魔王「我輩と一緒に世界を救ってくれ」から始まった長編SSの続編です。前回→
魔王娘「さあ行こう、学者様!」 歴史学者「その呼び方はやめてよ姉さん」186 :
アナウンス :2010/07/17(土) 21:56:24.59
ID:b9Xd4qk0 ・これから投下いたしますssは、魔術士オーフェン・後日談のネタバレを含んでおります。BOXを購入しつつもまだ読んでいない方はご注意ください。
では、数分後に
188 :
VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/07/17(土) 22:01:05.28
ID:b9Xd4qk0 ~プロローグ~
189 :
VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/07/17(土) 22:08:55.14
ID:b9Xd4qk0 静かだった。耳が痛くなるほどに。静寂があたりをしんしんと冷やしている。原初の静寂にも似ていなくもない。いや、だが違う。風の音がしている。ひそやかに、軽やかに。何かを語りかけるようなそれはしかし、誰に何を告げるわけでもなかった。
その風が地面の砂をかすかに撫でる。元は背の低い草が一面に生えていたその場所は、今は見るも無残に焦げた土肌をさらしていた。あたりは、見渡す限り荒れてしまっている。まるでいくつもの爆風にさらされたように。
彼はその中に立っていた。からからに乾いた風が肌を撫ぜ、急速に水分を奪って去っていくが、彼にはどうでもいいことだった。それは取り返しのつかないものではない。
(取り返しのつかないもの……)
たとえば死。それはあらゆる信念を無に帰す。緩んだ生の中に厳然と存在するそれは、人間に強い渇望を与えてしまうほどに強い引力を持っていて――いや。
それでもまだ足りない。これから起こるであろうことの重大さに比べればまだ。
190 :
VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/07/17(土) 22:10:45.28
ID:b9Xd4qk0 彼はふらふらと歩み出た。目を大きく見開きながら。自分でも分かる。瞳が揺れ、視界がかすんでいる。それでも強く、強く見つめる。
視線は虚空へと注がれていた。何もない。そこには何もない。
いや。よくよく目を凝らしてみれば、そこになにやら揺らめきがあるのが分かる。熱による空気の歪みに似ているが、それは立ち昇るものと異なり、そこに渦を巻いて球のような形状を呈している。
そしてゆっくりとにじみ出るように、鮮やかな青色に変化する。次に緑。黄色。薄赤。次々に変化するそれは、透明感を伴い、まるで宝石のようなきらめきを発していた。
不意に、彼の視界になにかが割って入ってきた。びくりと肩を震わす。彼の手だった。彼の手が、意図せず持ち上がり、虚空の宝石へと伸びていた。
ふるふると震えるそれは、まるで砂漠で水に手を伸ばす困窮者を思わせる。
違いない。彼は困窮者であり、渇望者であったのだから。泣き出したいような、そんな心持ちで認めた。
191 :
VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/07/17(土) 22:13:50.95
ID:b9Xd4qk0 喉の奥から声にならない声が洩れる。
もう一歩を踏み出そうとして、再び視界に割って入るものに気づく。今度は手ではなかった。人影。
いつもうるさいほどにしゃべくる彼女はこのときは無言だった。無言で球と彼との間に、立ちはだかるように立っている。
彼女の意図は明白だった。
「姉さん……」
呼びかけの声が自分の喉から出るのを、彼は遠く、他人事のように眺めていた。
「どいて、姉さん」
「……」
彼女はいまだ無言だった。
「お願いだから、通して」
自分の声が想像よりはるかに悲痛であることに、自分で驚いた。
192 :
VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/07/17(土) 22:17:08.07
ID:b9Xd4qk0 「……」
彼女は、彼女の目は、どこか悲しそうな色で彼を見つめている。それこそ宝石のような母親譲りのブルーの瞳。優しげなその光は、普段の彼女からは想像できないものだった。
「どいて!」
「やだ」
彼女はここで初めて口を開いた。言葉の幼さとは裏腹に、それは明確な宣言だった。
「やだよ。どいたら、ルゥ君が遠くにいっちゃう」
そんなことは。そう言おうとして、別の言葉が飛び出す。
「姉さん、分かって。これは僕の悲願なんだ」
「分かるわけないよ」
焦燥に、胸が焦がされるのを感じた。
声は簡単に怒声に化けた。
「分かってくれよ! “それ”は真実の権化だ! それを僕がどれだけ待ち焦がれたか! 僕はこのためだけに……!」
「それでもやだ」
彼は奥歯を噛み締めた。拳を固く握り締める。
「いいよ、分かった。もうどいてなんて言わない。僕がそこを、僕の力で通る。邪魔するって言うなら――」
彼は大きく息を吸った。
「姉さんだって、殺してみせる!」
彼女は悲しそうに少しだけ、笑った。
193 :
VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/07/17(土) 22:18:07.46
ID:b9Xd4qk0 title:魔王娘「さあ行こう、学者様!」 歴史学者「その呼び方はやめてよ姉さん」
ニアはじめから ピッ
続きから
パクリ元;魔術士オーフェン後日談
194 :
VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/07/17(土) 22:21:59.79
ID:b9Xd4qk0 ~第一章 「旅立ち」~
195 :
VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/07/17(土) 22:29:21.50
ID:b9Xd4qk0 別にそこでなければならないということもなかったが。とりあえず魔王ニギは、そこに立ってあたりを見回した。うっそうと茂る背の高い植物の数々。植物特有の青臭いにおいがそこかしこから漂ってくる。
少し肌寒い。昼も近いはずであったが、そこだけは早朝のような静けさと重さが一帯を支配している。
どこか身が引き締まる思いがした。
キエサルヒマ大陸の北端にある、名もなき山。その山頂。
秘境という扱いをされるのは、山がいつでも濃い霧をまとっているからだった。今もあたりを満たしているそれは視界をふさぎ、数歩先にあるものがたやすく白色の向こうに追いやられている。
いや、秘境と呼ばれるゆえんはそれだけではない。
「……」
見上げる。
太い、太い幹だった。大人が三十人がかりで手を繋いでも、その幹を囲い込むことはできないだろう。濃い霧の中で、その暗い灰色の幹だけがしっかりと見えている。
さらに見上げるが、その頂点は見ることがかなわない。ただ広域に広がる深緑のベールが視界を阻んでいた。
世界樹。世界がその形を成した、その原初からそこに立っているとも伝えられている。そしてそれは世界のアナロジーであった。
世界が平安のうちにあればその葉は青々と茂り、反対に激しい動乱にあれば茶色く萎む。
そして今は。
196 :
VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/07/17(土) 22:30:58.00
ID:b9Xd4qk0 魔王ニギは恭しくその木肌に近づくと、そっと指を置いた。
ざらざらとしたそれを感じながらぐるりと外周を回る。
程なくして見つかった。
「……」
木肌に刻まれた一メートルほどの痛々しい傷。裂け目。
しかし、そこからは小さな芽がいくつもいくつも生えてきていた。
「無事に癒えつつあるようだな……」
ほっとため息をつく。
世界樹は世界の類比。そこに刻まれる傷の意味するものは極めて深刻だったが。
「これなら大丈夫だ。長い時間をかけて、少しずつ傷は消えるだろう」
つぶやいて世界樹に背を向けた。
そのときだった。
ぱきゃっ!
「!?」
甲高い音が耳を劈いた。慌てて振り返る。
そして愕然とした。
197 :
VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/07/17(土) 22:32:40.66
ID:b9Xd4qk0 世界樹の幹に、魔王ニギの身長をはるかに超す大きさの傷が口を開いていた。
「これは!?」
慌てて駆け寄る。
傷は深かった。切り口からわずかながら、血のように樹液が滴っている。
「一体……」
どういうことだ。
世界樹にひびが入る。それは世界に何らかのきしみが生じていることを意味している。
数十年前――彼にとってはそう昔のことではないが――、人工的平和維持機構による傷が刻まれて以来、こんなことは全くなかったはずだった。
「まさか、また何かが、起こるのか……?」
呆然とつぶやく魔王ニギを尻目に、地面が鳴動を始めた。
198 :
アナウンス :2010/07/17(土) 22:36:31.63
ID:b9Xd4qk0 ・ここまで
199 :
VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/07/17(土) 23:02:29.46 ID:D9eUrr60
待ってた!
乙です。200 :
VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/07/17(土) 23:03:08.79 ID:fqadeugo
乙、相変わらずよかった
勇者が現役じゃないのが残念だな201 :
VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/07/18(日) 01:19:13.66 ID:OODy.CAo
乙 時のうつろいもまた物語の葉のひとつとならん。むっちゃワクワクで待つ!205 :
VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/07/19(月) 05:11:26.99
ID:0GZVThI0 ◆◇◆◇◆
全王都民の失踪、そして新しい王都の設立から四十九年の月日が流れた。その間に起きた、語るべきことは多い。
しかしあえてそこから選んで話すとすれば、まずは新大陸への移民が一番に挙がるだろう。
移民に大きな必要性があったわけではない。人口が徐々に増えてきていたとはいえ開墾すべき土地はまだまだ残っていたし、食料だって――それほどには――不足していたわけではなかった。
だからそれは、未知への大いなる挑戦というものだった。微妙な緊張状態を保ちながらも再び協定の締結にこぎつけた人間と魔物の両者は、共通の敵の代わりに共通の大目的を必要としたのだった。
新大陸。それはキエサルヒマの外にある、未知の大陸のことである。
新大陸の存在は、人間の側の記録に僅かに姿を留めていた。人間はもともと、かの大陸から今の大陸に渡ってきたのだと。魔物の口伝からもそれはうかがい知ることができた。
そのプロジェクトが立ち上がったのは今からおよそ二十年前。人間が文献から、長い航海を可能にする知識の抽出を、魔物が労力というリソースを担当した。
それでも未知の領域には違いない。試験に試験を重ね、実際に帆船が航海に出たのはプロジェクト設立の十年後、今から数えて十年前だった。
以来、幾多の困難を乗り越えながら移民の数は次第に増え、十年の時を経て生活基盤と、人間と魔物の共生の場が整えられていった。
とはいえ人間と魔物の間の溝はいまだに深い。プロジェクトの裏では権益の取り合いが静かに進行していたし、それに起因する争いもたびたび起こる。しかし、それでも僅かながら人間と魔物の間に仲間意識が形成され始めたのもまた事実である。
人間と魔物は今、新大陸という舞台において、新たな局面に立っている。
◆◇◆◇◆
206 :
VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/07/19(月) 05:13:30.35
ID:0GZVThI0 それで、これは何の役に立つの、と言う言葉。グリーンピース。強い日差し。最近、それらに素行の悪い学生、と言う項目が追加された。
ルイスの嫌いなものを頭から順番に並べたものだ。それらは彼の平穏な日常をかき乱さんと、常にどこからか様子を窺っているようである。ときにルイスを不快にし、逆上させるそれらを、彼は心底憎んでいた。特に最近追加された項目はこちらが避ける努力をしようがないという点でたちが悪い。しかし、と思う。やはりトップを思えば他の項目など取るに足らないものではないだろうか。
「それで、これは何の役に立つのかね、ルイス助教授」
広いテーブルの向こうから硬質な声が上がる。歳を経た男の声。教授会という場にはいかにも相応しく思えた。
ルイスはその教授に対し、背筋を伸ばし毅然と答えた。
「真なる歴史の探求に、意味を求めてはいけません。それは真実であって、それだけで価値のあるものですから」
例の教授は何も言わなかったが、その隣から失笑が洩れるのが聞こえる。
ルイスは、笑った彼を睨まないように、苦労して自制した。
「真実、か」
「ええ、真実です」
教授の言葉に、そのまま返す。
207 :
VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/07/19(月) 05:14:33.19
ID:0GZVThI0 「真実はそれだけで価値を持つ。いいだろう、認めよう」
教授は組んだ両手をいったん解いて机に置いた。
「だが、君のこの論文。これは真実といえるのかね?」
「ええ」
ルイスはひるまない。彼が提出し、眼前の教授が読んだその論文。四十九年前の全王都民失踪事件、それに当時の勇者と魔王がそれに関与していたというそれ。信憑性の低さは、少なくとも彼らがそれを信じていないことは、彼自身がよく知っている。
「馬鹿馬鹿しい」
言ったのは眼前の教授ではなかった。隣の、恐らくは先ほど笑いを洩らした別の教授。
「証人ならいます」
「君の祖父かね」
「ええ」
「問題外だ」
なぜ。とは問うまでもなかった。
「君の祖父は信頼に値するのかね」
「少なくとも」
迷ったわけではなかったが、ルイスはいったん間をおいた。
「僕は彼が嘘をついたのを聞いたことがありません」
またかすかな笑い声が聞こえた。
208 :
VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/07/19(月) 05:16:19.38
ID:0GZVThI0 「ルイス君」
横手から同じような顔の――教授などという地位のものは大体似た容貌のものが多いが――教授が声を上げた。
「ルイス君、いいかね。私は君の能力を高く買っているつもりだよ。でもね、これはどうにも信じがたい。君の祖父はたしか」
「モグリの、勇者です」
「…… その言葉を信じたのかね?」
「ええ」
その教授はふうとため息をついた。
「言い直そう。君の能力は高く買っていた。少々失望した」
「明らかな御伽噺。これでは歴史家がさげすまれるのも無理はありますまい」
笑った教授だ。
「歴史学者」
ルイスは訂正する。が、聞く様子もない。
「ルイス君。歴史家がなぜそのような扱いを受けるか知っているかね。それは歴史家がすべからくその改ざんを試みるからだよ」
すべからく、の用法を間違えていることを指摘しても良かったが、それはよしておいた。論点をずらそうとしていると見られるのは癪だ。
「そういう輩がいることは認めましょう。しかし、僕は――」
「もういい」
正面の教授が言う。それほど大きい声ではなかったが、有無を言わせぬ迫力があった。ルイスは口を噤んだ。
209 :
VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/07/19(月) 05:21:36.29
ID:0GZVThI0 「なんにしろ、だ。君の研究には疑問を持つ者が多かった」
彼の視線も、声と同じく硬質だった。貫くわけでもなく、ただただ固い感触だけを残していく。
その隣から例の教授がにやにやと付け加える。
「時代は科学だよ」
蒸気機関の発明と共に、科学という概念が台頭してきた。それは自然のありようを暴き、宗教、神をも否定し、ゆくゆくは魔術と並ぶ何かになるだろうと噂されている。
「技術」とは一線を画するものではあったが、リターンは単純に大きく、歴史学のそれとは確かに比べ物にならなかった。
しかし、それでも。
「歴史学とは、人間の、その営みの積み重ねを見つめる学問です。人間がいかにして生まれ、いかにして生き、いかにして死んでいったかを見守る学問です。そこには流行やその他移ろいやすい弱いものはありません。純然たる真実のみが蓄積されます。真実がそこにはあるのです」
「それがどうした。科学とて真実の探求には違いあるまい」
「全く違います。歴史学が求めるのは、人間による人間のための真実です」
沈黙が落ちた。が、それは感銘を受けたというよりは、何を言っても無駄だということをようやく飲み込んだ気配に思えた。
「真実、か。ならば君にひとつの真実を突きつけよう」
正面の教授がゆっくりと言う。かちかちの、その声で。
「君の研究には、有用性がまったく存在しない」
教授は、ルイスの最も言われたくない言葉を知っていたようだった。
「それが真実だよ」
210 :
VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/07/19(月) 05:25:31.27
ID:0GZVThI0 ・
・
・
「助教授の地位剥奪だそうだ」
教授会の後、ケーガク教授はルイスにそう告げた。
歴史学を生業とする教授の一人。ルイスの上司でもある。幼いころから学問に親しみ、それを生涯の伴侶と定めた尊敬すべき師だ。
その彼が告げたのは、ルイスにとって残酷な一言だった。
「そう、ですか」
予想はしていたとはいえ、ショックは隠しようがなかった。力なく肩を落とす。顔からも生気が抜けていくのが分かる。
慰めるためというわけではないだろうが、教授は口を開いた。
「いや、正確に言うとまだそうと決まったわけではない」
「と言いますと?」
正直なところ、あまり期待はしなかった。
「実際に君の地位が剥奪されるまで時間がある。それまでに彼らが欲しがる確固たる結果を出せばいい。いや、研究テーマの設定だけでも十分のはずだ」
「……」
部屋に所狭しと並べられた書物の、黴にも似たすっぱいような香りが鼻をついた。あまり広い部屋ではない。いくらキエサルヒマで最高峰の学府とはいえ、まあこんなものだ。個室をもらえるだけでも待遇はいいほうだと言える。
床には、机に乗らなかった分の重要度の低い書類が散らばっている。その一枚を見るともなく見ながらつぶやく。
「今の研究を捨てろ。っていうことですか」
「そう。そうだな。誤魔化すことはしないよ」
ケーガク教授は数少ないルイスの(例の)論文の支持者である。現在ルイスが手がけている研究も後押ししてくれている。ただ、それはルイスの能力を買ってくれているということで、論文の内容をすべて肯定してくれているわけではない。
211 :
VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/07/19(月) 05:26:55.65
ID:0GZVThI0 「気は進みませんね」
「だろうな。しかし、背に腹は代えられまい」
事実だ。静かに認める。しばしの沈黙を挟んでルイスは口を開いた。
「……分かりました。ではどのような研究テーマを設定しましょう?」
「それは彼らが決めるはずだ。今日はもう帰りたまえ」
「…… はい」
静かに扉を開け、退出した。扉はルイスの気分と同じく、ずっしりと重かった。
215 :
VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/07/19(月) 15:08:25.22
ID:0GZVThI0 真なる事実と言うのは、無条件で価値を持つ。絶対的な価値を。それがどんな分野のどんなものであろうと。それがルイスの信念であり信仰であった。たとえ知りたくない事実であろうと、むしろ今の平穏を崩してしまうものであろうと、それでも何かを救うのが「真実」というものであろうとルイスは信じていたのだ。
黒髪、黒目。背はやや低め。昼の光の中、緋のローブを揺らしながらタフレム大学の敷地を歩く。通常、それは教授相当の地位の者にしか着用を許されていないが、ルイスは特別である。十二歳のとき最接近領から学術都市タフレムに遊学に来て以来、彼は飛び級に飛び級を重ね、わずか七年の時間で助教授という地位にまで上り詰めた。普通ならば助教授というのはポストが空かないとその地位に就くことはできないが、ルイスは実力でそれを成し遂げたのである。
加えて、ルイスは教授の補佐という助教授の業務を免除されている。研究に専念する時間の確保を許されているのだ。
そういうわけで彼の名はそれなりに知られていた。能力のある青年として。――そしてもうひとつ、飛べない鳥として。
216 :
VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/07/19(月) 15:12:34.83
ID:0GZVThI0 ルイスはため息をついた。
彼の業績は、非常に少ない。というより皆無だった。助教授の地位について日が浅いせいもある。だが、それにしても期待されていた水準にいたっていないのもまた事実だ。
ルイスが手がけた、もしくは手がけている研究テーマは今のところ二つ。四十九年前の王都民失踪に勇者、魔王の関与があったと仮定し、調査を進めるもの。しかしこれは長い時間が経ってしまっているため、事実上検証不可能な案件になってしまっている。
次に、先代魔王の殺害に成功した正式勇者が、なぜ《鋼の後継》などという二つ名で呼ばれていたのかということについての研究だ。後継というからには“誰かから”、“何か”を受け継いだことになるのだが、こちらも暗礁に乗り上げている上に、突き止めたところでリターンはないに等しい。
帰り道の途中で、昼食用にサンドイッチを購入した。それから五分ほど歩くと大学の寮がある区画に入る。ルイスの住居だ。古い木造の建物である。
鍵を開けようとして、異変に気づく。鍵を回すのだが、手ごたえがない。
ドアノブを回す。開く。
「……」
今朝の記憶を探る。間違いない。確かに鍵はかけて出たはずだった。
(空き巣か)
軽い緊張を覚えながら扉のうちに入った。
足音を立てないように玄関から部屋を見回す。誰もいない。荒らされた形跡はない。……いや。
台所を覗く。いくつかの食料が袋からこぼれて転がっていた。
217 :
VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/07/19(月) 15:14:02.75
ID:0GZVThI0 そのとき、どこからか音がした。振り向くと、寝室のドアが目に入った。
(もしかして、まだ、いるのか?)
緊張の度合いが増したのは事実だが。ふつふつと胸中に湧き上がってくるものがあった。
教授会で馬鹿にされたのは気に食わなかった。助教授の地位が危うくなっているのも頭にくる。そして今度は空き巣ときたか。なんで僕ばっかりこんな目にあうんだ!
「誰だか知らないけどね!」
憤慨を声に乗せて、乱暴に寝室の扉を開く。
「僕の家には何にも――」
ないんだからな、と。言う前に視界がぐるりと回った。
身体が重力から解放されるのが分かった。そして、何がなんだか分からないうちに叩きつけられる。幸いなことにやわらかい。ベッドに投げ飛ばされたと気づくのにしばらく時間がかかった。
「え?」
あまりに急激に回転したせいで視界がしっかり定まらない。それでも逆さまの視界に何かが映る。
「あ」
彼女は言う。彼女? そう、声には聞き覚えがあった。
めまいがおさまり、先ほどの『何か』が人影であることに気づいた。
「な、なんだ、ルゥ君か」
彼女は放心したようにぺたりと座り込んだ。
「リオ姉さん……」
人影が知る人であることを確認し、ルイスも同じように呆然とつぶやいた。
222 :
VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/07/20(火) 16:08:45.92
ID:AYpQl7A0 ・
・
・
「い、いやだって泥棒さんだと思うでしょ、普通」
とりあえず向かい合わせにテーブルにつき、話をしている。
彼女の弁解を半眼で聞きながら、ルイスはとりあえず口を開いた。
「ここ、僕の家なんだけど」
「そ、そうだけど!」
首筋までのポニーテール、溌剌と光る目。笑い慣れした顔。ラフなTシャツにジーンズ。エネルギッシュ、というのが多くの人が抱く第一印象だろう。
「つまり」
ルイスは頭の中でまとめる。
「姉さんは、突発的に僕に会いたくなった。それでわざわざ魔王城からここまでやってきて、家の中で待っていたら誰かが、っていうか僕が入ってきて、泥棒と間違えて投げ飛ばしたと?」
「うん」
ちょこんとうなずくと、栗色のポニーテールもぴょこんとゆれる。
言いたいことはあったが、とりあえず訊く。
「姉さんて僕の住所知らなかったよね。どうやってここが分かったの?」
「道行く人に片っ端から聞いてれば、そりゃいつかは分かるよ」
「鍵はどうしたのさ」
「魔術でちょちょっと」
「そこ、どうにかならなかったかなあ……」
家の前で待つとかいろいろあるだろうに。
223 :
VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/07/20(火) 16:10:56.57
ID:AYpQl7A0 「だってお腹すいたんだもん」
台所をあさったのは、やはり彼女らしい。
そして悪びれる様子はない。なぜルイスが不機嫌なのかわかっていない様子ですらある。
「そんなに顔しかめると皺が増えるよ」
「いや僕まだ増えるほど皺ないけど……」
息を吸う。
「いいかい、リオ姉さん! 普通は人の家に勝手に上がり込んじゃだめなんだよ!」
「ごめんなさい」
「まったく……」
リオ。“魔王城”で分かるとおり、実は彼女、魔王の娘である。人間と見分けが付かないが一応魔物で、ちゃんと角もある。とはいえそれはほとんどこぶのようなもので、ただ見ただけでは分からないが。ただ、本人が少々のコンプレックスに思っていることをルイスは知っている。
「ごめんね、馬鹿でさ」
そう言うのだが、まるで落ち込んでいるようには見えない。むしろにこにこと楽しそうだ。
「まったくだよ」
224 :
VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/07/20(火) 16:12:03.16
ID:AYpQl7A0 それからしばらく沈黙が流れた。リオはそのままにこにことルイスを見つめ、ルイスは半眼でリオを眺めていた。
「……で?」
「え?」
「それで、って訊いてるんだよ姉さん」
リオは少し考え、ぽんと手を打った。
「そのサンドイッチ、おいしそうだね」
「欲しいなら分けてあげるけど。違うでしょ」
「あれ?」
リオは本気で分からないようだった。首をかしげている。
「姉さんは多分あれでしょ? ここに泊まっていくんでしょ?」
「そうだけど?」
「だったらちゃんとお願いしないと」
「なんで?」
「そこでなんでってきくか」
一応記憶を探って思い出す。
「姉さん、今年でいくつだっけ?」
「五十だけど」
225 :
VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/07/20(火) 16:13:16.52
ID:AYpQl7A0 驚くなかれ。一般に魔物というのは長命である。リオにしたってルイスとそう変わることのない年齢に見えるが、その年齢はふた回り以上差があるのだ。それに見合う人生経験は積んでいるはずだから、
(ちゃんとその分礼節とか身につけているべきなんだけど……)
頭を抱えたい気分で口を開いた。
「僕の家に泊まれることを当然と思わないでよね。どうせ魔王城からは勝手に抜け出てきたんでしょ。お母さんに言いつけてもいいんだよ?」
「それだけは!」
彼女の母は今年百数十歳になる、人間に換算しても高齢者だ。ただ、彼女の“膝”は健在で今も周辺の人間を恐れさせている。
図星だったらしく、テーブルに額をこすり付けんばかりの勢いでリオは深々と頭を下げた。
「ルイス様学者様、この卑しい娘をどうかお泊めくださいませ」
「よろしい」
実際に頭をこすりつけているのをみて、ようやくルイスは満足しうなずいた。
226 :
VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/07/20(火) 16:19:02.62
ID:AYpQl7A0 ・
・
・
学者の朝は早い。ソファから身を起こしたルイスは、軽い朝食を済ませるとまだ寝ているリオを寮に残して大学に足を運んだ。
「君の研究テーマが決まったよ」
ケーガク教授は眼鏡を外して眠そうな目をこすった。きっと昨日も泊りこみだったのだろう。
「どんな内容になりました?」
少々の緊張を覚えながら問う。
ケーガク教授は眼鏡をかけなおしてルイスをまっすぐに見た。
「魔術の起源の探究。そして魔法への昇華可能性の検証だ」
「魔法……」
魔法と魔術の定義は異なる。一般的に、どちらも世界を術者の理想に変えてしまうという性質を持つが、その強制力において差があるのだ。魔術が限定付きの理想実現技術であるのに対し、魔法は万能の――神のそれである。現在、魔法の方はただの夢物語として語られている。
「気に入りませんね」
魔法。万能の力。それこそ世界の地図を変えてしまうほどの莫大な力であるとされている。もちろん歴史すらも。それは歴史学者として抵抗がある。そして、そんな眉唾モノな研究をさせられることにも。
「私も同感だ。しかし、昨日も言ったとおり背に腹は変えられん。違うかね」
「違いませんね」
うなずく。予想はしていたのだ。
「この研究が失敗すれば、今度こそ僕は失業ですか」
「そうなるな」
227 :
VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/07/20(火) 16:20:59.70
ID:AYpQl7A0 そこでケーガク教授は珍しく笑顔を見せた。
「だが、そう気負うことはない。魔術の起源の探究にしても歴史学の分野だ。せいぜい楽しんでくるといい。そうだな、君がもし失業しても私がアルバイトとして雇ってあげよう」
ルイスも微笑み返した。
「給料によりますね。僕にだって選択権はある」
「違いない」
教授はくつくつと肩を揺らした。
「ひいては君には新大陸に渡ってもらう」
「はい?」
完全に不意をつかれた。
「今なんておっしゃいました?」
「新大陸だ。知らないのかね? 今歴史学の分野においても最も注目されているんだが」
「いえ、知ってますが……」
困惑する。
「ここだけの話だが、あちらで遺跡がいくつか見つかっているらしい」
「それと魔術と何の関係が?」
「私も詳しくは知らないのだが」
教授はなぜか声を潜めた。
「なにやら妙な物品が出土したらしいんだ」
「妙な物品?」
228 :
VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/07/20(火) 16:23:01.21
ID:AYpQl7A0 「ああ。それらは見た目は剣やら鎧やらの形をしているらしいんだが……」
こういうことらしい。遺跡の調査員たちが見つけたそれらは、一見ただの武器・防具だった。大昔の装備品だろうということで、妙に保存状態がいいことはさておき倉庫やらで保管していた。それらに対し様々な見地から調査が行われたのだが――
「魔術、武器?」
「そのようだ」
調査員の中には魔術士も含まれていた。彼らが気づいたのだそうだ。魔術士は普通、魔術を使う際に『構成』と呼ばれる魔術の設計図のようなものを展開するのだが、出土した装備品からそれらが視えた。残念ながらそれらの効果は今のところ分かっていないが、特異な物品であることは間違いないということで認識が共有されている。もちろんルイスの知る限りでこちらの大陸にそんなものはある一定の例外を除いて存在しない。
「なるほど。それらが大昔の魔術士の創造物ではないかと」
「そうだ」
「確かに、それらを調べれば魔術の起源に近づけそうですね」
ケーガク教授は一束の書類を掴み挙げた。
「あちらの代表者には今連絡が行っている。調査許可が取れしだい渡ってくれ」
「分かりました」
書類を受け取る。そこでケーガク教授の視線に気づく。感慨深げな光。
「君との付き合いももう六年になるか」
「? そうですね」
「私は君の有能さを信じている」
そこで彼の言わんとしていることに気づく。同時に心のそこに温かいものが満ちるのにも。
「いや、違うな、私は知っているんだ、君の有能さを」
「ありがとうございます」
「だから君の成功が成功するであろうことも知っている」
教授は微笑んだ。ルイスも微笑み返す。
「連中に目にもの見せてやろう」
「ええ」
二人はがっちりと握手をした。
234 :
VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/07/21(水) 17:16:25.01
ID:X0KOP8k0 ・
・
・
「遅い!」
これでも急いだつもりだったのだが、約束の時間には間に合わなかった。むくれたリオがルイスを睨む。
「ごめんごめん」
適当に手をひらひらさせてみせる。
「もう!」
二人はタフレム市中心の大きな公園にいた。大きな池の周りをぐるりと回るように道が伸びている。その道の上。水鳥が水浴びをしているのが見えた。
「いや、ごめんてば。ちょっと大学での作業がさ」
「むぅ」
五十歳の癖に頬を膨らませたりといった仕草が違和感がないのは、見た目の問題だけではないだろう。にじみ出るなにかが十代そのものなのだ。
さて、なぜルイスたちがここにいるのかというと、
※
「市内散策?」
「うん!」
歯を磨きながらリオが勢いよくうなずく。歯磨き粉が飛んで、ルイスは少し顔をしかめた。
昨夜のことである。リオがタフレム市の探検を所望した。
「まあ、いいけど」
「ほんと? やった!」
「あ、でも大学でやることあるからちょっと遅れるかも」
一応言ったのだが、そのときにはリオはベッドのシーツにもぐって鼻歌を歌っていた。
※
235 :
VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/07/21(水) 17:18:58.68
ID:X0KOP8k0 昼の光がやさしく降り注いでいる。鳥の声が聞こえた。
「じゃあ行こうか」
「うん!」
リオがルイスの腕に飛びついた。
タフレム市はいわゆる学術都市である。大陸最大の図書館を保有し、あらゆる分野の知識者がそこに集う。魔術の研究も盛んで、大陸随一の魔術学校《牙の塔》が存在する。
「《牙の塔》?」
「知らない? 《牙の塔》」
「知ってるけど、なんで牙?」
「見てみたほうが早いよ」
歩いて二十分ほどのところにそれはあった。
「わあ……」
リオが小さく歓声を上げる。
青空にそびえたつ象牙色の塔。形もまた象牙のようだった。塔の先端に行くほどやや細くなり、また、西北の方角に向かって僅かに傾いている。だから、牙。牙の塔。
「なかなか素敵だね」
「そうかな」
「これが《牙の塔》?」
「そうだよ」
236 :
VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/07/21(水) 17:21:54.04
ID:X0KOP8k0 肝心の魔術学校はここから百メートルほど北にある。離れているのになぜ塔の名前と魔術学校の名前が一緒なのかというと、もともとこの塔を校地内に囲い込む予定だった名残である。敷地の問題やらなにやらがあり計画は変更されたが、学校の名前だけはそのまま残った。
「中には入れないのかな」
目を輝かせながらリオが言う。ルイスは首を振って見せた。
「立ち入り禁止だってさ」
「なーんだ」
それが分かると、リオは急速に興味を減じたようだった。
「次行こうよ次」
「了解」
答えて歩き出したリオの後に続く。
その前に一度振り返った。天を衝く白亜の塔が目に入る。これを建造したのは昔の魔術士たちといわれている。が、実際のところははっきりしていない。天使たちが作ったのだという突飛な説まである。この塔に関する考察も歴史学の分野ではあるが、ルイスは網羅していなかった。
興味はあるが、調べる気はない。そんな程度の認識だ。先を歩くリオがこちらを促す。ルイスはゆっくりとそこを後にした。
237 :
VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/07/21(水) 17:25:09.02
ID:X0KOP8k0 三時間後。魔術学校のほうの《牙の塔》や、劇場、美術館を回った二人は、元の公園に戻ってきていた。途中で買ったクレープをベンチでぱくつく。
「悪いねルゥ君。おごってもらっちゃってさ」
「まるで僕が自分からおごったように言わないでよ、たかったくせに」
時間は三時を過ぎたところか。ここから池が良く見えた。先ほどより水鳥が増えている。クレープのおこぼれを狙った数羽が、ベンチの周りによちよち集まってきていた。
「それでも断らないルゥ君は優しいよね」
水鳥にクレープの切れ端を放ってやりながらリオが言う。
「姉さんがしつこいからだよ」
ルイスもほんの少し、投げてやった。
「あはは、ごめんごめん。怒った?」
「いや、別にいいよ」
リオのわがままには慣れきっていた。子供の頃からずっとこんな調子なのだ。
それに、だ。どうせ、そのうち新大陸に渡ることになっている。しばらくは会うこともできなくなるわけで、ならば少しぐらいの姉孝行はしといてもいいはずだ。
238 :
VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/07/21(水) 17:26:24.55
ID:X0KOP8k0 「え? それどういうこと?」
リオが声を上げた。ルイスはびくりと身体を硬直させる。
「……何のこと?」
「今、しばらくは会えなくなるとかなんんとか」
しまった。無意識につぶやいてしまっていたらしい。
リオとの付き合いは長い。ルイスが生まれたときには三十近かった彼女(見た目は十三歳ほどだったとか)が、よく世話を申し出たようだ。場合が場合だったら彼女が名付け親になっていたかもしれないとも祖父母は言う。もっとも、他人にぺろぺろキャンディーなどという名前をつけようとする輩に任せはしなかっただろうが。まあとにかく、その長い付き合いの中で学んだことがいくつかある。そのうちのひとつ。魔物は総じて耳がいい。
「僕、そんなこと言ってないよ?」
「ルゥ君てさ」
横目でこちらを見ながらリオが言う。
「嘘つくとき、鼻の頭を掻くよね」
「……」
ゆっくりと手を下ろす。
239 :
VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/07/21(水) 17:28:24.25
ID:X0KOP8k0 「ねえ、どういうことなの」
「……」
しばらく逃げ道を探したのだが、そのうちに沈黙に耐えられなくなってルイスは白状した。
「…… いや、実はね」
かいつまんで新大陸に行く事情を説明する。気は進まなかった。何故なら、
「あたしも行く」
こうなるからだ。
「却下」
「なんでさー」
ルイスはため息をついた。
「いいかい姉さん。僕は自身の首がかかった重大な研究のためにあっちに行くんだ。決して遊びじゃないんだよ? 姉さんがついてきたらきっと研究に支障がでちゃう」
「私が足を引っ張るってこと?」
「邪魔しない自信はないでしょ」
「そんなことないよ」
ちなみにリオは嘘をつくとき、異常なまでに視線を合わせてくる。
「嘘ついちゃだめ。何言ったってつれては行かないからね」
「知ってる、ルゥ君?」
「何が?」
240 :
VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/07/21(水) 17:30:15.99
ID:X0KOP8k0 「新大陸での死者数」
「……」
聞いたことはあった。開拓が進み生活基盤の整備が進んできたとはいえ、新大陸はまだまだ未開の地である。法の整備はそれほど進んでおらず、物騒なことがたびたび起こる。
「あたしを連れてけば安心だよ」
「……」
「死にたいの?」
確かにリオは腕がたつ。というより魔物の女は総じて強い。連れて行けばそっちの面での心配はなくなるだろう。
しかし。しかしだ。
「……お金とかはどうするのさ。船の手配だって結構面倒だよ?」
そういうとリオは持っていた鞄を探り始めた。
「ルゥ君さあ、あたしを誰だと思ってるの。こんななりでも魔王の娘だよ。お金ならほら、たくさん」
ジャラジャラと音のする袋を取り出して見せた。金貨の類だろう。
タフレムは比較的安全な都市である。しかし、市民の全員が善人だというわけでもない。しまうように手振りで伝え、ため息をつく。
「ね、つれてってよ。いいでしょ、ねえってば」
しつこく揺さぶられながらルイスは頭を抱えた。こうなるとリオは絶対に主張を変えないことを知っている。
頭を掻きながら口を開く。
「……。分かったよ……ただしこれだけは約束して。絶対に僕の研究を邪魔しないこと。いいね?」
「うん!」
リオは異常なまでに視線を合わせながらうなずいた。
241 :
VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/07/21(水) 17:32:16.14
ID:X0KOP8k0 一週間ほどで先方から返事がきた。大学に休暇の願いを出し、いよいよ出航のときが迫ってくる。その間リオは何度もタフレムを散策し、ルイスもそれに付き合わされた。落ち着かないときに歩き回るのは彼女の癖だ。
旅の準備をしながら、母や祖父母にこのことを連絡し忘れたなと思い出す。もっとも、彼らが住んでいるところはとある辺境で郵便ネットワークの外側にあるため、直接出向く以外に連絡の取り様はなかったのだが。
そして、出航の日。大型の帆船、スクルド号に軽い緊張と共に乗り込む。
「そんなガチガチな名前じゃくて愛しのふわふわ号とかにすればいいのに」
とはリオの弁で、なんというかまあ、彼女はこんな時もいつもどおりだ。
「ん?」
ルイスはふと声を上げた。リオの持つ荷物を見て。彼女が持っているのは、布に包まれたなにやら長い筒状のものだった。
「なにそれ?」
「えへへ、大事なモノ」
「ふーん?」
さして興味も惹かれず海に目を移す。強い日差しが海に反射して目を刺激した。
きっとあともう少ししたら夏になる。
242 :
VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/07/21(水) 17:35:36.67
ID:X0KOP8k0 ・
・
・
船が出航して二日たったころのこと。そろそろ暇つぶしの話題も尽きてきて、ルイスの船室でだべりながら。
「ねえルゥ君」
リオがけだるげに声を上げた。
「何か面白い話、ない?」
言われて記憶を探る。家族のこと、大学の生活、魔王城の近況。たしかにあらかた喋りつくした感はある。
では、
「あまり面白くない話かもしれないけど聞く?」
「おー言え言えー」
ベッドで転がりながらリオが答える。ルイスは部屋の椅子に座りなおした。
「僕の研究内容のことなんだけど」
「……つまんなそう」
「だから言ったでしょ」
苦笑して、それでも続ける。
「先代魔王を倒した勇者のことについて調べてたんだ。知ってるかな、ミハイル・フィール」
ぴたりと転がるのをやめて、リオがこちらを見る。
「知ってるよ。当たり前じゃん。あたしたち魔物の敵なんだし」
現在は人間と魔物の間に協定が結ばれている。その状況で魔物と人間の関係を悪く言えば周りからどう見られるか分かったものではない。それを思い出したのだろう、リオは「……だったし」と言い直した。
243 :
VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/07/21(水) 17:36:21.92
ID:X0KOP8k0 とはいえ彼女がそう言うのも無理はない。かの英雄はそれほど強大な(彼女らにすれば邪悪な)力を持っていた。対魔王戦力《十三使徒》の元トップであり、サクセサー・オブ・レザー・エッジ、鋼の後継の異名を持つ。ルイスはその異名に彼の力の秘密が隠されていると睨んでいた。
「かっこいい名前の人は強いってこと?」
「違う違う」
笑いながら否定する。
「つまりね、後継者なんて名前がついているってことは、誰かからその強大な力を受け継いだってことなんだよ、きっと。僕はそれが誰なのかを調査していたんだ。順当にいけば、彼の親が特別だったんだろうけど」
「特別って、例えば?」
「そうだね。とても優秀な血筋だったとか、もしくは……」
顎に手を当てる。
「人間じゃない、とか」
リオは頭を起こした。
「それって……魔物ってこと?」
「うん、ありえる」
言いながら鞄を探り、一束の書類をつかみ出す。
「実はそれは僕の前の研究でね。今は違う研究テーマに取り組んでいる。それでだ、それがもしかしたら今のことに関係しているかもしれないんだ」
244 :
VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/07/21(水) 17:38:19.17
ID:X0KOP8k0 「と言いますと?」
「今取り組んでいる研究テーマは、魔術の起源と魔法についてなんだよ」
聞いて、リオは片眉を上げてみせた。
「魔法? そんなあやふやなもの調べてるの?」
「僕だって胡散臭いテーマだと思うさ。でもそっちはまずはおいとこう。問題は魔術の起源だ」
ぱんぱんと書類をたたく。
「人間の神話じゃ、魔術は魔物が悪魔と契約して手に入れたものだといわれてる。人間も徐々に汚染されて使えるようになったんだと」
「ルゥ君もそう思うの?」
「まさか。僕は僕で持論があるさ」
リオは完全に起き上がり座りなおすと、興味津々といった様子でこちらに目を向けた。
説明を続ける。
「僕はね、魔術はこの世を決定する法則――個人的に常世界法則って呼んでるけど――それに干渉する特殊な能力、技術のことだと思ってる。魔物はあるとき偶然か必然かそれをどうこうする力を得たんだよ、多分」
「魔物だけ? じゃあ、なんで人間も使えるの?」
「いろいろ考えられるけど、僕が考えてるのは――混血だよ」
「子作り?」
「ま、まあそうだね」
身もふたもない言い方に少しひるむ。
「神話では汚染なんて言い方してるけど、結局は人間と魔物が、えーと、その、交わったことの暗示だと思ってる。過去の混乱期だ、記録にはそんなことがあったなんて残ってないけどね。ある程度交流が進めば当然起こるべくして起こる」
「ちょっとエッチな話題?」
「……。まあ、そうだね。とにかく、僕の説が正しければ人間の魔術士は魔物と人間のハーフ。そして魔物の血が濃いほどその力や魔力はより強大になる」
「なるほど。例の勇者がそうだって言うんだね」
「そういうこと」
245 :
VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/07/21(水) 17:39:51.37
ID:X0KOP8k0 もしくはその親とやらは、
(魔物よりもさらに強力な何か、だ)
ルイスは書類を鞄にしまいなおした。
リオが口を開く。
「ルゥ君はじゃあ、とりあえず魔物がどうやって魔術を手に入れたかを調べるんだね?」
「そういうこと」
「魔法についてはどう考えてるの?」
魔法とは、前述したとおり一言で言えば無制限の強制力のことである。ルイスの説どおり魔術が世界の物理法則に干渉するものだとすれば、魔法とは法則そのものを書き換える能力ということになるだろう。まさしく神の領域である。
「そうだなあ。基本的にはただの世迷いごとだと思うよ。無制限な力なんてもの、逆に力として定義できない気もする。魔術の最終形が魔法ってことにはなるんだろうけどね、うん」
「それでも調べるんだ」
「それが仕事だからね」
えらいなあ学者様は、とリオが笑う。様、なんてたいしたもんじゃないよ、とルイスは返した。話はそこでお開きになりそうだったが、
「でもさでもさ」
「うん?」
「普通魔物と人間は結婚できないっていうじゃん」
「まあ、そこはいろいろあるんだよ」
「じゃあ、あたしとルゥ君でも子供作れるってことかぁ」
ぎょっとしてリオを見る。彼女はぺろりと舌を出すと、
「冗談だよ、冗談」
ぽてっと横になった。
246 :
VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/07/21(水) 17:40:41.20
ID:X0KOP8k0 数年が経過したような気もしたが、まあそんなことはない。実際には一ヶ月弱の船旅だった。途中で悪天候にも見舞われながらも、何とか船は対岸へたどり着くようだ。
船酔いをこらえながら甲板に出る。水平線の向こうに薄ぼんやりと陸地が見えた。早朝のひんやりとした空気ともやの中、それは宙に浮かび出るかのように見えた。
新大陸。魔物と人間の新天地。
期待はそれほどふくらみはしないが、それでもなにか心躍るものがなくもない。
ルイスは伸びをした。リオはまだ船室で寝ている。彼女はめったなことでは早くには起きてこない。リオが目を覚ます頃には港についているだろう。
これから何が起こるのか。それとも何も起こらないのか。ルイスの関心をよそに、船はゆっくりと大陸へ近づいていく。
247 :
アナウンス :2010/07/21(水) 17:42:04.54
ID:X0KOP8k0 ・第一章終了。また次回
250 :
VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/07/21(水) 18:28:15.50 ID:wtIh/ADO
乙だぜ252 :
VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/07/22(木) 02:37:04.38 ID:Ex52lb2o
乙!
オーフェン見てみようかな253 :
アナウンス :2010/07/22(木) 08:16:42.89
ID:ZyNsMeM0 ・>>252
当然だけどこのssよりは確実に面白いから、もしこのssを面白いとおもっていただけたのなら一見の価値あり
はぐれ旅は中だるみを感じるかもしれないから、一巻だけ読んだらまずは無謀編を読むのがいいと思う
254 :
VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/07/22(木) 14:56:38.43
ID:ZyNsMeM0 ~第二章 「殺人人形」~
256 :
VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/07/22(木) 15:03:56.17
ID:ZyNsMeM0 太古の昔、地上にはどこまでも続く泥しかなかった。
神は天上から下り、その上を歩いておられた。
あるとき神は泥に御手を差し伸べられおかき混ぜになった。
かき混ぜるうちに泥は水と土に分かれた。神は水を海、土を陸と名付けられた。
次に神は土をお取りになって細工を施された。
いくつもいくつもお作りになり、そのうちにそれが草木や、獣となった。
神は、最後に自分の似姿を二体作られ、息を吹き込まれた。
命を得たそれを、神は人間と名付け、片方を男、もう片方を女と呼ばれた。
神は人間を祝福した。そして、世界を示し、「私はこれをあなた方に与える。これを支配し、管理し、統治せよ」とお命じになった。
人間はそのようにした。
しかし、世界は広く、また草木は数多あり、獣も数え切れないほど多かったので、たちまち世界は混乱し、衝突が生まれ、騒乱が起こった。
そこで人間は、「わたしたちに手足となるものをお授けください、さすれば地上も平らかになるでしょう」と神に願った。
神は聞き入れられた。
神は獣たちの中から人間に似たものを選び、男と女の前にお連れになった。
これを人間の奴隷とし、働かせることにしたのである。
しばらくの後、世界は平穏を取り戻した。
神はこれを見て、満足された。
このようにして穏やかな時間が流れた。
人間は世界を治め、人に似た獣は奴隷として駆けずり回った。
しかし、時間が流れるにつれて、その獣はよこしまな心を持つようになった。
――神話より抜粋――
257 :
VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/07/22(木) 15:07:24.83
ID:ZyNsMeM0 ◆◇◆◇◆
「わあ、すごいね!」
「そうかな」
船から降りて港に立つ。リオが歓声を上げたが、ルイスにはさっぱりだった。大洋を渡る船の港だけあってそれなりに大きさがあるものの、それだけと言ってしまえばそれだけだ。石畳の地面にいくつもの木箱が積み重ねられているのが見えるのみである。
それでもリオは目を輝かせるのをやめなかった。そのまま荷物を引き摺り走り出す。
「さあ行こう、学者様!」
「だからその呼び方はやめてってば姉さん」
ルイスも荷物を持ち上げ後に続いた。
アキュミレイション・ポイント。それがこの港町の名前である。集積地という意味のその名は、ただ、分かりやすいから、という理由でつけられたらしい。新大陸の玄関口で、小さい町ながら多くの荷物や人々が行き来する。
磯の香りがする町の中をリオを追いかけて歩きながら、ルイスはこれからのことについて考えていた。まずは先方に会って挨拶を済ませなければならない。その次に魔術武器の調査結果をじかに聞き、それからようやく遺跡の調査に乗り出すことができる。
「もしかして、ルイス様ではありませんか?」
考え事をしていたので、反応が一瞬遅れた。立ち止まって声がしたほうを見る。
「あ、はい、そうですが」
「ああよかった、船が予定よりも早く着いたらしく、お出迎えに遅れてしまいました。どうかお許しください」
258 :
VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/07/22(木) 15:08:32.05
ID:ZyNsMeM0 正装のその男はルイスに向かって丁寧に頭を下げて続けた。
「私、市長の下で雑務を務めているものです。このたびは学者の方がいらっしゃるとお聞きし、お迎えにあがりました」
「あ、これはわざわざありがとうございます。僕は、このたびタフレム大学から調査に参りました、ルイス・フィンランディと申します。これからしばらくの間、お世話になります」
頭を下げると、男は微笑んだ。
「お若いのにしっかりしてらっしゃいますね」
「いえもう十九ですから」
「お若いですよ。これからのご活躍も期待させていただきます。おっと、仕事を忘れるところでした。市長のところまで案内しますね。私の後についてきてください」
「あ、その」
ルイスはそこで口ごもった。
「実は、お知らせしそびれたことがありまして……」
「ルゥくーん!」
軽快な足音が近づいてきた。
259 :
VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/07/22(木) 15:09:36.60
ID:ZyNsMeM0 「ルゥ君、アイス売ってたよ! 食べよ?」
「あー……ありがとう」
アイスキャンディーを受け取って男に向き直る。男は少し驚いてルイスを見ていた。
「お連れの方ですか?」
「ええ、まあ」
「リオだよ!」
「これはご丁寧に。アランと申します。以後お見知りおきを」
男はすぐに表情を戻すと笑って頭を下げた。ルイスは頭を掻く。
「すみません、事前にお知らせできればよかったんですが」
「いえいえ構いませんよ。一人分くらいならばいろいろと余裕もありますし」
では、と男は振り向いてついてくるようにと手で促した。
260 :
VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/07/22(木) 15:12:34.93
ID:ZyNsMeM0 男の後に続いて港町を出た。意外にも丁寧に整備された街道と、その脇に停まる馬車が目に入る。どうやら男があらかじめ手配してくれていたらしい。ルイスとリオを先に乗せ、男は御者に馬車を出すよう指示した。外の景色がゆっくりと動き出す。
「それにしても、恋人の方をお連れになるとは思いませんでした」
ルイスとリオは顔を見合わせた。
「可愛い彼女さんですね」
「よく言われるよ?」
「姉さん、こら」
軽くリオの頭をはたく。
「違うんですか?」
「ええ。えーと、祖父の知り合いの方の娘です。姉のようなもので」
笑って誤魔化した。
「それはそれは。勘違いをして申し訳ありません」
「いえ、いいんですよ。それより、驚きました」
意識して話を変える。
「この街道、ずいぶん綺麗に整備されてますね。先ほどの港町もよく整っていましたし、実は僕、失礼な言い方になりますが、新大陸はまだまだ開発途上だと思っていました」
「それは当然のことと思います。移民が始まってまだ十年ほどですしね」
「これから行くニューサイト市も綺麗なんでしょうね」
「それは私が保証いたします。ニューサイトは私ども移民が精魂こめて築き上げた都市ですから」
男は、どこか誇らしげな笑顔を見せた。自分たちの手で造り上げたという自負があるのだろう。
ニューサイト市。新大陸において中心都市として機能している場所である。町、ではなく都市だ。移民が始まって十年。彼らはそこに確固たる生活の基盤を築くまでになっていた。
261 :
VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/07/22(木) 15:14:59.04
ID:ZyNsMeM0 人の技術力。魔物の労働力。それらはどうやら新天地において見事な連携を見せていたようだ。種が岩の間で芽を出し、根を張るように、そこに生命が確かに息づいていた。
「……凄いものですね」
「ええ、私もそう思います」
世界のどこであろうと生命は力強く呼吸をする。それはルイスが歴史学を通して求める真実のひとつなのかもしれない。
「そうだ」
気づいて口を開く。
「あなたは遺跡から見つかった物品について、何か聞いてますか?」
「例の調査対象ですか。私はただの雑用係ですので、詳しいことは聞いておりません」
実際に目で見てみるしかないようだ。
ふと気づいてリオに目をやる。彼女が静かにしているのは珍しい。リオはこちらの会話には興味ないのか、退屈そうに指輪をなぞっていた。彼女は退屈なとき、よくそのようにする。
馬車からは遠くの山並みが見えた。馬の歩みにあわせて、少しずつ動く。
「あとどれくらいで着くの?」
「退屈させてしまって申し訳ありません。後もう数十分です。あ、ほら、あれ。あれがニューサイトですよ」
言われて彼が指差すほう、馬車の前方を見ると、遠くにレンガ造りの建物の群れが見えた。
鳥がその視界を横切る。見たことのない種類の鳥だった。
265 :
VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/07/23(金) 05:41:10.45
ID:4K6bXEU0 馬車は門の前で停まった。リオが真っ先に降り、門のところへ駆けていく。ルイスと男も馬車を降り、ゆっくりとその後に続いた。
「キエサルヒマ島では考えられないでしょうが、ここは亜人と人間とが共同で暮らしている都市です。普通に街中を歩いていますからびっくりすると思いますよ」
聞きとがめる。
「キエサルヒマ“島”? それと亜人というのは?」
「ああ、これは失礼」
男は心底申し訳なさそうな顔をした。
「原大陸の調査が進むにつれ、キエサルヒマは大陸と呼ぶのには小さいという認識がこちらでは一般的になってきているのですよ。あ、原大陸という呼び方もそうです。人間はもともとこちらの大陸からキエサルヒマに移ってきたという説がありますので。そして亜人というのは、あれです、魔物という呼び方はどこか差別用語に聞こえませんか? 原大陸において、より角の立たない呼び方を模索した結果がそれなんです」
「なるほど」
ニューサイト市の門をくぐり、中に入る。
266 :
VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/07/23(金) 05:42:42.89
ID:4K6bXEU0 「わあ!」
リオの歓声が聞こえた。ルイスもちょっとした感動とともにあたりを見回した。
門から続く一本の長い街路。その道に沿って小綺麗なレンガ造りの建物が整然と並んでいた。色は必ずしも単一ではなく雑多な煉瓦が使われているようだったが、それが見た目を悪くすることはない。むしろ全体が調和し、落ち着いた雰囲気をかもし出していた。
「素敵!」
リオは踊るように歩き出した。
「これほどまでとは……」
「綺麗でしょう?」
ルイスの感嘆の声に、嬉しそうに男が言う。
「私たちの自慢の街です」
石畳の道は狂いなく真っ直ぐに伸びている。それに垂直に交わるように横道が走っていた。都市計画がきちんとなされたのだと推測できる。その道の上を多くの人間が歩いていた。いや、先ほどの話からすると魔物――亜人?――も多く混ざっているはずだったが、とりあえず今は一目で区別できるできる者は見当たらなかった。
「さあ、リオさんが行ってしまわれます。私たちも歩きましょう」
男に先導され、ルイスも歩きだした。
267 :
VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/07/23(金) 05:44:43.77
ID:4K6bXEU0 案内されたのは先ほどの道を曲がって少し歩いたところ。市の中心部だった。比較的大きく高い建物が並んでいる。
「行政区です」
「これが市長さんのお家? 大きいねえ」
途中で買ったあげパンをかじりながらリオが言う。
男は笑って訂正した。
「いえ、これは市議事堂で市長のご自宅はこれより小さいですよ。とはいえご自宅も十分大きいんですけどね」
「どうでもいいけど姉さん、入るまでにそれ、食べきってよね」
中に入ると議事堂らしい重厚な空気が彼らを包んだ。
男の案内を受け、市長室前に案内される。男は扉をノックした。
「お連れしました」
「入れ」
歳のいった声が中から応える。ルイスはいったん襟を正し、男の後に続いて入室した。
268 :
VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/07/23(金) 05:47:44.00
ID:4K6bXEU0 仕事机と棚。後は置物が数点。市長室と言われればおおよそ思いつきそうな重厚な内装だった。そしてずいぶんと歳のいった老人がその机についている。八十は越えているように見えた。それでもそれを意識させないのはその姿勢のよさによるものだろう。老いを感じさせないきっぱりとした雰囲気があった。そして、目だ。思考の衰えなど微塵も感じさせず、逆に深い知見を感じさせる鋭い光が宿っている。
「こちらがタフレム大学からの学者の方です」
「ふむ」
机に肘をついて彼は声をつぶやいた。
「あまり彼らには似ていないな」
「はい?」
いきなり何のことだ、とルイスはいぶかしんだ。
「いや、すまないな、なんでもない。私が市長だ。名はエリム・ウェスト」
「タフレム大学から調査にうかがいました、ルイス・フィンランディです。で、こちらが――」
手で示されたリオが、ルイスの紹介に先んじて笑顔で宣言する。
「リオだよ!」
「なるほど、君の方は意外に彼に似ているようだ」
そう言って、市長は硬質な表情を僅かに緩ませた。
「ようこそ二人とも。原大陸を代表して歓迎させてもらおう。ぜひゆっくりしていってくれ」
「ありがとうございます」
下げた頭を戻し、ルイスはさっそく仕事の話にとりかかった。
「では、いきなりですみません。例のものについてなんですが――」
「ああ、分かっているよ。私が案内しよう」
言うと市長はおもむろに席を立った。
273 :
VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/07/24(土) 07:30:54.58
ID:Mhnb.RQo 通されたのは市議事堂の一角にある部屋のひとつだった。
広めの部屋の中心に、ぽつんと棒状のものが置かれている。
「あれが?」
「そうだ」
市長は歩み寄り、それを拾い上げた。
「申し訳ないのだが、これひとつしか用意できなかった。だが、了承してほしい。これでも無理を言って持ってきてもらったんだ。調査チームの連中も試料が減るのは痛いとのことだ」
「いえ、むしろ十分過ぎるくらいです。お手を煩わせてしまい申し訳ありませんでした」
市長からそれを慎重に受け取り、じっくりと眺め回す。
「これは……」
見たままを言えば、杖のようだった。銀色で金属光沢を放つ棒状の物体。
「遺跡に埋まってたんですよね」
「その通りだ」
それにしては確かに保存状態が異常なほど良かった。錆はまったく浮いていないし、手触りも滑らかだ。そして軽い。
「鉄のように見えるが、調査チームよるとそうではないらしい」
「……」
長さ百二十センチほど。それほど太くはない。そして上端と思われる場所からは、
「ワニ?」
そう、鰐とおぼしき爬虫類の金属細工が細い鎖でぶら下がっていた。
274 :
VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/07/24(土) 07:33:17.08
ID:Mhnb.RQo 「調査チームは鰐の杖と名付けたそうですよ」
雑用係(実際には秘書だったのだろうが)の男が説明する。
「かわいい」
リオが言うがそれは無視した。
「これの用途については?」
「何も分かっていないらしい。もっとも、それは発掘物全般に言えたことだが」
それでもじっくりと見てみれば、なにやら魔術構成のようなものはうっすらと見えた。構成を理解しようと数分粘るが、結局それは不可能だということだけが分かった。
「ねえ、ルゥ君まだぁ?」
早くも待ちくたびれたらしいリオが声を上げた。
「あー、ごめんごめん。もうちょっとだけ」
杖を床に戻し、市長に顔を向ける。
「他の発掘物について分かったことでなにか教えてもらえることはありませんか?」
「そうだな……私は見ていないんだが、他の発掘物のいくつかには文字のようなものが刻まれていたらしいな」
「文字?」
「少なくとも私たちが使っている文字体系とは異なるようだ」
275 :
VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/07/24(土) 07:35:50.74
ID:Mhnb.RQo 道具に刻まれる文字と言うのは、多くの場合呪術的な意味合いを持つ。道具に信仰の力をこめるのだ。少なくともルイスたち歴史学者や考古学者の間ではそういうことになっている。ならばこれら発掘物に付された文字というのもそういうことになるのだろうか。
いや。
これらは魔術の力がこめられた武器の類だ。意味合いが少し異なる。
もし。もしだ。それらの力の源がその文字であるとすれば?
(魔術文字?)
馬鹿な。現在確立されている魔術技術では、音声を媒介にするものが唯一にして絶対の方法である。過去においては、魔方陣やその他の類が本当に効果を持つかのごとく施されることもあったと聞くが、現在ではそのすべてが否定されている。
魔術文字など、それこそ魔法と同じくらい胡散臭いモノだ。
「文字と発掘物が持つ特異性との関係も調査中だと聞く」
ルイスの考えを読んだように市長が説明した。
そこまで分かれば十分だった。この杖にはとりあえず今のところもう用はない。
「ありがとうございました。次は、遺跡のほうに直接調査に行きたいのですが、よろしいでしょうか?」
「調査チームが調査し終わった場所なら許可が取れているよ」
「感謝いたします」
ルイスは深々と頭を下げた。
276 :
VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/07/24(土) 07:41:37.60
ID:Mhnb.RQo 「案内人を用意している。その人物に案内してもらうといい」
「そこまでしていただけるなんて、本当に感謝の言葉もありません」
「いや、いい。ただ、彼は少々変わり者でな多少苦労するかもしれないが」
市長は意味ありげに、にやりとした。
「そこはまあ、我慢してほしい」
「? はあ」
「あと、彼のところには君たちのほうから直接訪ねてくれ」
「それくらいなら」
市長は話し終わると、部屋の扉を開けた。
「あとはアランに任せる。分からないことがあったら彼に聞くように。すまないがこれで失礼するよ」
「ありがとうございました」
再び頭を下げると同時に扉が音を立てて閉まった。
277 :
VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/07/24(土) 07:43:26.45
ID:Mhnb.RQo 「市長はもともと商人だったのですよ」
「それはそれは」
市議事堂から出て、街路を歩きながらの会話である。
「かなりやり手だったそうで。原大陸には開拓当初からスポンサーとして関わっていました」
「ふーん」
あまり興味なさそうにリオ。また指輪をさわっている。
「紆余曲折を経て市長になったのですが、こちらの才もあったようで、以後ずっと彼が市長を務めています」
行政区を抜け、商業区へと移る。
「あれだけ高齢になっても才気が衰えないのは、商人時代に培った知恵があるからでしょうね」
「僕もそう思います」
宿の前まで来ると、男はこちらに振り向いた。
「こちらが手配した宿になります。ちゃんと二部屋取れましたのでご心配なく」
「ご迷惑をおかけしました」
いえいえ、と男は笑って言葉を続けた。
「それで、申し訳ないのですが私の案内はここまでになります。遺跡への案内人へは引継ぎを頼んでありますので、ご了承願えますでしょうか」
「ええ、お気遣いなく」
「そういっていただけると幸いです」
「それで、その案内人の彼はどこに?」
男はちょっと間を置いて、「酒場です」と続けた。
282 :
VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/07/24(土) 16:18:51.12
ID:Mhnb.RQo 「生二つ!」
酒場にリオの声が響いた。ルイスは慌てて彼女が上げた手を掴む。
「違うでしょ姉さん! 僕たちは別に飲みにきたわけじゃ……」
「あいよ」
どん、とジョッキが二つテーブルに置かれる。
「……いやあの僕たちは」
「返品不可」
店員は無愛想につぶやくと、カウンターに引っ込んでいった。呆然とそれを見送る。
「ぷはー!」
「もう飲んでるし」
席について空のグラスを掲げ、リオはにこにこと微笑んでいた。
「さあ、ルゥ君も遠慮しない! どうせルゥ君の奢りだからね!」
「僕未成年だよ、奢らないよ。待てこら姉さん追加注文するな!」
なぜか既視感を覚えながら、ルイスは手を上げるリオの袖を慌てて掴んだ。
283 :
VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/07/24(土) 16:21:27.80
ID:Mhnb.RQo 数分後。一向に飲み飽きる様子のないリオを置いて、ルイスは酒場の中を歩いていた。慣れない酒など飲んだので(誓って言うが、自分から飲んだわけではない、飲まされたのだ)、吐き気がする。アルコールの類など、一生馴染める気などしない。それで構わないし、特に困ることもないだろう。
あたりを見回す。談笑する者、泥酔してテーブルに突っ伏す者、やけに騒がしく盛り上がっている者。酒場らしく種々雑多な人種が集っているが、
(どこにもそれらしき人は……見当たらないな)
例の案内人である。秘書の男は、見れば分かるといっていたが。トイレにでも入っているのだろうかと思いそちらに向かうが、そんな様子はなかった。はて、と困惑する。昼も過ぎ――つまり先ほどのは昼から飲んでいるろくでなしたちだ――あと四時間もすれば夕方になる。それまでには顔合わせぐらいは済ませたいと思っていたのだが。
(もしかしているときといないときがあるのか?)
だが、市長もアラン氏もそんなことは一言も言っていなかった。聞いておくべきだったかと軽く後悔する。
「参ったな……」
そうつぶやいたときのことだった。
284 :
VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/07/24(土) 16:26:29.37
ID:Mhnb.RQo がしゃあん!
けたたましい音が店内に響いた。驚いて振り返るとテーブルがひとつ、ひっくりかえっているのが見えた。そしてその脇で対峙する二人の人間。
ルイスはひどく嫌な予感を覚えた。
「テメエ! さっきこっち見て笑っただろ!」
「ああん? オメエだってこっちに唾吐きやがったよなあ!」
「やるか!?」
「望むところだこの野郎!」
怒鳴りあいはあれよという間に殴り合いに発展している。ルイスは頭を抱えた。騒々しいのは嫌いだが、それよりも大きな懸念があったのだ。
「あたしも混ぜろー!」
視界を高速で駆け抜ける影ひとつ。ぴゅんと間に割って入り、どちらに味方するでもなく暴れ始めた。
「姉さん!」
リオに続くように何人かの酔っ払いが争いに飛び込み、争いは瞬時に、そして加速度的に規模を拡大していく。
「あーもう!」
即座に覚悟を決め、ルイスは騒ぎの中に飛び込んだ。
285 :
VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/07/24(土) 16:28:03.94
ID:Mhnb.RQo 目の前で暴れている酔っ払いの背中を押しのける。飛んできたグラスをすんでのところで避け、しかし踏み出した足を思い切り踏まれた。舌打ちして足の主を突き飛ばし、逆に背中を押されてすっ転ぶ。
「姉さん!」
憤懣やるかたなく這い蹲りながら怒声を上げる。あいにくリオは聞いていないようだったが。
「あははははははっ」
彼女の父も似たようなところがあったと祖父に聞かされたことがある。祭りごとには目がないのだと。
まったくあの一族は!
「ねーえーさーんー!」
床を殴るように立ち上がる。
屈強な男を殴り飛ばしているところだったリオは、そこでようやくルイスの表情に気づいたようだった。
「やほほ」
「やほほじゃない! どうすんのさこの騒ぎ! 半分は姉さんのせいだからね!」
「いいじゃん、楽しければ」
「よくない上に楽しくない!」
286 :
VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/07/24(土) 16:29:57.46
ID:Mhnb.RQo もう一言ぐらい言ってやらなくては気がすまない。息を吸い込んで――胸倉をつかみ上げられ息を詰まらせた。
「ぐ!?」
これまた屈強な男だった。身長は二メートルを越すだろう。身体全体が筋肉で盛り上がっている。その大男につるし上げられてしまっていた。
「こいつは知り合いか嬢ちゃん」
「ちょっと! ルゥ君に何するのさ!」
大男がにやりと顔を歪ませる。
「おいおい、何すんのかは俺の台詞だぜ? こっちは弟分がのされてんだしよお」
言って先ほどリオが沈めた屈強な男をあごで示した。
いつの間にか周囲は静まりかえっていた。つるし上げられた視界で見える人々は、みんなこちらを見ている。
ヴォイムだ。壊し屋のヴォイムだ。酔っ払いたちがつぶやくのが聞こえる。
名の知れた強者らしい。厄介なことになったぞ、とルイスは焦った。これはまずい。
「嬢ちゃん。騒がし好きなのはいいが、程度をわきまえないと」
言って腕を大きく振りかぶった。
「こうなるぜ!!」
ルイスの視界が真っ白に染まった。直後に衝撃で視力を取り戻す。あごと背中に猛烈な痛み。床に転がってうずくまる。
「ルゥ君!」
リオの悲鳴が遠くに聞こえた。当のルイスは殴り飛ばされた痛みをこらえるので精一杯で、それに応える余裕はなかった。小さくつぶやく。
2
87 :
VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/07/24(土) 16:31:57.55
ID:Mhnb.RQo ヴォイムとやらが大笑いしているのが聞こえる。
「馬鹿が! 俺をムカつかせるからこうなる」
ルイスはようやくのことで視線を上げる。こちらを見るリオの、泣きそうな表情と目が合った。必死でアイサインを送る。これ以上は本当にまずい。
「さあ、嬢ちゃん。おしおきの時間だ」
大男がリオに歩み寄る。リオがゆっくりとそちらに視線を戻した。その強張った背中が、急激に脱力していく。ああ。
「ちょっと俺と遊んでくれよッ!!」
男が無造作に拳を振りおろした。猛烈な一撃がリオを襲う。
骨が骨を砕く音が響いた。
288 :
VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/07/24(土) 16:33:38.49
ID:Mhnb.RQo 「ああああああああああああああああ!」
悲鳴が聞こえる。のた打ち回る音も。
顔を真っ青にしながらルイスはようやく起き上がった。
「姉さん」
呼びかける。リオは応えない。悲鳴だけがこだまする。
「姉さん!」
「いてええぇぇッ!」
のた打ち回っているのは大男だった。その顔を涙と鼻水でぐちゃぐちゃにしながら無様に転げまわっている。
彼の拳はつぶれていた。手加減なく、微塵も容赦なく完膚なきまでにつぶれていた。
「よくもルゥ君を……」
はっとしてリオの背中を見る。彼女はまだそこに立っていた。拳を突き出したままの姿勢で。
彼女の拳が彼の拳を砕いたのだろう。魔物の骨密度は人間のそれよりはるかに高いという調査結果がある。そのせいで体重があるのも彼女の悩みだった。
「よくもルゥ君を殺したな!」
「いや生きてるし」
呆然とつぶやく。
(ああ、遅かった)
一番起きてはならないことが起きてしまった。だからまずいと思ったのに。
289 :
VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/07/24(土) 16:35:52.55
ID:Mhnb.RQo 「兄貴!」
数人の人相の悪い男たちが周囲の野次馬を押しのけて駆け寄ってきた。
失神した大男を抱き起こし、必死に呼びかける。
「兄貴、兄貴!」
しばらくそれを続け、無駄だと分かると、彼らはものすごい形相でリオを睨め上げた。
「テメエ、よくも!」
「うるさい! ルゥ君を殺したくせに!」
「生きてるし!」
どちらも聞く様子はない。
「兄貴の仇!」
男たちがわらわらとリオを取り囲んだ。そのまま飛び掛るかにみえたが、
「待て」
涼やかな声がその場を冷やした。
見ると人垣を割って歩み寄る人影があった。羽飾りのついた派手な帽子。整えられた髭。足取りには隙がなく、眼光は鋭い。帽子と同じくいやに目を引く長剣を帯びている。
男はヴォイムの手下を気迫だけで遠ざけると、リオに向き直った。少し、距離を空けて。
290 :
VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/07/24(土) 16:37:20.99
ID:Mhnb.RQo (あああああいったいいつになったら収拾がつくんだ!)
胸中で悲鳴を上げながら、それでも事態を見守るほかない。ルイスにはそれらを止めるだけの武力がなかった。まったく。
「かなりの腕前と見た。私と手合わせ願いたい」
「……」
リオは何も応えなかったが、その背中から怒気が、いや殺気が立ち昇っているのが見える。確かに見えた。
「剣を取れ。持っているのだろう?」
抜剣しながら男が言う。
「いくぞ」
そのときにはそこに男の姿はない。ルイスはぞっとした。やられる。
気合の声だけが聞こえた。
291 :
VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/07/24(土) 16:41:14.73
ID:Mhnb.RQo そして轟音と共に人影が壁にたたきつけられた。ずるずると滑り落ち、既に意識はない。
やられた。
「姉さん!」
ルイスはふたたび悲鳴を上げる。
「もうやめるんだ、姉さん!」
リオは一歩踏み出した姿勢のまま剣を保持していた。長剣。彼女の体格には少し大振りの。
いつの間に? と誰もが思っただろう。
誰も気づかなかったはずだ。気合を呪文に異空間から剣を引きずり出し、相手の一閃を紙一重でかわし、同時に剣の腹を叩き込んでいたなど。
リオが叫ぶ。
「ルゥ君を、返せえええええええ!」
「だから僕生きてるううううううう!」
なぜか彼女には聞こえてくれないらしい。反応らしい反応もなく、むやみやたらと殺気を撒き散らしている。
亜人だ。声が聞こえた。あの女、亜人だ。
遅ればせながら、野次馬たちも気づいたらしい。一番まずいことが起こってしまった。
(これじゃあまた人間と魔物の間に亀裂が入るぞ!)
魔物と人間の関係が親密になってきたとはいえ、それは十年という月日でなんとか築き上げてきた信頼関係があってのことだ。人間の魔物への恐怖はいまだ根強い。彼らはその気になれば人間くらい素手で殺せてしまうのだ。
冷や汗が背筋を伝う。
292 :
VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/07/24(土) 16:42:29.31
ID:Mhnb.RQo 研究調査が続けられなくなるどころの騒ぎではない。世界規模の問題にまで発展しかねない。
ルイスは既に混乱していた。新大陸にきたばっかりなのに、畜生姉さんやってくれたな。こんな事態僕じゃあ収められないぞ!
だから。
それに気づけたのは偶然だったろう。
「!?」
鋭い魔術構成。リオを狙って尖っている。リオは気づいていない。ルイスは振り向いた。そこにある。先ほどの手下たちの一人と思しき男の姿が。
(魔術士――!)
呪文の声が聞こえる。間に合わない。リオに当たる。
――――普通ならば。
293 :
VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/07/24(土) 16:44:35.70
ID:Mhnb.RQo ※
さて、ルイスについて語ろう。彼について知るべきことは多いとも少ないとも言える。
ルイスは十九年前、この世に生を受け、それなりに大事に育てられた。祖父による特訓をどう評価するかにもよるが、まあそれなりには大事に育てられた。すくすくと育ち、その過程で類まれなる知能の高さを示し、十二歳のときにタフレムに遊学に出された。本人も望んでのことだった。もっとも、祖父の特訓よりはマシと判断したのかもしれないが、それは余人の知るところではない。
その後、ルイスは目覚しい才能を発揮しそれに見合った地位を得るのだが、そのことについてはおいておこう。問題とするのは、彼の祖父が施した特訓である。
勇者じきじきの特別訓練だったこと以外は特記すべきことはない。ただ、ルイスは反駁するかもしれない。あれは人間のする鍛錬ではないと。一理ある。傍から見れば一方的な蹂躙に他ならなかったのだから。
祖父はルイスを嫌っていたか。いや、そうではない。むしろ彼はルイスを愛していた。ゆえにこそ手加減はしなかった。祖父はルイスを勇者にしようとしたわけではないが、彼がしかるべきときにしかるべき力を振るえるようにしてやりたかった。それをルイスがどう思ったかは分からない。それはともかく特訓から彼が得たものは少なかった。
そう、少なかった。彼は戦士に足る強さを得たわけでも魔術士に足る力を得たわけでもなかった。ルイスには何も残らなかった。彼は戦闘に必要な才能が絶望的に不足していたし、魔術を実現するのに十分な魔力も持っていなかった(祖母の遺伝だろう)のだ。
しかし。
ルイスの頭脳はそれらを補って余りあるものだったのだ。
※
294 :
VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/07/24(土) 16:48:26.74
ID:Mhnb.RQo 指を突きつけ、宣言する。なるたけすばやく、なるたけ鋭く。
「我は放つ光の白刃」
呪文が世界をほんの少し、ルイスの望む形に変化させる。
すなわち。
さきほどの魔術士が悲鳴を上げて目を押さえた。完全に不意をつかれて彼の構成が霧散していくのが見える。ルイスは自分の魔術の効果に満足した。
小さな衝撃波が例の魔術士の目を打ったのである。
念のため言っておくが、常識で考えれば間に合うはずがなかった。例の魔術士の魔術はほぼ完成し、その効力を発揮する直前だったのだから。
それを間に合わせたのは祖母譲りの特殊な構成手法である。
魔術というのは魔力、構成、呪文の三要素で成り立っている。魔力は魔術を成り立たせるためのリソース。構成は魔術の、いわば設計図。実体のないものだが、魔術士にはそれを見ることができる。そして、呪文は魔術をこの現実に成立させるための媒体となるのである。すなわち魔力は構成によって形を与えられ、呪文の声によって世界に現出する。
ルイスには力はない。だが、頭はいい。凄まじく。これが示すのは、彼には魔力は持たないが、構成力に長けているという事実である。構成は術者の頭脳レベルにも依存する。
295 :
VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/07/24(土) 16:51:20.37
ID:Mhnb.RQo ルイスがやったことはそんなに複雑なことではなかった。魔術の短絡化。それが全てである。つまりどういうことか。
魔術の構成には攻撃、防御、治療、その他様々な種類があるが、そのどれもに共通するのは、反動処理構成の織りこみである。攻撃構成であれば特に顕著に反動が出る。それを抑制、中和、制御するために構成を付け加える必要があるのだ。ルイスは主内容構成を極限までコンパクト化し、なおかつそれら付属構成を排していた。もちろん危険は多い。自分に威力が返ってくることも十分考えられる。小さな威力の構成でも反動はその何倍にもなることがあった。そのための見極めだ。どれだけの威力をどれだけ最小限にコントロールするか。魔力に乏しくとも、ルイスはそれに優れているのである。
ルイスの魔術は魔力の限界により十分な威力を持てない。だがそれは、決して使えないとか不得意とかいうことではない。
「よし」
腕を下ろしながらルイスはつぶやいた。周りの人間は今の出来事に気づかなかったようだ。ただただリオについて騒ぎ立てている。
(さて、どうしよう……)
事態は実のところ全く好転していなかった。
と。
突如膨大な魔術構成が膨れ上がる。酒場全体を隙間なく包み込み、凶悪に牙をむいた。
「な!?」
構成の元を辿る。
「姉さん!?」
296 :
VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/07/24(土) 16:52:56.65
ID:Mhnb.RQo その凶暴な魔術構成の発信地はリオだった。その密度から冗談やこけおどしでないことが分かる。
(一体なにを……!)
「ねえさ――」
「ルゥ君のいない世界に意味なんかない……ッ」
こちらに背中を向け、リオがうなるように言うのが聞こえる。憎悪の声。
「ならこんな世界、全部壊してやる!」
「いやちょっとねえさ」
制止の声は意味をなしてくれない。
「光よ!」
その声を媒体とし、突風が吹きぬけるような轟音を立てて光が膨れ上がった。
防御魔術を発動させる暇なく閃光に飲まれる刹那、ルイスが思ったことはひとつ。
(僕、生きてるのに……)
その日、街の多くの人々は、酒場の屋根を突き破って太い火柱が立ち昇るのを目撃したという。
297 :
VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/07/24(土) 16:54:51.66
ID:Mhnb.RQo ※
さて、リオについて語ろう。彼女について知るべきことも多くて少ない。
リオは四十九年前にこの世に生を受けた。こちらはルイスと違ってしっかりきっかり大事に育てられた。何しろ魔族の王の娘だ。それが当然というものだった。物心ついた頃から姫としての教育を受けさせられ、礼節に行儀作法、各種お稽古を叩き込まれた。
彼女は貞淑に育ったか? それが全然だった。リオは小さい頃から外で遊ぶのを好み、他の魔族の子供とじゃれるのを楽しんだ。特に喧嘩事が大好きで、進んで面倒ごとに首を突っ込み、女ガキ大将と恐れられたものだった。服の趣味も、可愛らしいドレスなどよりもジーンズのようなラフなものを好んだ。
側近をはじめ、周囲の魔族は頭を抱えた。これでは魔王の娘として恰好がつかない。彼らは教育をより厳しくすることを決定した。
今度こそ彼女は貞淑さを身に着けたか? 全くもってそんなことはなかった。リオは空いた時間こっそり部屋から抜け出し、よく元帥のところに出張に行った。訓練してもらうためだった。元帥は、男女関係なく武の力は大切だと思っていたし、そのあたりは物分りのいい魔族だった。彼は師事の嘆願を受け入れ、リオを抜かりなく鍛え上げた。
リオはとてつもない勢いでその才能を開花させた。彼女の戦闘はやや大雑把の感があるものの、そのセンスには目をみはるものがあったし、もちろん魔術の素質も申し分ない。魔力は魔族の間においてもぬきんでていて、魔神の化身ではないかとかなり本気で元帥を困惑させた。
ただし、残念なことに。本当に残念なことに。
彼女は頭がそれほどよくなかった。
※
298 :
アナウンス :2010/07/24(土) 16:58:16.80
ID:Mhnb.RQo ・ここまで。ようやく話が進んだ感じ
何か指摘などあったらよろしくお願いします
300 :
VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/07/24(土) 23:20:10.02 ID:u15nu2U0
ルゥ君・・・生きてるのに・・・301 :
VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/07/24(土) 23:53:09.64 ID:V9q0UGIo
乙だぜ
世代を越えた既視感とか感慨深いな303 :
VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/07/25(日) 05:03:56.31
ID:6yYi4iwo 「うわーん、ルゥくーん!」
すっかり焼け落ちた建物の跡地に、娘の姿があった。
その腕に男の遺骸を抱き、天に向かって慟哭している。男の身体のあちこちは炎で焦げ、黒くなっていた。彼はもう何かを告げることはない。笑うこともない。
その残酷な事実が娘の身を震わせた。
「こんなのってないよ……わーん、ルゥくーん!」
腕の中で小さなうめき声があがった気がしたが、それは聞き間違いだったろう。ましてや「畜生、姉さんめ」などという内容のはずがない。
娘――リオは目元をぬぐうと、気丈にもきっ、と顔をあげた。
「ルゥ君をこんなにして許さない。あたしが仇をとってやる!」
あの大男、ルイスをこんな目にあわせたくせに舎弟と一緒に逃げやがった。まったくもって卑怯臭い。あたしがじきじきに仕返ししてやる! 自分の所業をとりあえず頭から締め出して、リオは固く心に誓った。
と、そのとき。
「いかん。いかんな、娘よ」
涼風が吹きぬける、そんな声がした。リオははっとして視線を振った。
310 :
VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/07/28(水) 19:07:42.80
ID:3U87ytko 酒場は焼け落ちてその無残な焼け跡をさらしている。周りを囲む建物には奇跡的に被害は出ておらず、その酒場のスペースだけぽっかりと空間ができていた。崩れ落ちた建材の間には気絶したかつての野次馬たちが見え隠れしている。その中にヴォイムとその舎弟たちも含まれていたが、リオが知るよしもない。これも奇跡的に、死者は出ていないように思えた。
そしてその被害者たちの倒れ伏す中に。男がひとり、悠然と立っていた。
「……?」
細身の長身。黒の長髪に黒目で、すっと筋の通った鼻。整った顔といえば整った顔だが、あまり目立つ要素もない。静謐な雰囲気を漂わせ、手足は長身にあわせるかのごとく長く、ぴったりとしたスーツに包まれていた。
「いかんよ、そこの娘」
男は再度声をあげた。やけに通りの良い声。演説などをやらせたらたいそうさまになるだろう。
「復讐は新たな憎悪を生み、憎悪は次の争いを招く。争いは新たな悲劇を生み、最後にはその身を破滅させるのだ」
男は滔々と続ける。
「つまりは復讐と言うのは、様々なものを生み、はぐくむ尊い営みだな」
「そうかな」
思わずあげた声に男はうなずく。
「疑問を持つのは賢い証拠だ。しかし同時に、真実に疑問を挟むのは愚かしいことでもある。それは真実であるがゆえに」
「むー」
311 :
VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/07/28(水) 19:10:59.14
ID:3U87ytko 男はなおも続ける。
「だが、何かを生むということはそれの世話をしなければならんということだ。認知というものは生んだ者、生ませた者の義務であるからして。だが最近それすらできない愚か者が増えている」
「……」
「君はどうかね? ペットの世話はちゃんとできるクチか」
不意に問われ、目を瞬かせる。
「えっと……、うん」
実際には彼女の飼ったペットは残らず変死を遂げたのだが。
「ならばよし。行け。そして必ずや成し遂げるのだ」
うむ、と男は言葉を切って腕を組んで見せた。
言われてとりあえず立ち上がるが ――ルイスが腕から滑り落ちてべしゃっと地面に激突した――、仇討ちなどという気勢がそがれているのは認めざるを得ない。
「さっきと言ってることちがくない?」
「君が生まれ来るものをきちんと処理できるなら構わん、と言ったつもりだが」
男はこちらから視線を転じ、沈み行く太陽のほうを見つめている。長い髪が夕方の風に吹かれてふわりと舞った。
312 :
VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/07/28(水) 19:12:41.19
ID:3U87ytko とりあえず思ったのは。
(なにこの人)
突然出てきてよく分からないことを言って、よく分からないうちに会話(?)が終了している。つまるところまれによくいる変な人というカテゴリーに属しているのだろうが……
「失礼な」
「え?」
突然言われて、またも目を瞬かせることになった。
「君は私をみょうちきりんな人間だと思っただろう」
「! えっとその……」
慌てて否定しようと試みるが思ったことは否定しようがない。
言い訳を探しているうちに、さらに男が口を開く。
「もし仮に、変人というものが油の引いた鉄板だとしよう」
「は?」
「しからば私の上で愛しいウィンナーたちが跳ね回っているはずだ」
「……」
ゆっくりと相手の言葉を反芻し、そして気づく。
「……認めてんじゃん」
313 :
VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/07/28(水) 19:15:42.84
ID:3U87ytko 唐突に後ろでうめき声があがった。振り返るとルイスが頭をさすりながら上体を起こしたところだった。
「あ、ルゥ君おはよう」
「…… おはよう」
うすうす生きていることに勘付いていたのでたいした感動はなかったが、それはともかくルイスが服についた埃を払って立ち上がった。こちらを見てため息をつきかけ――動きを止める。
視線を追うと、先ほどの変人に突き当たった。
「……どちら様?」
「うむ、私も気になっていたところだ」
「いやあなたのことですけど……」
「なんと」
男は深く感服したように腕組みを解いてルイスを見つめた。
「敬意を払おう」
「なんだか分からないけどありがとうございます」
なんだか分からないといった様子でルイスが言う。
リオはようやく言い出す機会を見つけて声をあげた。
「ねえ、それであなたは誰なの?」
「人に名前を聞く前に自分が名乗ったらどうだ?」
「……あたしは――」
「サンダー・ストロンガー!」
突然あがった大音声にリオは身をすくませた。言うまでもなく目の前の男のものだ。
314 :
VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/07/28(水) 19:19:02.81
ID:3U87ytko 「い、いきなりなにさ!」
「――それが私の名だ」
「あたしに名乗れって言ったじゃん!」
「PTAとはよく言ったものだ」
「それってTPOじゃ……」
控えめなルイスの指摘にも、男、サンダー・ストロンガーは動じなかった。
「それこそTPOだよ、ルゥ君」
「初対面の人にそう呼ばれるのは気が進みません……ルイスです、そう呼んでください」
「あたしはリオ」
仏頂面でリオは言う。男は得心したようにうなずいて見せた。
「ルイス君にリオ君か。長年の謎がようやく解けた」
「会ったばかりですよね」
「会えない時間が愛をはぐくむとはよく言ったものだな」
「知りません」
315 :
VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/07/28(水) 19:20:07.58
ID:3U87ytko 夕方の風が涼しく吹いている。日はようやく落ちきり、空がそうっと暗くなっていく。
「それでサンダー・ストロンガーさん」
「いかんな」
「え?」
男はばっ、と無駄に大きい動きで腕を広げて見せた。
「呼びにくい。そうは思わないかね?」
「はあ……少しは」
ルイスも気づいたようだ。これは関わってはいけない類の人種だと。
「私のことは、そうだな……」
男は広げた手の片方をあごに当てた。
「サン、サンちゃん、サンスト、サンガー。いやいや――」
「サンちゃんて」
「ミサンガ。そう、ミサンガと呼びたまえ」
「えー……」
何で紐類? とルイスがつぶやく。リオも承服しかね、手を上げた。
「あたしはバナナサンデーがいい!」
「ぬぅ、捨てがたい」
「いやいや!」
316 :
VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/07/28(水) 19:22:14.70
ID:3U87ytko ルイスが慌てて声をあげた。
「そ、それでミサンガさんは僕たちに何か用なんですか?」
その顔には用がないならさっさと消えてくれと書いてある。
「うむ、用がある。ということがなきにしもないこともなくもない」
どっちだ。
「君たちはルイス君にリオ君だ。ならば帰結として以下のことが導き出される。君たちは道案内人を探している。そうだな?」
思わずルイスと顔を合わせる。
「そうですが……なぜご存知なのですか? もしかしてその人を知っているんですか?」
ルイスが聞く。が、その質問の仕方にはある願望がこめられているのがありありと分かる。
「私だ」
「やっぱりですか……」
違って欲しかったという願い叶わずルイスががっくりと首を折った。
サンダーはうむとうなずき丁寧に礼をした。
「市長からじきじきに遺跡への道案内を頼まれてしまった。以後よろしく頼みたい」
「……よろしく、お願いします」
ルイスとリオも釈然としない思いで頭を下げる。
あたりはすっかり暗くなり、そろそろ互いの顔が判別しにくくなるかという頃合いになっていた。
321 :
VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/07/29(木) 16:44:16.94
ID:W32mxjoo ◆◇◆◇◆
暗闇は質量を持つ。ここで学んだのは、益体もないがどこか意味を持ちそうなそれらの事実だった。
質量を持った闇はたやすく精神を圧迫し、すり減らし、食い散らす。彼にもそれに類するものがあれば同じようにぐちゃぐちゃに食べ散らかされていただろう。そう思う――思う、か――。ただ、彼はそういうものではなかったし、それとは別の理由で狂うわけにはいかなかった。ただそれだけのことだ。
彼は闇の中で一度だけ呼吸した。必要のないものを試したくなるのはやはり退屈している証拠だろうか。膝を抱えて、縮こまって。そうして彼は待っていた。
呼吸で得た空気を使って一言つぶやく。
「我は……主命を受諾するのみ」
心――そういうものがあればだが――は全く動かず、さざなみすらも生じない。
ただただ地下の湖面を覗き込むようなそんな気分で、彼はじっと聞き耳を立てた。
先ほどから聞こえていた。遠く壁を穿つ音。何者かの声。
そして程なく固いものが崩れ落ちる音がする。彼はやはり何も言わなかった。何も言わず、固く強張った体を解いた。実に数百年、いや千年ぶりのことだった。立つ、というただそれだけの行為が、ただただ懐かしい。
「我は主命を受諾するのみ」
もう一度彼はつぶやいた。先ほどよりも強く。
そうだ。ここには何もない。あるのはあのはるかな過去より彼を突き動かす主命のみ。
彼はうなずき、歩き出した。はるか遠くから歓声がする。その方向に向かって。
彼の病的なまでに細い指がかすかに震えた。
◆◇◆◇◆
322 :
VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/07/29(木) 16:47:57.24
ID:W32mxjoo 「すがすがしい朝だ。風は涼やかに寝癖をからかい、小鳥は縄張りを守るため金切り声を迸らせ、お父さんは眉間に皺を寄せて新聞を読んでいる。すばらしいと思わないか。ここにはこの世のありとあらゆる始まりが集約されているのだから」
「少なくとも」
ルイスはなんとか寝惚け声を整えようとしたが、それは無理だと悟った。
諦めてそのまま言う。
「まだ小鳥は鳴いていませんし、お父さんが新聞を読むには早いです……」
あたりはまだ薄暗く、街は闇の中に沈んでいる。遠くにあるはずの山もいまはまだ判別できない。
なぜそれらの事実が確認できるのかというと、
「いったい何なんですか……」
「一日の始まりは屋根の上からとは昔から伝えられている」
「言いませんよ……」
ルイスとサンダーは屋根の上にいた。朝の涼しいを通り越してやや肌寒い風が吹いている。
首を捻る。先ほどまでは間違いなくベッドの中にいたし、懐中時計で四時を確認したことを覚えている。それから一眠りしようと目を瞑ったはずだったのだが。しかし、現実として宿の屋根の上で自分は体育座りをしている。これは認めざるを得ない。
323 :
VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/07/29(木) 16:50:19.49
ID:W32mxjoo ちなみに寝巻きのままだ。率直に言うと、寒い。身震いをして横を見やる。そこにいる男は昨日の同じスーツで、腕組みをして遠くの山脈を睨んでいる。
「いい風だ」
「寒いです」
「何かの始まりを予感させるようだ」
「さいですか」
適当に返事をして腕をさすった。何かが始まるにしろなんにしろ、ルイスに必要なのは暖かなベッドだった。
「あの、満足したならもう戻ってもいいですか?」
「うむ、できるものならな」
はい? つぶやいて周りを見やる。のっぺりと傾いた屋根が、薄暗闇のなかに広がっている。そこそこに大きな宿だった。
が、それはともかくあるべきものがない。たとえば屋根裏部屋に続く窓とか、下に下りる梯子とか。
「……」
「さて、今回のことしかり、はじめるというのはなかなかに困難なものだな」
「……そうですね」
諦めて膝を抱き寄せた。ルイスは、昨日の唐突な登場とあわせ、サンダー・ストロンガーがどういう男かなんとなく分かった気がした。
324 :
VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/07/29(木) 16:52:22.36
ID:W32mxjoo ※
結局、リオが起きてきて彼らを見つけるまで、ずっと屋根の上だった。つまり昼近くまでずっとだ。時間を無駄にしたことについても飲み込んで、とりあえずルイスは旅の準備に取り掛かった。調査する遺跡はどうやらかなり内陸のほうに点在しているらしいのだ。
三人で買い物にでた街は、午後の賑わいを見せていた。
「ふむ」
店の軒先にならんだ携帯毛布のひとつを掴みあげてサンダーが鼻を鳴らした。
「良い毛布だ。まさしく一番だな」
「何がですか」
「ルイス君、そんなことを聞いていては一生二番だぞ」
「だから何がですか」
硬貨を何枚か取り出しながら告げる。最悪ポケットマネーから研究費を出すことになるかと思っていたが、幸いにして経費は出してもらえた。ケーガク教授の尽力によるものだろう。
ちなみにキエサルヒマで使われていたソケット紙幣はこちらでは使えないらしい。秘書の男があらかじめ換金しておいてくれていた。
「ちなみに君は三番だ、娘」
「えー!」
抗議の声をリオがあげるが、それこそわけが分からない。
325 :
VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/07/29(木) 16:54:34.97
ID:W32mxjoo 「さて、一番であるところのこの毛布だが」
「三番はやだー!」
「科学の力によってできたものであることは知っているかな」
彼の長い指が毛布の表面を滑る。さっと撫でてからサンダーはこちらにむっつり顔を向けた。
「ええ、蒸気機関による織物ですね」
「その通り。新大陸に渡った人々はまるでそれを契機としたようにあらゆる発展を遂げた。そのひとつがこれだ。蒸気機関というなの新たな動力源だな」
「せめて二番ー!」
リオが何か言っているが、まあそれはいいだろう。商人に硬貨を支払い携帯毛布を受け取る。
「科学という分野の開拓は我々に大きな恵みをもたらした。豊かな生活という名の恵みだ。我々の生き方を豊かにし、幸福にしてくれる。と多くの人は信じている」
「?」
「使い方は異なるが、その力の大きさで言えば魔術と同等のものだ。恵みというのは害悪と常に表裏一体なのだよ」
「……」
「さて、蒸気機関、そして科学という概念を発明したアッシャーという人物を知っているかな。今はもう逝去したが、私は彼がまだ生きていた頃会ったことがある。たいそう偏屈な人物だった。あれは変人といってよい」
それはあなたよりも?
その言葉は言わずに、食料品を買出しに足を踏み出した。ルイスの右隣に並んで、声の調子からすると機嫌よさそうにサンダーは喋り続ける。その後にまだ不満そうなリオが続く。
結局、サンダーは買い物の間ずっと喋り通しだった。
326 :
VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/07/29(木) 16:56:22.12
ID:W32mxjoo 「移民は様々なものを生み出した」
そしてまだ喋っている。
ニューサイトを出発して、内陸の方向に二十分ほどのところだ。石畳の街道がそろそろ途切れようとしているところでもある。昼下がりの日の光がやや強めに降り注いでいた。この道にだけは馬車は出ていないらしい。
「先ほどから言っているように科学もそのひとつだ。他に地味ながらも生活基盤技術や学校教育に関しても同じことが言える。まるで移民を待っていったかのようにそれらは一気に発展した。原大陸に多くの資源が眠っていたこともそれに拍車をかけたようだ。石炭というのは蒸気機関の要だそうだからな。まあ、それはいい。なんにしろ移民は多くのものを生み出した。では移民とはなんだったのか」
小鳥が頭上を通り過ぎた。小さな影が背の低い草原の上を滑っていく。
「二十年前に始まったそれは、はじめはただのお題目に過ぎなかったようだ。亜人と人間種族との橋渡しをするためのな。誰も実現するとは考えていなかったらしいな。学校でよくやるグループワークの一環に過ぎなかったと。しかし僅か十年のときを経て実現にこぎつけた。こぎつけてしまった」
ルイスは頬に浮いた汗をぬぐった。あまり汗かきではないのだが、旅のための少々重い荷物が足を引っ張っていた。
「亜人と人間の協力による賜物か、はたまた偶然が重なったのか、それとも何か大いなる意志でも働いたのか、私には知るよしもないが。ともあれ移民はこうして成功しているわけだ。成功し、さらに発展している。まるで何かの決め事のようだ。もしくは」
「もしくは?」
興味は既に失っていた。だからそれはただの相槌以上のものではなかった。
「もしくは――なにかの運命だな」
こちらにも特に興味を示すことなく、ルイスは歩き続けた。
327 :
VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/07/29(木) 16:57:39.42
ID:W32mxjoo 「科学と同質なものとしてはいくつか挙げられるが、そのひとつとして特に魔術を取り上げようと私は思う」
夜。野営の準備をしながら。サンダーはいまだに喋るのをやめていなかった。
「大きな力を持ち、理想を現実に変える。科学にはまだ自由度が足りないが、発展を続けていけば遠い未来、魔術などよりもはるかに柔軟な理想実現技術を生み出すと私は考えている。それも魔術などという限られた人物しか使えないようなものではなく、万人が利用できるようなものになるとな」
火打石を叩きながら、ルイスは一応聞いてはいた。
「まあ、それはいい。問題は魔術だ。現在、制限は多いとはいえ、理想を現実に変える技術として突出しているのは魔術だろう。これは誰もが認めることだ。しかし、その根源はいまだ分かっていない。これから行き着く発展の先も。根源に関してははいろいろな説があるな。神話から学術的な話にわたって、それこそ数百種の説がある。ただし、発展し行き着く先は一つだ」
「……魔法」
ルイスはぽつりとつぶやいた。
「そのとおり。魔法。究極の理想実現技術だ。自分の理想を完璧な形で現実に展開し、塗り替える。究極の横暴でもある」
「でもそんなの無理だよ」
近くの林から集めてきた薪を抱えて通りがかったリオが言う。
328 :
VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/07/29(木) 16:58:46.37
ID:W32mxjoo 「無理かどうかは行き着いてみてからでしか分かるまい。事実、現在の魔術の水準にしても、過去からは考えられないくらい高いものであることには違いないのだ。魔術のはじめの一歩を知っているか。最初の魔術は指先ほどの火をほんの一瞬ともらせる程度だったと言われている。そこから見れば大きな発展だ」
テントを張る作業に移るルイスを横目に、サンダーは干し肉をかじり始めた。
「あ、ちょっとミサンガさん、食べる前に手伝ってくださいよ」
「逆に、はじめの魔術は最も強力なものであったという説もある。最初、魔法の形であったものが、徐々に制限されていったのだとな」
「……」
サンダーを動かすのは諦めてリオを呼ぶ。二人でテントの部品を抱えた。
「仙人を知っているか」
部品は重く、その問いかけには対応が一瞬遅れた。
「はい?」
329 :
VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/07/29(木) 16:59:53.91
ID:W32mxjoo 「仙人だよ」
「仙人?」
「時間を呼吸し、夜空を食らって飢えをしのぐ、そういうものだといわれている」
「なんですかそれ」
サンダーは饒舌な割にはやはりむっつり顔で話を続ける。
「魔術の話だ。その根源、そして究極系のな。魔術は極めれば魔法を待たずして時間を操ることさえできるようになるという。時間はこの地上だけではなく宇宙全体を占めている。それを操れるということはまさしく世界の支配ということになるな。仙人はそのような世界をある形で支配し、超越するものなのだ」
「あたしそれ知ってるかも」
「ふむ?」
テントの部品を組み立てながらリオが声をあげた。
「時間操作でしょ? だったらアレで間違いないよ。あたし知ってる。でもアレができるのは小規模な時間支配だよ。限定空間内しか時間を動かせないし、進めることができても戻すことはできない」
「君は仙人と知り合いなのか?」
「あたしのお父さん」
330 :
VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/07/29(木) 17:01:22.55
ID:W32mxjoo リオはテントの組み立てを続ける。
「でもアレは夜空を食べて飢えをしのぐなんて芸当はできないか。食いしん坊だし。仙人って言うには俗っぽすぎるよ」
「君の父上は時間操作ができるのか。達人なのだな」
「そうだね。そうなるのかな」
かちゃん、と音を立ててテントの骨組みが組みあがった。
「仙人とは」
サンダーが再び口を開く。
「世の理を理解し、なおかつそれに介入するものだ。その業は天を裂き、地を割ると伝えられている。万能の力を操り、それを行使する。そのようなものを呼ぶための名が他にもあるな」
夜風が吹いた。新大陸の季節変化はよく知らないが、春先にありそうな程よく涼しいいい風だ。
その中で、心もち重々しくサンダーが言う。
「魔王」
リオが手を止めて、サンダーのほうに目を向けた。
337 :
VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/07/30(金) 12:19:25.83
ID:R3c5/EUo 「魔王。そう、魔王だ」
数日後。ルイスは荷物から取り出した地図を眺めながらいまだ喋り続けるサンダーの話を片耳で聞き流していた。
「世界を支配し、掌握する者。強大な力を持ち、振るう者。業は彼に従い、ときに全てを破壊し、ときに新しく形作る」
「だからアレはそんなたいしたもんじゃないって」
リオがうんざりと応じている。このやり取りもここ数日でおなじみのものになった。
「君がどう思おうがそれは自由だ。私はただ本質を述べているだけだからな」
「でもあんまりアレを持ち上げるとイライラする……」
リオが俯いてつぶやくのをルイスは横目で見ていた。思うところはあったが、とりあえず口は挟まずにおいた。
「ふむ、そうか。では話を変えよう」
そういうとサンダーは髪をかきあげた。
「そうだな。私の話でもしようか」
どうでもいいな。そう考えながら顔を上げた。草原の向こうに何か建造物らしきものが見えてきていた。
338 :
VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/07/30(金) 12:21:09.62
ID:R3c5/EUo 「私の少年時代は夢にまみれていた。好奇心が旺盛でな、いろいろなことに頭をつっこんだよ」
「まみれていたってのは変な言い方ですね」
遺跡の壁面を撫でながら返す。ざらざらしている、と思いきや以外にも滑らかな手ごたえが返ってきた。
地図に記載されている第一の遺跡だ。ここからも数点、例の遺物が接収されたらしい。あまり広くない内部を見てきた感じでは特に新たな遺物の発見はなさそうだった。
ただ、気になるのは日々ひとつないその壁だった。どれくらい前から建っているのかは知らないが、少しぐらい劣化していてもいいはずなのに。
「いい得て妙、というわけだな」
「違うと思いますけど……」
「ねー、ルゥ君、まだぁ?」
先を進むリオが声を上げる。
「ごめん、今行く」
不思議な壁面は気になったが、気にして何が分かるわけでもない。壁から手を離して先を行く二人のほうに足を向けた。
339 :
VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/07/30(金) 12:22:56.09
ID:R3c5/EUo 「まず空の星々が気になった。星座は簡単に覚えたよ。自分で星座を作ってみたりもした。巨鳥カゲスズミノコギリコバト座なんかが今でもお気に入りだ」
二つ目の遺跡。例によってサンダーの語りは止まない。そろそろルイスも聞き流すのになれてきた。
「カゲスズミ……。それ、実在するの?」
「カゲスズミノコギリコバト。私の故郷には腐るほどいたがな。一抱えほどもあるハトのような外見だが、ひどく凶暴で毎年怪我人が出ていた。ただ、あれは変に温厚なところもあってとどめを刺しはしないのだ。標的を延々と痛めつけるのが好きなようでな」
「温厚……?」
二人の会話に思わずルイスがつぶやくと、ここぞとばかりにサンダーが目を光らせる。
「疑問はもっともだが、あれは温厚だぞ。近くを通り過ぎようとすると問答無用でじゃれ付いてくるぐらいにはな。まあそのあとコテンパンに叩きのめされるんだが」
「だめじゃん」
「あまりの繁殖力と頑健さに食用にできないかと模索されたこともあった。だが失敗に終わった」
「なんで?」
「やつら、頭は弱いくせに執念深くてな、なぜか下手人を判別できるのだ。一羽を手にかけた男はハトどもに言うもおぞましい目に合ったとかなんとか」
「ふーん」
「まあ、そんなことはいいのだ。話を元に戻そう。ふむ、なんの話だったか」
結局、この遺跡でも特に何かが見つかることはなかった。
340 :
VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/07/30(金) 12:24:56.73
ID:R3c5/EUo 「そうそう、私の子供の頃の話だったな。繰り返すが私は夢多い少年だった」
二つ目の遺跡から三つ目の遺跡に移るのにはさらに三日ほどを要した。その間やはりサンダーは喋り続け、そろそろルイスもリオも生返事だけを返すようになっていた。もっとも、サンダーは気にも留めないようだったが。
「私は世の真理が知りたかった。この世はどのような決め事によって成り立っているのか、どのように我々は生きればよいのか、我々はどこへ向かうのか」
「……」
遺跡を道のやや遠く視界に入れ、ルイスは地図を鞄にしまった。もうあと三十分もすれば遺跡に着くだろう。荷物を確認する。食料や携帯毛布の包み、そして、資料などを詰め込んだ鞄がひとつ。それとテント。リオも同じようなものだ。ただ、彼女はひとつ余計に荷物を持っている。船の上でも見た細長い包みだ。そしてサンダーはナップザックをひとつ。
「よし」
「うむ、そういうことだ。私は哲学少年だった。真理を掴めば何かが変わるような気がしていたのだな。大事なことだ」
無視して荷物を持ち上げる。慣れないフィールドワークでそろそろ疲れがたまってきていた。遺跡についたら休もう。そう決めて足を踏み出した。
341 :
VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/07/30(金) 12:26:25.22
ID:R3c5/EUo 遺跡は石造りの砦のような形をしている。堅固に塀が建てられ、大きな門が聳え立つ。これは先の二つの遺跡も同じだった。まるで戦場の拠点である。門が開け放たれていなかったら入ることも出来なかったろう。何かに備え、何かに怯えていなければこのような形にはならなかったはずだ。
(過去の人間は、一体何と戦っていたんだろう)
そう思わずにいられない、それほど頑強な雰囲気。
ルイスは二人のほうに振り向いた。リオはピクニックに来たようににこにこと機嫌がよさそうで、サンダーは相変わらず言葉をあふれ出させている。
「ここまできたし、そろそろ休もうか」
見た感じ疲れているのは自分だけのようだったが、とりあえず提案する。二人は反対しなかった。サンダーについては喋るばかりで賛成もしてこなかったが。
342 :
VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/07/30(金) 12:27:28.66
ID:R3c5/EUo 「ふう……」
遺跡の正面は開けていて、ちょっとした広場になっていた。土肌をむき出しにした地面が、いびつな円形を作っている。
適当な場所に腰を下ろし、あたりを見回した。広場より向こうは背の高い草原が広がっている。遠くには山。そのふもとにはまばらながらも背の高い木々が立っているのが見えた。
日は頂点を過ぎ、やや傾いている。強すぎることはないが、弱いわけでもない。ただ、内陸のほうに進んできてから夜と昼の寒暖の差が開いてきていた。汗をぬぐう。
「ルゥ君、大丈夫?」
「ん? ああ、平気だよ姉さん」
答えながら、鞄から干し肉を取り出す。リオにも渡しながらひとつを口に運んだ。決して美味ではないが、それでも空腹は紛らわせられる。
涼しい風が吹いた。サンダーの喋る声をかき混ぜ(まだ喋っている)、ルイスの頬をなで、リオのポニーテールを揺らす。
いい日和だった。シートでも敷いていれば寝転がっているところだ。研究も一休みにして眠ってしまいたいような。
343 :
VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/07/30(金) 12:28:14.73
ID:R3c5/EUo そんななかでその平穏を破ったのは、サンダーのいぶかしげな声だった。
「おや?」
当たり前に聞こえていたものが途切れると人は違和感を覚える。突然止まったサンダーの言葉にそれこそいぶかしい思いでルイスは身を起こした。
「……どうかしました?」
「あれはなんだ?」
彼の指差すほうを見やる。特にどうということもない、ただの地面が広がっていた。
「?」
「あの石だ」
確かにサンダーの言うとおり、こぶし大の石が転がっていた。が、確かめるまでもなくただの石だ。
「よく見ろ」
声になんとなく不穏なものを覚え立ち上がる。近寄って石にかがみこんだ。
344 :
VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/07/30(金) 12:29:57.46
ID:R3c5/EUo 「……」
なんということもない。ただのこぶし大の――いや。
「え?」
違う。こぶし大の石などではない。
「手……?」
それは、こぶしそのもの。
――『こぶしをにぎった手の形をした石』だった。
「ああああああああ!」
そして聞こえてきた悲鳴は。
「!?」
彼らを平常という生暖かいぬるま湯から引きずり出し、苛烈な真実への道へと放り込むのである。
349 :
VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/08/04(水) 16:26:44.31
ID:Xo8DJm.o 「あああああああああああ!」
再び悲鳴が聞こえた。長く尾を引いて、ベッドルームまで延長しそうなほど悲痛な声。
視線を遺跡の入り口に振った。門を抜けた向こうの暗くぽっかりと口を開いた狭い通路。そこから悲鳴は聞こえてくる。
(な、なんだ……!?)
ルイスはすっかり動転して動けずにいた。その間に悲鳴はみたびあがり、それはどんどん近づいてくるようだった。
呆然としているうちに袖を引かれる。驚いて振り向くとリオがそこにいた。
「ルゥ君、下がって」
言って、リオはルイスを後ろにかばい、入り口に一歩踏み出す。見るとサンダーも数歩入り口から遠ざかっている。
そして待ち受けた。
「わああああああああああ!」
今度の悲鳴は入り口のすぐ内側から上がった。同時に男が一人、転がるように走り出てくる。
350 :
VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/08/04(水) 16:29:02.55
ID:Xo8DJm.o そのまま勢いで転がった。男は必死の形相で顔を上げ、こちらを視界に入れると一度動きを止めた。
「あ……」
表情をくしゃくしゃと歪めるとこちらに走りよってリオにすがりついた。
「た、助けてくれ……」
息を切らせた彼は、薄緑色の作業服を着ていた。
(調査員?)
思い浮かんだのはそれだった。色のくすんだ服装は遺跡の中に長いこといたことを予想させる。顔は日焼けしていて歩きなれていることをうかがわせた。
「一体どうしたの?」
リオが鋭く訊ねる。視線が尖り、一瞬のうちに警戒態勢に入っていることがルイスにも分かった。
「ば、ばけ、化け物が……!」
「落ち着いて。ゆっくり話して」
リオがなだめるが、男はかえって声を荒げた。
「これが落ち着いてられるか!」
351 :
VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/08/04(水) 16:30:35.73
ID:Xo8DJm.o 「一体どうしたんですか、お願いですから話してください」
リオの後ろからルイスが言葉を重ねると、男はもどかしそうに口をもごもごさせた後、早口で喋りだした。
「化け物が出たんだ、調査をしていたら急に! ここには何度か来たがこんなことは今までなかった……あれは……あれは一体なんなんだ!?」
調査、という単語から察するに、やはり遺跡の調査員で間違いないらしい。
「化け物? 魔物、ですか?」
「違う! あれはそんな生易しいもんじゃない……壁を破ったらすぐそこにいてカイルが石にされて!」
「お、落ち着いて」
男は聞かずに凄まじい力でルイスの腕を掴むと、泣きそうな声で叫んだ。
「頼む、助けてくれ! 俺は死にたくない!」
「だ、大丈夫ですから!」
とんとん、と肩が叩かれた。リオだ。彼女は遺跡の入り口に顔を向けたままこちらに手振りでさらに下がるように指示した。
同時、ざり、と砂を踏む音が聞こえた。それほど大きくないそれは、なぜかはっきりと聞こえ、男はびくりと振り向いた。
「き、来たぁっ!」
男の声が裏返った。
352 :
VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/08/04(水) 16:32:15.56
ID:Xo8DJm.o ふっと空気が重くなった気がする。ずっしりとではなく、あくまで軽く。しかしそれはざわざわと毛羽立ち、肌を不穏に削ってくる。
そんな空気の中で。遺跡の入り口に人影が現れた。
きわめて痩身の体躯。背は高い。だが……
(な、なんだあれ……!?)
日の光の下にさらされた姿は人間のものではなかった。青白いガラス光沢の体表。服は着ていない。だが着る必要はなさそうだ。身体の表面は無機質で凹凸がきわめて少なく、隠すべき箇所が存在しないから。薄い頭髪以外に体毛は皆無で、関節部が奇妙に膨れ上がっていた。
人形。ルイスの頭に浮かんだのはその単語だった。
「ほう……」
顔面部に一筋ついた、唇のない口を開いてそれが感慨深げに声をあげた。
空色の瞳でこちらを見据える。
「ひ……」
調査員の男が腰を抜かして座り込んだ。
353 :
VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/08/04(水) 16:33:54.50
ID:Xo8DJm.o 「また……人間か。好都合、だ」
それ――人形は再び口を開くとこちらに向かってゆっくりと足を踏み出した。
瞬間。
「光よ!」
耳を潰す轟音と共に猛烈な光量の光が人形に突き刺さって大炎上した。
調査員の男は再度悲鳴を上げかけたが、途中でそれは歓声に化けた。
「……や、やった!」
もうもうと砂埃が上がる中、男に手を貸して立たせながらルイスは目を凝らした。
リオの魔術は極端に強力である。構成の緻密さに欠けるが、力の総量で言えばルイスはその足下にも及ばない。先ほどのあれがなんであれ、直撃を食らってただですむはずがなかった。しかし空気は依然、重たいままだ。ルイスの頬を汗が伝った。
354 :
VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/08/04(水) 16:35:44.36
ID:Xo8DJm.o 炎はそのまま燃え続け――いや。
突如音もまれぶれなく、ふっ、と消えうせた。焦げ目の残った地面と、人影。
「な!?」
「ひ、ひゃあああ!」
人形は無傷だった。無表情のままこちらを見つめ、何事もなく突っ立っている。
そのときルイスは衝撃を受けてよろめいた。何事かと視線を振ると、男がいない。そのまま後ろを見る。ルイスたちが来た道を駆けていく男の背中が視界に入った。
呆然とそれを見送る。
と。
「愚かな……」
人形の声にはっと振り向く。その視界に奇妙なものが入り込んできた。
(なんだ……?)
355 :
VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/08/04(水) 16:37:47.23
ID:Xo8DJm.o 人形が虚空に手を差し伸べていた。それだけではない、五指をうごめかせ、虚空に文様を描いている。五指の動きはそのまま光の軌跡となって空中に刻まれていた。
「何する気?」
警戒を滲ませながらリオが問う。が、人形は無視したようだった。
リオはそれを見ると腰を落とし、戦闘の構えに入った。すなわち左半身を前に、半身をきる。
「シッ!」
そして、同時に飛び出した。風を引き裂く音がしそうなほどの猛烈な踏み込み。靴の底が地面と激しくすりあう音を立てながら、リオは人形の眼前に迫った。
「はッ!」
相手の身体の中心に拳を打ち込む。が、しかし……
「……消えた!?」
リオの目の前には人形の姿はなかった。代わりに光の文様が――文字?――虚空に浮かんでいる。だが、それも一瞬の後、掻き消えた。
「……どういうこと?」
リオが拳を突きこんだ姿勢のまま、いぶかしげにつぶやくのが聞こえた。
356 :
VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/08/04(水) 16:38:44.91
ID:Xo8DJm.o (逃げた?)
と思ったが、違うことがすぐに分かる。
「がああああああああああああああああああッ!」
悲鳴が聞こえた。血を吐き散らすような断末魔の悲鳴が。
はっとして後ろを振り返る。
後方にやはり振り返った姿勢で立つサンダー。そこの向こうに。
「ああッ! うああッ!」
十メートルほど離れているだろうか。こちらに背を向ける格好で男が浮いていた。例の調査員だ。
「そんな!」
リオの声。ルイスも、うっと声を洩らした。
男は虚空に浮遊しているわけではない。細長いものが彼を貫き、空中に縫いとめているのだ。剣の刀身。そのように見えた。
357 :
VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/08/04(水) 16:39:48.73
ID:Xo8DJm.o 「私から、逃げられると思ったか……人間」
声は男の向こうから聞こえた。例の人形。
ルイスはようやく理解する。人形の保持する剣が男の胸部を貫き、空中にぶら下げているのだ。
「ああああああああ!」
男は苦悶の声をあげながら必死で足をばたつかせていた。男も背が低いわけではないが、足が地面に届いていていない。それを持ち上げる人形の膂力をうかがわせる。
と、そこで気づく。
(足をばたつかせて?)
奇妙だ。あれはどう控えめに見ても致命傷である。あんなに暴れることなどできるはずが――
「ふん……」
人形は鼻を鳴らすと一瞬で剣を引き抜いた。どさりと音を立てて男が地面に尻餅をつく。
そして。
ルイスは信じられないものを目撃した。
358 :
VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/08/04(水) 16:41:21.95
ID:Xo8DJm.o 「あ…… あ……」
男が声を洩らす。なぜか傷はない。血も流れていない。だが剣で貫かれたというショックからだろう、言葉が定まっていない。男はこちらに振り向くと、呆然と声を出した。
「助け――」
そこで言葉が止まる。そして言葉と共に男も動きを止めた。そのまま動かない。風もまた動きを止めていた。
「……?」
違和感に気づく。男の肌。色が若干、くすんだ色に――いや、間違いない、少しづつ確実に灰色に変色している!
『壁を破ったらすぐそこにいてカイルが石にされて!』
人形が無言のまま緩慢な動きで男に手を伸ばす。
「やめろ!」
思わずルイスが声を上げるが、人形の手は止まらない。その指先がゆっくりと男の頭に触れ――
――ぱきゃっ!
突如男にひびが入った。そして瞬時に崩れ落ちる。
道の真ん中に山になったそれは、もうそこらに落ちている石と見分けはつかなかった。
359 :
VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/08/04(水) 16:42:56.66
ID:Xo8DJm.o 「な……」
なんだっていうんだ一体。ルイスはすっかり混乱していた。見たこともないような変なものが出てきて、それが人間を石にしてしまった、だって?
寒気が胸の底からわきあがってくる。身体ががたがたと震えだす。わけも分からず、それでも自覚した。僕は今、恐怖している!
だから。
その声が聞こえたとき、実は少し安心したのだ。
「はあああああ!」
気合を上げてリオがルイスの脇を通り抜ける。突風を引き連れた彼女はサンダーも瞬時に背後に置くと、文字通り人形に飛び掛った。
364 :
VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/08/17(火) 21:56:32.57
ID:VyUhElIo ◆◇◆◇◆
実際のところ。リオにもわけが分からなかったし、理解できないゆえの恐慌が胸の底からわきあがってくるのを抑えられずにいた。それでも行動を起こしたのは、単純に調査員の男がかわいそうだったからだ。
(あの人、とっても怖がってた)
それを。それをあのアレは!
「出でよ!」
人形の三歩手前。リオは叫び声を呪文にすると、空の両手を上段に振りかぶった。
刹那、慣れた手触り。狂犬の顎のように開いた異空間に手を突っ込み、リオは自前の長剣を引っ張り出した。
魔王一族に伝わる異空間利用魔術。精密な構成で本来ならリオが使うことは難しいが、これだけは徹底的に叩きこまれたためかろうじて使える。
「はあああああああああああッ!」
そのまま小細工なしに真っ向から振り下ろす。
けたたましい金属音があたり一帯に響き渡った。
365 :
VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/08/17(火) 21:57:45.20
ID:VyUhElIo 手の中で長剣がびりびりと震えるのを感じながら、リオは信じられない心地で目を見開いた。
(嘘だ……)
長剣は人形の剣に阻まれて止まっていた。
ありえない、魔物の大上段からの一撃をまともに受けきるなど。剣が、筋肉が、精神が。それに耐えられるはずはないのだ。
「現実、だよ」
声に意識を戻すと同時に鋭い気配が胸元めがけて襲い掛かってきた。
身を捻ってかわす。そのときに確認する。手刀。すばやく退いて間合いを外した。
はずだったのだが。腹部に衝撃を感じてよろめく。
(何!?)
366 :
VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/08/17(火) 21:59:09.59
ID:VyUhElIo 見ると拳が叩き込まれている。拳だけ、だ。手首から先がついていなかった。代わりにきらきら光る糸のようなものがつながっている。
悟る。鋼線でつながった人形の拳だけを投げつけられたのだ。
しかしダメージは大したことはなかった。はっとして見上げる。人形の剣が振り下ろされる。
「くっ!」
かろうじて受け流し、流れのまま柄を相手の顔につきこんだ。相手はかろうじて避けたが体勢を崩したようだった。
好機と見て剣を手放す。同時に拳を相手の腹に触れさせた。人形は意に介さなかったようだ。そのまま片手で剣を振り上げ――
(今だ!)
拳を押し返してくる力を感じながらリオは胸中で歓声を上げた。
ズダンッ!!
リオの足下で爆発するような音が鳴り響いた。人形が転倒する。リオは一息に駆け寄り、その顔めがけて勢いよくかかとを振り下ろした。
367 :
VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/08/17(火) 22:01:32.54
ID:VyUhElIo 寸打、と呼ばれる技術がある。相手に拳を触れさせた状態から、渾身の踏み込みと全身のばねを使ってゼロ距離打撃を与える技だ。相手が後ろに退こうとした場合はその勢いを利用して弾き飛ばすことが出来るし、逆に相手が踏み込んできた場合は内臓になみなみならぬダメージを与えることができる。歴代勇者が近接格闘の切り札にしていたものだ。
(成功したよお師様!)
足下に鈍い手ごたえを感じながら胸中で歓声をあげる。戦闘の余韻を感じながら、リオは慎重に足を引き戻した。
しかし。
「!?」
突如人形の胸部に文字が浮かびあがった。銀色の光を放つ。
その効果はすぐに知れた。
リオの目前の空気が突如歪む。
咄嗟に顔を両腕でかばうがその上から衝撃が襲い掛かった。
(ぐ!?)
足が地面から引き剥がされる。重力感覚を失い。後方に吹き飛ばされた。
368 :
VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/08/17(火) 22:03:15.67
ID:VyUhElIo 転がりながら何とか受身を取る。が、その瞬間激痛が走る。
「つっ!」
地面をひっかきながらようやく吹き飛ぶ勢いが収まり、顔を上げた。人形が遠くに倒れている。駆けてきた来た分だけをそのまま吹き飛ばされたようだ。
「姉さん大丈夫!?」
「ルゥ君……」
助けを借りて何とか起き上がる。が、やはり激痛。痛みは右腕から発しているようだ。
(折れた……)
「あいつ……」
ルイスの声に見やると、人形が上体を起こすのが目に入った。
369 :
VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/08/17(火) 22:10:38.80
ID:VyUhElIo 「ふむ」
顎が砕けている。それは見える。だが、意にも介さないかのように人形は起き上がって声をあげた。通りが良いわけではないが離れていても不思議と聞こえる声。
「これは……ただの人間ではない、ようだ」
人形は、起き上がって剣を握り直すと、投げたままの例の手を引き戻し腕にはめこんだ。
「ヴァンパイア、か?」
(ヴァンパイア……?)
吸血鬼。想像上の生き物だ。そのような種族は存在しない。人形の言うことの意味が分からず疑問符を浮かべる。
「知らないの、か」
「?」
一瞬、違和感を覚えた。だがそれがはっきりするその前に。
「だが、関係はない。我は主命を、受諾するのみ」
人形は剣を持っていない方の手で自らの脇腹に触れた。ワンテンポ遅れてその部分から銀の光があふれ出す。
370 :
VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/08/17(火) 22:11:46.23
ID:VyUhElIo (さっきから……あれはなんなの?)
一瞬で調査員の男の前に移動したとき。リオを吹き飛ばしたとき。どちらも魔術に違いない。だが。
(呪文が聞こえなかった……)
魔術というのは必ず呪文の声を媒体とする。呪文のいらない魔術など聞いたことがない。
しかしながら現実として、人形の脇腹の文字が効果を発揮する。
無音のまま。突如空気が渦巻いた。砂が飛んできて思わず目を瞑る。もう一度開いた視界には――
「竜巻!?」
激しく渦を巻く巨大な空気の塊がそこにあった。人形の姿がその向こうにかすむ。だが音はない。無音のまま不自然に猛り狂っている。
「行け……」
人形の声と共にそれはこちらに向かって動き出した。
371 :
VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/08/17(火) 22:13:44.98
ID:VyUhElIo 間違いない。あの文字が魔術を起こしている。
リオはすばやく振り向いた。
「姉さん?」
隣のルイスが引きつった顔でこちらを見る。
「決まってるでしょ! 逃げるの!」
無事なほうの左手でルイスの服を掴み、引き摺る形で走る。
見ると、先ほどから全く言葉を発していなかったサンダーは遺跡の門の内側に立っていた。
「こっちだ」
告げて遺跡の中に飛び込む。リオもそれを追って遺跡に走りこんだ。背中に人形のぴりぴりとした視線を感じながら。
377 :
VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/08/22(日) 16:12:19.71
ID:sxuUH2Io ◆◇◆◇◆
遺跡内の通路をサンダーの先導に従って走り抜ける。やはり不思議と埃ひとつ落ちていない通路。そして光もないというのに薄明るい。
ルイスはそれらの思索をいったんやめて、リオの腕に手を伸ばした。
「我は、癒す斜陽の、傷痕」
リオの腕の腫れがすっと引いていく。
「ありがと、ルゥ君」
ルイスのほうは走るのに精一杯でそれに応じることはできない。
ルイスの治癒魔術は一級品である。腕の骨折くらいなら完璧に直っているはずだ。十分な魔力がない状態で不思議に感ぜられるかもしれないが、実のところ簡単な話である。壊すのと違って治すというのは力ではなく精密さが求められるのだ。ルイスは十分な魔力を持っていないが精緻な構成を編むことができるというのは前述したとおりである。
ちなみに酒場でヴォイムとやらに全力で殴られても比較的早く立ち直ることができたのも自分で治癒できたからだ。
378 :
VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/08/22(日) 16:13:16.75
ID:sxuUH2Io 「あれはっ、一体……」
走りながら言うので言葉が安定しない。
前を走るサンダーが速度を落としこちらに顔を向ける。そのまま走り続けながら器用に告げてくる。
「君はどう思うルイス君」
「どう、って……」
わずかな凹凸に足をとられてよろめく。
「分かりません。あれはそもそも生き物なんですか!?」
「私は似たようなのなら見たことがある」
「ミサンガ、それほんと?」
傷は完璧に癒えているはずだが、眉をしかめてリオが問う。あの調査員のことが心に引っかかっているのだろう。
ルイスにはそんな余裕はない。事態を把握するため頭を空転させるので手一杯だった。
「じゃあ、あれは一体なんなんです!?」
思わず声に怒気がこもる。
379 :
VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/08/22(日) 16:14:47.92
ID:sxuUH2Io 「私がそれを見たのはニューサイトの一角だよ」
「街中!?」
「本当ですか!?」
リオとルイスが驚いて声をあげる。サンダーは走っているというのになぜか滑らかな語調で後を続けた。
「ああ、本当だ。しかし彼はひどく弱っていた」
「あんなに、強くなかった、ってことですか」
「だから倒せたの?」
サンダーが驚いたように目を見開く。
「倒すだと。君たちは悪魔か」
「は?」
思わずリオと声が重なる。
「ドズル老人は見た目はあんなだが気のいい人だったぞ」
「それ人間!」
380 :
VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/08/22(日) 16:16:32.41
ID:sxuUH2Io 思わず足から力が抜ける。立ち止まって壁に手をつき大きく息をついた。あわせてサンダーとリオも足を止めた。
「ミサンガ! よくわからないけど、今はふざけてる場合じゃなんだよ!」
「しかし、彼を見ていたら君たちも同意せざるを得なかったはずだ。実際ドズル老人が蘇ったのかと思ったくらいだしな」
「故人なら、ドズル老人に謝ったほうがいいですよ……」
息が乱れて苦しい。汗がどっと吹き出てきた。
「ルゥ君、つらいと思うけどせめて歩こう? あいつに追いつかれちゃう」
「了、解……」
大きく息を吸って顔を上げる。運動不足がたたっている。祖父の訓練を受けていたあの頃とは違う。
「遺跡に逃げ込んだのは間違いじゃないと思うけど」
リオが先頭を歩きながら言う。
「まさか袋小路じゃないよね」
「それは、ないと思う」
二人の後を、汗をぬぐって歩きながらルイスは頭を働かせた。
「前二つの遺跡もそうだったけど、これらは砦のような構造をしてるんだ。いや実際砦だったんだと思う。何と戦っていたのかは知らないけど……」
「つまり?」
「脱出口もある、ということだな」
サンダーの言葉にうなずく。そこで気づいたが、サンダーは汗ひとつかいていない。息の乱れはあるものの喋るのに辛そうではない。どころか滑らかさを失ってすらいない。
(やっぱり変人だ……)
381 :
VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/08/22(日) 16:17:50.07
ID:sxuUH2Io 突如通路が開けた。広い空間がぽっかりと三人を受け入れる。大きめの運動場ほどの大きさ。円形に広がっている。太い柱が間隔をあけて立ち並んでおり、視界はあまり良くない。
「それじゃあ、このまま歩いていけばいずれ出口にたどり着くね」
リオが、彼女には珍しい鋭い目つきでうなずく。
「このまま出口を探すよ。異論はないよね?」
「懸念を言えば」
ルイスは口を開く。
「あれはこの遺跡から出てきた。この遺跡のことに詳しくても不思議はないんだ。待ち伏せされるかもしれない」
「それは、確かに」
「それに……」
「それに?」
382 :
VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/08/22(日) 16:18:27.05
ID:sxuUH2Io ルイスは黙り込んだ。
「何、ルゥ君。大事なこと?」
確かに、大事なことかもしれなかった。あの人形の姿が頭の中にちらつく。銀の文字。そして剣。
見間違えでなければ。あの剣の刀身にもやはり文字があった。
「……」
「ルゥ君?」
立ち止まったルイスに、彼女の声がわずかに焦りを帯びたものになる。すぐ背後にあの人形が迫っているかもしれないのだから、それは当然というものだった。そしてリオが、このリオが恐れる相手だということでもある。
しかし、それでも。
383 :
VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/08/22(日) 16:19:08.39
ID:sxuUH2Io ルイスは顔を上げた。そのとき、目の端に何かが見えた。
「あ」
「え?」
疑問の声を上げるリオの肩越しに、それが見えた。壁面。そこにそれはあった。
「これは……!」
駆け寄る。壁に一文字が描かれている――それは文字というより文様に近かったからその表現が正しいだろう――。何の変哲もなくあるそれは、しかしそこからなにやら魔術構成を発していた。
(魔術、文字……)
人形の転移。石化の剣。竜巻。いや、それだけではない。不思議と埃ひとつない廊下、劣化のない建物、どこにあるのかも分からない光明。
384 :
VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/08/22(日) 16:19:54.90
ID:sxuUH2Io ルイスは一人、確信を固めた。
(どうする……?)
どうするとは。ルイスの中で逃げる以外の選択肢が生じたことを意味する。
どうする。
「ルゥ君……?」
「姉さん」
何か感じるところでもあったのか、訊いてくるリオの表情は不安そうなものに変わっていた。
その顔に向けてルイスは告げた。
「僕は、ここに残る」
小さな声だったと自覚はしている。だがそれは決意の言葉であり、れっきとした宣言だった。
「なに、言ってるの?」
リオの声がこわばった。
385 :
VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/08/22(日) 16:23:54.05
ID:sxuUH2Io 「僕は戦うよ」
言葉を繰り返す。厳密には違う言葉同士だが、意味するところは同じのはずだ。
「ちょっと……待ってよ、どういうことルゥ君。わけが分からないよ」
リオが困惑の声を上げる。
「これを見て」
指し示されて、サンダーとリオが文字を覗き込む。
「これ、魔術構成を発生してる」
「……確かに」
二人がうなずくのを見て続ける。
「さっきから気になってたんだ。この遺跡、少なくとも人間が存在を忘れてしまうくらい昔からあったはずなのに少しも崩落していない。傷ひとつない。細かく確認すれば埃ひとつないんじゃないかな。明かりもそうだ。こんな明り取り窓のないような遺跡の中なのにほんのりと明るい」
「それが?」
「きっとこの文字によるものなんだ」
386 :
VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/08/22(日) 16:25:19.69
ID:sxuUH2Io ルイスは一人うなずく。
「この文字があるから建物は劣化しない。そしてあの人形の転移や攻撃方法……」
静かに結論する。
「魔術文字は実在した」
二人と視線を合わせる。一対は困惑しているもの、もう一対は何の表情も映していないもの。
「姉さん、これは重大な発見だ。魔術士たちがついに見つけることができなかったものがここにあるんだ。これはもしかしたら魔術の根源に深くかかわっているかもしれない」
「でも……」
「僕は――」
眼差しに力を込めてルイスは口を開いた。
「僕は学者だ。だから真実からは逃れられないし、逃げるつもりもない。だから僕は、戦わなくちゃならない」
息を吸う。
「だから、僕はここに残る」
391 :
VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/08/27(金) 08:05:59.23
ID:cX9ZsuMo ※
小さな足音が静かに小さく響き渡った。そのすぐあとにガラス光沢の体が広間に進入する。
人形はあたりを見回し――
「光よ!」
突如呪文の声が響き渡った。荒れ狂う高威力の破壊光は、帯となって人形に殺到する。
「無駄……」
人形が熱衝撃波に向かって手を差し伸べた。
受け止められると見えたそれは、しかし人形に向かっていたわけではなかった。天井に突き刺さって爆発する。
轟音とともに建材が剥離し、崩壊し、落下した。人形はそれを見上げたが、避けようともしなかった。数秒もしないうちに瓦礫の山に埋もれる。
魔術文字は先ほど見た限りではとても強力なもののはずだった。もし先ほどの壁の文字が完璧に建物を保持するものなら、リオの魔術といえども簡単には破壊できなかっただろう。だからあの文字は建物のごく軽微な保存の機能しか持っていなかったか、単純に魔術自体が劣化していたかだ。
そのまま沈黙が落ちる。柱のうちの一本から片目だけをのぞかせ、ルイスは様子をうかがった。
あの人形は避けなかった。それはつまり避ける必要がなかったということだ。
その推測を裏付けるようにがれきの山が突如吹き飛んだ。ルイスの頬を掠めて破片が飛ぶ。人形はその胸に文字を輝かせ、先ほどと変わらず立っていた。
「やはり、無駄……」
全くの無傷であることを見れば確かに効きはしなかったのだろう。だが――
「はッ!」
人形の背後に滑り込み、リオが飛びかかった。その手に銀の短剣がある。リオの二振り目。
じゃっ!
硬質な固体の表面を削るような音がした。存外すばやく身をかわした人形の体表を、リオの短剣が掠めた音だ。
392 :
VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/08/27(金) 08:06:55.66
ID:cX9ZsuMo 「ふっ!」
リオがもう一歩を踏みこむ。しかしそれに先んじてさきほどと同じように胸部を輝かせた。
リオが横に跳ぶ。その残像を不可視の衝撃が通り抜ける。柱の一本にひびが入った。
追撃の構えを見せる人形。しかしルイスもただ見ていたわけではない。
ルイスは言ったのだ。戦うと。
瞬時に簡単な構成を編み上げ、呪文を叫ぶ。
「我は乱す光列の檻!」
それと同時、見える光景が大きく変化する。
ルイスの目に天井が映った。それと同時に床も見える。そしてあらゆるものがねじくれ、ゆがみ、ひっくり返った。視界の混乱具合に気分が悪くなるのを感じる。
そして。
「光よ!」
激しい光がすべてを包んだ。
約二秒後。目を焼く光輝が収まって。ルイスは瞼を開いた。視界が元に戻っている。
そのなかで見えたのは、短刀を握って構えをとるリオ。そしてやはり無傷でそれに対峙する人形だった。
ルイスは顔をしかめた。
(仕留められなかった……完全な不意打ちだったのに)
魔術により光の進行方向を任意に捻じ曲げ、視界を混乱させる。それに乗じてリオが攻撃を仕掛けたのだが、かえって防御に回らせてしまったらしい。
とはいえ、全く何の影響もなかったというわけでもなかったようだ。人形の足元。そこに例の剣が転がっている。人形が取り落としたのだろう。その瞬間は見ることができなかったが。
393 :
VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/08/27(金) 08:07:27.48
ID:cX9ZsuMo ここにいるのはリオとルイスの二人だ。サンダーには残る理由がなく、また戦闘のための力もないので逃げてもらっている。だから、二人で仕留めなければならない。ただ、もとより一般人に戦闘能力は期待していない。
「強力、だな」
落とした剣はそのままに、人形が口を開いた。砕けていたはずの顎はどうやったのやら、元通りに修復していた。
「やはり、ヴァンパイアか」
先ほども聞いた言葉に、リオは眉をしかめるのがかろうじて見える。
「何言ってるのか分からないよ」
短剣の切っ先を人形に向けたまま続ける。
「あたしは堕天使族と鬼人族のハーフで、ヴァンパイアなんかじゃないんだけど」
「堕天使……鬼人……」
人形はしばし考え込んだようだった。空色の瞳をリオに向けたままじっと立ち尽くす。そのまま沈黙が流れたが、
「……なるほど。特殊ヴァンパイア、か」
「は?」
人形はひとりで納得したようだった。
「変異が固着し、異形化を果たした、といったところか」
「……?」
意味が分からない。こいつは何を言っている? ルイスは距離を測りながら片眉をあげた。
394 :
VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/08/27(金) 08:08:23.31
ID:cX9ZsuMo 「お前は……」
ルイスの声に、人形は反応せずにリオに視線を注いでいた。リオの方がはるかに驚異的だと気づいているのだろう。その通りであるし、特に気にせずルイスは続きを口にした。
「……いったい何なんだ?」
要領を得ない発言だとは自覚していた。とはいえ、ルイスの心情をもっとも端的に表したものであることも確かだ。
人形は答えなかった。
「それは魔術文字だろう? そんなもの実在するはずないんだ。お前は一体――」
「お前たち人間は」
人形の声にはっと息をのむ。
「お前たち人間は、ずいぶん忘れた、ようだな」
人形の声に何か、嘲笑のようなものが混じる。事実それはあざけりの声だったのだろうが。もしくは侮蔑だ。この人形は何かを知っていて、自分たちはそれを知らない。そしてそれは、おそらく大事なことだ。研究にとって。ルイスにとって。
「やっぱり何か勘違いしてるみたいだけど」
リオの声がルイスの思考を遮った。
「あたしは人間じゃないくて魔物。勘違いしたままだと、怪我するよ」
じり、と音をたてて――威嚇だろう――ほんの少しだけリオが間合いを詰める。短剣がほのかな明かりの中で、それでも鋭い光を放った。
395 :
VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/08/27(金) 08:09:20.22
ID:cX9ZsuMo 「人間、だよ」
嘲笑の気配は消えたが、人形は次に憐みを声に込めたようだった。
「どうしようもなく、人間だ。少しばかり怪物に近づいただけの」
「……怪物?」
ルイスの声に、人形は首肯して見せた。
「人間の持つ肥大化可能性、だ。しかし、お前たちが……知る必要はない」
人形の目が細くなる。
「お前たちはここで死ぬのだから」
「それは!」
だん!
声とともに強烈な踏み込みの音が響き渡った。リオが人形に肉薄する。
「それはないよ!」
彼女が放つ上段への突き。人形はそれを掌で受け止めた。
「だってあたしが相手だもん!」
次いで後ろに跳び際下腿部を狙う。人形はそれも、腕を振るうことで防いで見せた。
「それこそないな」
人形の声。先ほどよりずっと温度の下がったそれは、一歩を踏み出そうとしたルイスの体をぞっと冷やす。
「殺人人形たる、私に狙われたのだ。お前たちは、必然として、死ぬのだよ」
言うと同時、人形の右腕に文字が輝いた。同時に空気が振動を始める。虫が飛びまわるようなぶうん、という音。それは人形を中心としてゆっくりと広がり、壁面にしみこむとふっつりと途絶えた。
399 :
VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/08/28(土) 22:14:29.64
ID:EMENydIo ◆◇◆◇◆
リオは考えていた。この敵、確かに驚異的ではある。さらに言えば未知の存在だ。とはいえ。そう、とはいえ相手はこちらの攻撃を避けるのだ。それはこちらの攻撃が通じることの裏返しである。
(……いける!)
人形が何かしたのは分かっていたが、気にしている暇はない。むしろそれで生じた相手の隙を逃す手はなかった。人形に向かって短剣を持つ右手を掲げる。
「――!」
光よ、と。叫んだつもりだったのだが。
(!?)
喉から出た声は、その震えだけを残して霧散していった。
魔術は音声を媒体にしてその効果を発揮する。声が届かないところまではその影響の手を伸ばせない。
「そして声を出すことが、できなければお前たち魔術を使う者は、無力だな」
400 :
VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/08/28(土) 22:16:18.36
ID:EMENydIo はっとした時には不可視の衝撃波が鼻先に迫っていた。後ろに跳ぶものの、逃げ切れずに打ち倒される。受け身も取れずに転がった。
衝撃の余韻が収まった時には体中から悲鳴が上がっている。そのひとつひとつを無視して、リオは無理やり上体を起こした。
「――」
一体……
「一体、どういうことだ。そうだな、そう聞きたいだろう」
人形はどうということもなく先ほどと同じ場所に立っていた。平坦な視線でこちらを見下ろしている。
そしてまだ輝いている右腕の文字を示した。
「音声を打ち消す魔術文字。それも人間の音声を選んで、だ」
そのままこちらにゆっくりと歩み寄ってきた。足音が静かに響き渡る。
「お前たちの魔術は、音声を必要とする。彼らと違って。不便かと問われれば、微妙なところだが……それでも対策は立てやすい。私が――」
リオの目前で立ち止まる。
「そう、私がお前たち人間の、死神だよ」
401 :
VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/08/28(土) 22:17:34.58
ID:EMENydIo (彼ら……?)
見上げると、空色の瞳と目があった。
「……しゃべり、すぎたか」
人形はいったん言葉を切った。そして今度は問いかけてきた。
「お前たち人間は、この千年でどう変わったのだ?」
(だからあたしは人間じゃない……!)
「人間、だよ」
違和感を覚えて眉をしかめる。今……
「そうだ、私は、簡単な思考なら読むことができる。だから、さっさと私の質問に答えて、欲しいのだが」
こいつ……いや、人間がどう変わったか? そんなことを聞いてどうするのだ。それに何か意味があるのか?
「少なくとも、彼らにとっては。世界の存亡に関わるのだから」
彼ら。世界の存亡。わけがわからない。
402 :
VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/08/28(土) 22:18:56.24
ID:EMENydIo リオはそこまで考えて見上げたままいったん思考を閉じた。できるだけ、何も考えず何も思わず。
人形は不審に思ったようだった。口を開く。
「なにを――っ」
その言葉が途中で詰まるように止まる。人形の視線がリオから自らの体に移った。
人形の脇腹。そこから刀身が突き出ている。
「……」
ルイスが人形の背後に立っていた。人形が持っていた例の剣をその手に握って。
「…… さすがに、注意が、足りなかったか」
(ざまあ見ろ!)
勝った。
だが、そう思ったのもつかの間。
人形の左肩が輝いた。銀色の文字は光をあふれさせ、その光は広がって広間全体を満たした。
405 :
VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/08/29(日) 10:39:15.03
ID:9j9iL/so ◆◇◆◇◆
そして、その光はただ広がるだけにとどまらなかった。
(がッ――!)
猛烈な痛みの中、ルイスは弾き飛ばされて転がりまわった。炎でまんべんなく体中を焼かれる痛み。一枚一枚爪を剥がれる痛み。ぶすぶすと音がする。物が焦げる匂いが鼻をつく。
悲鳴をあげる。だが、それは声にならない。何かが弾けて、そして光は収まった。
「――っ」
声にはならないが――まだ魔術文字が効果を発揮しているのだろう――、自分の喉がまだかすかに震えているのは感じる。
全身をかきむしりたい衝動だけが体の中を駆けずりまわっていた。しかし体はぴくりとも動かない。無理やり顔だけをあげる。
(姉さん……)
かすむ視界。なんとか見える広間の様子は、先ほどと少しも変わりがなかった。何事もなかったかのように静かな冷たさを含んでいる。
数歩離れたところに瓦礫の山。ひびの入った柱。そして。
406 :
VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/08/29(日) 10:40:42.43
ID:9j9iL/so そして、人影。腕を高く差しのべてそこに立っている。不自然に節くれだった腕。その腕の先には。
(くっ……)
リオが首をつかまれて、力なく持ち上げられていた。
(……姉さん)
「煩わせるな」
人形が口を開く。その胴体にはすでに剣はない。離れたところに転がっている。
「お前たちは、情報を渡して、さっさと殺されろ」
情報。……人間がここ千年でどう変わったか、だったか。
「そうだ、私はすべての人間を殺さなくてはならない。主命を、完遂するために」
(すべての人間を殺す?)
「それが我が主命だ」
407 :
VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/08/29(日) 10:42:24.55
ID:9j9iL/so 人形はそう言うと、リオの首をつかみ上げる手とは反対の手――右手を手刀に構えた。
(姉さん!)
「この人間は抵抗できまいよ。私の指から生える針。そこから毒を、流し込んでいる。生命に無害ながら、あらゆる行動を禁ずる、まあそれなりに使い勝手の、よいものだ。とはいえ――」
そこで人形は一度言葉を切った。
「とはいえ、本来ならば私の精神支配で、事足りているはずなのだ。それが効いていない。お前たちは一体、なんなのだ?」
人形は、その空色の目をルイスに向けた。言っていることこそ分からなかったが、その目に不審の色が宿っていることは見て取れた。
そのままルイスは体をこわばらせた。人形の言ったことはとりあえず無視する。
確かにリオは抵抗できないようだ。意識はあるようだが。ならば――
(なら、僕がどうにかするしかない……)
魔術は封じられた。体も傷だらけ。そうでなくとも自分の戦闘力のなさは身にしみて分かっている。切り札はない。決定力もない。
そこから導き出される答えは。
(僕は見極めるしかない)
ただの一瞬。それだけで良い。ただの刹那。それでも構わない。ルイスは来るかどうかも分からないその時を、待つしかない。
408 :
VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/08/29(日) 10:44:44.66
ID:9j9iL/so 空気が凍る。そんな感覚に陥る。すべてが硬化し、固化し、引き延ばされるその感覚に。研究に没頭している時と同じ感覚。そして。
ぴし。
かすかに。かすかにかすかに音がした。水底の魚の呼吸のようにひそやかなその音が。
視線はそらしていなかった。だからそれを見ることもできた。
そして、だからこそルイスは体を地面から引き剥がした。気合が喉からほとばしる。
「――――!」
それも声にならない。だが気にしない。ルイスはそのまま、全感覚を先鋭化した。ぴりりと総毛立つ感触。
びき!
今度は確かに、間違いなく何かにひびが入る音がした。ルイスはそれを聞きながら魔術構成を瞬時に組み上げた。
人形も『それ』に気づいていた。リオをつかみ上げたままこちらに向き直り、胸に文字を輝かせる。しかし。
(こっちの方が早い!)
ルイスは胸中の歓声をそのままに、呪文の声に乗せた。
「我は放つ光の白刃!」
人形の魔術文字が発生させた衝撃波と小さな光熱波がすれ違う。ルイスは衝撃に打ち倒されながら、抵抗せずに転がった。同時に人形の方から小さな爆発音。
(よし!)
ルイスは十分な手応えに満足した。
409 :
VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/08/29(日) 10:49:44.05
ID:9j9iL/so 『それ』自体を待っていたわけではない。ルイスが待っていたのはなんでもいい、何かあの状況を打破するための好機だった。ルイスにはチャンスを待つことしかできなかったのだ。だから『それ』は偶然であり、それ以上の何物でもなかった。ただ、それ以上の何も望めない、最大の好機だった。
長い年月を過ごすうちに劣化していたのかもしれない。リオの打撃で脆くなっていたのかもしれない。そのほかの要因があるのかもしれない。なんでもいい。だが、それは確かに起こった。
すなわち――魔術文字が砕けたのである。
ルイスはもう動かない体に鞭打って、視線だけをそちらに移した。
「ぬ……」
人形が、その左腕をおさえている。ルイスが正確に狙った、その左腕を。
効いている。あれだけやって何も通じなかった相手が、今やっと、動じている。そうだ、いくらルイスの攻撃が低威力だろうと攻撃と防御は同時にはできない。
ルイスは痛む肺を精一杯膨らませ、それを一気に解き放った。
「姉さんッ!」
リオは、すでに人形の拘束から逃れていた。彼女にも先ほどの攻撃のダメージがあるのだろう、片膝をつきながら、それでもリオは――リオの目は、輝きを失っていなかった。
転がって取ったほんの少しの距離を置いて。リオは人形と対峙していた。
彼女は差しのべている。その腕を。そして、呪文を解き放った。
「光よ!」
410 :
VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/08/29(日) 10:51:55.99
ID:9j9iL/so 人形もその時にはダメージから立ち直っていた。
リオの呪文の声と同時かもしくはそれより早く、リオの方に手を向けた。その掌に新たな文字が花開く。文字から光があふれ、まとまり、そして一直線にリオに向かって解き放たれた。
光と熱衝撃波が真正面からぶつかる。そして一瞬で決着がつく。文字から放たれた光の帯が、リオの放った熱衝撃波の塊を割り、リオに殺到する。
(まずい――姉さん!)
リオを光が呑み込む。だがその直前、リオの手が、一条の赤い光を放った。
「ああああああああ!」
リオの気合が響き渡る。途端、リオから膨大なエネルギーが押し出された。先ほどより一回り以上巨大な熱衝撃波の塊が、光を押しのけ直進する。
そして一瞬で人形をのみ込み、爆発した。その時、ルイスは確かに見た。人形の顔が恐怖に歪み、絶叫するのを。
轟音が耳をつんざく。建物が揺れる。さらにもう一度大きな爆発が起こり、天井の建材が再度剥離し、細かく降り注いだ。
ルイスは目を閉じた。意識が地鳴りの中、ゆっくりと遠のいていく。そのとき考えていたことは一つだった。胸中でつぶやく。
(僕たちの勝ちだ)
それを最後に意識は暗闇の中に呑み込まれていった。
416 :
VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/08/30(月) 17:48:38.15
ID:94qX20ko ◆◇◆◇◆
まどろみの闇。ゆっくりと渦巻く光明。ごつごつとうるさいそれら。
その中でゆったりとかき混ぜられながら、彼は一心不乱に叫んでいた。
「母さん、母さん!」
暗闇の中で必死に呼びかける。喉が張り裂けそうなほどに膨張と収縮を繰り返す。それでも叫ぶのだけはやめない。
「母さん!」
かまわない。この際、喉なんてはりさけてしまえ。捨て鉢に断ずる。
「僕を見て母さん!」
何を言っているのか。何が言いたいのか。そしてどうしたいのかは分からない。それでも彼は呼ぶのをやめない。
叫び声は闇にのまれ、答えは返ってこない。
声がかすれる。喉が裂ける。
どくどくと生温かい血潮を噴き、その血の中に滑り落ちる。
「――! ――!」
叫ぶ。声にはならない。叫ぶ。
ああ、自分は、自分は……自分は?
分からない。まったく何もかもが分からない。
(僕は!)
闇を裂く怒号。それを最後に彼の叫びは途絶え、覚醒の光が押し寄せてきた。
◆◇◆◇◆
417 :
VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/08/30(月) 17:51:55.68
ID:94qX20ko ・
・
・
目を覚ましたのは気を失って数十分後といったところだった。薄く積もった埃を払い、痛む体を地面からはぎ取る。どこかかび臭い遺跡の中。あたりを見回すと、いくつも倒れた柱と壁に空いた大穴が目に入った。壁も柱もほとんどが崩れ落ちており、ここまで大規模だとまだ遺跡が崩落していないことが不思議に思えた。恐らく魔術文字の効果だろうが。そしてそれらのそばにてらてらと光るいくつかの塊。砕けて溶けたそれらは、推測するに人形の残骸だ。そしてそれらから一直線に結んだ場所に彼女はいた。
「姉さん……」
魔王の娘はうつぶせに倒れて気を失っていた。ふらつきながらも近寄ってかがみこむ。服は幾分か汚れてしまっている。だが、致命的といえるほどの外傷はない。とりあえず安心してよさそうだった。ただ、腕をいくらかすりむいている。一応治療するために手を伸ばした。
――その手がぴたりと止まる。彼女の指輪がルイスの視界に入った。さきほど赤い光を放ったそれ。小さな真紅の宝石を戴いた指輪。
それは彼女が、帰ってきたその父から押しつけられた物で、最初身につける時は嫌がったらしいのだが、その割になかなかはずそうとしない。確か名前は――≪愛想笑いの指輪≫。しかしそれはただの装飾品ではなかった。
「≪魔力増幅の指輪≫」
指輪の機能は、その装備者の魔力を大幅に底上げし、増強するもの。その仕組みは分かっておらず、オーパーツ扱いだ。ただ、ひとつ言うとすれば――
「もう、機能は失っているはず……」
そう、彼女の父が使用したのを最後に、魔力増幅の指輪はその機能を発揮しなくなった。彼女の手に渡ってからもそれは同じで、しかしつい先ほどの物を見るに確かに発動していたようだ。目を焼く赤色の光輝。あれは指輪から発していた。
それに手を伸ばして触れる。と。
「あ……」
ちいさな音をたてて、指輪が割れた。まっぷたつになったそれは、地面に落ちると、かすかな金属音をたてた。
418 :
VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/08/30(月) 17:53:02.99
ID:94qX20ko 「だーかーらー、違うって」
目を覚ましたリオは、不機嫌に顔をしかめると同じ言葉を繰り返した。
「アレが守ってくれた? ちゃんちゃらおかしいよ」
「でも状況を見るに」
「違うったら違うって」
リオはむきになって否定する。その声に合わせるように焚き火の炎が踊った。遺跡の前の例の広場である。外に出た時にはすでに日は暮れており、ここで野宿することになった。
今は焚き火を前に話をしている。夜のただっぴろい闇が、静かにあたりを包んでいた。虫の鳴き声が聞こえる。聞いたことのあるようなないようなそれ。
サンダーはいない。外で合流するはずだったのだが、こちらに勝ち目がないとみて逃げていたとしてもなにも不思議はなかった。
「でも、その指輪が発動したのだけは間違いないよ。もう力を発揮することがないこともね」
ルイスは焚き火を見つめながら言った。
リオは黙って手の中を見る。そこには二つに割れた指輪があった。ルイスの言葉通り、もう機能を発揮することはないだろう。
「それがなければ僕たちはやられていた。違うかな?」
「でも……あの駄目親父のおかげだなんて、あたしは認めないからね」
焚き火の炎がぱちりとはぜた。
リオは、父親が嫌いである。帰ってきた彼にリオは明確にノーを突きつけた。長い間父親というものを知らずに育ったのだから、急に帰ってこられても違和感しか覚えないのはまあ当然かもしれない。ルイスもそれほど詳しく知っているわけではない。だがそれはともかくとして、リオは父親を嫌っている。
419 :
VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/08/30(月) 17:53:59.89
ID:94qX20ko ふと思う。
(僕は、どうだろう)
ルイスにも父親がいない。随分前にいなくなってしまった。もしいきなり帰ってきたとして、ルイスはやはり父親を嫌うだろうか。
(分からないな)
まあ、大抵のことというのは当の本人でないと分からないものだ。相手の身になって考えるなんてのははなはだ思いあがりで、だいたいにおいて勘違いだと相場が決まってる、とルイスは考えている。当事者になってこんなはずじゃなかった、と思うことも少なくない。そう、まあ、そんなものだ。
ルイスはそのまま黙り込んだ。リオも何も言わない。焚き火の燃える音と虫の鳴き声だけがあたりを満たした。
そのまま見上げる。暗闇の中に控えめな光がいくつか見えた。冷えた光を投げかけるそれらは、それこそルイスたちの気を知る様子もない。まったくもって無関心そのものの光だ。今日、死闘を繰り広げたことも、こうして物思いにふけっていることも知らんぷり。
長いこと見上げた後、ルイスは苦笑した。苦笑して目をこすった。
眠い。それに体の節々が痛む。各部が痣になってしまっているだろう。明日の朝になればもっと痛むはずだった。だが、今日はとりあえず寝よう。
そう思って顔を戻したルイスの肩を、リオが勢いよくつかんだ。
(……?)
その力の強さに面食らって見やる。リオの顔がこわばっていた。ある一点を見つめて硬直している。
何故か、嫌な予感がした。背筋がひんやりと凍える。
ルイスはゆっくりとリオの視線の先をたどった。
420 :
VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/08/30(月) 17:54:48.63
ID:94qX20ko そして、それにたどり着く前に急激にリオに突き飛ばされ、地面に横倒しになる。土の味が口に広がった。その横を衝撃波が通り過ぎる。焚き火の炎がぱっと散った。
ぞっとしながら視線を振った。いた。それは、そこに立っていた。
節くれだった関節。わずかな明かりに反射するガラス光沢の体表、醜くつり上がった双眸。そして、その胸に輝く銀色の文字。
(馬鹿な……)
「現実、だよ」
遺跡の入り口。つい数時間前に見たその姿のまま、人形はそこにいた。何も変わらず、どうということもなく、それはそこに存在していた。無傷。
ルイスは混乱して口を開いた。
「な、なんで……間違いなく倒したはず!」
「ああ、そうだな」
人形はなんの気負いもなく頷いて見せた。
「お前たちは、間違いなく、勝ったよ。だが――」
人形はにやりと笑った。
「同時に負けてもいた」
「どういうこと?」
離れた場所で起き上がったリオが、その言葉とともに手を振りおろした。声を呪文として短剣がその手に現れる。
人形は笑みを浮かべたまその胸に手を置いた。
「我らは主命を受諾するのみ」
「『我ら』?」
ルイスは聞き咎めて声をあげた。
421 :
VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/08/30(月) 17:55:35.49
ID:94qX20ko (まさか……)
我、ではなく我ら。それらの意味するところは一つ。つまりは――
「我ら殺人人形は一体ではない。一体がその活動を停止すれば次の一体が活動を開始する。彼らもさすがに一体のみで全人類の駆逐など可能だとは思ってはいまいよ」
人形は胸にあてた腕をゆっくりとわきに戻した。
「私はお前たちに死を運ぶ殺人人形、千体がうちの二体目。祈る時間は与えよう。祈る神がいればだが」
絶句するルイスたちを前に、人形は笑みをさらに皮肉げなものに変えた。
「そうだな、祈る神がいれば。この世界に神がいないことを知っていてなお祈るつもりがあるのなら……」
「何を、言っている?」
「いや……大したことではない。忘れた方がいい。絶望を知りたくなければ」
そして、人形はゆっくりと笑みをおさめた。同時に、空気がぴりぴりと張り詰めていくのを感じる。
「第二幕だ人間ども。長広舌をふるうつもりはない。ただ、命じよう」
人形の目が鋭くなる。
「死ね」
人形の胸に、文字が輝いた。
427 :
VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/08/31(火) 15:02:26.47
ID:ls8yV0Ao 「光よ!」
呪文の声に導かれ、光の渦が巻き起こる。それらは一瞬でまとまると、目標に到達し炎上した。夜の静寂をかき分けて、爆音がとどろく。同時に土を焦がす匂いがした。
光威力のそれは、しかし標的を根絶するに至らない。
魔術の炎をかき分けて、光の帯が噴出する。夜の帳を切り裂いて地面に突き刺さると、同じく大爆発を起こした。その爆風にもみくちゃにされてリオが転倒。追撃の衝撃波がさらにその体を打ちすえる。
(まずい……)
衝撃波の圏外に逃れながら、ルイスは胸中でうめいた。相手は強力な魔術文字を体中に持っている。また、新たな人形で損傷は全く負っていない。反対にこちらは治療したとはいえ、つい先ほどまで手ひどく傷を負っていたのだ。魔術の治療では疲労まで癒すことはできない。
さらに言えば。
「あれが、まだあれば……」
≪魔術増幅の指輪≫
前回の戦闘の決定力はあの指輪だった。それがもうない。こちらから手出しするすべがなくなってしまった。
いや、厳密にいえばないわけではない。こちらだって魔術があるのだ。リオの魔術の出力は傑出しているし、それが『まともに』当たれば人形とは言えただでは済むまい。
だが――
「ひ、光よ……!」
倒れ伏した姿勢でリオが声を上げる。傷だらけになりながらも、魔術は彼女の意思に従って発動する。うなりをあげて突進する光熱波は瞬時に人形の目前に迫った。
そして、浮遊する銀色の文字に阻まれ唐突に消失する。轟音の余韻もなく、光輝の残滓すら残さず、さっぱりと消えうせる。
428 :
VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/08/31(火) 15:04:31.25
ID:ls8yV0Ao 人形の目の前に銀色の文字が一つ浮かんでいる。複雑な文様のそれは人形の周りを、守護するようにゆっくりと回りだした。
防御の魔術文字、だろう。先の戦闘では見なかったそれを使っているということは、本気のようだ。本気で殺しにかかっている。
これで、リオの魔術は封じられた。例の沈黙の魔術文字を使われていないだけマシといえばマシだが、それもいつ使われるかわからない。
唐突に視界の光度が落ちる。ぞっとして見回す。ただ焚き火が燃え尽きて光源がなくなっただけのことだったが、ルイスはついに自分が死んだのかと思った。
人形はどうということもなさそうに虚空に手を差し伸べると、文字を描いた。ほどなく完成したそれは、ふわりと浮かびあがると頭上で光を発し始める。あたりが明るく照らし出された。
人形とリオとでちょうど正三角形を描く位置。ルイスは馬鹿みたいにそこに突っ立っていた。文字の明かりに白く照らされて、体が小刻みに震えている。
「怖いか」
人形が無表情に訊く。ルイスは答えなかった。否、答えられなかった。
体が動かない。足が震える、視界がぐらつく。握った手の中に汗がにじんだ。
(畜生、それでも勇者の孫かよ!)
無理やり自分を奮い立たせる。固まった肺に空気を押しこむ。
(考えろ……考えろ考えろ!)
「あがくな。あがけばあがくほど苦しみが長引く」
人形の目にわずかな同情の色が浮かんだ。
「抵抗しなければ痛みを感じる暇なく殺そう」
ひどく傲慢な物言いだったが。その言葉に嘘はなさそうだった。
429 :
VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/08/31(火) 15:09:07.83
ID:ls8yV0Ao 死は。死は激痛を伴う永遠なる損失だという。ただ、別の者は死は甘美なる昇華過程だともいう。すべてをゆだねるに値する、やさしいゆりかごだと。
科学が台頭し、神というものの否定が始まり、死後の世界もまた否定される時代にあって、それは拒絶される考え方であろう。しかしそれでも今、恐怖にさらされるルイスにとってはまぎれもない真実に思えた。
真実ならばば甘受しなければならない。犬のようにそれに従順でなければならない。人は無力で、無知で、恥知らずなのだから。
――それでも。
人形がこちらに差しのべた掌に文字が開花する。ふわりと音もなく展開すると、その中心に光が集まる。光の粒が集約し、大きな光の塊が生じる。それほどの時間はかからなかった。収束した光は、こちらに向かって一気に解き放たれた。
それでも。
(それでも人は抗うしかないじゃないかッ!)
胸中で叫ぶと、ルイスは思い切り横に飛んだ。その体を掠めて銀の光が飛び去っていった。
着地を考えなかったため地面に体をしたたかに打ちつけて転がったが、それでも構わない。計算といえるほどたいしたものではないにしろ、意図通りだ。
何か柔らかいものにぶつかって回転が止まる。
「姉さん!」
そのまま縋りつく。
「姉さん、起きて。戦わなきゃ!」
必死に呼びかける。
430 :
VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/08/31(火) 15:11:06.58
ID:ls8yV0Ao 「う……」
リオは意識を失いかけていたようだった。ルイスに揺さぶられて小さくうめいた。一応なんとか意識は保っている。
それだけ確認すると、ルイスはリオの手をとった。そのままつぶす勢いで強く握りしめる。
「姉さん聞こえる!? いや、聞こえてくれ!」
「ルゥ君……」
返事にほっとする暇はない。
「いいかい姉さん、そのままでいい聞いてて、僕たちには今決定力が一つしかない、姉さんの魔術だ、僕の魔力量じゃどうにもならないし直接傷つけようにも近づけない、だから姉さんの魔術に頼るしかないんだ!」
矢継ぎ早に告げ、さらに息を吸う。
「もしくは逃げるしかない、でも……」
人形の口ぶりからするに、人形はすべての人間をその標的としているらしい。ルイスたちが逃げれば――
「ニューサイトが危ない……!」
そう、逃げれば人形はニューサイトに向かうだろう。相手はこちらの思考が読めるのだ。都市の場所はもう分かっているはずである。
もう逃げられない。
431 :
VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/08/31(火) 15:12:38.31
ID:ls8yV0Ao 「だから、戦うしかない! 僕と姉さんが!」
攻撃をはずしたからといって、人形は焦る気配を見せなかった。当たり前だ。急ぐ必要などないのだから。ゆっくりとこちらに向き直り、こちらに手を掲げる。
反対にルイスの心臓は早鐘のごとく鳴っている。
「勝つ方法はひとつ! あいつに攻撃を直撃させること!」
数時間前に勝てたのは、指輪による大出力に加え相手の防御の隙間をつけたからだ。攻撃と防御は同時にできないからだ。
「だから、姉さんの魔術でも相手の意表をつけば勝てる! 僕たちでも勝てる! そのためには――」
そのためには、ただ強力なだけではない、精密な魔術が必要なのだ。真正面からの超威力ではなく、自在の変化球が必要なのだ。
「姉さん、やるしかない! 姉さんの魔術に精緻さを求めるんだ。精密の極致を心がけるんだ!」
頼む、通じてくれ! きりきりと引き延ばされる痛いほどの緊張の中、ルイスは夢中で叫んだ。頼む!
人形の掌には、すでに文字が輝いていた。光は収束し、目がくらむほどの光量で闇を切り裂いた。
そして。
次の瞬間にはルイスとリオを、光が包み大炎上した。
436 :
VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/09/01(水) 19:03:20.35
ID:Y0aN6EYo 魔術の炎がごうごうと揺れる。夜の涼やかな風をその熱気が無粋にかき乱した。そしてその明かりが人形の体をあかあかと照らしだす。
「……」
人形は無言で佇んでいた。その目には炎以外特に何も映っていない。殺人の快楽も苦痛もそこにはなかった。ただただ冷たい光がある。
しばらくすると魔術の炎は弱まり、あたりに闇が押し寄せてきた。それらは魔術の明かりが照らし出すふちまで来るとそこにとどまった。
夜の風がふわりと通り過ぎる。炎をやさしく切り取ると、もう後には何も残らない。ただ、もとより魔術の炎は燃え広がることはない。
焼け焦げた土。魔術の衝撃で吹き飛ばされ、地面にくぼみができている。
人形はそこにゆっくりと近づいた。見下ろす。
人形の視線が静かに土の上をなでた。あるべきものを探して。
だが――
「……ない?」
人形は訝しげに声を洩らした。
視線を上げてあたりを見回す。明かりと闇の境界線がくっきりと横たわっている以外は何もなかった。
そう、何もない。あってしかるべき焼け焦げてただれた死体、それらから漂う焦げた肉の臭い、とか。
「……」
人形はゆっくりとあたりを見回す。あくまでゆっくりと。ただ、その視線は先ほどよりやや鋭い。
そして。その視線が一点で止まる。
人形の足元。
「……?」
そこにあるのは、魔術文字の明かりで白く照らされた地面。人形の影。
先ほどまではそれしかなかった。
しかし。
――影が一つ増えていた。
437 :
VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/09/01(水) 19:06:02.59
ID:Y0aN6EYo 「……!」
人形がすばやく天を振り仰ぐ。そこに二つ分の人影が――
「我は放つ光の白刃!」
声が響いた。夜の静寂を鋭く切り裂く審判の声。。
人形の頭上に光が展開する。すさまじい光量で夜空をまばゆく照らすと、一点に収束し人形に降り注ぐ。
「ぬ……!」
人形が手を掲げた。その手の先に防御の魔術文字が移動する。それは空から飛来する光の柱を受け止め――
「……!?」
人形の目が驚愕によって見開かれた。
無理もない。降下してくる光熱波。それが文字に触れる直前に二つに分かれたのだから。
分裂したうちの一つは魔術文字に受け止められ消滅するがしかし、もう片方は文字を迂回し人形に肉薄した。
爆発。炎上し、土煙がぶわりと広がる。
それらから少し離れて彼らは着地した。
「……」
地面に降り立つと、手をつないだ二人はそっと息をつく。片方がよろめき、もう片方がそれを支えた。
リオとルイス。
「生きて、いたか……」
視界を遮る土煙りの向こうから声がする。驚きは過ぎ去り、それでも意外の感は隠せない、そんな乾いた声。
438 :
VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/09/01(水) 19:09:56.52
ID:Y0aN6EYo 夜風が吹く。やや強めのそれが立ち込める土煙りを押しのけ、人形が姿を現した。
文字の明かりに照らし出され、やはり悠然と立っている。しかし、そのシルエットは完全なものではなくなっていた。右腕が肩からちぎれて吹き飛び、左手でその損傷部を押さえていた。
それでも表情に苦痛はなさそうだ。代わりに薄い驚愕、そして不可解げな空気を漂わせている。
「いったい、どうやって……」
どうやって、というが実のところそんなに複雑なことが起こったわけではなかった。空間転移の魔術によってルイスたちは少しばかり上空に転移、それと同時に重力制御の構成を編み、空中で制止。それから不意打ちを行ったに過ぎない。
そう、多少複雑とはいえ、それだけだ。それだけだが――
「あり得ない」
静かに――少なくとも表面上は静かに――人形が断じる。
その通り、あり得ない。
確かにリオの魔力はそれらを行うのに十分な量がある。とはいえ彼女の魔術構成は粗雑なもので、そんな精密な芸当をすることはできない。反対に、ルイスの魔術構成は緻密で精密なものを編むことができるが、先ほどのようなことを行うだけの魔力量を持っていない。短い戦闘の間に、人形もそれは見抜いていたようだ。
だから、あり得ない。仮にあり得るとすれば――
「っ……馬鹿な。そんなことが……」
人形は気づいたのだろう。うろたえたようだった。その表情を見て、ルイスは満足した。
「我は放つ光の白刃」
だが、それにかまってやるだけの寛容さや余裕を、ルイスは持ち合わせていなかった。静かに呪文を放った。
発生した一瞬に空気を激しく振動させ、光が人形に突き進む。人形はそれに合わせて手を差し伸べた。
439 :
VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/09/01(水) 19:13:46.97
ID:Y0aN6EYo ――合成魔術の可能性。
二人で一つの魔術を完成させる、そんな試みがあった。
一人では行うことのできない、より高度で複雑な魔術を行使するための技術である。
具体的には、二人でより精緻で膨大な構成を編んだり、二人分の魔力を総合してより大規模な魔術を展開したりする。
世界をより自分の理想値に近づけるように改編するための人間の英知であり、悪あがきであった。
そしてまた、人間の技術の限界でもあった。
不可能だったのだ。そんな無茶は。
もともと一人の人間が一つの魔術を行うのにも、大変な労力を要する。二人の人間が一つの魔術を行うのならばなおさらだ。人間など、生まれも育ちも性格も一致するわけがない。合成魔術にはそういった一致が必要となる。相性があるというわけだ。
そしてそれは簡単には一致しない。簡単に一致するのならば、人間の技術レベルはさらなる高みにあっただろう。
無茶なのだ。
だから――
(だから、僕たちはその幸運に感謝しなければならない!)
人形の目前に迫った熱衝撃波が再び分裂する。今度は三つに。
だが、すべて魔術文字に受け止められる。魔術文字は五つに増えていた。
「片方が魔術構成を担当し、もう片方が魔力のリソースを担当している、といったところか」
人形の目がすっと細くなる。その視線の先には二人がつないだ手があった。
人形の言うとおりだった。リオのその膨大な魔力のリソースを提供し、ルイスがその繊細な魔術構成を編むことで先ほどの芸当が可能となった。
440 :
VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/09/01(水) 19:14:57.91
ID:Y0aN6EYo 「僕たちはこの幸運に感謝しなければならない」
ルイスは繰り返す。それはまごうことなき幸運であったから。
リオとルイスの魔術の相性が良かったということだろう。どちらも極端な魔術の癖があったからなのか、それとも比較的一緒にいる時間が長かったからなのか、それは分からなかったが。だが、現実として、合成魔術は成功している。
「僕たちはお前に勝つための決定力を手に入れた……!」
「それがどうした!」
人形が吼えた。その迫力に、人形の細い体躯が一回り大きくなったかのような錯覚に陥る。
「決定力? 笑わせるな。そのような児戯、この殺人人形の前には無力だ!」
確かに、急場しのぎに手に入れたわずかな勝機だった。そのような付け焼刃、いつ剥がれるかなど分からない。次の瞬間に死んでいてもおかしくはない。しかし、だ。
「右腕だったよね」
リオの声がする。ルイスに支えられ、やっとのことで立っている。だが、それでもなお彼女の声には力があった。
「音声消去文字は右腕だったよね……っ!」
「……」
人形が黙り込む。
人間の音声を選んでかき消す魔術文字。それは人形の右腕に輝いていた。ルイスの記憶だ。間違いない。
そして、人形の右腕はすでに吹き飛んでいる。もう、沈黙の魔術文字は使えない。
(これで、イーブン!)
「……互角なものか」
人形が再び口を開くが、その声に苦いものが混じっているのは隠しようがなかった。
「我は主命を受諾するのみ!」
そう言い捨てると自らの脇腹に触れる。あれはたしか――
ごうッ!
衝撃波を一つ巻き起こし、無音の竜巻が出現した。本来不可視のそれは、魔術文字の明かりの中土を巻き上げ二人の方に突進した。
444 :
VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/09/02(木) 17:00:33.27
ID:Vdg8fZYo 急速に迫る大気のうねりを前に、ルイスは一歩を後ろに引いた。しかし心は退かずに前に残しておく。
「我は放つ光の白刃!」
リオの魔力を基盤として、強力な光熱波が発生。同時に大気の渦に突き刺さる。爆発し、轟音をたて、その爆風が二人の髪をなびかせるが竜巻は減衰の兆しすら見せなかった。むしろ勢いを増したようにも見える。相変わらず音のない突風の塊だったが。
ルイスはあきらめず、さらに呪文を叫んだ。
「我は砕く原始の静寂!」
空間にひびが入り、爆砕し、突風を巻き起こす。光輝のない大爆発。しかしそれもまた空気の壁に傷一つつけられない。
空気の渦――というかすでに巨大な空気の塊と化していたが――は勢いと規模を増し、もう鼻先に迫っていた。
ルイスはもはや力のないリオを支えなおし、その手を握りしめる。その手から、何かが流れ込んでくる錯覚を覚える。暖かくやさしい何か。
「我は踊る天の楼閣!」
五感が一時的に遮断される。視界がブラックアウトし、一瞬ののちに回復した。
ルイスたちの立ち位置は五メートルほど後方に移っていた。まったくぶれのない滑らかさすら覚える転移。ルイスはその出来に満足する。
しかし竜巻も移動した分を瞬時に詰めてきた。
445 :
VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/09/02(木) 17:03:07.39
ID:Vdg8fZYo ルイスは冷静さを失わないよう、それだけを自己に命じた。頬を汗が伝い落ちる。
「我は放つ光の白刃!」
呪文の声に呼応して熱衝撃波が発生する。呪文とのタイムラグなく飛び出したそれは、瞬きする間に高密度の空気にぶつかると、爆発もなくかき消えた。いや――
竜巻の向こう側に目を凝らす。土を巻き上げ淀む視界の向こうに、人形の姿がかすかに見える。ルイスはほんの少しだけ待った。そのわずかな時間の間に、急速に大気の壁が迫ってきた。飛んできた砂の粒がピシピシと顔面を叩く。ルイスは目を細めた。
そして。
実際には待った時間は一秒に満たなかったろう。数瞬、それとも刹那の合間。そのわずかな時間の間に、ルイスは忍耐力のすべてをかけなければならなかった。しかしそのじりじりと針の先端が肌の表面をなでていくような緊張の果てに、ルイスはつかみ取ったのだ。勝利への鍵を。
ごッ!
突如として空気が膨張する音が聞こえる。それは人形と竜巻との間に発生した。まばゆい光が、渦巻く空気の向こうに見える。
人形は狼狽したようだった。当たり前だろう。熱衝撃波がすぐ目の前に転移してきたのだ、うろたえるなという方が無茶だ。
光が瞬き、鋭い爆発が生じた。瞬間、竜巻の勢いがわずかに弱まる。
罵声くらいは聞こえたかもしれない。だが、それを無視したまま、ルイスは足を踏み出した。
圧迫感が肌を圧す。無音とはいえその圧力は触覚で感じ取ることができた。空気が荒れ狂い、空間を切り裂く気配。
ルイスはもう一歩を踏み出す。その足が、竜巻が巻き起こす風により後方に押し戻される。もう一歩。
「おおおおおおおおおおおお!」
ルイスの喉を怒号が裂く。
分厚い空気の向こうにはいまだ魔術の火炎が燃え盛っていた。人形の様子はそれに隠れて見ることができない。
それを大気の壁を隔てて真正面から睨みながら、ルイスは渦の中に飛び込んだ。
446 :
VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/09/02(木) 17:04:07.66
ID:Vdg8fZYo 竜巻を起こす魔術文字に直撃したのだろう、渦の中の空気の密度はその凶暴性を弱めていたようだった。
だがそれでも風は四肢を引きちぎらんと押し寄せる。圧の中でもみくちゃにされ視界が奪われた。前後左右が定まらない。さらに吹きあげる風に押されて足が地面に別れを告げる。
その中でリオを抱きかかえるようにしながら、ルイスはただひたすらに集中に努めた。意思を一つにまとめ、それを虚空に解き放つ。
「我は紡ぐ光輪の鎧!」
光の鎖で編んだような形態の防御壁がルイスたちを包んだ。暴風を押しのけて球状に展開する。その中でだけ烈風の支配がなくなった。
虚空に浮かびながら、ルイスはさらに意識を絞った。防御壁の上を空気の槍が叩くのが聞こえる。
ルイスは深く息を吸い込む。
これが最後だ。
裂帛の気合が喉を割った。
「尖れぇッ!」
瞬間。防御壁の形が変化を遂げた。
球体の一部が言葉の通りに引っ張られ、鋭利に尖る。それは突風の層をくりぬいて、ルイスの正面にまっすぐ進む。すなわち人形の方に。
447 :
VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/09/02(木) 17:06:20.16
ID:Vdg8fZYo そして。防御壁の棘が竜巻を貫いた。膨らませた紙袋をたたき割るような音をたてて棘の先端が飛び出す。
(よし!)
同時に防御壁が限界を迎えて金属音に似た音をあげて砕けた。烈風が四方八方から押し寄せる。だがその時には構成はすでに完成している。
「我掲げるは!」
ルイスはリオの手を強く握った。その時――わずかだが握り返してくる感触があった。
「降魔の剣!」
リオの手を握る手とは逆側。その手に重みが生じる。魔術によって生じた力場の重み。
それはルイスの意思によって形を変えた。剣の形態。
握りこむと、それはそのまま刀身を伸ばした。
「いけぇ!」
先ほど開けた暴風の隙間がふさがりかけている。そこに僅差で刀身が滑り込む。
そしてそのまま魔術の炎の燃え盛る中に突き立った。
448 :
VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/09/02(木) 17:07:46.01
ID:Vdg8fZYo 「ぐっ!」
苦悶の声が上がる。同時に竜巻が最初から何もなかったかのように消失する。ルイスとリオは虚空に投げ出されて地面に落ちた。
すぐさま身を起こし、リオを抱き起こす。ついでに『それ』を拾い上げる。
魔術の炎が消えていた。そしてそこに一人分の人影がある。人形。
しかし、その立ち姿はすでに悠然としたものとは程遠くなってしまっていた。右腕はもうない。そして脇腹にも亀裂が生じている。ちょうど魔術文字があったところだ。ルイスの魔術の力場が貫いた傷。左手でそれを押さえ、前かがみに身を低くしていた。
表情にはあくまで苦痛はないが、双眸を見開きこちらを険しく睨んでいる。
(……終わる)
予感した。
ふと、風が吹いたのに気づく。実際、そんなものを意識したわけはない。そんな余裕はなかったはずだ。しかし、確かに風が吹いた。間違いない。
思う。それは予兆だったのではないかと。この戦いの終わりを告げる、何かの合図だったのではないかと。
人形が手を掲げる。ルイスはリオをそこに残したまま走りだした。
449 :
VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/09/02(木) 17:08:44.30
ID:Vdg8fZYo 体は重い。戦闘のダメージが響いている。
だが、祖父は言う。走るために必要なのは体力ではないと。彼の持論によれば、前に進むのに必要なのは意志の力らしい。前に進もうと思うことなしに人は前進しない。逆にいえば、前に進む気の力さえあれば、どんな苦痛や疲労がその足にまとわりつこうとも先に行ける。
極論だと思う。どうにも暑苦しい精神論だと。
だがそれでも。ルイスの体を今前に引っ張るのはその意志の力だ。
竜巻はすでにない。それでも耳に聞こえるのは先ほどよりも強く荒れ狂う暴風の音だった。
人形がすばやく左手を掲げる。掌に文字が輝く。
ルイスの体を焼きつくさんと膨大な熱を伴う閃光がそこに輝いた。
「死ね!」
リオはすでに戦える状態ではなくなった。だから、今度もルイスが決着をつけなければならない。
それを自覚し、それでもルイスに気負いはなかった。
心がけることさえない。後は運を天に任せ、やるべきことをやるだけだ。
450 :
VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/09/02(木) 17:10:35.15
ID:Vdg8fZYo ルイスは渾身の力を込めて叫んだ。
「我は放つ光の白刃!」
威力はない。リオと離れた今、もうそれは望めない。
ただ、そのすばやさだけは変わらなかった。
ぼんっ!
小さな爆発音。さっきまでのものと比べるとどうにも貧相な音。
ただ、それでもルイスの命を救うだけの効力はあった。
人形の手から光が放たれる。それはルイスに当たらず、ほんの少しだけそれたところを飛んでいく。
ルイスの魔術の小爆発が、人形の手を逸らしたのだ。
身を掠めるそれを横目に見ながら、ルイスは止まらないことだけを体に命じた。
人形の顔が絶叫の形に歪む。
ルイスはその声を聞くことができなかった。
人形の声が響くその直前。ルイスの持つ『それ』――リオの短刀が人形の眉間に突き込まれたから。
456 :
VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/09/03(金) 17:27:46.06
ID:KePXG5.o 手ごたえは見た目ほど硬質ではなかった。固まった粘土にヘラを突きたてるような感触が返ってくる。それは深く深く突き刺さって、どうやら活動に支障をきたすレベルに至ったらしい。人形がゆっくりと膝をついた。
ぎこちなく身を引く。ずるりとこすれる手ごたえを残して短剣が引き抜かれる。
人形は音を立ててうつぶせに倒れ、動かなくなった。
それでも警戒は解かなかった。いや、解けなかった。緊張は長引く。弛緩と硬縮の狭間で、ルイスは身を震わせる。
「……」
息を吐き、吸う。そのプロセスをゆっくり数十ほど繰り返し、ルイスは視界が揺れていることに気付いた。見下ろす。
「……」
理由はすぐに知れた。膝ががたがたと震えている。
気づいてしまうとあとは脆かった。ぺたりと尻もちをつき、それでも足の震えは止まらない。
「は……はは……」
乾いた笑いが喉から漏れた。喉の奥にぐっと力を入れる。気を抜けば泣いてしまうだろうことは容易に知れた。
そして自覚する。僕は、弱い。
笑いは弱弱しくも止まらない。
457 :
VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/09/03(金) 17:29:02.87
ID:KePXG5.o しばらくそうして情けなく震えていた。しかし、リオのうめき声で我に返る。ついでに短剣を握りっぱなしであることにも気づいた。持ち手が汗でじっとりと湿っていた。
「姉さん……!」
駆け寄って抱き起こす。
体中に裂傷が生じていた。髪は乱れて、健康そうなつやは見る影もない。だが、致命傷といえるような傷はとりあえずなかった。どちらかというと衝撃などのショックにより気を失っているといった様子だ。魔力の使い過ぎというのもあるだろう。
大丈夫、魔物は頑健。そう自分に言い聞かせる。逆にいえばその魔物でも気絶するほどのダメージを受けているということだが。
とりあえずほっと息をつく。それから手をまわしてリオをおぶった。治療は後だ。
(早くここを離れなければ……)
次の人形が現れてしまう。対応は一刻を争う。
もはやルイスたちだけではどうしようもなくなってしまった。二人で残り九百九十八体の相手などできない。気は進まないがニューサイト市長に応援を頼むしかない。人形より早くニューサイトに戻り、事情を説明し、自治軍――キエサルヒマ大陸より規模が劣るが、そういうものがある。人間と魔物の混成軍だ――を動かしてもらわなければならない。
ルイスはふらつく足で歩きだした。歩みは遅い。じりじりと焦がされるような気分で前に進む。
次の人形はいつ来る? 数十分後か、数分後か。もしくはもうすでにこちらを捕捉していて、瞬きした後には死んでしまっているのかもしれない。
想像は恐怖を煽った。歩む足が崩れ落ちそうになる。
それでもルイスは立ち止まらないことだけを必死に心がけた。立ち止まればもう進めなくなる。僕はきっと恐慌に陥る。
夜の闇はしんしんとルイスの心を冷やした。どうしようもなく凍える。
夜明けはまだ、遠い。
458 :
VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/09/03(金) 17:30:07.13
ID:KePXG5.o ◆◇◆◇◆
ルイスたちが歩み去った道の上。闇が小さく揺らいだ。男が一人、忽然と現れる。夜の帳から溶け出すかのように出現した彼は、その姿もまた、夜の闇のようだった。黒のマント、黒のグローブ、黒の靴。
そして、彼を取り巻く空気もまた、重く淀んでいる。沈降し、浮かび上がることはない。循環はなく、ただただ沈殿するのみ。
彼は肩越しに振り向いた。その視線の向こうには歩み去るルイスの背中があるはずだったが、夜明けはまだ遠く、視認することはできない。彼はそれには頓着しない様子で視線を正面に戻した。
暗がりの中で彼の瞳が光る。いや。それを眼光というのは間違っているだろう。むしろ光を吸い込むその眼は、光の吸収によって周りからくっきりと際立っているのだ。
闇より暗く、闇より重く。彼はそこに立っていた。
ふわりと風が吹く。彼の髪とマントをかすかに揺らす。
と、彼は歩きだした。ルイスたちの行く方向とは逆。その歩みの先には。
「……」
こちらも無明に沈み、生者の気配のない建造物が潜んでいる。
459 :
VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/09/03(金) 17:31:09.78
ID:KePXG5.o ・
・
・
足音が通路内に響く。無味乾燥で死の訪れを予感させるそれは、長い通路をただひたすらに進んでいた。
角をいくつか曲がり、崩れかけた広間を抜け、足音は鳴り続ける。
そして。およそ数十分もあるいたところだろうか、足音が止まった。
「……」
彼の目の前には崩れた通路の壁があった。大きな力で無理やりにこじ開けられたものではない。何か道具を使って丁寧に開けた穴だ。
男はそれをくぐって中に入った。
穴の向こうは別の通路が続いていた。光源不明の歩の明かりの中を同じように彼は進む。
しかし、今度は数分もしないうちに足音が止まった。
行き止まり、ではない。通路が終わって広間にぶつかったのだ。男はあたりを見回した。両脇から広がる壁は湾曲して伸びている。つまり、広間は縦に立つ円柱状になっているようだった。ちょっとしたホールほどの大きさ。そしてその広間には広間の形と同じように円柱状の太い柱が立っていた。
いや、柱というには太すぎる。広間の空間の七割ほどをその柱が占めているのだから。
さらに柱にはぐるりと足場が渡されていた。床から三メートルほどの高さに一段。さらに三メートルほど空けてもう一段。床を含めると計三段の足場があることになる。
そして、それぞれの足場には、円柱を囲むようにずらりと人影が並んでいた。
ガラス光沢の青白い体。病的なまでに細い四肢。人形――殺人人形。
460 :
VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/09/03(金) 17:32:02.91
ID:KePXG5.o 男はそこまで見て動きを止めた。じっと立ちつくす。静寂があたりを満たした。が。
――ごうん。
それほど待つことなく低い音が響く。同時に、気配が一つ増える。
「――誰だ」
声は男の正面から聞こえた。
地面を踏み締める細い脚。殺人人形がうちの一体。起動したそれは一歩踏み出すと、男を冷たく睨んだ。男は答えなかった。
しばらく観察し、人形は訝しげな光を瞳に浮かべた。
「わざわざ殺されにでも来たか? ここは我ら殺人人形の間。お前達人間の天敵の住み家だ」
男はなおも沈黙を保っていた。人形はさらに不審の色を強めたようだ。
「……まあいい。我は主命を受諾するのみ」
人形が右手を掲げた。その掌に文字が輝く。大気を揺るがし光を集め、膨大なエネルギーを集約する。人形の手の周りに放電の火花が飛び散った。
「死ね」
光が男に向かって真っすぐに飛び――
ぱん!
破裂音だけを残して消えた。
461 :
VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/09/03(金) 17:33:15.59
ID:KePXG5.o 「!?」
人形の目が鋭くなった。
「今、何をした……?」
男はやはり答えなかった。とはいえ人形にも分かっていただろう。魔術を防げるのは魔術のみ。だが――
「貴様、媒体はどうした……!」
人間の音声魔術は音声を媒体とする必要がある。そして媒体なしに魔術は発動しない。しかし、男は確かに呪文なしで魔術を防御して見せた。あり得ない。
人形の胸に文字が輝く。発生した衝撃波が男を襲うが、その体に触れる前に破裂音だけを残してまたしても消滅する。
間髪入れずにさらに人形の掌に、肩に、脇腹に文字が輝く。熱波が光が高密度の空気が。男を目指して殺到する。
そして、そのどれもが男の目の前で消滅した。
人形の目が大きく見開かれる。
男はそれを尻目にマントの下から手を出した。そしてそれを人形の方に向ける。
瞬間――
ばぎんッ!
人形の腕が吹き飛んだ。
ばきゃッ!
人形の脚が歪んだ。
ぼこんッ!
人形の顔半分が潰れた。
人形がゆっくりと崩れ落ちる。
「がっ……」
声は遅れて飛び出した。
462 :
VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/09/03(金) 17:34:19.24
ID:KePXG5.o 人形が倒れるのを見て、男が手を下ろす。それを倒れた姿勢から人形が見上げた。
「なんだこれは……」
人形の苦み走った声が響く。
そしてその声は容易に悲鳴に化けた。
「なんなのだこれは!? お前は一体何だ、人間ではあるまい!?」
そして気づいたようにまなじりを決する。
「そうか、先の殺人人形を妨害したのはお前だな!? 精神支配を妨害し、魔術文字を砕いた!」
男は聞いていない様子だった。両手をマントの下から出し、胸の前で向かい合わせる。
そして聞こえる、呪文の声。
「――何処からも来る。飄々と気配を刻む故郷に」
ごッ……
地面が一度揺れる。
「帰りきたる。傷跡の多き獣の檻。大にしてうねり、小にしてわめく」
もう一度、地面が鳴動する。
それを聞いて人形が半狂乱で叫んだ。
「分かった。分かったぞ、貴様の正体! こんなことができるのは一人しかいない!」
男の呪文がなおも響く。
「肝にある蟲。腸にある蛇。南風に捧げられ埋め尽くす砂利」
ごごんッ!
地面が致命的に揺れた。
そして人形の声。
「お前は、魔王!」
それを合図にしたかのように、轟音がとどろいた。その凄まじい音は広間を満たし、揺らし、破壊する。
円柱にひびが入る。かけらが飛ぶ。建材が崩れて剥離する。
その中で魔王は唇の端を釣り上げ、うっすらと笑った。
――殺人人形が見た、最後の光景だった。
463 :
アナウンス :2010/09/03(金) 17:36:52.71
ID:KePXG5.o ・第二章、了。やっとこさここまで来たぜ!
・ではまた次回
464 :
VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/09/03(金) 17:59:15.78 ID:n4VpriYo
パパさんじゃない方の太古の魔王さん?465 :
アナウンス :2010/09/03(金) 18:23:07.15
ID:KePXG5.o ・>>464 さあて何者でしょうなあww
466 :
VIPにかわりましてGEPPERがお送りします :2010/09/04(土) 06:14:34.02 ID:BRbO/dko
wktk してきたwww魔王娘「さあ行こう、学者様!」 歴史学者「その呼び方はやめてよ姉さん」その3
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