……
 頭を振ってそれをかき消した。と、視界の端に倒れ伏した彼の姿が映る。

「……」

 一体、何者だったのだろう。魔物と真っ向から戦って、同等以上の力を発揮して見せた。彼に直接聞ければ一番だったのだが、それも今は叶わない。
 それよりもっと重要なことが頭をかすめ、ルイスは気を重くした。

「アップルになんて説明しよう……」

 彼女はきっと傷ついて泣くだろう。あんなに彼のことを思っていたのだから。
 どうしようもない気分のまま、ルイスはとぼとぼと歩きだした。



735 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/11/24(水) 21:52:39.37 ID:QzEVGxko

◆◇◆◇◆


 誰もいなくなった森の片隅。そこは木々が根こそぎ粉砕され、開けた場所になっている。邪魔するものが無くなったことにせいせいしているかのように月の光が明るく降り注いでいた。
 静かだ。動くものは何もない。月の光がいつものようにすべてをひんやりと凍りつかせている。すべてを――いや。

 かさ……

 地面に落ちた木の葉を揺らす音がする。月に照らされて青く静まった地面をうごめくものがある。
 線のような、紐のようなそれ。月の光の中を黒々と地面を這っている。
 蛇? そうかもしれない。幾筋も幾筋も束になって地面を進む。進む先にあるのは、もう物言わぬ肉の塊だった。そして“蛇”の這ってきた大本には――

「……」

 やはり物言わぬ生首が転がっている。切断された首の断面から“蛇”は伸びていた。



736 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/11/24(水) 21:55:35.97 ID:QzEVGxko

 やがて、“蛇”は胴体にたどり着き、切断された首の断面に集まった。そして一本一本がつぷつぷと断面に突き刺さる。
 同時、ずるりと音が響く。静かな夜の底で、その音はやけに大きく響いた。
 ずるり、ずるり。

 ゆっくり、ゆっくりと胴体に首が近づいていく。
 二分ほどかけて、生首は胴体に到達した。じゅぶじゅぶと嫌な音を立てて切断面が密着する。
 そして沈黙。

「……」

 怪物は何事もなかったかのようにゆっくりと起き上がった。あたりを見回す。
 その首には、傷の痕跡はほとんど残っていない。紅く、かすかに筋が見えるのみだ。

「……」

 無表情の顔がある一点を見つめて止まる。そこに何かがいた。

「……」

 真っ黒なその何かも、同じく沈黙に沈んでいる。



737 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/11/24(水) 21:57:57.04 ID:QzEVGxko

 怪物は静かにそちらに向かって歩き出した。それとの距離がゆっくり縮まる。
 その黒い何かは縦に細長く、近づいていくとどうやら人影であることが分かった。黒ずくめの男。

「シッ――!」

 それに向かって怪物が跳ぶ。一気に距離が縮まった。高速で振り下ろされる左腕。黒ずくめの男に強烈な一撃が叩きつけられる。しかし。

「っ……」

 怪物の一撃は男の頭部で完全に静止した。なんの音もならない、手ごたえもない。ただ厚さ数ミリの空間を隔てて怪物の手が止まっている。
 怪物の蹴りが男の胴を襲った。だがこれも静止する。まるで怪物が自ら寸止めしているかのように。
 続いて、さらに怪物の左腕が男のみぞおちを貫こうとする。止まる。下段蹴り。とまる。頸動脈への手刀。止まる。

 怪物が跳び退る。黒ずくめの男は一歩も動いていない。
 ただ、一言だけつぶやく。

「飛べ」

 その一言と同時に怪物の身体が予兆も見せず唐突に吹き飛ぶ。空気を切り裂いてすっ飛んで行き、広場の向こうの木に轟音を立てて激突した。

「っ!」

 怪物の口から声にならない悲鳴が漏れる。



738 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/11/24(水) 21:58:43.42 ID:QzEVGxko

 ずるずると滑り落ちた怪物は、必死で立ちあがり、逃げの態勢に入った。しかし踏み出した先には黒い影。
 怪物の顔が引きつった。
 黒ずくめの男が口を開く。

「無駄だよ」

 その声と同時に、怪物の身体が浮きあがる。必死でもがくが、抵抗むなしく地上二メートルほどの空中に固定されてしまう。

「ついに出たかね、ヴァンパイア」

 黒ずくめの男は言う。

「ということは神も近場にいるな」

 単に事実を確認する以上の何ものでもない口調。その内容の重さに反して、至極軽い。

「では彼らの探究の終わりも近い、か」

 頷く。男は顔を上げるとまっすぐに怪物を見据えた。怪物の身体が、本能によるものか、震える。



739 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/11/24(水) 22:03:01.02 ID:QzEVGxko

 次の瞬間、男は命令の声を上げた。

「消えろ」

 同時、空中の怪物が掻き消える。その痕跡も残さず、完璧に。最初から何もなかったかのように。
 風が吹く。男のマントをそよそよと揺らして、いずこかへと去っていく。
 ……しばらく間をおいて、男は空を見上げた。円形に切り取られた空が、月を真ん中に抱えている。静止した光が降り注ぐ。その光はすべてのものを凍えさせる。

 だが、今は男の存在がそれ以上に冷気を放っていた。周りのものが急速に凍りつき、永遠に停止する、そんな雰囲気。
 さっきまでは凍えさせる主体であった月の方が逆に凍えて震えているように見えた。

「もうすぐだ」

 男は――魔王は言う。

「もうすぐ――」

 月の光が降り落ちる場所で、彼はいつまでもいつまでも立ち尽くしていた。



740 :アナウンス :2010/11/24(水) 22:03:55.91 ID:QzEVGxko
第三章、了



742 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/11/24(水) 22:37:58.05 ID:QzEVGxko




 ~第四章 「始祖、そして神」~




743 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/11/24(水) 22:39:13.05 ID:QzEVGxko

 気の遠くなるような昔。我ら“二本の足で立つもの”は草木と共に生き、風と共に暮らしていた。世界は穏やかで、足りないものはなかった。
 あるとき、一人の“二本の足で立つもの”が倒れ、床に伏せた。
 三日三晩うなされ続け、たびたび嘔吐し、死の淵をさまよった。その後、床から立ち上がった彼は、虚空から火を生み、雷を呼んだ。そのようなものが相次いで現れた。
 時は過ぎ、その力は“二本の足で立つもの”の間では、ありふれたものとなった。誰もがその不可思議な業を行った。

 めまいのするようなほどの昔。“二本の足で立つもの”に似て非なるものが現れた。
 彼らもまた、二本の足で立っていたが、彼らに角や翼はなく、またその腕に力はなかった。そして、彼らは不可思議な業を行使することもできなかった。
  “非力なるもの”。“二本の足で立つもの”は彼らをそう呼んだ。しかし、彼らには別の力があった。
 彼らは“輝く光”を持ち、“剣”を持ち、“長い筒”を持っていた。彼らはそれらを用いて“二本の足で立つもの”を打ち、追いやった。
 “二本の足で立つもの”は争いを嫌い、和平の使いを送ったが、“非力なるもの”らは聞き入れず、和平の使いを打ち殺してしまった。“二本の足で立つもの”らは怒り、大きな争いになった。


  ――魔物の口伝より抜粋――



752 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/11/27(土) 09:04:35.09 ID:9KP07.AO
一気に読んでしまった。
すごく今さらなんだけど。前作は詠唱は“”でくくられてたけど今作にないのは意図あり?あった方が読みやすいな。




753 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/11/27(土) 16:51:28.94 ID:k4VvNQoo
>>752
一気読み感謝
今回にくくりがないのは小説オーフェンに合わせた結果であり、特に大きな裏はありません
読みやすさを優先して、これからはつけることにします



755 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/11/28(日) 18:46:08.48 ID:TohlBsoo

 水面を鳥が突き破る。しばらくして、鳥は同じように水面を割って飛び去った。その足に小さな魚をぶら下げて。ルイスは歩きながらそれを見送った。
 川のせせらぎが聞こえる。ルイスは荷物の肩ひもをひっかけなおす。
 少し後ろをリオが歩いていた。荷物は彼女の方が多い。着替えなどのこまごましたものをはじめとして、携帯毛布、テント用具、そしていまだ持ち続けている中身不明の細長い包み。

 川岸には涼しい風が吹いていた。二人の髪をなびかせて次々に通り過ぎていく。昼下がりの日の光と相まって、どこか眠たい空気を醸し出していた。
 だが、足を止めることはしない。急いでいるわけでもないが、だからと言って休むわけにもいかない。上流へ向かってひたすら足を動かす。
 耳を澄ますが森は静かだった。たまに鳥の鳴き声が聞こえるぐらいでこれといった異変はない。
 ――異変。たとえばただの犯罪者を超人に変えてしまうような何か、とか。

「……」

 魔物と、それを圧倒する異常な人間。あの戦闘からおおよそ一週間が経過した。それはリオが回復するまでの時間とちょうど一緒で、その間に開拓村ではそれなりの変化があった。



756 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/11/28(日) 18:48:36.93 ID:TohlBsoo

     ※


「村長は武装盗賊に襲われて死んだ。そういうことになった」

 村の診療所。リオがいるベッド傍らの椅子に腰かけて、ルイスはロゼイユの説明を聞いていた。

「わざわざ村長が彼らと通じていたとか村の評判や評価を落とす必要はないから、まあ妥当なところだな」

 リオにリンゴを剥いてやりながら返す。
 それに、と胸中で付け加える。村長が村人を裏切っていたことはともかく魔物以上に化け物じみた男が彼を殺したなどとは誰も信じまい。

「そうだね。ただ、開拓村はちょっとした騒ぎだ。武装盗賊が本格的な襲撃をしたってことはもちろんだけど、それを叩きのめしたのが女の子だってこともね」
「あたし?」
「そう」

 実際はルイスとロゼイユも戦っていたのだが、噂というのはより突飛な方が好まれるものだ。なんとなくリオが魔物であることは伏せていたので、驚きが大きかったのだろう。

「ついては何かしら礼がしたいとみんな言ってるんだが……」
「パス。恥ずかしいし」
「そうか」

 酒場で暴れたりする割には彼女は結構照れ屋である。
 ロゼイユはあっさり引き下がると、寄りかかっていた壁から背中を離し腕組みを解いた。



757 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/11/28(日) 18:49:08.39 ID:TohlBsoo

「まあ、とにかくこれで君たちに面倒事は降りかからない。世はなべてこともなし――あ、いや」

 そこまで言って彼は言い淀む。その意味はルイスにも知れた。

「……アップルは?」
「……元気だよ。表面上はね」

 ロゼイユは表情を曇らせた。

「元気すぎるくらいだ」

 彼女は、やさしい子だ。身元不明の男でさえ受け入れ守るくらいに。だから、周りに心配をかけることはもちろろん良しとしないだろう。
 だが、アップルは彼のことを……

「そうか……」
「君たちが気に病むことはない、当然のことだが」
「……」



758 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/11/28(日) 18:49:40.76 ID:TohlBsoo

「仕方なかった。十人に聞けば九人がそう答えるはずだ。残り一人はただの馬鹿。それくらいあれは異常だった」
「でも」
「上手くやれば彼を止められていた、かい?」
「それは……」

 ルイスは言葉に詰まって俯いた。ロゼイユの言うことは間違っていない。酷く正論で、しかしそれゆえに簡単に頷いてはいけない気がした。
 ふと袖を引かれて振り向く。

「やったのはあたし。だから、ルゥ君は悩まないで」
「……」

 こちらにも何も答えられずにいるうちに、リオはリンゴを食べる作業に戻っていった。
 無茶を言う、と思う。子供扱いするな、とも。ルイスだってあの場にいた。ならば何か打つ手があったはずで、それを見つけられなかったのはルイスの責任でもある。少なくともルイスはそう思う。



759 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/11/28(日) 18:50:23.81 ID:TohlBsoo

(これで二度目だ)

 胸中で噛みしめる。

(僕は二人、見殺しにした)

 真実を求める旅路の上、犠牲は、無念は少しずつ積み重なる。
 また、同じ思いをすることはあるだろうか。諦念は繰り返すか?

(そんなの願い下げだ。僕はこれ以上……)
「それで、君たちはこれからどうするんだい?」

 ロゼイユの言葉に意識を現実に戻す。彼はその涼やかな目をこちらに向けていた。
 これから? 決まっている。

「川上へ行ってみる」
「彼の異常の原因を探しに?」
「ああ」

 ルイスは頷いた。



760 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/11/28(日) 18:51:03.54 ID:TohlBsoo

「そうか……何か見つかるといいね」

 ただし、と彼は続ける。

「人間があんなになってしまうのはとてもおかしなことだ。危険を感じたら無理せずに逃げること。僕は君に、君たちに怪我なんてしてほしくない。無事に帰ってくるんだ、分かったね?」
「言われるまでもないな」
「じゃああたしが回復したら出発?」
「そういうことになるね、姉さん」
「僕も行けたらいいんだけどね」

 ロゼイユが言うが、彼には大事な役目がある。アップルと同じ年代の人間は、村にはロゼイユしかいないのだ。

「彼女のこと、頼む」
「ああ、任せてくれ。必ず元気にしてみせるよ」

 ロゼイユは笑って、それじゃ、と部屋の出口に向かった。
 が、そこで振り向く。



761 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/11/28(日) 18:51:44.77 ID:TohlBsoo

「そういえば、ミサンガさんは?」
「? 見てないけど?」

 言われて思い出す。サンダ―は例のあの夜から見かけていない。リオの手当てや武装盗賊の襲撃の後始末でばたばたしていたせいもあるが、どこか無意識にあれはそういう人だからと思っていたせいで、特に気にもしなかった。

「またどこかふらふらしてるんじゃないか? もしくは勝手にニューサイトに戻ったとか」
「そう。そうか」

 ロゼイユの言い方に違和感を覚えた。なにが、というわけでもないが。ロゼイユはこちらの視線に気づくと、ひらひらと手を振って見せた。

「いや、なんでもない。ちょっと女の勘に引っかかるところがね」
「前も思ったが君は男だろうが」

 渋い顔でルイスが言うと、ロゼイユは笑って部屋を出ていった。



765 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/12/01(水) 19:09:14.29 ID:wZc1dP.o

     ※


 リオの回復を待って出発したのが今日の朝。それからそれなりの時間を歩き続けている。
 歩きながら懐中時計を取り出した。午後三時。空を見上げると日が先ほどよりやや傾いているのが分かる。
 川はまだまだ上流へと続いているようだ。注意して川の周りも見ながら進んでいるが、特にこれといったものは見つからなかった。
 その時までは。

「ねえルゥ君」

 リオの声に振り向く。

「アレ、なんだろ」

 彼女の指はルイスを追い越して、はるか前方を示している。視線を前に戻すと、蛇行した川の向こうに確かに何かが見えた。
 それは森の木々の中からにょっきりと突き出している。

(なんだ? ……塔?)



766 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/12/01(水) 19:09:55.40 ID:wZc1dP.o

 川をそれてそちらに行くと、予想にたがわずそれは円柱状の形をしていた。森の木々の中に悠然と、だがひっそりとそびえたっている。
 見上げると先端が木々の葉のベールの中に消えているのが見えた。先に行くにしたがってわずかに細く、そしてある一方向に傾いていくその形状には見覚えがある。

「≪ 牙の塔≫?」

 リオの声に数カ月前のタフレム市での散策を思い出す。街の中に同じく悠然とそびえる白亜の塔。
 塔に近寄る。壁面に触れてみると、滑らかな感触が返ってきた。

(遺跡と同じだ……)

 そのままぐるりと外周を回る。しばらく歩いたところにそれはあった。
 入口と思しき扉。そしてその傍らに書かれた、奇妙な文字。読むことはできないが、予想はできる。

「≪世界図塔 ≫」



767 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/12/01(水) 19:11:26.16 ID:wZc1dP.o

「世界図……何それ?」

 リオが訝しげな声を上げる。

「僕も分からない。でもハーブさんが言ってたんだ。森の奥に≪牙の塔≫ に似た塔があるって」
「それがこれ?」
「たぶんね」

 扉の取っ手に手をかける。特に抵抗もなく、扉は奥に開いた。
 そっと覗く。しかし。

「何も、ない?」

 中は明かり取りの窓もないにも関わらず、やはり数々の遺跡と同じくほの明るかった。ただ、真っ白な壁面が上方に延々と続くだけで何も見当たらない。階段すら存在しない。
 なんとなく中に入る気にならずに入口の前に立って腕を組む。
 キエサルヒマの≪牙の塔≫。あれは大昔の魔術士が建造したと言われている。が、ティー家で仕入れた情報を考慮に入れるとまた違った見方ができる。

「天人、だっけ? その人たちが造ったってことだよね?」

 そういうことだ。

(これらは天人の遺物?)
 
 天人。古代人。しかしハーブの考察では人間とは異なる種族。彼らの建造物。遺跡。……砦。

(何かと戦っていた? ……何と?)



768 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/12/01(水) 19:12:31.62 ID:wZc1dP.o

 例えば魔物よりも強靭・強力なる者。人間に似て非なる強大な化け物。
 いかに天人が強大な魔力を持っていても、それらは非常に大きな脅威になりうるのではないか。
 彼らは、あの化け物と戦っていた?

(…………いや)

 ハーブが語る神話を思い出す。彼らは運命を捻じ曲げ、疑似生物を生み出すほどの力を持っていた。それほどの能力を持ちながら、たかが力が強いだけの怪物に脅かされる? 断言はできないが違和感はある。

(たしか、彼らは……)

 彼らは、その強大な力の秘儀を神々から盗むことで手に入れた。そして、それによって神々の怒りを買い、天の国を追われ、。呪われることとなった。
 ならば彼らの敵――彼らを打ち、根絶しようとする敵というのは……

「……」

  ……馬鹿馬鹿しい。科学が台頭し始め、神の存在が否定されるこの時代に、神が死にかけているこの時代に。



769 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/12/01(水) 19:13:40.52 ID:wZc1dP.o

 ただ、可能性として考えられることがあった。
 あの化け物は天人の敵ではなく、むしろ天人の側だったのではないか、と。
 天人は何らかの敵と戦い、そのために砦を築いたが、それ以外にも手を打っていたのではないか。すなわち。

「人体強化?」

 口からぽつりと言葉が漏れた。

「何それ?」

 リオが塔の中を興味津津に覗き込みながら言う。ルイスはいくつか頭の中でモノを整理した。化け物、天人、そして敵。

「姉さんは精神士って知ってる?」
「せいしんし?」
「そう、精神士。魔術士の中でも特別な訓練を経て、肉体を捨て、精神体となった人々のことだ」

 リオは少し考える顔をしてつぶやく。

「肉体を捨てて……って、幽霊?」
「ああ、まあ似たようなものかな」



770 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/12/01(水) 19:15:24.51 ID:wZc1dP.o

「そんなこと可能なの?」
「噂だけだけどね、そういう人たちがいる、もしくはいたらしい。キエサルヒマ大陸のどこかにある≪霧の滝≫が彼らの根城とか言われてる」
「ふーん?」

 リオはもの問いたげな表情を崩さなかった。ルイスは後を続ける。

「彼らは“精神化” というプロセスを通って精神体に達する。その結果、肉体にとどまっていては望めないほどの力を得ることになる。ただ、肉体がない分、制御や維持が大変で、ほとんどの場合消滅してしまうようだけれど」
「それと人体強化? がなんの関係があるの?」

 風が吹く。木々の葉が静かに揺れた。

「精神化の真逆のプロセスがある……ってことはもちろん知らないよね?」
「逆?」
「これはさらに信頼度のさがる噂になるんだけど」

 ルイスはそこでいったん言葉を切った。頭上の木の枝で鳥が鳴いている。甲高いそれは、遠くまで響く。



771 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/12/01(水) 19:17:24.07 ID:wZc1dP.o

「“肉体化”。それはそう呼ばれている」

 リオがきょとんと眼を瞬かせた。

「変な言葉だよね。精神化と正反対の性質のプロセスということで仮に名付けられた呼称なんだ」
「それは一体どういうものなの?」
「精神化が肉体を捨てて精神体となるのに対し、肉体化というのは肉体の密度を大幅に増加させる過程だ。それによって身体能力は飛躍的に上昇するとか何とか」
「それが人体強化? あの人みたいに?」

 ルイスは頷いてそれにこたえた。

「天人は何かと戦っていたことが考えられる。砦を築いたのはそのためだ。だったらこの世界図塔というのも戦闘のための何らかの建造物ではないかと僕は考える。けれどどう見ても砦の類じゃない。僕が予想するに、これは何らかの装置だ」

 鳥はいまだ鳴き続ける。耳をつくその声。

「あの男の人は川を流れてきた。そしてその上流にこの塔がある。何かしらの関係性はあるんじゃないかな」
「つまり、ルゥ君が言いたいのは……」

 リオはゆっくりと塔の内部を示す。



772 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/12/01(水) 19:18:22.92 ID:wZc1dP.o

「この塔が、人体強化のための大掛かりな仕掛けで、あの人はこれによって化け物になったった。そういうこと?」
「その通り。これは天人が自らの身体を強化するための――」

 その時、鳥の鳴き声が止んだ。風もぴたりと動きを止める。森に瞬時に静けさが満ちた。

(……なんだ?)

 ぴんと張り詰めるような静寂。振り向くルイスの足が小さく大きな音を立てる。
 その中で、低い笑い声が響いた。

「く…… はは」
「……誰?」

 リオが見回す視線を一点に落とす。声はその視線の先から響く。

「なかなか、興味深い考察、ではあるな」

 ここから離れた一本の木。なんの変哲もないその木の陰から声はしている。

「ヴァンパイア化のための、装置か、いやはやどうして、面白い」



773 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/12/01(水) 19:19:14.36 ID:wZc1dP.o

 すっ、と木の陰から人影が姿を現す。

「だがそれは、ただの転移装置だ。ものを移動させる以上のことは、できん」
「……転移装置?」

 人影は外套ですっぽりと身体を包んでいる。フードで頭を覆っているため、顔も見えない。

「そう、多少大がかりなだけ、のな」

 ルイスはその声に違和感を覚えた。男の声であることは分かる。しかし、若いようにも、老いているようにも聞こえ、抑揚はなく、どこかたどたどしい。

(何者?)

 どこか怪しい雰囲気に警戒して構えるが、その人影は距離を置いたまま近づいては来ない。

「もともとは、補給物資を大量同時移動させるために造られた、ものだ。それ以上でも以下でもなかった。高いポテンシャルを有しているのも確か、だが」

 ざわざわと体中の毛が逆立つのを感じる。これはまがうことなき脅威だ。本能が告げていた。
 ルイスはちらりと横を見る。リオが小声で呪文をつぶやき、後ろ手に短剣を出現させたのが見えた。



774 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/12/01(水) 19:20:33.35 ID:wZc1dP.o

「お前たちは、天人種族を、知っているのだな、ルイス・フィンランディ、リオ」
「な!?」

 ルイスはぎょっとして目をむいた。なぜ名前を知っている?
 しかしその人影はルイスの驚愕を無視して先を続けた。

「千年は経過しているはずだが……しかし、実際に相対したことはなく、そしてドラゴンのことも知らない、か」
(ドラゴン?)

 聞きなれない単語。いや創作世界にはしばしば登場するトカゲの化け物。

「違うな。お前の想像しているそれとは、だいぶ性質が異なるぞ」

 ……思考が読まれている?
 フードの奥からこちらを見つめる視線を感じる。平坦でのっぺりとしたそれ。それにすべてを見透かされているような気がして、背筋に冷たいものが流れるのをルイスは感じた。

「かつてこの大陸において栄華を極めた、六の獣王たちの総称だ。この世界のすべてを司るシステムにアクセスする方法を開発し、強大な力を手に入れた、聡明にして愚昧なる者ども。世の理をわきまえず、その結果として咎をおった罪深き彼ら」
「罪?」
「そうだ。結果、彼らは神々に、呪われた」



775 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/12/01(水) 19:22:28.89 ID:wZc1dP.o

 呪い。神々の全知全能の力の秘儀を盗み、怒りを買った天人たち。

「天人――ウィールド・ドラゴン=ノルニルは、六のドラゴンがうちの一に、すぎん。責めはドラゴン全体が負った。災厄が彼らを打った」
「何の、話だ?」
「彼らは最初のうちは抵抗したが、力の差は歴然としていた。彼らは負け、地の果てまで逃げた。いや、それでもまだ足りぬ。ついに海を越え、広大な障壁を張ることで彼らは逃げおおせた。アイルマンカー結界。彼らの悲しき抵抗だ」

 何のことを言っているのか、ルイスの頭脳を持ってしても全く理解できなかった。ただ、何か重要なことを言っている、それだけはおぼろげながら呑み込めた。

「アイルマンカー。それは始祖たる魔術士の、別称だ。ドラゴンは、世界システムに組み込まれた彼らを通して、魔術を行使することができる」
「……」
「ドラゴンとは最初の魔術士。お前が求める魔術の起源とは、それだよ」

 ぞくり、と背筋が粟立った。

「お前は何者なんだ?」

 だが、人影はやはり無視したようだった。

「そして災厄。魔術の発生とともにこの世に生まれた、それ。魔術に対する半存在。魔術士が存在する限り、世界の矛盾の結果として在り続け、魔術士を駆逐する」



776 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/12/01(水) 19:23:17.25 ID:wZc1dP.o

「災厄と、矛盾?」
「システムに御されるべき立場の者が、システムを御する力を得てしまったことによる、論理矛盾。災厄はその代弁者、だ」

 ふと、彼とルイスたちとの間にどこか剣呑な空気が漂い始めるのを感じる。

(なんだ?)
「そして災厄は、人間種族をも見逃すことは、ない。種族の中に魔術士が存在する限り」

 すっ、と彼は外套の中から片手を伸ばす。手の平を上に向けて、こちらを諭すようなしぐさ。
 だがルイスとリオはその動作よりも腕自体に目を奪われた。
 妙に細く、見覚えのあるガラス光沢のそれ。関節が妙に節くれだっており……

「まだ、目をつけられては、おらぬ。が時間の問題であることを、私は知っている。だから――」

 人影は唐突に機敏な動きを見せた。むしるようにフードを取り去り、外套の前を割る。

「私は、魔術とともにあるお前たちを、排除しなければならない……!」

 つり上がった緑の双眸と目があった。蘇る忌まわしい記憶。

「っ……」
「我が名はラモニロック。人間種族のアイルマンカー、だ」

 殺人人形が、そこにいた。



777 :アナウンス :2010/12/01(水) 19:24:58.93 ID:wZc1dP.o
ここまで
ここら辺から劣化オーフェンの臭いがきつくなりますよ
話も込み入ってきそうです
それでは



778 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/12/01(水) 19:44:22.28 ID:x.9DHgDO
乙です



779 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/12/01(水) 21:17:31.80 ID:.gKuXcSO

アツいね






次→魔王娘「繋いだ手と手」 歴史学者「優しい真実」



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