魔王娘「繋いだ手と手」 歴史学者「優しい真実」

2011-01-22 (土) 08:16  魔王・勇者SS   6コメント  
魔王「我輩と一緒に世界を救ってくれ」から始まった長編の物語です。

前→魔王娘「さあ行こう、学者様!」 歴史学者「その呼び方はやめてよ姉さん」その3


784 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/12/04(土) 19:28:05.13 ID:k9GkytAo

「“我は放つ光の白刃”!」

 その瞬間、ルイスはためらわなかった。リオの手を取り、手加減など一切ない魔術を解き放つ。
 膨れ上がった強烈な光輝は、一瞬の内に人形を呑み込み爆砕した。地響きがあたりに轟き渡る。
 巻き込まれた木々の焦げるにおいを感じながら、ルイスは油断なく次の魔術を用意した。

「殺人人形! なんでこんなところに!」

 リオの叫び声がわずかに震えを含んで響き渡る。ルイスは考えないようにした。彼女が怯えていることなど、認めないほうがいい。
 魔術の火炎は、いまだ荒れ狂って熱風を撒き散らしている。空気が熱気に歪む、その奥に人影がぼんやりと浮かび上がった。

「“我描くは光刃の軌跡”!」

 ルイスの眼前に、一瞬直径一メートルほどの光球がまたたく。だが、一瞬以上は輝かずに消えた。そしてそれは炎の奥の人影の目前に忽然と現れる。
 じゃ――っ!
 熱された鉄板に油をぶちまけたような音が響きわたった。



785 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/12/04(土) 19:28:46.95 ID:k9GkytAo

 疑似球電。魔術によって生みだしたそれを、術者によって任意の地点に空間転移させる魔術。もちろん転移は一瞬で、人間の反射神経ではどうあがこうとも防御することはできない。いや、それどころか認識するできるかどうかすら怪しい。人間レベルでは対応できない術。理論的には。
 だが。

「なかなか、面白い術を、使う」
「!?」

 魔術の火炎が風に吹き消されて、光球とそれを片手で受け止める人影が目視できるようになる。爛々と緑の瞳を輝かせる殺人人形。

(そんな馬鹿な……)

 これと似た不意打ちは先の殺人人形には有効な攻撃だった。そういった反射神経は人間とそう大きく変わらないはずなのだ。全く通じないなど考えられないはず……

(ただの殺人人形とは違うとでもいうのか!?)
「言ったはずだ」

 疑似球電の効果が切れ、遮るものが無くなった視界で、人形はゆったりと腕を下ろした。見ると外套すら損傷していない。

「私は人間種族の、アイルマンカー。女神に見出されることで常世界法則に組み込まれ、運命を剥ぎ取られし者。人間種族の魔術士、その始祖たる者。殺人人形などという模造品と、一緒にするな」



786 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/12/04(土) 19:29:16.45 ID:k9GkytAo

「女神……? 模造品……?」
「そうだ。私こそが、オリジナル。私こそが全殺人人形の、原初」

 唐突に。人形の姿が消えた。前兆すらなくさっぱりと。
 呆気にとられて前に出る。どんなに目を凝らそうとも、そこには何も残っていない。

「なん……?」
「後ろ!」

 リオの声と同時か一瞬後、二人は不可視の力に吹き飛ばされ、前方に投げ出された。
 あわてて起き上がると、塔の中から人形が悠然と歩み出てくるところだった。

「ふむ。何も知らぬまま、殺すのも哀れという、ものか。ならば少しばかりの温情を、与えよう」

 人形が何か言っているが、ルイスは聞いていなかった。それよりも重要なことに気がついていたから。

(今どうやって転移した!?)

 ぞっとする。人形は文字を描くことはしなかった。もちろんこれといった呪文の声を上げることも。一体どういうことだ?



787 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/12/04(土) 19:32:17.97 ID:k9GkytAo

「およそ千年前、私は、ただの人間だった。お前たちとなんら変わることのない、取り立てて特徴もない、そんな者だった」

 人形は一泊おいて、だが、と続けた。表情がわずかに険しいものに変わる。

「私は邂逅した。女神――あの災厄と。そして運命を剥ぎ取られた。この緑の瞳がその証だよ。ドラゴン種族もすべてこの瞳をもっている」

 ルイスは唐突に気づく。あれは苦悶の表情だ。

「我らアイルマンカーは死ぬことが、できない。呪われた。私は醜いこの姿に、堕とされた。天人たちは、私を見て人間から殺人人形を製造するためのヒントとした……」

 俯きかけた顔を持ち上げ、人形は言う。

「人間種族は私をもとに魔術を行使する術を得た。だが、それによって同じように呪いも受けた。いや、お前たちを見る限りまだ、その兆候はない、か。だが、いずれ人間種族にも緑の瞳が現れる。そうなれば女神に滅される運命は、逃れられまい。だから ――」

 ぶわり、と風が吹く。それは人形の外套を膨らませ、ルイスたちに圧迫感を与える。

「私は、今こそお前たち呪われた魔術士の血を、根絶やしにしなければならない……!」
(……!)



788 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/12/04(土) 19:32:58.41 ID:k9GkytAo

 今度もまた、ルイスはためらわなかった。瞬時に離脱の構成を編み上げる。

「“我踊るは――”」

 しかし。

「“逃げるな”」

 人形の声が、鋭くルイスの根幹に突き刺さった。

(!?)

 魔術は――発動しなかった。力を発揮する予兆すらなく構成がはかなく霧散していく。

「ルゥ君……?」
(馬鹿な……)

 もう一度空間転移の構成を編む。だが、どんなに集中力を注ぎ込もうともそれらは完成することなく、掌を滑り落ちていく。

「構成が、編めない」

 必死にあがいた後、愕然と認める。



789 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/12/04(土) 19:34:01.81 ID:k9GkytAo

「ふ…… はははははは!」

 人形の笑い声が響き渡る。先ほどまでのたどたどしい言葉繰りとは対照的に、それは滑らかに森に響いた。

「くっ」

 リオが構える。ルイスの手を振り払い一歩を踏み出し、しかしそこで彼女の足が止まる。
 人形は動いていない。間合いは変わらない。それでも、リオはそれ以上進まない。不自然な体勢のまま動きを止めている。
 ルイスには分かった。動かないんじゃない、“動けない”のだ。なぜなら、

(身体が、動かない……!?)

 ルイスもそれは同じだったから。

「はは、ははははははは!」

 人形の声が響き続ける。その目が二人を凝視する。まるでそのせいで動けないとでもいうように。
 ゆっくりと……ゆっくりと意識に靄が掛かっていくのをルイスは感じた。人形の緑色の目がやけに大きく見える。次第にそれしか見えなくなる。視界がぼんやりと閉じていく。



790 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/12/04(土) 19:37:16.87 ID:k9GkytAo

(これは、一体?)
「≪精神支配≫」

 ぴたりと笑い声が止む。

「これは≪白魔術≫というものだ、ルイス・フィンランディ」

 その声は、耳とは別のところで聞こえていた。もうほとんど働かない視覚の代わりに、他の感覚はかえって研ぎ澄まされている。

「聞いたことはないか? 従来の物質とエネルギーを操る魔術を、仮に黒魔術と呼ぶとするなら、精神と時間を操るものを白魔術と呼ぶ。白魔術は黒魔術のさらに上にある高度な音声魔術だよ。お前たちが話していた精神士。あれは白魔術の応用形だ」

 もう目の前は真っ暗だった。何も見えない。何も聞こえない。ただ、人形の存在だけをおぼろげに感じる。

「白魔術はさらに高度化させることができるが、それはまあ置いておこう。ところで……」

 つい、と人形の気配が移動する。

「う……」

 声が上がった。リオだ。



791 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/12/04(土) 19:38:38.37 ID:k9GkytAo

「こちらの――魔物というのか、興味深い。特殊ヴァンパイアと、いったところか?」

 特殊ヴァンパイア。聞き覚えがある。たしか……先の殺人人形がリオに対して発した単語だ。

(なんなんだよそれは!)

 それはおおよそこの状況すべてに対して出した言葉だったが。

「ヴァンパイア。それは、人間の持つ可能性の名、だよ。肉体化と、言ったな。あれは正しい。人間種族にはそういうものが、ある。ドラゴン種族の力は強大だが、それを超える可能性を、人間は有しているのだ。」
「が……っ」

 人形の言葉の合間にリオの苦悶の声が上がる。

(姉さん……)

「人間は通常ある条件を経てヴァンパイアとなるが、魔物、これは別の形で肉体化が進み、固着した例のようだな」
(ある条件?)
「そう、その条件とは……うん?」



792 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/12/04(土) 19:39:19.03 ID:k9GkytAo

 人形の声によどみが生じた。そして生じるわずかの間。
 その隙にルイスはあがいた。渾身の力を込めて、がむしゃらに四肢を振り回そうと試みる。もっとも、手足の感触などとうに消え去ってしまっていて、なんの手ごたえもなかったが。
 それでも。

(姉さんが……!)

 その時、ふっと視界が晴れた。その他の感覚も順次回復していく。
 日の光が遮られ、わずかに薄暗い光景、耳が痛くなるほどの静けさ、植物特有の青臭いにおい、ひんやりとした空気……そして広がる苦い味。

「姉さん!」

 リオが地に倒れ伏していた。駆け寄ろうとして踏みとどまる。リオのわきには人形が何をするでもなく立ち、こちらを見ている。

「……?」

 いや、その視線はルイスを通り過ぎ、こちらの背後を――
 ざわり……
 空気が不穏に戦慄いた。



793 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/12 /04(土) 19:40:38.91 ID:k9GkytAo

「ちょうど、よかったな」
「……何がだ?」

 人形との距離をはかり、そしてその隙を探しながらルイスは油断なく訊いた。

「人間種族がヴァンパイアとなる条件。それは神と邂逅することだよ。そしてそれを受け入れることだ」
「神? 戯言を……」

 人形は何気なく立っているようで、しかし隙はなかった。リオを助けたいが、それができない。

「信じられなくとも無理はない。だが、信じざるを得ない。それを見たならば。だから、邂逅せよ、神と」

 人形がふっと消えた。あわてて周りを見渡すが、どこにもその姿はなかった。
 リオのもとに駆け寄る。抱き起こすが外傷はないようだった。ただ、意識がない。

「姉さん……姉さん!」
「う……ん……」

 目を開けたリオは、一瞬で起き上がり身構えた。短剣を構え、隙なくあたりを見渡しながら鋭く囁く。

「あいつは?」
「分からない……」



794 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/12/04(土) 19:41:32.38 ID:k9GkytAo

「逃げた?」
「違うと思う。でも神がなんとか……」

 ざわり――……
 再び空気が動く。何かが這いまわるような不気味な気配。

「なに、これ……?」

 リオが身を震わせてあたりを再度見回した。

「なに、って……」

 突然、先ほどの静けさが嘘のように木々がざわめき始めた。
 ルイスは塔を背後に、リオの手を握った。
 木々の囁きは収まることなく、いや、かえって不吉に大きくなり、まわりに広がっていく。
 出どころの分からない不安感を前に、ルイスは身を固くして“何か”に備えた。

 ずるり――……

 今度は何かが地を擦る音がした。近い。



795 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/12/04(土) 19:42:28.17 ID:k9GkytAo

「……?」

 そのとき、ぴたりと木々のざわめきが止んだ。何かが這いまわる気配も消える。
 無音。全くの無音。耳が痛くなるほどの静けさがあたりに落ちる。その静寂の底で、ルイスは慎重に呼吸した。ゆっくりと、恐る恐る思い出す。

(あの人形はなんと言っていた?)

 言うことすべてが理解できなかったが、それでも最後の言葉を思い出す。

(神と出会い、受け入れることでヴァンパイア? となる?)

『邂逅せよ、神と』

 次の瞬間、ルイスには何が起こったのか分からなかった。地に投げ出され、悲鳴を上げる。顔を上げて理解した、リオが彼を抱えて飛び退いたのだ。
 そして目の奥に残る残像。茂みの中から何か黒い影が飛び出し、ルイスたちの方へ――
 そこまで思い出して、ルイスは叫んだ。

「“我は紡ぐ光輪の鎧”!」

 二人を包んで広がる魔術障壁。無音で広がったそれの表面に、何かが勢いよくぶつかってきた。
 べちゃり……
 粘着質の音を立てて張り付く何か。それは腐った肉のようなくすんだ色をしていた。茂みの方から長く伸びる何かの塊。



796 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/12/04(土) 19:43:55.49 ID:k9GkytAo

「なんだ!?」

 ルイスの叫び声に反応して、というわけではなかろうが、茂みから次々に“それ”が飛来する。障壁の表面にぶつかって張り付く気色悪い物体。
 悲鳴を上げてルイスは魔術障壁を振動させた。弾き飛ばされて塊達は地面に落ちた。
 障壁が消える。
 リオとともに立ちあがって後ずさりしながら慎重にそれらを観察する。地面の上でそれらはぶるぶると震えている。

(触手?)

 確かにそれは何かの太い触手のようにも見えた。となれば。

(本体は茂みの中!)
「“我は放つ光の白刃”!」

 光の奔流が茂みに突き刺さって爆発する。威力だけを優先し、総力をそのままぶつける構成。だが――

(手応えがない!?)

 魔術はするりと茂みを抜け、予想地点から距離を空けて爆発した。



797 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/12/04(土) 19:45:39.86 ID:k9GkytAo

 同時にぬろりと触手たちがうごめく。二人はびくりと後ずさる。だが、それらはこちらを襲うことはなく、ゆっくりと茂みの方に引いていった。
 触手たちが見えなくなっても油断はできない。ルイスは冷や汗の感触に身震いしながらいつでも防御の構成を展開できるように準備した。

「一体なんなの……!?」

 リオが毒づき気味に囁く。ルイスはそれには答えなかった。分からないのはもちろん、今声を出したらまた呪文のための息を吸うのに隙が生じる。
 ずるり……
 再び粘着質の音がした。リオがルイスの手を強く握る。
 そして茂みからゆっくりと“それ” が――

「――っ!」

 目視した瞬間、ルイスはすばやく身を翻した。対抗することなど頭から捨て、逃げるために地面を蹴る。
 敵わない。ルイスの脳裏に浮かんだのはその言葉だった。敵わない。

(なんだあれは!?)

 二人が目にしたもの。それは、二人の身長をゆうに超す無形の肉塊だった。



798 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/12/04(土) 19:50:06.14 ID:k9GkytAo

 あんな得体の知れないものに敵うはずがない、逃げなければ。だが、右に向けた足がぴたりと止まる。
 ずるり……

「っ!?」

 目の前の茂みから、同じように腐った色の肉塊が姿を現す。
 胸中で悲鳴を上げながらさらに別の方向へ足を向ける。しかし。
 ずるり……ずるり……
 そちらの方向からも、また別の方向からも、次々に肉塊が現れる。それらは不気味に触手を伸ばしながら、こちらをゆっくりと囲み始めた。

「う…… うあ! うわあ!」

 理解不能の状況を前に、理性は簡単に砕け散った。ルイスの喉を悲鳴が割る。
 逃げ道はなかった。肉塊はルイスたちを塔ごと囲むように次々と周りから現れる。森へと続く道は断たれた。ルイスたちはだから、逃げ道でない道を選ぶしかなかった。

「こっちだ!」

 リオの手を引く。もっとも、リオも同じ方向に走り始めていたが。
 ばたん!
 塔に駆け込む。扉を閉じる際に、リオがそのわきにあった荷物の内いくつかを取りこむのを見ながら呪文を叫ぶ。

「“我は閉ざす境界の縁”!」

 不可視の何かが震える音を立てて扉に集約した。封鎖の魔術。これでちょっとやそっとのことでは扉は開かない。



799 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/12/04(土) 19:52:00.02 ID:k9GkytAo

 心臓が早鐘を打つのを感じながら、ルイスは扉から後ずさった。
 扉の向こうから、粘り気のある何かが激しくぶつかる音が響く。気色悪いその音に怖気が走った。

(これは――この状況は一体何なんだ……?)

 人間種族の始祖魔術士を名乗る人形。それが神と示唆する肉塊。そして神と邂逅し、受け入れることで変異した人間、ヴァンパイア。
 ルイスはなるたけ冷静になることを自分に命じた。
 始祖魔術士 ――アイルマンカー。確かにあの人形は魔術文字とは別の魔術を用いていたようだった。だが、あれは音声魔術なのか?

(白魔術?)

 従来の魔術の上位形と言っていたが……。
 そして、なぜその人間種族のアイルマンカーが人間種族の魔術士の命を狙うのだ?

(矛盾……災厄、そして女神……)

 魔術士の存在により論理矛盾が生じる? そして災厄が発生した?

(駄目だ……何の事だか……)



800 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/12/04(土) 19:52:45.60 ID:k9GkytAo

 ただ、今おぼろげにわかることは、ただの人間が化け物になる原因があの肉塊にあるらしいということ。そして逆にはっきりとわかるのは自分たちがその肉塊に襲われているということだ。

「ルゥ君……」

 短剣をしまったリオが、例の細長い荷物を抱くようにしてこわごわと言う。

「どうしよう追い込まれた……」
「……」

 ルイスは周りを見渡した。白い壁面が延々と上方に続くだけの単調な構造。扉は目の前の一つきり。逃げ場はなかった。無言で構成を編む。

「……駄目だ」

 空間転移の構成は、いまだ頭の中で形をなしてはくれなかった。逃げ道は、ない。

「……」

 その時。



801 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/12/04(土) 19:53:45.75 ID:k9GkytAo

 にちゃ……

「……?」

 扉の方から異常を感じ、ルイスは視線をそちらに移した。
 にちゃり……
 その音を最後にしばし扉が沈黙する。先ほどまで響いていた激突音も一時止んだ。
 次に響いたのは扉の悲鳴だった。
 ぴし――っ
 鉄製のそれにひびが入る。ルイスの背筋に嫌な汗が伝った。

(まさか……)

 扉は気づかぬうちに本の少し変色していた。わずかにくすんだ色になっている。そしてそこに細かいひびが――
 めきょ!
 腐食した扉が音を立てて変形した。封鎖の魔術も関係ない、

(扉を丸ごと壊す気か!?)



802 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/12/04(土) 19:54:34.58 ID:k9GkytAo

 くたくたに歪んだ扉の残骸が、音を立てて内部に倒れた。そしてその向こうに、腐った肉の色。
 二人はゆっくりとさらに後退した。肉の塊は入り口から緩慢な動きで、まるでチューブから絵具をひり出すように流れ込んでくる。
 ルイスは上方を見上げた。目測で五十メートルほどのまがった円柱形。他に空気口のようなものはない。つまり考えなしに強力な魔術は撃てない。下手をすればきついバックファイアが自分たちを襲うだろう。

「っ……」

 後退する先を壁に阻まれる。限界を定められている中で、永遠に後退できないことは必然だった。
 肉塊は、それを知っているかのごとく、恐怖を煽るようにゆっくりと近づいてくる。

「あれに捕まったら、どうなるんだろうね……」

 汗を垂らしながらリオがつぶやく。

「あたしたち食べられちゃうのかな……?」

 ルイスの手が、逃げ道を求めて背後の壁を撫でる。相変わらずなんの抵抗もなく滑る壁面――いや。



803 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/12/04(土) 19:55:30.89 ID:k9GkytAo

(……?)

 わずかにざらつくそれに、ルイスは違和感を覚えた。
 二人と肉塊の距離が五メートルほどに縮まる。肉塊は膨大な質量でもって塔になだれ込んでくる。外にいた個々の肉塊の量ではありえない。ちょうどすべてが混ざり合わさったぐらいの体積に思えた。
 ただ、目の前に迫るそれらの恐怖を、ルイスは一時忘れていた。

(なんだ?)

 それは、指先に伝わる熱の気配。
 壁面のざらつきにそわせた指から伝わる力の経路。

(力?)

 ルイスははっとして見下ろした。手をついた壁が、発光している。光は徐々に広がり、それほどたたずに文様の形をなした。

(これは……魔術文字!)

 胸中で叫んだ瞬間、塔内部の壁面すべてから光があふれた。

「なん……?」

 目を眩ませる光の奔流。その一つ一つが文様を形作っている。肉塊も一時動きを止めていた。



804 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/12/04(土) 19:57:03.72 ID:k9GkytAo

 必死に見開く視界の中、光の文字が、壁から剥離した。そしてそれは一つではない。次々と、次々と文字は壁から離れ、空中で光の流れを作る、渦を巻く。その中に魔術構成が見え隠れするが、あまりに複雑、巨大なために、ルイスには把握することができない。ただ、どこか似ている構成はあった気がする。

(空間転移……?)

 光の渦の動きが加速する。光量もまた増加し、網膜を激しく焼く。その中でルイスは思い出していた。

『それは、ただの――』

 転移装置。もともとは補給物資を大量移動させるための。つまり……

「発動した!? どこへ行くんだ!?」

 ルイスは叫んだが、それはほとんど言葉にならなかった。その時には突風があたりに吹き荒れ、それ以外の音は何も聞こえなかったから。
 あたりは強烈な光ですでに白一色に染まっていた。空間の感覚が無くなっていく。それは視覚を奪われたからだけでない。踏みしめる床の感触は消え、接していた壁の抵抗もなくなり、まるで浮遊しているかのように――

 その思索を最後に、ルイスの意識は白い混濁の中に溶けて、消えた。



805 :アナウンス:2010/12/04(土) 20:05:10.77 ID:k9GkytAo
ここまで
さすがにすべての設定が分かったぜって方はまだいないですよね?
もうちょっと設定説明っぽいのが続きそうです



807 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします2010/12/04(土) 20:59:05.39 ID:ZF4RYoSO
わかったようなわからないような…でも息するのを忘れそうな緊張があった



811 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/12/05(日) 22:33:10.29 ID:6o0iz5Io

     ※


 世界図塔から一条の光が昇るのを小高い丘から見届け、ラモニロックは苦笑いを浮かべた。

「発動させたか……運のいいことだ」

 どこに転移したのかは想像もつかない。機能は単純とはいえ、天人が作成した規模の大きい装置だ。だが、あの神も一緒に転移したのは間違いない。どちらにしろ転移先で始末されることになるだろう。

「さて……」

 ラモニロックは踵を返した。彼らの記憶を読んで、現在の人間種族が集中している場所は把握した。次はそこの浄化を行わなければならない。
 どこか重い足を踏み出し、森の中へ――

「……」

 その先に人影を認めてラモニロックは足を止めた。

「……」

 おおよそ黒以外の色を見つけることが難しい人物だった。黒のマント、黒の手袋、黒のブーツ。しいて言えばその顔だけが白い。夕刻が徐々に近づくうす暗い木の影に、その白だけが浮かび上がり、どこか幽霊のような印象を周りに与える。



812 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/12/05(日) 22:34:10.93 ID:6o0iz5Io

(幽霊か……違いない)

 胸の内で笑って、ラモニロックはその白を見つめた。
 人影は何も言わない、動かない。まるで森の中に置かれた人形のように。

「私に、何の用だ」

 問いかけが無駄であることは口に出す前から承知していた。儀式のようなものだ。または日常の下らぬ験担ぎ。意味がないと知ってはいてもやらずにはいられないそれら。自分からは日常などというものが剥ぎ取られていることは十分に分かってはいたが。

「私には、やることがある。失礼させてもらおう」

 踵を返し、足を踏み出す。
 ――恐怖だ。唐突に気づく。意味がないと知っていても自分にそれを強いるもの。それは恐怖だ。

「……」

 踏み出した先に、やはり人影が立つ。移動のそぶりすら見せず、まるで最初からそこにいたかのように立っている。



813 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/12/05(日) 22:35:26.51 ID:6o0iz5Io

 訝しい思いと、わずかな胸のざわつき。それらを同時に感じながら、ラモニロックはかすかに身を固くした。

「……」

 ラモニロックの無言に対し、人影も無言。
 空気が硬化した。張り詰めるのではなく、ただただ重く凝縮していく。空気の分子が次第に停止する。音が消える。その中で光だけが徐々に弱まっていく。夕刻が近い。
 空気が再び動き出したのは、数秒後だった。

 小さな小さな音がした。

「がっ……」

 その音を聞きながら、ラモニロックは膝をついた。

「……」

 それ以外に動きはなかった。ただ、片方が跪いただけ。その結果をラモニロックはむしろ静かな思いで見下ろした。

「なぜ……」

 それでも声の震えは隠せなかった。

「なぜ、私の邪魔をする、≪神殺しの神≫よ!」



814 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/12/05(日) 22:36:40.12 ID:6o0iz5Io

「義理だ。友人たちへの」

 言葉は、目の前から聞こえた。信じられない思いで顔を上げる。そんな動作すらも億劫だった。

「何、を……」
「“――何処からも来る。飄々と気配を刻む故郷に”」

 ぶぅん――
 空気が微細に振動する。

「く……」

 音声魔術には、上級の術として白魔術と呼ばれるものがある。物質世界に作用する従来の黒魔術の上位形で、目に見えない精神世界に作用する。それは文字通り精神であったり、はたまた時間であったりするのだが、音声魔術の最終形と呼ばれるそれにも、さらに上の術が存在する。
 通常の魔術では常世界法則の枠内でしか効果を発揮しない。しかし、その常世界法則そのものを捻じ曲げる術というのがある。はずだった。
 ただ、それはもう魔術と呼べるのか怪しいところではあったが。
 無理に名付けるとするならば……

「……魔王、術」

 確かにそれならば自分を殺せるのかもしれなかった。



815 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/12/05(日) 22:40:14.57 ID:6o0iz5Io

「“帰りきたる。痕の多い獣の檻。大にしてうねり、小にしてわめく”」

 千年の呪縛をも断ち切って、この自分をも抹消できる可能性。
 ならば。ならば拒むことはない。むしろそれは待ち焦がれたことであり、自分の望みであったはずだ。

「よかろう……私を殺すがいい! それこそ私が希求していたことだ!」

 望まずしてアイルマンカーに堕とされた自分には、これはまたとないチャンスだった。
 殺すことでは自分に絶望を植えつけることができない。その事実に、どこか相手をあざける心境になりながら、ラモニロックは哄笑した。
 ふっ、と身を包む底なしの喪失感と解放感。そして生じる快感のなかで、しかしラモニロックは魔王の声を聞いた。

「何か勘違いしているようだが」

 呪文を唱えるのを一時中断し、魔王がこちらを見据えていた。その目に映るものに、ラモニロックは違和感を覚えた。
 魔王が言う。

「お前は人間種族のアイルマンカーではない」

 魔王の目に映る感情。それは、同情。またはそれに似た何か。

「……何?」



816 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/12 /05(日) 22:41:23.04 ID:6o0iz5Io

「お前は、女神と邂逅し、運命を剥ぎ取られた。それは確かだ。だが、人間種族のアイルマンカーなどではない」

 自分の存在が、ゆっくりと世界から剥離していくのを感じる。その感覚の中で、ラモニロックは必死に声を絞り出した。

「それは、どういうことだ!?」

 魔王はため息をついて首を振った。

「やはり思い違いをしていたか、気の毒に思う。おおかた天人種族にでもふきこまれたのだろう。お前はただの」

 ……酷く嫌な予感がした。

「…… やめろ!」
「お前はただの、一ヴァンパイアだよ」

 ラモニロックは絶句した。
 風が吹いた。うす暗い森のなかを吹き渡り、木の葉を寂しげに揺らす。

「なん、だと……?」

 何か、別のことを言おうとしていたことは記憶している。だが、口から出てきたのはそんなろくに意味をなさないただのうめき声だった。
 自分の信じてきたものが、ゆっくりと瓦解していく音がした。それはかすかなものでしかないが、しかし決定的な破壊音だった。



817 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/12 /05(日) 22:43:06.42 ID:6o0iz5Io

「根拠……」
「うん?」
「そんな戯言に根拠などあるか!」

 その反論に対し、しかし魔王の口調は淀むことはなかった。

「そもそも、人間種族にアイルマンカーは必要ないのだ」

 彼は淡々とつぶやくように言う。

「そん……そんな馬鹿なこと、あるはずが――」
「あるのだよ」

 そっけなく、本当に何でもないことを言うような軽い口調で、だがはっきりと彼は断言した。

「なぜなら人間種族は――」

 そして告げられた真実を、ラモニロックは信じることができなかった。ただただ目を見開くことしかできない。もはや言葉は出てきてくれない。

「“肝にある蟲。腸にある蛇。南風に捧げられ埋め尽くす砂利――”」

 茫然自失のラモニロックに対し、魔王は慈悲を見せなかった。いやある意味において、その断固とした処刑は最も慈悲深い行為であったのかもしれないが。
 ラモニロックの視界は、静かに閉じていった。
 深く、深く。遠く、遠く。



818 :アナウンス:2010/12/05(日) 22:44:05.49 ID:6o0iz5Io
第四章、了



828 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/12/11(土) 19:48:26.85 ID:XOKoQ9.0
乙です。



840 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/12/13(月) 09:42:23.41 ID:pGknI2SO
終わりが近いのか…



824 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/12/11(土) 17:40:03.58 ID:6Y0M2bwo




 ~第五章 「ドラゴン」~



825 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/12 /11(土) 17:41:30.74 ID:6Y0M2bwo



 男は多くを望んではいなかった。ただ、その平穏な日々が長く続けばいいと願っていた。



 やさしい風の中、女が揺り椅子で本を読んでいる。穏やかな視線で紙の上を撫で、時折静かに頁をめくる。
 風が彼女の髪を乱し、女はゆっくりとそれを直す。
 女は一日の大半をそうして過ごすのが好きで、男はそんな彼女を少し離れたところから眺めるのが好きだった。
 少し離れたところ。近くて遠い距離。彼と彼女の間に横たわる隔たり。
 それでも彼は満たされていた。

 彼女はこの世の何よりも美しかった。
 彼女の仕草はこの世の何よりもやさしかった。
 彼はそのそばにいるだけで幸せだったし、それ以上を望みはしなかった。
 彼女が彼の手には入らないことを知っていたが、それでも彼は満足していた。



 男は多くを望んではいなかった。ただ、その平穏な日々が長く続けばいいと、それだけを願っていた。



 ある日のことだった。彼女は揺り椅子にいなかった。
 あちこち探し回り、うす暗い部屋にその姿を見つけた。
 「見ないで」
 彼女はそれだけをつぶやいた。
 彼には意味が分からなかったが、それでも彼女の異変には気付いていた。
 彼女は特にその姿を変じたわけではなかった。しかし、ゆっくりと人をやめていった。
 彼は見ていた。彼女の言葉に従わず、すべてを目に焼き付けた。
 その時も彼女はやはり美しかった。残酷なくらいに。

 そして彼女は姿を消した。彼の前から姿を消した。
 男は茫然と立ち尽くした。
 彼女もまた彼のことが好きだったと知ったのは、だいぶ後のことだった。
 彼は今度こそ彼女を手に入れると誓った。
 人間をやめてでも、彼女を追うと誓ったのだった。



 ――ある男女のこと――



831 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/12/12(日) 22:56:47.04 ID:hHVdBdko

 父親がいないことは苦痛ではなかった。彼女は、少なくとも父親が実際に帰還するまではそう思っていた。父親の不在に特に疑問を持つことはなかったし、それによって傷つくような出来事もなかったから。
 本当は違ったのだと気付いたのは彼の帰還後のこと。武術にのめり込んだのは、父親がいない不満や寂しさを紛らわすためだったことを自覚した。

 彼女は父親を嫌った。何故かといえば、彼女は今まで会いたくても会えなかった運命を憎んでいたからだ。それがそのまま父親への怒りへとつながっていた。それについては彼女に自覚はなかったが。
 ついでに言えば、父親というものへの幻想もあった。会えないがゆえに期待が大きくなりすぎてしまったのだ。実際の彼は言ってしまえば俗物であったから、失望が大きかった、ということである。

 武術は彼女にとって救いだった。身体を動かしていれば余計なことは忘れられる。
 そして力は真実と呼ぶに足る何かであり、その純粋さは彼女の心の空隙を埋めてくれた。
 その真実は自分を救ってくれる。彼女はそう信じた。



832 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/12/12(日) 22:57:47.03 ID:hHVdBdko

◆◇◆◇◆


 冷たい。夢うつつの境目で感じ取れたのはその感覚だけだった。湿った冷たさ。凍えさせるほどではないが、不快ではある。
 うめきながら、目を開いた。
 どうやら自分はうつぶせに寝ているらしい、と悟る。冷たいのは地面。土の地面のようだ。

「……?」

 奇妙な思いにとらわれたまま上体を起こして座り、あたりを見回す。
 立ち並ぶ木々。黒々と茂る植物の葉。森のようだった。だが、どこか先ほどまでいた場所とは雰囲気が異なる。静謐で、人の存在を拒むような空気があった。

「あたしは……」

 記憶の混濁を感じて頭を振る。

「あたしは、確か……」

 何かに追われていたのを覚えている。追い詰められて、そして、光が自分ともう一人を包んで――

「…… ルゥ君?」

 はっとして立ちあがった。ルイスはどこだ? そしてあの敵……肉塊は?



833 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/12 /12(日) 22:58:31.01 ID:hHVdBdko

 森の中、しかも薄く靄がかかっているせいで視界ははっきりとしない。少なくともその中には求める人物の姿はなかった。
 ただ、代わりに記憶が徐々にはっきりしてくる。

(あの塔が、作動したんだ……転移した?)

 とすれば、ここがもといた場所と異なるのは間違いない。
 体感覚によれば今は夕刻で、星が出ていればだいたいの位置は分かるはずだったが、あいにく頭上は木々の葉がふさいでしまっていた。
 とりあえず視認できる範囲内にあの肉塊がいないことと自分の体に怪我がないことを確認し、足を踏み出す。
 自分の位置がわからない以上、むやみに動き回るのはいい考えではないと分かってはいた。しかし脅威の存在が分かっている今、悠長なことは言っていられない。

「ルゥ君」

 恐る恐る声を上げる。それは響かずにすぐに消える。

「ルゥ君!」

 先ほどより大きな声で名前を呼ぶ。返事はない。
 森の静寂だけがそれに無言の返答を寄こしてくる。
 茂みをかき分け、木々の乱立する中を彷徨い、いつしかあたりは暗闇に沈んでいた。



834 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/12/12(日) 22:59:22.67 ID:hHVdBdko

 それを見つけたのは、歩き始めてからだいぶ時間がたった頃だった。

「……?」

 木々の向こうにぽつんと光るものが見えた。
 それは光り輝くというには小さく、はかないというにはしっかりした光だった。ちょうど二つ、虚空に浮いていてまるで、

(目?)

 そう、何かの目に見えた。
 リオの身体に緊張が走る。

「“明かりよ”」

 差しのべた手から球形の光が生じた。それはふわりと浮きあがり、数メートルの上方で動きを止めた。
 白い光明。それによってあたりは照らし出され、目の持ち主の姿もあらわになった。そこにいたのは――

「……」

 無音で佇む黒い影だった。



835 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/12 /12(日) 23:00:11.51 ID:hHVdBdko

(何……?)

 油断なく身構えて目を凝らす。黒い影……いや、獣。
 それは狼のように見えた。
 ……しかしそれにしては大きい。離れているので判然としないが、見上げるほどに巨大。
 それがなんの気配もさせずに、ただこちらを見つめている。あまりの「無臭さ」に、本当にそこにいるのかも疑わしいほどだった。

 無言で見つめあう。
 リオの首筋を汗が伝った。その嫌な感触に、しかし、動くことができない。進むことも、退くことも。
 と。

「……!」

 獣が動いた。
 ゆっくりと、だがしっかりとこちらに足を踏み出す。やはり音はなかった。まるで病人にひたひたと迫る死の影のように。
 巨体と、それに反する無音の接近。どこか現実味がないその光景を前に、リオは戦慄を覚えた。

「“光よ”!」

 差しのべた手の先から光がほとばしる。幾条にも分かれたそれは、一瞬後には一つにまとまりその黒い獣に殺到した。
 轟音。夜の静寂を引き裂き、地を揺らす。



836 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/12/12(日) 23:01:06.49 ID:hHVdBdko

 立ち上る魔術の白い炎。その向こうにいまだ黒い獣が見え隠れするような錯覚にとらわれ、リオは次の魔術を用意した。ルイスがいない今、単純な総力をぶつけるような構成しか編むことはできないが。
 魔術によって生じた炎は通常延焼しない。少しすると炎が弱まり、光の残像を網膜に刻んで跡形もなく消える。
 その向こうには、夜の闇が広がっているだけだった。

「……?」

 静かに冷たい風が吹く。その風だけだ。魔術を放つ前と後との違いは、その風が吹いているか否かだけだった。
 目を凝らす。しかし夜の闇の中に、あの静かな眼光は見つけられなかった。
 すべて幻覚だった。そう言われても彼女はあるいは信じたかもしれない。それほど夜は相変わらず静謐で、そして冷たかった。
 何も変わらず、何も乱さず。彼女の記憶にだけ、その残像を置き忘れている。

「……」

 振り返ったのは偶然だった。そこにいると確信したわけでもないし、なぜそうしたのか自分でもわからなかった。
 だが、確かにそこにいた。ほんの鼻先、すぐ目の前。
 だからその大きさがよくわかった。
 黒い狼。
 そこに悠然と立ち、リオを見下ろしていた。



837 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/12/12(日) 23:01:54.46 ID:hHVdBdko

(あ……)

 美しい。
 場違いにも彼女が抱いた感想はそれだった。
 ひっそりと、だが力強く地面を踏み締める前足。流れるような艶消しの黒い毛並み。それに包まれたしなやかな体躯。冷たく光る瞳。

(瞳?)

 緑色の、瞳。
 その輝きには見覚えがあった。昔ではない。つい最近。確か……

『人間種族のアイルマンカー、だ』

 そう、あの人形。奇妙な魔術を使い、彼女らを翻弄した不可解な術士。
 緑。緑の瞳。こちらを見下ろす二つの瞳。
 それしか見えない。それしか分からない。

(あ、れ……?)

 この感覚には覚えがあった。あの、人形……なんと言ったか。精神支配? それだ。それが……

(えっと、それが……?)



838 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/12/12(日) 23:03:15.70 ID:hHVdBdko

 視界がゆっくりと暗く、夜の闇に溶けていく。
 ぞっとしたのは一瞬だった。まるで眠りに落ちる瞬間のように何も考えられなくなる。恐怖は遠くにかすんでいく。

(…………)

 危機感、というよりも本能が知っていた。これはよくない、逃げなければならない、と。
 だが、それに反して身体はゆっくりと感覚を失っていく。意識は暗闇に浮いている。それでも見上げているのは分かる。緑の瞳。
 ふと、にじみ出るように、いくつか思いだしたことがあった。ここまで一緒だった青年のこと。真実という呪縛にとらわれ、もがいている彼。彼のそばに行かなければ。
 そしてもう一つ。嫌っている父親のこと。もう一生顔を合わせるのは嫌で、だがそれは本音だったか分からないままで、それは確かめなければならないもので。
 師のことも思いだした。彼に習っていないことがまだあった気がする。もっといろいろ学びたかった。そう思う。

 それら断片的に浮かんでくるいくつかの記憶に囲まれて、リオは意識にひびが入るのを感じた。
 暗闇に浮かぶ緑の瞳。その視線が強さを増す。締め付けられるような苦しさを覚える。
 物理的な苦痛ではない。だがそれゆえに致命的。ぎしぎしと悲鳴を上げる何か。

『あ……』

 声は実際に喉から出たわけではなかった。暗闇に無意味に拡散していくそれ。
 唐突に鋭い痛みを覚えた。やはり物理的なものではないが、確かに感じる。
 意識にさらに大きなひびが入った。

『ああ……!』

 そして無数に生じる痛み、苦痛、喪失感。そう、失っていく感覚。

『ああああああああああああああああ――――!』

 父、師、青年、真実、真実真実真実!
 リオの意識は激しい渦の中、粉々になり、ばらばらになり、散り散りになり、そして――消えた。



841 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/12/14(火) 00:15:17.73 ID:6at9Csso

◆◇◆◇◆


 父親がいないことは苦痛ではなかった。物心ついたころから父のいない生活というのが当たり前で、彼はそれを疑問に思うことはなかったから。そして、それよりもつらいことを知っていたから。

 父はひとところにとどまることのできない人間だった、とは母の弁である。彼にはよくわからないこと。彼は母が大好きで、それは父も同じだったはずで、ならば絶対に母から離れることなど考えもつかなかった。
 父から母に宛てられた手紙を数通見せてもらったことがある。今どこにいて、いつ帰るとしか書かれていないそっけないものがほとんどだったが、日付を見るとかなりこまめに出されていることが分かった。だから、なんとなく父は悪い人間ではないのだな、ということだけは理解した。
 ……ついでに言えば、それが一年前のものであることも理解してはいた。
 ただ、父のことを話す母は、その時だけは心なしか顔に生気が戻っているように見えた。

 母は遠くを見ていることが多かった。その目には何も映っていないように見えた。自分の姿さえも映っていないのではないか、と常々彼は危惧していた。
 そしてそれは恐らく間違ってはいなかった。母は彼の世話を怠ることはなかったが、そこに愛情の類はないように思えた。
 作業。それだけだ。賢い彼は気付いていた。

 彼は真実を求めた。絶対に揺るぐことのない、世界の唯一の真実を。
 彼は希求した。切実に願った。

 なぜ、彼は求めたか。それはきっと――



842 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/12/14(火) 00:16:20.41 ID:6at9Csso

◆◇◆◇◆


 目を開いて最初に見えたのは白い天井だった。
 あまりに白くて、まだ夢の中にいるのではないかと錯覚した。

「……」

 あまりにけだるく、あまりに遠い。しばらくぼうっと天井を見つめる。
 何も思い出せなかった。何か、夢を見ていたような気もする。だが何も思い出せなかった。

(それでいい……)

 何も思い出したくなかった。そんな、泣きそうな心地になって目をつむる。何も思い出したくない。

(それでも……)

 それでも起きなければならない。自分は追われていた。
 そして、追われていたのは自分だけではない。
 上体を起こすと同時、声がした。

「目が覚めたか」

 ルイスはゆっくり振り向いた。



843 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/12/14(火) 00:17:58.57 ID:6at9Csso

 まず、思い出したことがある。それは自分が手がけていた研究で、先代魔王を討伐した勇者のことだった。
 およそ百七十年ほど昔の話だ。正式勇者ミハイル・フィールは、対魔王戦力≪十三使徒≫の長として当時の王直々に魔王討伐を拝命する。その命を、彼は驚くほど速やかに完遂し、世界を仰天させた。
 その期間、およそ四週間弱。あり得ないことだった。魔王城へ最短コースで突入し、その日のうちに討伐してしてしまった計算になる。それもほとんど休養を取らずに行軍した場合の話だ。

 勇者本人はそれについては特に言葉を残していない。ただ、真正面から堂々と一騎打ちを申し込んだとだけ申告している。
 当然様々な噂が人間界・魔界問わずに飛び交った。これは何かの陰謀が動いていたのだと。人間界と魔界との間で魔王の首を引き渡す取り決めがなされていただの、勇者が魔王を策謀によって暗殺しただの。
 魔物と人間とでは根本の作りが違っていて、一対一ではどうあがいても本気の魔物に敵わないというのが定説、というか常識なので無理からぬことではあったが。
 もちろん歴史関連の学界でもそれについてはいくつかの見解が出されたが、結局はっきりしないまま結果は結果としてうやむやになった。

 ルイスはその出来事について、きわめてシンプルに考察した。
 すなわち、勇者ミハイル・フィールは申告通り真正面から魔王と対決し、これを下したのだと。勇者は最上級の魔物と肩を並べる、いやそれを圧倒するほどの力を持っていたのだと。
 言うまでもなくその説は支持されなかった。

 だがルイスはさらに考察する。もしその仮定が正しいならば、彼の強さには何らかの理由があるはずだ。それはなんだ?
 ≪鋼の後継≫ その二つ名に彼は注目した。勇者は誰から何を受け継いだのだ?
  “何”は力だとして、“誰”からだ?
 それは、魔物からか。いやもっと別の何者からか。
 別の何者。それは――



844 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/12/14(火) 00:20:33.54 ID:6at9Csso

「天人……」

 目の前に立つ緑色の髪と瞳を持つ女――天人は、小さく頷き返してきた。

 聞いたことがある。ミハイル・フィールの母親はきれいな碧眼の持ち主だったと。
 それは確かに珍しい特徴だが、珍しい以上のものではないとして今まで忘れていた。
 “勇者ミハイル・フィールの親は天人種族だった”のだ。

 言葉を失うルイスに対し、女が口を開いた。

「確かにそういう呼び方もあるな。だが、我らにはウィールド・ドラゴン=ノルニルという正式な名がある」

 立方体の、白い部屋だった。ただただ白い。ルイスの寝ているベッドも白い。部屋全体が白に沈んでいる。
 そんな部屋の中、彼女の緑はひどく鮮やかだった。緑の髪、緑の瞳、緑のローブ。
 その鮮明さに何も言えないうちに、天人の女がさらに声を上げる。

「汝の記憶、読ませてもらった。アイルマンカー結界の外より来訪せし者、人間種族。ひどく久しいな」

 彼女の声はひどく平坦だった。内容に対応する感慨深さの片鱗すらのぞかせない。
 ただ、それは冷静というよりは擦り切れた疲労にも感じられたが。



845 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/12/14(火) 00:24:11.39 ID:6at9Csso

「あなたは……一体……」

 ようやく出せた声は、酷くかすれていた。

「我か。そうだな、名乗り忘れていた。イスターシバ。ウィールド・ドラゴン司祭、シスター・イスターシバ」

 シスター・イスターシバ。天人種族の司祭。ウィールド・ドラゴン。ドラゴン?

「ドラゴン。それは常世界法則を解析し、アイルマンカーをそれに組み込むことで魔術という強大な力を得た六つの種族のことだ」

 イスターシバはまるでこちらの思考を読んだかのように言葉を続けた。とはいえさきほどの記憶を読んだというのが本当ならば、それもあり得ることだった。

「力の体現、ウォー・ドラゴン=スレイプニル。暗殺者、レッド・ドラゴン=バーサーカー。影、ディープ・ドラゴン=フェンリル。美の追及者、フェアリー・ドラゴン=ヴァルキリー。強者、ミスト・ドラゴン=トロール。天なる人類、そして魔女、我らウィールド・ドラゴン=ノルニル」

 混乱に反して。理解はすんなりと追いついた。

「かつての、支配者……」

 ルイスがつぶやくと、イスターシバは怪訝そうにこちらを見た。

「その通りだ。かつての……もはや昔の話だがな」

 彼女はそう言うと、酷く疲れた顔で、苦笑した。



851 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/12 /15(水) 00:36:55.90 ID:hXCMzEso

「生きて、いたなんて」

 ルイスの言葉はあまりにそのまま過ぎて、イスターシバの苦笑をさらに深いものにした。

「生きて、か。本当に我らは生きているのだろうか。怪しいところではあるが……まあ死にかけているのは間違いない。千年前、大陸において興隆を極めた我らも、今や孤島に追いやられ、アイルマンカー結界によってかろうじて生きているにすぎない」

 孤島? ルイスは聞き咎めて眉をしかめた。

「ここは聖域だ。大陸の北西にある孤島、その中心に位置する最後の拠点」

 イスターシバは、大きくため息をついてさらに続けた。

「そう、弱り果てた我らの、最後のよりどころ」

 その表情に映るのは、諦め。いや、それよりももっと深い。絶望。
 間違いない。彼女は絶望している。

「そうだな。絶望しているやもしれん。だが」

 いつの間にか俯いていた顔を持ち上げて、司祭イスターシバは言う。この時だけは目に力が宿っているように見えた。

「それでも我らは戦っているのだ」



852 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/12/15(水) 00:38:37.58 ID:hXCMzEso

「戦っている? 何と?」
「災厄」

 その言葉には聞き覚えがあった。

『災厄が彼らを打った』

「神々の、呪い」
「……そうだ」

 彼女は頷く。

「世界の矛盾により現出した神々。我々はそれと戦っているのだ。いや、戦っているというのはおこがましいやもしれん。我らは彼らの侵入を、アイルマンカー結界によって危ういところで防いでいるにすぎないのだから」
「アイルマンカー、結界?」
「アイルマンカーたちがこの孤島に張り巡らした最終防壁の名だ。絶対的な遮断能力を有してはいるが、彼らの前では絶対ではあり得ない。いつか……いや、明日にでも破られることも考えられないではない」

 天人種族は。神々から全知全能の業の秘儀を盗み出し、神の怒りをその身に受けた。そして逃げ出し、海を越えていまだに隠れ続けている。

「伝承は……本当だったのか」



853 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/12/15(水) 00:44:34.99 ID:hXCMzEso

 だが、神とはなんだ? 何かの比喩なのか?

「神。それは魔術の半存在。魔術による世界の矛盾によってこの世に現出したものだ。まだ汝の認識の外にある。だが、ここにいればじき分かるだろう。その恐ろしさが」

 彼女はその瞳に、なにがしかの感情の光を浮かべた。それは恐怖か、それとも怒りか。やはり絶望か。

「現在最も差し迫った脅威は女神ヴェルザンディだ。結界を一部突破し、ウィールド・ドラゴンアイルマンカー、オーリオウルがそれをとどめている。破滅は目前。だが、嘆いてばかりもおれん。我らに求められるのは迅速な対処だ」

 そして、瞳の光がその意味を大きく変える。意志の光。

「我らは今再び人間種族との接触に成功した。これは困窮した我らに与えられた、最後の好機なのかもしれん」
「……」

 ルイスにはその意味が分からなかった。ただ、彼女がなにがしかの希望を見出していることは確かだった。

「人間種族の持つ可能性。それを使えば……あるいは……」

 彼女はすでにこちらを見てはいなかった。どこか遠くに何かを見出しているように思えた。
 だが、ルイスにはそんなことはどうでもいい。それよりも重要なことを思い出していたから。

「姉さんは――」

 こちらに焦点を戻すイスターシバに、どこか胸騒ぎを覚えながら問う。

「リオ姉さんは、どこだ」

 彼女の顔が、曇った。



858 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/12 /15(水) 19:01:00.56 ID:hXCMzEso

     ※


 白い部屋。天井も壁も白く、境目がはっきりとしない。そのため白い世界が延々と続いているようにも見える。それはさきほどルイスが寝ていた部屋とほとんど変わりがないということだったが。
 白がその部屋の大部分を占めていた。しかし白ではないものもそこにはあった。
 部屋の隅に土に汚れたいくつかの荷物。それは見覚えがある。バルトアンデルスの剣。中身の分からない細長い包み。
 そして、部屋の中心に揺り椅子。木製のそれ。今、わずかに、ほんのわずかに揺れている。
 その前に膝をついて、ルイスは言葉を失っていた。

「我の手の者が保護した時には……手遅れだった」

 何か聞こえる。いや聞こえない。

「すでに、壊れてしまっていたのだ」

 聞こえない。

「…… 気の毒に思う」

 聞こえない聞こえない聞こえない。聞こえてたまるか!
 それは、目の前の現実を直視できないが故の逃避だったのだろう。だが、それ自体はどうでもいいことだった。

「姉さん……」



859 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/12/15(水) 19:02:14.71 ID:hXCMzEso

 揺り椅子には、少女が一人、腰かけていた。深く、柔らかい背もたれに身体をうずめるようにして。
 白いネグリジェは、いかにも彼女に似合わない。彼女はもっと活動的な恰好が合っている。ほどいた髪もそうだ。彼女にはポニーテールがよく似合う。
 もっと言えば、彼女の浮かべる表情もそれらしくなかった。彼女には、もっと明るい表情が似合っているのだ。

「――」

 ルイスの呼びかけに対し、彼女はなんの反応も示さなかった。
 うつむいた顔には、ただただむなしい空虚だけが浮かんでいる。ぽかんと口を開けたまま、目はいずこともしれないはるかな遠くを見つめていた。瞳には光がない。瞳には、力がない。
 まるで糸の切れた人形のように。彼女は力なく、椅子に沈んでいた。
 
「姉、さん……」

 彼女には笑顔が似合っているのに……
 彼女に縋りつく格好のまま、ルイスはたまらず俯いた。

「何が、あったって言うんだ……」

 ゆすっても叫んでも、彼女はなんの反応も示してくれなかった。



860 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/12/15(水) 19:05:04.33 ID:hXCMzEso

「≪ 精神破壊≫……心が壊されてしまったのだ」

 遠くから声が聞こえる。

「彼女は根幹の部分に亀裂を生じている」

 それはあまりに遠くて、遠すぎて……

「だが、心配するな。我らの力をもってすれば治癒は……」
「誰だ」

 むしろ、静かな心地でルイスはつぶやいた。
 訝しげにこちらを見るイスターシバの視線を背中に感じながら、続ける。

「誰がこんなことしたんだ。そう聞いてるんだ」

 声はふるえなかった。肩は揺るがなかった。
 ただ、激情だけは胸の奥に渦巻いている。

「……」

 イスターシバは、答えなかった。



861 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/12/15(水) 19:06:05.61 ID:hXCMzEso

 ルイスは、辛抱強く繰り返した。

「教えろ」
「そうは、いかんな」

 気を使うようにゆっくりと彼女は言う。

「教えれば、汝は無茶をするであろう?」

 その言葉に、というわけではないが、ルイスは勢いよく立ちあがり、叫んだ。

「“いいから教えろ”ッ!」

 その声は呪文だった。悲鳴が上がる。
 ただ、魔術の効果としては弱いものだ。ルイス一人でできることは限られている。たとえば、人一人を転ばせる程度。
 その転倒したイスターシバに、ルイスは歩み寄り、彼女の首を踏みつけた。

「教えろっていってるんだ……!」

 静かに、なるたけ静かに恫喝する。

「じゃなきゃ今すぐその首、踏み砕くぞ。ドラゴンだろうがなんだろうが、首をやられりゃ死ぬだろ?」



862 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/12/15(水) 19:06:52.77 ID:hXCMzEso

「……」

 彼女の無言は、酷くルイスを苛立たせた。今すぐ踏みぬいてやりたかったが、ぎりぎりのところで自制する。

「教えろ……!」
「………… ディープ・ドラゴン。その長、アスラリエルだ」

 答える声に、特に怯えはなかった。酷く平静な声に、冷や水を浴びせられるような思いになりながら足をどける。
 立ちあがったイスターシバは、首をさすりながらこちらをちらりと見た。

「報復は勧めん。やれば必ず汝は負ける。何があろうともだ」
「殺す」
「……この娘は必ず回復するのだぞ?」

 こちらを見る目を、それこそ殺す気で睨み返しながら、ルイスは低くうめいた。

「知ったことか、僕はやる。姉さんに手を出したこと、絶対に後悔させる」
「だが負ける」
「それこそ知ったことかっつってんだ!」

 壁を殴りつけながら叫ぶ。



863 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/12/15(水) 19:08:42.85 ID:hXCMzEso

 予感はしていたのだ。
 真実を求める旅路の上、今までだって犠牲は出ていた。もう取り返しのつかないそれら。“それが親しいものに及ばないなんてことはあり得ない” 分かってはいたのに!
 自分を殴り飛ばしてやりたい衝動を無理やり抑えつけ、ルイスは振り向いた。
 そこには彼女は、リオはいない。壊されてしまって、その残骸しか残っていない。

「……っ」

 砕けるほどに奥歯を噛み締める。

「必ず僕が……」

 その時、目の端に映る物があった。

「……?」

 そこにあるのは土に汚れた細長い包み。だが、いつの間にかそれを止めていた紐がほどけている。

「……」

 包みの中にある物、それは――



867 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/12 /16(木) 01:25:38.51 ID:Ag.NhKMo

     ※


 漆黒の雄大な狼。それは文句なしに美しかった。ディープ・ドラゴン=フェンリル。影に息する者。
 孤島の中心、聖域と呼ばれる地下砦の守護者であり、普段はその周辺に広がる森林に散ってその任を果たしている。

「……」

 用いる魔術は音声魔術でも、魔術文字――沈黙魔術というらしい――でもない。人間種族が音声、ウィールド・ドラゴンが文字を魔術の媒体に用いるのに対し、ディープ・ドラゴンはその視線を媒体とする。暗黒魔術、そう呼ぶそうだ。
 その効果は暗示。生物の精神支配を得意とする。ただし無生物にも暗示をかけることができ、空間を支配して爆発させたり空間転移したりといったことも可能だ。
 ドラゴン種族の戦士。人間では超えられない相手。イスターシバはそう言った。

「……」

 単眼鏡から目を離し、ルイスは小さく息をついた。
 森の中の小高い丘。その地面にうつぶせになったまま、遠く目を凝らす。
 裸眼では木々に阻まれよく見えないが、およそ三百メートル。そこに目標はいるはずだった。
 アスラリエル。一際大きい身体を持つディープ・ドラゴンの頭。



868 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/12/16(木) 01:26:48.06 ID:Ag.NhKMo

「……」

 殺す。
 冷え冷えとした心の底そのままの目で、ルイスは再び単眼鏡を覗き込んだ。
 そして構える。うつぶせのまま抱え込むそれ。細長い筒のように見えるもの。ルイスの破壊の意志を最もたやすく形にしてくれる。

 施条銃。リオが今まで大切に持っていた包みの中身だ。
 銃器の一種。狙撃拳銃のコンセプトをさらに発展させるとこうなる。、
 一メートル近い銃身。中には狙撃拳銃と同じく弾丸に螺旋回転を加えるためのライフリング機構が施されており、さらに高い精度と威力を導き出すことができる。

 ただ、それらは歴史関連の書物により頭の片隅に蓄えられていた知識にすぎなかった。本物を扱うことはもちろん、見るのも初めてだ。歴史のかなたに追いやられた架空の武器だったはずだった。
 そう、伝説にすぎないはずだったのだ。

 かつて人間がキエサルヒマ大陸に渡ってきた時、彼らは長い銃器などを持っていたらしい。それにより人間は、はるかに力の強い魔物と渡り合うことができた。だが戦争が続くにしたがって人間は疲労し、それらの技術を失っていく。
 おかしな話だった。戦争が続いていたならば、むしろ技術は進歩するのが普通だ。
 その方面の学界では、無難な考察としてあまりに戦争が激しかったことと不慣れな土地による資源調達の困難さがあげられた。当初はルイスもそれに賛成だった。



869 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/12 /16(木) 01:35:35.78 ID:Ag.NhKMo

 だが、あの後イスターシバから得た情報を合わせて分かったことがある。
 いわく、人間種族は原大陸においてドラゴン種族とともに暮らしていた。七つの種は時にぶつかり、時に交流の場を持った。
 人間種族は、姿かたちが似ているウィールド・ドラゴンと最も親しく交流したらしい。ウィールド・ドラゴンは人間種族より賢く、人間種族にとってはどのようにウィールド・ドラゴンと手を結ぶかが栄光をつかむ鍵だった。高度な武器技術もウィールド・ドラゴンによってもたらされたものである。

 それから災厄が現出し――災厄というものについてはまだよくわからない――キエサルヒマ大陸にウィールド・ドラゴンの一部と人間種族が移住したのだが、ウィールド・ドラゴンは災厄との戦いと呪いによって弱っていた。
 ここからはルイスの推測。きっと人間種族は支配的であったウィールド・ドラゴンに反旗を翻したのだろう。かくして人間とウィールド・ドラゴンの地位は逆転するが、おそらく人間種族の誤算は彼らの持つ武器技術の模倣が予想より上手くいかなかったことだった。そしてその技術の産物であった施条銃も姿を消したのだ。

 だが現実として今、手の中に施条銃がある。特に劣化や損傷もないところを見ると過去の遺物というわけではない。れっきとした現代の武器だ。
 魔界側が銃器の研究をしているというのは公然の秘密だった。魔界側は施条銃を再現することに成功したのだろう。そしてきっとリオは無断でその成果を持ち出したのである。
 思わず苦笑する。リオのいたずらが、結果として彼女の復讐に一役買っている。

「……やるよ、姉さん」

 単眼鏡の向こうに黒い影が映る。ルイスの目が鋭くなる。
 超長距離をはさんで狙撃を完遂するには酷く細かい計算が必要のはずだった。風の流れ、気温、湿度、その他もろもろ。
 だが、そんなのは関係ない。必ず奴を殺す。
 息を止め――

「……」

 引き金を、絞った。



873 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/12 /16(木) 23:31:47.69 ID:Ag.NhKMo

 銃声と硝煙の香り。
 時刻は昼だが、森はうす暗い。弾丸がその中を風を貫いて飛び、一瞬にして目標地点に到達する。もちろんそれが実際に見えたわけではないが。
 耳の中で反響する破裂音を聞きながら。手の中ではじける施条銃を押さえつけ、単眼鏡を覗き込んだ。
 初めての狙撃。だが手応えはあった。銃はルイスの殺意をこれ以上なく正確にトレースしてくれていた。
 が。

「……!」

 こちらを向いた緑色の瞳と目があう。
 仕留め損ねたことを悟った。弾丸は当たっていない。
 急いで単眼鏡から目を離し“それ”をつかんで立ちあがった。
 脈絡も前兆もなく。気付いたらいつの間にか、というていで黒い影が眼前に出現する。空間転移
 ディープ・ドラゴン=フェンリル、アスラリエル。目の前にいるのに全く気配がない。代わりに無音の圧迫感。

「っ……」

 こいつが……こいつが姉さんの心を殺したのか!
 緑の瞳を凶悪ににらみ返しながら、ルイスは叫んだ。

「“舞え”!」

 ぼふ!

 瞬間、音を立てて土煙が舞い上がる。アスラリエルとルイスの間の空間に茶色のベールが張られた。
 狙撃の訓練も経験もなく、もともと弾丸が外れることは織り込み済みだった。あれは罠、おびき寄せるための布石にすぎない。

(もらった!)

 胸中で暗い喜悦の声を上げながら、ルイスは“それ”を構え、土煙の中に突きこんだ。



874 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/12 /16(木) 23:32:37.11 ID:Ag.NhKMo

 “いつでもほかのなにか”
 魔剣バルトアンデルス。
 殺人人形が携えていたもの。刺された男を石に変えてしまった不可解な剣だ。

 古代人、いやウィールド・ドラゴン=ノルニルの手によって鍛えられたそれ。
 ルイスの手にあっては効果を発揮しなかった。当たり前だ。それはウィールド・ドラゴンが持つ知識なしには使用できないものだったから。

 バルトアンデルスの正体は、分かってしまえばそれ自体はなんてことはない、斬りつけたものを“いつでもほかのなにか”に変えてしまう剣であった。
 斬りつけられたものは魔術文字によって最小単位まで分解され、使用者の意思により任意に構築し直される。殺人人形は、その機能を石化に利用していたのだ。
 イスターシバよりその情報を得たルイスは、もちろんこれを復讐に使うことにした。

「“知っていれば”勝手に機能は発動する」

 イスターシバは言った。

「使用しているという自覚さえあれば、バルトアンデルスの機能はそのまま使えるのだ」

 これを使えば殺せる。ルイスは確信した。
 だがイスターシバは断言する。

「こんなもので勝てるならば、ディープ・ドラゴンはとうに滅びていただろうな」



875 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/12 /16(木) 23:34:11.09 ID:Ag.NhKMo

 突きこんだバルトアンデルスが、何かを貫いた。刀身の魔術文字が輝く。
 あとは変化させたいものを思い浮かべ、念じるだけでいいはずだった。

 グリーンピースがいい。彼は思った。大嫌いなそれ。
 みじめな小さい豆粒にして、思い切り踏みにじってやりたい。
 そうだ、何がドラゴン種族の戦士だ。何が影に息する者だ。

「僕はお前を殺してみせるぞ! 殺してやる!」

 魔術文字が一際大きく輝き――

「……!?」

 そして、何も起こらなかった。
 そこにはまだいる。強大な獣が。死を運ぶ狼が。絶大な圧迫感を放っている。
 ルイスが愕然としている内に、土煙が薄らいだ。こちらを見下ろす緑の双眸が姿を現す。

「……っ」

 ルイスは絶句したまま後ろに下がった、バルトアンデルスがディープ・ドラゴンの身体から離れた。



876 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/12/16(木) 23:35:22.75 ID:Ag.NhKMo

 刀身全体が目に入る。そこでルイスは理解した。
 魔剣バルトアンデルスの刀身は、折れていた。断面が鏡のように見えるくらいきれいに切断されていた。

「あ……」

 いつの間に。気付かなかった。全くもって分からなかった。
 ルイスは折れた剣の断面をただ押しあてていただけだったのだ。

「そ、そん……」

 ふらふらと後ろにさがる。だがすぐに木にぶつかって止まる。ゆっくりと見上げると、緑の瞳と目があった。
 きん――と頭の奥が痛くなる。すぐにそれは頭部全体に広がった。

(こ、これが――)

 そして、ゆっくりと崩壊が始まるのを感じる。

(これが、≪精神破壊≫……!)

 不思議と苦しみはなかった。ただ、どこまでも果てしない喪失感が身体全体を支配するのを感じる。
 視界が暗闇に包まれていく。



877 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/12/16(木) 23:36:08.43 ID:Ag.NhKMo

(ああ、姉さん……)

 諦めを自覚する。

(僕、駄目だった……ごめん……)

 とても、悔しかった。悔しくて悔しくてたまらなかった。
 だが、それと同じくらいさびしかった。自分はもう姉さんに会うことはないのか、と。

(……)

 もう何も見えなかった。暗闇の中で、ルイスは少しずつ分解されていく。
 終わりだった。もうどこにも行けない。どこにも帰れない。

(……?)

 暗闇に包まれた視界の中、文字が一つ瞬いた。それを視認したのを最後に、ルイスの意識は闇に溶けた。



878 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/12/16(木) 23:37:12.36 ID:Ag.NhKMo

     ※


「もう、無茶はするな」

 再び、白い天井。それをぼうっと見上げながら、ルイスは聞いていた。

「これで分かったろう。ディープ・ドラゴンは人間が勝てる相手ではないのだ」

 反論もなく。ルイスはベッドに横になったままうつろな瞳で天井を見つめていた。
 あれから――あの戦闘から――二日がたったらしい。あのとき瞬いた文字は、イスターシバがルイスを救出するためのものだったようだ。
 だが、精神を一部破壊されてしまったルイスは、その間ずっと意識を失っていた。ついさっき目が覚めたところだった。

「……」

 意識がはっきりとしない。虚脱感だけが身体を支配している。

「……なんで助けた?」

 問う。イスターシバは淀みなく答えてきた。

「言わなかったか? 女神に対抗するため、我らには人間種族が必要なのだ。仙人スウェーデンボリ―が召喚できない以上、我らに残された手はそれしかない」
「仙人……?」
「≪神殺しの神≫ 災厄の現出の際、同じく現れた神の一人だ。神でありながら神を殺す者として知られている。女神であろうと殺せるはずだ」



879 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/12 /16(木) 23:38:35.41 ID:Ag.NhKMo

 だが、と彼女は続ける。

「その召喚は困難を極める。何しろ居場所も正体も分からない。さらに言えば素直に我らを助けてくれるとも限らんからな。となれば我らに残された手は人間種族しかないのだ」
「……」

 相変わらず、何の事だかわからない。
 だがどうでもいい。自分は、負けたのだ。

「勝手に脱落されても困る。汝にはまだやってもらわねばならぬことがあるのだから」
「そうかよ」

 ぼそっと言ってシーツに潜った。泣きたい気分だが、それもできそうにない。

「……まだしばらく休んでいろ。ただし、この部屋から出歩くな。聖域内はいくつかの派閥に分かれている。我はまだ汝らの来訪を公にはしてないが、来訪を快く思わない輩も少なくないのだ」

 ルイスは何も答えなかったが、イスターシバはこちらが聞いたのを確認すると部屋を出ていった。



880 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/12 /16(木) 23:40:18.98 ID:Ag.NhKMo

 それからまた数日がたった。
 時間はむなしく過ぎていった。
 ルイスの一日は白い部屋の中で始まり、終わる。
 特にやることはない。やりたいこともない。ただただ、眠っていたい。
 一度精神を壊されたせいだろうか。感覚が変わってしまったような気がした。

「……」

 何度かイスターシバの訪問があった。その時にいくつか聖域のことについて説明してもらっていたが、どうにも頭に残っていない。
 聖域内派閥があり、人間種族の協力を得ようという側とそれに反対する側とで対立しているのだそうだ。それぐらいしか覚えていない。
 確か、危険なのだ。

(危険?)

 シーツをかぶったまま皮肉に苦笑する。自分など、もう死んでしまっても構わないというのに。



881 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/12/16(木) 23:40:56.31 ID:Ag.NhKMo

『お前たち二人を失うわけにはいかん』

 イスターシバは言った。

『我らに残された最後の可能性なのだ』

 可能性。自分たち二人。自分と姉さん。

(……姉さん)

 変わり果てた姿を見て以来、彼女には会っていない。
 あの姿を見るのはつらい。だから、会いたくない。

「……」

 それに、どんな顔をして会えばいいというのだ。無様に負けた自分が。
 会いたくない。

「……」



882 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/12/16(木) 23:41:48.82 ID:Ag.NhKMo

 リオは、どう思うだろう。

(姉さんは、やさしいから……)

 自分が負けたと知っても、怒らないだろう。ただ、危ない目にあったことは悲しむかもしれない。
 リオはやさしいから。
 でもちょっぴり頭が悪くて、ついでに言えば寂しがりやで……

「……」

 今もあの部屋に一人でいるのだろうか。
 白い部屋で、一人で揺り椅子に座っているのだろうか。
 それではきっと、彼女は寂しがるだろう。
 でも、会いたくない。

「……」

 白い部屋。一人。

「……」

 ルイスは上体を起こした。



887 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/12/17(金) 20:18:18.30 ID:3vP7FoYo

 白い部屋の、白い少女。
 部屋の中心の揺り椅子で、静かに静かに息をしている。

「……」

 部屋の入口から見るその風景は、それだけならば酷く平穏だった。だが、見ようによってはこれ以上ないほどに残酷だった。
 しばしためらった後、静かに近寄って、彼女の目の前にゆっくり腰を下ろす。

「姉さん……」

 膝を抱えて呼びかける。
 彼女は相変わらずぴくりとも反応しなかったが。
 言葉は続かずに、そのまま口をつぐんだ。再び無音が部屋を包んだ。

 静寂は長く続いた。耳がきんと痛くなる。何も動かない、何も聞こえない。
 目をつぶって息を吸う。はく。再び目を開けても見える光景は変わっていない。
 相変わらず、寂しい。
 胸を刺す静かさに耐えられなくなって、ルイスは口を開いた。

「……姉さんはさ」

 そこでいったん言葉を止める。



888 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/12/17(金) 20:19:14.99 ID:3vP7FoYo

 自分が何を言おうとしたのかしばし見失い、そしてそもそも考えて発した言葉ではないことを思い出す。
 苦笑して続ける。

「やっぱりちょっとやかましいくらいが似合うよ」

 言うほど今までかしましかったわけではないが、なんとなくそんなことを言っていた。
 とはいえ、今と比べればなんだってうるさくは感じるだろう。

「……お菓子を食べながらしゃべるのはどうかと思うけど」

 彼女はあまり行儀がよくなかった。
 思えば昔からそうだ。リオは魔界の姫でありながら、全くそういう風にふるまわなかった。
 いつも自分の思うままに突っ走り、周りに流されるより流すことを好んだ。
 静寂の中、記憶はつらつらと過去にさかのぼる。

「いっつも姉さんに引っ張られてた」

 笑う。そうだ、いつだってそうだった。
 ルイスは我を張ることは少なかったから、常にリオに手を引かれていた。



889 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/12 /17(金) 20:20:01.30 ID:3vP7FoYo

 どこかに行くときも行かないときも。何をしているときもしていないときも。いつだって一緒だった。
 実際にはリオは稽古事でそんなに頻繁にルイスのところに来ていたはずはないのだが、それでも古い記憶は、リオと一緒にいたときのものばかりだ。

「最近は僕が手を引いてた気もするけどね」

 ふっ、と鼻から息が漏れる。

「そうだ、勇者ごっこは覚えてる?」

 リオはよくその遊びをしたがった。

「姉さんは勇者役をやりたがったよね。僕はそれでもかまわなかったけど、でもお姫様役は勘弁だったなあ」

 再び苦笑。
 今でも「助けに参りました、姫」と笑って言う当時の彼女の顔が思い出せる。
 記憶は次から次へとあふれてくる。ルイスは思いつくままゆっくりしゃべった。
 彼女の父の書斎に勝手に入って遊んだこと。彼女がルイスにつけた首輪が取れなくなって大騒ぎになったこと。そのあとルフに怒られたこと。ついでに反省の色のない彼女にルフの容赦ない膝が炸裂したこと。
 まだまだある。一緒にルイスの祖父の訓練を受けたこともそうだ。彼女の方が呑み込みがよくて、ルイスはその当時はなんとも思っていなかったが、今思い返すと彼女の武の才に嫉妬していたような気もする。ルイスが知の道に傾倒したのも、彼女への対抗心があったのかもしれない。



890 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/12/17(金) 20:21:02.24 ID:3vP7FoYo

「―― 僕たちは一緒に成長した。でも、姉さんは魔物だったから成長が穏やかだった。僕は当時はそんこと知らなかったから、それがとても不思議だった」

 だから、ルイスは訊いたのだ。姉さんはどうして大きくなるのがゆっくりなの、と。
 彼女は笑って言った。

『あたしは待ってるんだ』

 何を?

『ルゥ君があたしに追いつくのをだよ』

 ふーん?

『あたし、待ってるから』

 そして彼女はこうも言ったのだ。

『もしルゥ君がもたもたしてたら、その時はあたしの方から迎えに行くからね』



891 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/12/17(金) 20:22:33.12 ID:3vP7FoYo

「……」

 部屋は静かだった。何も聞こえなかった。
 唐突にこみあげてくるものを感じて、ルイスは膝に顔をうずめる。

(姉さん……)

 暗い視界。必死にこらえる。泣くな。姉さんの前では泣くな。彼女を心配させてしまう。
 歯を食いしばる。膝を強く抱える。そして自分を抑えつける。
 ……その時、声が聞こえた。

「ルゥ君」

 はっとして顔を上げた。
 だが、何も変わっていなかった。部屋は白く、彼女も白く。目はうつろでどこか遠く、自分の視線とは交わらず。
 ただ、彼女の揺り椅子だけが、わずかにそっと揺れている。



895 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/12 /18(土) 01:08:12.74 ID:.hkTX.oo

     ※


「そうか。回復がだいぶ進んだのだろうな」

 リオの部屋に姿を現したイスターシバは、ルイスが勝手に出歩いたことに関しては特に言及しなかった。
 今はルイスを連れて、延々と続く白い廊下を歩いている。

「もう少しすれば、完治するはずだ」

 もう十分近く歩いている気がする。その割に目に見えるものは相変わらずどこまでも続く同じ風景だけだった。

「どこへ向かってるんだ」

 ルイスの問いに対し、イスターシバの回答はそっけないものだった。

「着けばわかる」
「……」

 先導するイスターシバの緑色の髪を見つめる。
 聞けばそれは、生来のものではないらしい。緑の瞳――こちらはすべてのドラゴン種族に共通の特徴だそうだが、それも同様という話だ。以前された説明が徐々に記憶によみがえってくる。
 それらはおよそ千年前、彼らドラゴン種族が魔術を手に入れたときに現れた。運命を剥ぎ取られた印とイスターシバは言う。



896 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/12/18(土) 01:09:12.97 ID:.hkTX.oo

「千年前……そんな昔からあなたは生きていたというのか」
「そうだ。我は起こったことのすべてを目にしてきた」

 ルイスの、唐突といえば唐突な問いに、彼女は振り向きもせずに答えた。

「ドラゴンはひどく長命なんだな」
「それは確かだが、我は特別だ。アイルマンカー、オーリオウル様の使い魔であるからな」

 使い魔。それは精神を強固にリンクさせ、感覚を共有するものだ。主の力も一部借りることができ、それにより寿命を延ばしているということらしい。
 そうして得た時間を、彼女は全て戦いに費やしてきたという。
 それはきっととても――

「凄絶であった」

 内容に反して淡々と言った。

「……」

 白い廊下は、どこまでも続いている。



897 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/12/18(土) 01:11:01.32 ID:.hkTX.oo

 着いた広間はやはり白かった。他の部屋と違うのは、柱が壁に沿って数本立ち並んでいることぐらいだ。
 だが、相変わらず何もない。と思いきや……

「なんだ?」

 妙なものを見つけて足を止めた。
 それは、一言でいえば鳥に見えた。ただ、普通の鳥ではない。一抱えほどもある大きさをしている。それが壁際で眠りこんでいた。

「ああ、それには近付くな。すこぶる危険だ」

 前を歩くイスターシバが、振り向いて忠告してくる。

「カゲスズミ……なんとか言って、鳩の一種だ」

 それを聞いて思い出す名がある。カゲスズミノコギリコバト。

「……こんなに大きいのに鳩?」
「千年より前は腐るほどいた。だが神々と我らの戦いに巻き込まれ大陸にいた分はその時に全滅した。今いるのは孤島にもともといたもののみだ」



898 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/12/18(土) 01:12:06.32 ID:.hkTX.oo

 頭に引っかかることがあった。何か忘れている気がする。
 だが、それを思い出す前にイスターシバに呼ばれた。

「ここだ」

 見上げるほど大きな、格子の門だった。広間のつきあたりに悠然とそびえている。

「……?」

 ルイスは、なにか底知れない圧迫感が扉から漂ってくるのを感じた。重苦しく、息を詰まらせる。

「ここは……?」
「≪詩聖の間≫だ」
「≪詩聖の間 ≫?」

 イスターシバを見ると、彼女は頷いて続けた。

「この向こうにいる」
「何が」
「……女神だ」

 女神。ドラゴンたちが長年戦ってきた敵。この圧迫感の正体はそれなのか。



899 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/12/18(土) 01:16:19.01 ID:.hkTX.oo

「汝を連れてきたのは、女神と対面させるためだ」

 彼女は格子の門に近寄った。

「≪最終拝謁≫」

 そして、門に軽く触れる。

「それは“過去”との邂逅。そして女神との対面によって、汝は一つ高次の存在に押し上げられるであろう。……開けるぞ」

 ルイスの返事を待たず、門がゆっくりと動き出した。
 途端、開いた隙間から圧倒的な気配が噴き出してくる。

(なんだ……!?)

 思わず身構えながら目を凝らす。
 門はたっぷり時間をかけて開き切り、その向こうの光景をあらわにした。
 そこにいたのは――

「……」

 広大な暗闇に佇む、物言わぬ一人の女だった。



903 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/12/18(土) 22:44:35.01 ID:.hkTX.oo

 緑の髪と緑の瞳、緑のローブ。女はイスターシバとそっくりな格好をしていた。同じように端正な顔立ち、のびやかな四肢。だが違う女だ。
 門の向こうに広がる暗闇。入口からかなり奥に入ったところに浮いていた。
 浮いている? なぜ?
 答えは簡単に分かった。その女の首は虚空から唐突に伸びる手によってつかまれていた。それが女を空中にぶら下げている。
 そして――間違いなくその首は折れていた。手に掴まれたところから完璧に。生命に支障が出る角度で。

「中には入るな、危険だ」

 イスターシバの声はどこか遠くに聞こえた。

「女神……」

 ルイスはつぶやく。ドラゴン種族を孤島に追いやった神々。あれが、そうなのか?
 だがイスターシバは首を振る。

「違う。あの方は我らウィールド・ドラゴン=ノルニルがアイルマンカー、オーリオウル様だ」
「……?」

 だが彼女は言ったではないか。門の向こうには女神がいると。

「それより前にこうも言ったはずだ。女神の侵入を、オーリオウル様がとどめているとな」

  ……では、女神はどこにいる。詩聖の間とやらの中には一人分の人影しか――

(――! いや)

 ルイスは気付いた。

「その通り」

 イスターシバが頷く。

「オーリオウル様の首をつかんでいるのが女神ヴェルザンディだ」

 ルイスは絶句して、その光景をみつめた。



904 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/12/18(土) 22:45:27.21 ID:.hkTX.oo

 と。ふと気付いた。オーリオウルと呼ばれた女。始祖魔術士。それがこちらを見ている。その目にかすかながら意志の光が見えた気がした。

(まさか……生きているのか?)

 あり得ないことに思えた。首は完全に折れている。見えたものが夢でないならば、彼女は死んでいなければならない。
 オーリオウルと視線が交わる。同時に、視界がゆっくりと歪んだ。

(なんだ……!?)

 焦って視線を外そうとするが、もう視界は動かせない。それは徐々に暗く沈んでいく。
 似た感覚は知っていた。精神支配。だが、今までとはわずかに違う。何かとつながる感触。
 しばらくすると、視界は完全に闇に沈んだ。

「……」

 何も見えない。暗闇に浮くようにして、ただルイスはそこにいた。
 困惑してあたりを見回すが、あるのは暗闇ばかりだった。
 いや。
 唐突に緑色の瞳と目が合って、ルイスは息をのんだ。



905 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/12/18(土) 22:48:05.59 ID:.hkTX.oo

 暗闇の中、緑のローブがさらりと揺れる。

「オーリ、オウル……」

 目の前にいるのは、確かに首をつかみ折られていたはずの女だった。暗闇だというのにその姿はくっきり見える。ルイスと彼女は、数歩の間をおいて向かい合っていた。

『……』

 しばらくの沈黙があった。が、オーリオウルが突如唇を動かした。
 何かを言おうとしている。悟って、ルイスは思わず身体をこわばらせた。

『神とは』

 どこまでも澄んだ、透明な声だった。その声がゆっくりと語る。ルイスは思わず聞き入った。

『神とは、世界そのものであった。広大無辺、無限の力。全知全能の力、“魔法”とも呼ばれるものだ』

 突如暗闇が光で満たされる。ルイスはあまりの眩しさに目を覆った。そして、こわごわと目を開く。

「……?」

 周りの風景は一変していた。



906 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/12/18(土) 22:49:26.63 ID:.hkTX.oo

 広大な、どこまでも続く石造りの道。周りに立つ高い建造物。全体の大きさの把握すらできないほどの壮麗な都。ルイスと女の二人は、そこで向かい合っていた。
 周りを見渡し言葉を失う。

(これは……)
『千年より前。我ら六種のドラゴンと人間はそれぞれに壮大な文明を築き、時に争い時に寄り添った』

 道には歩いている人影があった。いくつもいくつも。
 彼らはゆったりとした服を着ていて、黒髪が多い。一目では全て人間のように見えた。だが、どことなく雰囲気が異なる者もいる。

「ウィールド・ドラゴン……」
『全ての種が手を取り合った記念すべき時代があった。我らはその時代を祝福した。それが歪みの始まりとも気付かずに』

 周りの風景が歪み、遠くに消える。後には元通りの暗闇が残った。

『あるとき、我らの文明をより高次な次元に押し上げようという計画が立てられた。そのために力と知恵に恵まれた六種、ドラゴンは一人ずつ知恵物を送り出した。マシュマフラ。ガリアニ。レンハスニーヌ。プリシラ。パフ。そして我、オーリオウル。我らは≪賢者会議≫と呼ばれ、その名に恥じぬ壮大な目標を設定した』

 アイルマンカー、オーリオウルが目を閉じる。

『世界を制御する方法を、開発しようとしたのだ』



911 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/12/19(日) 13:23:48.69 ID:qKMJ5VMo

     ※


「彼らが見つけたもの。それは世界を統べる法則……いや、原則とも言えるもの。それが神の正体。常世界法則」

  ≪最終拝謁≫――始祖魔術士オーリオウルとの精神交感を終えて、ルイスは目をつむったままつぶやいた。

「それはシステム。世界を構成するシステムだ。絶対だけど、不変じゃない。そこに目をつけた賢者会議は、それに介入し操る術を見出した」

 やはり目をつむったまま続ける。掲げた手に抵抗を感じたが、それはどうでもよかった。

「だが、問題が起こった」

 目を開ける。ルイスの手に首をつかみ上げられ暴れるイスターシバが目に入る。

「世界の法則を支配する魔術は、その法則である“魔法”に矛盾を引き起こした。システムに制御される者が、システムを制御するという矛盾だ。かごの中にいる者がかごを持つことはできない。そして、矛盾は災厄を引き起こす」

 イスターシバは爪を立てて激しく抵抗しているが、ルイスの右腕は微動だにしない。腕一本だけで、がっちりと彼女を固定している。

「世界の法則にじかに触れたことで、アイルマンカーたちは絶大な魔力を手に入れた。ドラゴン種族は強力だけど、それよりさらに強大な力を手に入れたんだ。そして、不老不死となった。運命を剥ぎ取られ、緑色の瞳という烙印を押されて。彼らはどう思ったんだろうな。でも、そんなことはどうでもいいんだ。大事なのは世界に起きてしまった災いだ」

 彼女の首をつかむ手にほんの少し、さらに力を加える。

「世界は、狂ってしまった」



912 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/12/19(日) 13:24:51.65 ID:qKMJ5VMo

「神というのは広大無辺、世界そのもの。ゆえに全知全能。だが、それが矛盾によって崩壊してしまったんだ。神は全知全能から一つ存在のレベルを落とした。そして起こったもの。それは――」

 イスターシバのうめき声。それに重ねるようにして言う。

「“現出”――神々の現出。それまで法則としてしか存在していなかったものが、生物としてこの世にあらわれてしまったんだ」

 だけど、と彼は続ける。

「ただ、現出しただけじゃない。」

 手にさらに力がこもる。

「人間が、神化する現象が起きたんだ……!」

 身体が熱かった。

「人間は賢人会議に代表者を送り出さなかった。それはドラゴンたちに認められなかったのか、それとも人間自身が拒否したのか。僕は知らない。だけど、結果として人間はユニットとして常世界法則に組み込まれることはなかった。そのせいもあるんだろう。唯一残った種族に、現出は起こった。常世界法則が、人間に憑依して――この言い方が近いだろう――それを変異させた」



913 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/12/19(日) 13:27:17.15 ID:qKMJ5VMo

「…… 人間には始祖魔術士はいない。あのラモニロックというのは偽りのアイルマンカーだ。なぜなら人間はアイルマンカーを必要とせずに魔術を用いることができるから。いや、魔術とは違う。それは魔法の片鱗だ。神化の前兆なんだ。人間が神になることの証明でもある」

 熱が先ほどから身体全体に広がって、ルイスの怒りをより強いものにしている。

「神化し、化け物となった人間は残されたわずかな思考で判断した。世界を元に戻さねばならないと。そのためにドラゴン種族を駆逐せねばならないと。魔術が行使されることがなくなれば、結果として魔術による矛盾もなくなる。人間に戻ることができる」

 イスターシバの首が、そろそろみしみしと音を立て始めていた。それでも力は緩めない。

「ところで人間には肉体化 ――ヴァンパイア化という可能性が存在する。肉体強度が大幅に強化される過程だ。今女神の影響によって僕に起こっているこれだな。人間が神に出会い、その影響を受け入れることで引き起こされる。でも実はそれは、神化の一過程にすぎない。神になった人間が、別の人間に影響を与えることで同じく神に引き上げる現象なんだ」

 ドラゴン種族は丈夫だった。女神ヴェルザンディの影響により変異したルイス・フィンランディ・ヴァンパイアの力に対し拮抗している。今のところは。

「全知全能から一つレベルを落としたとはいえ、神の力はドラゴンに輪をかけた強力さだ。神人には神人でしか対抗できない。だからあなたは僕を神化させようとした。それは失敗だよ。僕はあなた方に協力なんてしたくない。あなた方の運命? くそくらえだ」

 ルイスは彼女を睨みつけた。
 彼の腕は先ほどからイスターシバの首をつかんでぶら下げたままだ。右腕一本だが、疲労は感じなかった。むしろさらに力があふれてくるように感じる。



914 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/12/19(日) 13:28:53.79 ID:qKMJ5VMo

「こ…… の……」

 イスターシバが苦しげにうめく。だが、そんなことどうでもいい。

「自業自得だ、あなた方は。自分から運命を投げ捨てた。だが人間はどうだ? あなた方のとばっちりを食らっただけじゃないか。望まずして運命を剥ぎ取られた人間の思いが、あなた方には分かるか? ヴェルザンディも、あの肉塊ももともとは人間だったんだ。それぞれの生活と人生があったはずなんだ。あなた方はそれを奪った!」

 イスターシバは魔術文字を描こうとしたのだろうが、首をつかむ力を調節して苦痛によって阻害する。

「それだけじゃないな。あなたがたは殺人人形を作り、人間の根絶に動いた。何故か。それは人間さえいなくなれば神が現出することはないと考えたからだ。人間がキエサルヒマ大陸に移ったのは、それを逃れるためだ」

 怒りに我を忘れて彼女の首を握りつぶしそうになり、なんとか自制だけはする。

「実際にはキエサルヒマにも現出によって独自にヴァンパイア化した人間種族――魔物がいたわけだが、それはいいだろう。とにかく、あなたがたは自分たちの都合だけで、人間を追いやった」
「我らとて……必死だったのだ……」

 イスターシバが苦しげに言う。



915 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/12/19(日) 13:29:52.05 ID:qKMJ5VMo

「それに……お前の知らぬ、昔のことだ……お前に、何が分かる……」

 その一言を言い終わる前に、ルイスはイスターシバを適当に放り投げた。
 床にたたきつけられ、彼女が悲鳴を上げる。

「何が分かる、か? もうすでに僕の前で二人死んでるんだ! 殺人人形に殺されてしまった人! そして、ヴァンパイアになってしまって、殺さなければならなかった人だ!」

 イスターシバが激しくせき込んでいる。そのせきの合間合間に、声が聞こえた。

「それ、でも……守り、たかった……のだ……」

 ルイスの身体から、すっと熱が引いた。

「そうかよ」

 ヴァンパイア化が、止まった。自分の身体が化け物のそれから人間のものに戻っていくのを感じる。

「だがな、僕は神になってお前たちに協力するなんてまっぴらごめんだ。自分たちで何とかするんだな」
「お前も……あの少女も、巻き込まれるのだぞ……?」
「……」

 ルイスは答えなかった。



918 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/12/20(月) 23:04:56.80 ID:WOsdalMo

「イスターシバ様!?」

 唐突に、広間の入口から声がした。見るとイスターシバと同じく緑のローブを着た女が駆け寄ってくるところだった。イスターシバの手の者だろう。

「大丈夫ですか、イスターシバ様!」

 彼女は数歩離れたところで足を止め、ルイスに向かって虚空に魔術文字を描き始めた。攻撃の文字。
 抵抗の意思もなく、ルイスは肩をすくめて両手を上げる。イスターシバにかなり乱暴なまねをしたのだ。ここで消されてもおかしくない。自分を生かしておいても彼らの益にはならないどころかむしろ危険でもある。

「……」

 こちらもこの世に未練はなかった。こんなめちゃくちゃにされてしまった世界になど。そして、ルイスの欲しかった真実はつかんだ。繰り返すが未練はない。いや……

(姉さんに会えなくなるのは……未練といえば未練か)

 苦笑して、目を閉じた。



919 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/12/20(月) 23:05:43.73 ID:WOsdalMo

「やめろ……」

 うめくようにして出される声。目を開く。

「その者を殺すな……」
「イスターシバさま、しかし……」

 文字を途中まで描いたまま、女が言う。しかし、イスターシバは言葉を変えることはなかった。
 起き上がりながら続ける。

「殺すな……それよりも、我に用があるのであろう……?」
「……」

 女はそれでもいくらか迷ったようだが、よほど急ぎの用だったのだろう、魔術文字を消すとイスターシバの下に駆け寄った。耳打ちする。

「……なに?」

 沈黙をはさんでイスターシバの眉間にしわが寄る。

「それは真か?」
「ええ」

 頷く女の顔も、苦渋に満ちていた。

「……?」

 ようやく両手を下ろして訝しい思いに片眉を上げたルイスに、イスターシバの視線が刺さった。



920 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/12/20(月) 23:08:01.24 ID:WOsdalMo

◆◇◆◇◆


 夜の森には闇が満ちていた。月は出ておらず、頼りになる光はない。風もなく、無音。湿っぽい空気があたりに漂う。
 ここは孤島の中心に広がる森。 “フェンリルの森”という名もあるにはあるが、呼ぶ者は少ない。森は森だからだ。そして、その森の闇の一角。そこに一頭の獣が立っていた。

「……」

 静寂の獣、ディープ・ドラゴン=フェンリル。名の通り、音も気配もさせず。その輪郭を闇に溶かし、ある一点を睨みつけたまま動かない。
 見つめる方向にはやはり森が広がっている。そこにはそれしか存在しない。
 いや――
 ざわり。
 闇が唐突にうごめいた。

 同時にディープ・ドラゴンの目が鋭くなる。白い光が瞬いた。遅れて轟音。森の土を舞い上げて、突風が荒れ狂う。しかし。
 土煙を割って、鋭いものが飛び出した。ディープ・ドラゴンが反応するより早く、その身体に突き刺さる。
 ディープ・ドラゴンの声にならない悲鳴が夜の闇に響いた。

 だが、獣への攻撃はそれだけにとどまらなかった。続いて飛び出した幾本もの“針”が次々にディープ・ドラゴンの身体を貫く。
 それは夜の闇の下では分かりにくいが腐った肉の色をしていた。肉の針はとどまることをしらず、ついにディープ・ドラゴンの身体を埋め尽くす。
 そして、森の茂みの中からのそりと出てくる大きな塊。おぞましく身体を震わせながらもう動かない獣に近付き、その身体をゆっくりと呑み込んだ。
 数秒ほどで“吸収”を終えた肉塊は、あたりをうかがうような気配を見せると、再び森の闇に姿を消した。


◆◇◆◇◆



921 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/12/20(月) 23:09:02.97 ID:WOsdalMo

「どういうことか説明してもらおうか、イスターシバ殿!」
「……」

 あまり大きくない議場内は殺伐とした空気に満たされていた。
 その部屋の中央には大きなテーブルが置かれ、そこにウィールド・ドラゴンが数名、向かい合って座っている。不思議なことに、その誰もが女性だった。数は多くない。だが、それはウィールド・ドラゴンのほぼすべてらしい。

「神、デグラジウスの侵入。イスターシバ殿はこの事態を予測していたという。それは何故なのだ!?」

 険悪な表情で問い詰める女性は、イスターシバの対面に座っていた。その両隣にも、従者と思しきウィールド・ドラゴンが二、三人座っている。彼女はイスターシバに並ぶ実力者なのだろうと、ルイスは推測した。

「……人間種族が、アイルマンカー結界内に現れたのだ」

 イスターシバの言葉に、一瞬議事堂内が静まる。

「それは、どういうことです?」

 先ほどとは別のウィールド・ドラゴンが彼女に問う。



922 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/12/20(月) 23:11:11.18 ID:WOsdalMo

「大陸にある世界図塔。それを使って、アイルマンカー結界内に転移してきた。そういうことらしい」
「あなたが呼び寄せたのではないのか?」

 実力者の女が再び口を開く。その目には不審の光があった。

「あなたは前々から人間種族および仙人スウェーデンボリ―の召喚を主張していた。それを実行に移したのでは?」
「誓って言う。それはない」
「そうでしょうか。人間の召喚を独断で行い、その際不注意によりデグラジウスをも呼び寄せてしまったのでは?」
「違う」

 イスターシバが女を睨みつける。だが、女も引きさがる様子はない。

(デグラジウス?)

 ルイスは、議場のテーブルから離れたところに立っていた。誰も彼の方を見ようともしない。まるでそこにいないかのように。ルイスの目の前には魔術文字が輝いている。それは彼を隠蔽するためのものであり、声を出したりしない限りは誰も気付くことはできないらしい。イスターシバによる術だ。



923 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/12/20(月) 23:11:51.86 ID:WOsdalMo

「来訪した人間種族の記憶を読んだ。彼らは転移する際デグラジウスに襲われていたようだ。ちょうどその時に世界図塔が起動したらしい。それで――」
「では成功したのでしょうね」

 女はイスターシバが言い終わる前に口をはさんだ。

「人間種族を神化させ女神を撃退する計画は、成功したのでしょう?」
「それは……」

 イスターシバの視線が落ちた。

「まさか、デグラジウスの侵入という失態を犯して、なんの成果もなかったとでも?」
「デグラジウスの侵入は、我らの失態ではない」

 だが、女の言葉は止まらない。

「あなたはいつだってそうだ。無謀な計画を立てるだけ立て、その現実性を考えもしない」
「では汝らはどうなのだ!」

 今度はイスターシバが激昂し、声を張り上げた。



924 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/12/20(月) 23:12:33.68 ID:WOsdalMo

「汝らは絶望するだけでなんの手立ても考えてはこなかったではないか!」
「……」
「我は、戦っていたのだ……!」

 議場内が沈黙する。

(……)

 彼女ら、いや彼女は戦っていた。千年より前から戦っていたのだ。
 とはいえ、それらは彼女らの自業自得で、ルイスの知ったことではない。

「だが今は……口論よりも、デグラジウスをどうにかしなければならない」

 イスターシバが、いくらか落ち着いた声で、ため息交じりにつぶやいた。そして議論が再開する。が、ルイスはそれを聞いてはいなかった。
 そう、彼らは自業自得だ。自分の知ったことではない。何もすべきことはない。
 だから。

「僕に考えがある」

 ルイスは自分の声を、信じられない思いで聞いた。



925 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/12/20(月) 23:13:03.49 ID:WOsdalMo

 ルイスの声に、議場がざわつく。今まで何もいなかった場所に当の人間種族が現れたのだから当然といえば当然だろう。

「おい……!」

 イスターシバが声を上げるがそれを無視してルイスは続けた。

「この中で助かりたい奴は何人いる?」

 ウィールド・ドラゴンたちは呆気にとられるばかりで声を発する者などいなかったが。

「僕があなた方に、手を貸そう」

 ルイスは、頷いた。



928 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/12/21(火) 20:43:16.86 ID:LyV28s6o

◆◇◆◇◆


 レッド・ドラゴン=バーサーカー。
 強靭な肉体を誇るドラゴン種族の中でも飛びぬけて身体能力が高い彼らは、行使する魔術の性質と相まってドラゴン種族の暗殺者と称される。
 ≪獣化魔術≫
 それは、自らの体液と肉体を媒体とし、それを変化させるものだ。普段は人型をしていることが多いが、別の生き物に完全に変身することや変化させた身体を武器とすることも可能である。
 知能は極めて高く、状況に応じて即興で新しい言語体系を創造することもできる。本来ならばウィールド・ドラゴンの下にいるような器ではない。
 少なくともレッド・ドラゴン、ヘルパートはそう考えていた。

「……」

 彼の目の前には始末するべき目標がいる。シスター・イスターシバが匿っていた人間種族の内の一人だ。部屋の中心で、力なく揺り椅子に揺られている少女。
 楽な仕事だった。ウィールド・ドラゴン同士の抗争に自分たちが駆り出されるのは気に入らなかったが、それでもまあ簡単な仕事ではあった。なんの抵抗もしない獲物の首一本をそっと折ってくるだけの。
 彼は無言で指の一本を獣化魔術で長く紐のように伸ばすと、獲物の首に巻きつけた。



929 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/12/21(火) 20:47:12.63 ID:LyV28s6o

 獲物は反応らしい反応も示さなかった。ただ、俯き気味にうつろな視線をいずこかへと注いでいるのみだ。
 繰り返すが簡単な仕事だった。魂の抜けた人形を一体壊すだけの。
 やはり無言のまま、彼は目標を無に還すべく一握の意志の力を――

「ルゥ君……?」

 レッド・ドラゴンは訝しい思いに片眉を上げた。少女を見る。
 ……先ほどと何も変わったところはない。気のせいかと思い……だが。

「ルゥ君」

 うつろな目が、こちらを向いていた。

「……」

 この少女はディープ・ドラゴンに精神を破壊されたらしい。ウィールド・ドラゴンにより治療されていると聞くが、この様子だとまだ全快には遠いだろう。
 その夢うつつの境で、自分に他の何者かを重ねているようだ。
 思わず苦笑する。その者は彼女の親しい誰かなのだろうか、それとも全く仲のよくない誰かなのだろうか。わからないが、誰にしろ彼女を殺す者ではないはずだった。
 しかし、自分は殺す。

「悪く思うな」

 抵抗はできまい。巻きつけた指に、軽く力を入れた。



930 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/12/21(火) 20:47:41.00 ID:LyV28s6o

◆◇◆◇◆


『あたしは待ってるんだ』

『何を?』

『ルゥ君があたしに追いつくのをだよ』

『ふーん?』

『あたし、待ってるから。もしルゥ君がもたもたしてたら、その時はあたしの方から迎えに行くからね』


◆◇◆◇◆



931 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/12/21(火) 20:49:49.91 ID:LyV28s6o

 リオは深く息を吸い、それから長く吐いた。

「……」

 閉じていた目を、ゆっくり開く。
 まず目に入ったのは、驚いた男の顔だった。見覚えはない。
 次に目に入ったのは、その首に突き刺さったナイフ。そのグリップを、彼女の手がしっかりとつかんでいる。
 特に驚きはなかった。目が覚めたばかりだが、目の前の男が乗り越えなければならない敵であることは、本能に近い部分が知っていた。

「……っ」

 男が飛び退る。傷は特に致命傷ではないらしい。すぐに傷は埋まって見えなくなった。

「……」

 そして、彼女は知っていた。自分のやるべきこと。
 ナイフを握りなおし、構える。

「迎えに行くよ、ルゥ君」

 目の前の敵に向かって。彼女の足が、力強く床を蹴り離した。



934 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/12/21(火) 23:51:47.02 ID:LyV28s6o

◆◇◆◇◆


 ウィールド・ドラゴンに男性の姿がないのは、女神との戦いで死に絶えてしまったかららしい。彼女らは子孫を残す術を失った。もともと長命な種族だが、それでも未来は閉ざされてしまったのだ。
 それは緩やかな絶望だろう。彼女らは、ずっとそれに蝕まれてきた。

「……」

 白い壁面を見上げながら、ルイスは物思いにふけっていた。
 ≪第二世界図塔≫――今までに見た世界図塔の数倍ほどの広さ、巨大な白い円柱状の内部。大がかりなそれは、転送のためではなく召喚のために造られたものらしい。

「本当に、我らは助かるのか……?」

 背後からの声に振り向く。イスターシバがそこにいる。
 彼女はいや、と続けた。

「それよりも、なぜ我らを助ける気になったのだ?」



935 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/12/21(火) 23:54:46.72 ID:LyV28s6o

「大したことじゃない」

 ルイスは彼女から視線をはずして答えた。再び別の白い壁面に視線を這わす。その壁面は、先ほどと何が変わるわけでもないが。

「デグラジウス――あの肉塊がここに侵入してくれば、逃げ道がない以上僕と姉さんも巻き込まれてしまう。それに……」
「それに?」
「あなたは、姉さんの治療をやめるぞ、と僕を脅すこともできた。それをしなかったから、かな?」

 イスターシバが黙り込む。ルイスはかまわず壁に近寄ると、それに触れた。

「助かるかどうか。その質問に対しては、多分、としか答えられないな」
「仙人スウェーデンボリ―の召喚は困難を極める。当然だろう」
「僕は無理とは言ってないよ」
「……? できるのか?」

 ルイスは肩をすくめた。

「できるとも言ってない」

 イスターシバが怪訝そうな視線でルイスを見る。

「ところで、召喚には――」
「ああ、呼び寄せたいその者を強く思い浮かべればよい。後は我が手助けする」
「ん。分かった」

 ルイスは第二世界図塔の中心に歩み寄り、そこに立つと、目を閉じた。

「じゃあ、始めようか」



936 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/12/21(火) 23:56:35.34 ID:LyV28s6o

     ※


 ぽっ、と。閉じた瞼の向こうに光を感じた。それは壁面一体に広がり、さらにその光量を上げたようだった。

「……」

 だが、ルイスはそちらには意識をやらずに、ただただ集中に努めた。
 光がちらりちらりと動き始める。それは渦を巻き、中心に立つルイスの目の前に集まってくる。

(来い……)

 ルイスは集中に、さらに集中を加えた。
 瞼の向こうの光がさらに強くなる。そして音が聞こえる。荒れ狂う風の音。
 光は凝縮し、大きな球形になったようだった。

(仙人スウェーデンボリーを召喚することは、僕にはできない)

 目を開く。さらに凝縮し、縮んでいく光が網膜を焼く。

(だから、僕に呼べる人を、僕は呼ぶ)

 光は一点にまとまると、しばらく沈黙した。風の音も止む。

(――かつて世界を救ったあの二人を!)

 点になった光が、ついに耐えきれず爆発した。無音の閃光。
 目を押さえかがみ込んだルイス。そして目の激痛の中で、彼はひどく懐かしい声を聞いた。

「…… ん、あれ?」
「……ふむ?」

 それは、どこかこの切迫した雰囲気に合わず、どこか間が抜けていた。
 それがかつて世界を救った、英雄たちの第一声だった。



937 :アナウンス:2010/12/21(火) 23:57:34.80 ID:LyV28s6o
第五章、了



939 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/12/22(水) 00:20:49.40 ID:LhG94F2o


熱い展開になってきましたな




7 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/12/22(水) 00:06:01.23 ID:.hS56qYo
>>1乙



8 :アナウンス:2010/12 /22(水) 00:19:41.88 ID:mq.LRbIo
どうも、おかげさまでここまで来ることができました
それでは第六章投下します



9 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/12/22(水) 00:24:34.43 ID:mq.LRbIo




 ~第六章 「女神」~



10 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/12/22(水) 00:25:36.94 ID:mq.LRbIo

 父親がいないことは苦痛ではなかった。物心ついたころから父のいない生活というのが当たり前で、彼はそれを疑問に思うことはなかったから。そして、それよりもつらいことを知っていたから。

 父はひとところにとどまることのできない人間だった、とは母の弁である。彼にはよくわからないこと。彼は母が大好きで、それは父も同じだったはずで、ならば絶対に母から離れることなど考えもつかなかった。
 父から母に宛てられた手紙を数通見せてもらったことがある。今どこにいて、いつ帰るとしか書かれていないそっけないものがほとんどだったが、日付を見るとかなりこまめに出されていることが分かった。だから、なんとなく父は悪い人間ではないのだな、ということだけは理解した。
 ……ついでに言えば、それが一年前のものであることも理解してはいた。
 ただ、父のことを話す母は、その時だけは心なしか顔に生気が戻っているように見えた。

 母は遠くを見ていることが多かった。その目には何も映っていないように見えた。自分の姿さえも映っていないのではないか、と常々彼は危惧していた。
 そしてそれは恐らく間違ってはいなかった。母は彼の世話を怠ることはなかったが、そこに愛情の類はないように思えた。
 作業。それだけだ。賢い彼は気付いていた。

 彼は真実を求めた。絶対に揺るぐことのない、世界の唯一の真実を。
 彼は希求した。切実に願った。

 なぜ、彼は求めたか。それはきっと――



 ――ある歴史学者のこと――



13 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/12/23(木) 20:30:08.38 ID:lFQyjY2o

◆◇◆◇◆


 目の前を高速の何かが通り過ぎていく。

「っ……」

 ナイフを一閃させると、切り離されたそれはぼとりと床に落ちた。長くのびた人差し指。
 視線を左に振ると男の影が目に入るが、一瞬後には消えている。

(また死角に……)

 前方に身体を投げ出すと、背後を突風が駆け抜けた。
 すぐさま起き上がり、部屋の出口に向かって駆けだす。
 それを邪魔するように突如行く手に男が現れた。くたびれたスーツ、緑に輝く瞳。先ほど切り落とした指はすでに再生しているようだ。少なくとも人間ではない。

「“光よ”!」

 抑えられた光熱波が男を打ちすえた。威力は弱いものの、その衝撃で動けない男の横を駆け抜ける。
 外には、同じように白が広がっていた。長い廊下。迷わず右に向かって床を蹴った。この風景には全く見覚えはないが、それでもこの先にいるのは分かる。

(ルゥ君!)



14 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/12/23(木) 20:31:07.59 ID:lFQyjY2o

 唐突に殺気を感じた。横に跳んだその残像を、やはり細長い何かが貫く。
 悟る。こちらが走る速度より、あちらの攻撃の方が速い。
 着地した場所で、ゆっくりと背後に向き直る。男は意外にもそれ以上の追撃をせずにそこに立っていた。
 人ならざる化け物は、静かに口を開いた。

「殺す者の名は、全て覚えるようにしている。それが殺害者の義務だと思うからだ。君の名は?」

 つまらないことを訊くのだなと、彼女はそう思った。
 だが、少しでも距離を稼ぐため答える。

「……リオ」
「そうか、俺はレッド・ドラゴンのヘルパートという」

 ヘルパートは、そうしてリオが空けた分の距離を正確に詰めながら名乗った。胸中で舌打ちする。

「御託はいるまい。行くぞ」
「“光よ”!」

 今度は手加減を加えなかった。狭い通路をいっぱいにふさぐように光の束が彼女の手から放たれる。一瞬で視界が白光に埋まった。



15 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/12/23(木) 20:31:47.64 ID:lFQyjY2o

(これなら……)

 次々に身体から力が流れ出ていくのを感じる。

(これなら逃げ道は、ない……!)

 通路は狭くはないが、決して広くもない。その全ての空間を攻撃で埋め尽くしてしまえば避けられる道理はなかった。
 そして光が消えた時、確かに立っている者はいない。

「……」

 無言で深く、呼吸を繰り返す。

(倒した……?)

 ゆっくりと緊張を解く。
 ――それに対応できたのは、ほとんど偶然のようなものだった。
 必死で身をよじる。背後から耳を掠めて何かが飛び去った。

「!?」

 信じられない思いでその男を視界におさめる。
 無傷の男が、そこに確かに立っていた。



16 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/12/23(木) 20:32:48.11 ID:lFQyjY2o

「ウィールド・ドラゴンは気に食わないが、それでも彼女らが聖域の管理者でいられるのは、その優れた道具の製作能力にある」

 言って男は懐から、何やら黒い卵のようなものを取り出した。

「小型の転移装置だ。一回しか使えないが、それで充分だ」

 それを背後に投げ捨てる。乾いた軽い音を立てて、卵型の装置は廊下を転がっていった。

「さて」

 ヘルパートはこちらを見据えると、視線を鋭くした。しゅるり、と右手の五指が伸び、床につく。

「殺すぞ」

 言うと同時、それらの指が床から持ち上がり、リオに向かって飛来した。
 空気を貫いて飛ぶそれらを見据え、リオは駆けだした。男の方に向かって。
 向かう方向がそちらならば迷うことはない。ましてや退くことも。



17 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/12/23(木) 20:33:59.25 ID:lFQyjY2o

 弧を描いて上方から迫る指を、前進を止めずくぐってかわす。左右の肩を狙う二本の指は、わずかに身体をひねることで無効化した。その二本を布石とした四本目の指。眉間を狙うそれをナイフで打ちはらう。
 その数瞬のうちに、男との距離は四歩ほどに近付いていた。駆けながらナイフを持った右手を掲げる。

「“光よ”!」

 手の先に、光が収束し――
 突如視界が反転した。

「!?」

 転倒。白い床にたたきつけられ、混乱にうめく。
 すぐさま起き上がろうとし、それができないことに気付く。

(なん……?)

 右の太腿に、細長いものが突き刺さっていた。確認するまでもなくヘルパートの指。死角からせまっていたそれが、リオの移動能力を奪ったらしい。
 ヘルパートの残りの四本の指が持ち上がり、リオの方を向いた。

「終わりだ」

 殺人者の声が低く響いた。



18 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/12/23(木) 20:35:51.59 ID:lFQyjY2o

 その時、リオは自分が死ぬことについては考えていなかった。
 ただ、思い出していたのだ。嫌っていた父のことを。もう一生顔を合わせたくないと思っていたが、死を眼前にした今、本当にそうだったか確かめたい気もした。
 そしてもう一つ、あの真実という呪縛にとらわれた青年のこと。彼とは約束したのだ。一緒にお墓参りに行くと。
 だから。

(だから、ここで死ぬわけには行かないのに……っ)

 強く目を閉じた。その時。

「“我は放つ光の白刃”!」

 瞼の裏に、光が輝いた。
 驚いて開いた視界に、炎上した男が目に入った。完全に炎に包まれ、力なく倒れるヘルパート。
 彼が倒れたことで、新たに人影が目に入る。黒髪で、中肉中背の人物。

(あ……)
「だったら、立つんだ」

 優しく、力強い声で彼は言う。

「あいつらも待ってる」
「お師様……」

 ここにいるはずのないキエサルヒマ大陸最強の師を、リオはぽかんと見上げた。



23 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/12/25 20:51:21.75 ID:POTybwgo

◆◇◆◇◆


 地下砦・聖域は広大な湖の下にあった。転移装置によって外に出ると、その湖が背後に広がっている形だ。夜の闇の中で月の光をわずかに反射させ、こんな時でなければきれいなのにな、とルイスは思った。
 イスターシバの先導に従って森に入ると、焦げくさいにおいが鼻をついた。森の奥で火の手が上がっているのが見え隠れする。

「ディープ・ドラゴンが応戦しているようだ」

 ローブ姿では歩きづらそうに見えるが、特に気にしない様子で彼女は歩き続ける。

「できればすぐにでも汝らの手を借りたいのだが」

 肩越しにこちらに、いやルイスの隣に立つ者に視線を注ぐ。
 長身の人影は肩をすくめると、口を開いた。

「まあ、かまわんが」

 イスターシバによる魔術文字の明かりの中、白に近い銀の長髪がきらめく。黒色のマントをはじめとする黒一色の装いとは反対に、それ自体が発光しているようにも見えた。
 彼の名は魔王ニギ。かつて――非公式にではあるが――世界を救った英雄のうちの一人である。

「今までに聞いた説明だと、多分あいつが来るまでどうしようもないぞ」



24 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/12/25 20:52:50.66 ID:POTybwgo

「問題ない。それまでは時間があるはずだ」

 と、イスターシバが立ち止まる。
 魔術の明かりの中、黒く巨大な影がいくつもそびえている。ディープ・ドラゴンの影。
 彼らはこちらに背を向け、何かを待ち構えているように見えた。いや、事実何かを待ちうけていたのだろうが。

「ただ……」
「ふむ?」

 振り返ったイスターシバの不安げな視線を受け、ニギが疑問符を浮かべる。

「本当に、汝らに任せられるのか? 今より迎え撃つものは神だぞ?」
「話通りならば我輩らでなんとかできるはずだ」

 ニギが頷く。その動作には緊張の類は見えなかった。

「お願いします、ニギおじさん」
「うむ。任せておけルゥ坊」

 笑うニギは、やはりいつもと変わらない。正直なところ絶対的な確証があって呼び寄せたわけではなかったが、しかしこの人ならばなんとかできる。ルイスは確信した。



25 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/12/25 20:53:23.67 ID:POTybwgo

 その時だった。

「ルゥ君!」

 懐かしい声がした。そう、もう長い間聞いていなかったような気がする。
 振り返ったルイスは、何かに跳びつかれて転ばないように踏ん張った。

「姉さん……!」
「うん!」

 以前と変わらない姿で、魔王の娘がそこにいた。
 栗色のポニーテール、元気な笑顔。間違いない、リオだ。

「ルゥ君が遅いから、こっちから迎えに来ちゃった!」
「そっか……うん、そっか」

 ぽんぽん、と背中をたたいて身体を離す。泣きそうになっている自分に気づいて、ルイスはあわてて目頭を押さえた。



26 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/12/25 20:54:36.69 ID:POTybwgo

「男が泣くもんじゃないな、ルイス」
「爺さん……」

 一人の老人がリオに続いて現れた。魔王ニギとともに世界を救った、勇者シェロ。
 だいぶ老けて白くなってしまったが、奇跡的に黒い部分も多く残っている髪の毛。中肉中背。最近では革鎧を身につけることは少なくなり、(急に呼び出したのもあるのだろう)今は平服を身につけている。

「来たかシェロ」
「ああ、無事、リオちゃんと合流できたよ」

 魔王はちらりとリオの方を見たが、特に何も言わず勇者に視線を戻す。
 シェロは、ルイスとリオの前を通り過ぎるとニギの横に立った。

「行けるか?」
「いつでもOKだ」
「うむ」

 彼らにした状況の説明は必要最小限だった。それでも彼らとっては十分だったのだろう。問題なく待ち構えていてくれる。

「来た」

 イスターシバの声。同時にディープ・ドラゴンの向こうの闇がもぞりと動いた。



27 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/12/25 20:55:17.14 ID:POTybwgo

「ルゥ君、これ」

 そちらを見たまま、リオが何かを差し出してくる。
 ナイフのグリップ。

「護身。一応持ってて」
「分かった」

 受け取って――同時に激震がルイスたちをゆすった。
 見ると、森の奥に向かって炎の道ができている。ディープ・ドラゴンの攻撃だろう。だが、そこには何もいなかった。

「――!」

 刹那、最も前にいたディープ・ドラゴンが倒れた。右方から何か細長いものが伸びている。
 他のディープ・ドラゴンが反応するが、それよりも早くいくつもの“針”が降り注ぐ。それは狼たちを次々に貫いた。見る間に立っているディープ・ドラゴンはいなくなった。
 一瞬だった。それだけであの強大なドラゴンが一掃されてしまった。

「来るぞ!」

 イスターシバの声と同時か、それより早く。倒れたドラゴンたちに何かがぼとりとのしかかった。見覚えがある。あの肉塊。
 だが。

「大きい……!」

 現れたそれは、見上げるほどに大きくなっていた。



28 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/12/25 20:56:07.15 ID:POTybwgo

「“光よ”!」

 リオの呪文。高威力の光熱波は、肉塊に刺さって爆発した。だが、大きな傷を与えることはできずに爆発が消える。
 ぴっ ――

「……!」

 音らしい音はしなかった。だが、確かに肉塊の“針”が飛来する。
 それは全員が飛び退った後の地面をえぐった。

「“光よ”!」
「“我は放つ光の白刃”!」

 次いで魔王と勇者の声。二つの光輝は肉塊を大きく傷つける。だが、数秒も立たずに肉塊は再生する。
 そして、それはゆっくりとこちらに覆いかぶさるように倒れこんできた。
 焦るルイスをおいてけぼりに、さらに声が響く。

「“我は繋ぐ虹の秘宝”!」

 見たこともない構成だった。放たれた光は極低温の風を吹かせると、続けて発火し、最後に電光を放って標的に突き刺さった。肉塊を大きく後退させる。
 振り返ると、最後列にさがっていたニギとシェロが並んで手を掲げていた。



29 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/12/25 20:56:40.91 ID:POTybwgo

「合成魔術!?」

 リオの叫び声に、ニギは頷く。

「我輩らは魔術をより高度な段階に進めるため、研究に研究を重ねたのだ」
「今のは一度の魔術で複数の効果を発生させる、そういう魔術だよ」

 さて、とシェロは続ける。

「ちゃっちゃと終わらせるぞ。準備するから援護を頼む!」

 頷いて、ルイスはリオと手を繋いだ。

「“我は放つ光の白刃”!」

 飛来した何本もの“針”が爆発によって軌道をそらした。

「行くぞ!」

 イスターシバの鋭い声。彼女が描いた魔術文字が、目にも止まらぬ速さで肉塊を貫いた。
 それでも致命傷にはならないらしい。

「どうするのだ、これでは埒があかないぞ!」

 イスターシバの悲鳴に対し、シェロの答えは静かだった。

「任せてくれ」



30 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/12/25 20:57:18.09 ID:POTybwgo

 ぶわり、と音をたてそうな勢いで巨大な構成が魔王と勇者から広がっていた。

(な、なんだこれ……!?)

 ルイスは戦いの場であることも忘れ、しばしそれに見入った。
 一人ではなしえない圧倒的な量の構成。だからと言って二人ならば容易いかと言われればそんなことはない。ルイスとリオの合成魔術でさえ、構成事態の規模は個人のそれの域を出ないのだ。
 ついでに言えばルイスとリオの合成魔術は構成と魔力のソースをそれぞれ明確に分担している。だが、ニギとシェロの二人は、同時に構成を編み、それを調和させているのだ。並大抵の業ではない。

(…… でも、これは)

 そう、しかしその膨大な構成は明確な意味をなしていなかった。一つ一つは無意味な構成。これでは何の魔術も発動しない。

「ぬ!」

 イスターシバの声。
 飛来した“針”を、魔術文字で受け止めたらしい。

「ルゥ君!」
「ああ!」

 ルイスは意識を戦いの場に戻した。
 そして構成を編む。高度で複雑な構成。



31 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/12/25 20:57:58.76 ID:POTybwgo

(相手は無限に増殖し、傷をふさいでいる。ならば、丸ごと消滅させることができればあるいは……)

 構成はほどなくして完成する。

「“我が契約により、聖戦よ終われ”!」

 光の瞬きが、発生した瞬間に肉塊に刺さる。肉塊の悲鳴が聞こえた気がした。
 突き刺さった光は徐々に広がり、肉塊を浸食、消滅させていき――いや。
 肉塊は自分から形を変えていた。まるでお伽話の中の爬虫類の化け物、ドラゴンのように。

(なにか、まずい……)

 肉塊でできた醜いドラゴンの顎が開かれる。そこに光が収束し――

「“我は紡ぐ光輪の鎧”!」

 防御壁がすばやく展開する。しかし、ドラゴンの口から放たれたそれは、容易くそれを貫く。

(しま――!)

 がきん!
 音とともに新たな防御壁が光を受け止める。

「ぐ!」

 イスターシバが展開した防御壁。小さな文字の集まりによってできたそれ。



32 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/12/25 20:58:37.13 ID:POTybwgo

 肉塊が放った光と拮抗し、だがイスターシバの身体が傾ぐ。
 そもそも彼女らは千年もの間戦い続けてきた。もうこれ以上それを続ける力が残っているはずもないのだ。

「がぁ!」

 さらに苦悶する彼女に、しかしルイスはどうすることもできない。
 ついに光が消える。それと同時に防御壁が消え、イスターシバが地面に倒れ込んだ。
 駆け寄ろうとして、だが肉塊がさらに顎を開くのを見て足を止める。

「ルゥ君……」
(まさか、もう一撃……)

 肉塊の口に光が収束する。
 これ以上はどうしようもなかった。何もできずに死んでいくしかない。――いや、そんなの、

(そんなの認めるものか!)

 新たに魔術構成を編む。防御ではない、攻撃の構成。相手の攻撃に対し、迎え撃つ態勢。

「“負けて――”」

 そこで構成をさらに先鋭化させる。無駄を極限まで省き、速度と威力に特化させる構成。

「“――たまるか”!」

 放たれた光は、だが肉塊の光に押し戻された。



33 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/12/25 21:00:22.33 ID:POTybwgo

「ち ――」
(ちくしょう!)

 悪態をつく暇もなかった。光は瞬時にルイスたちに殺到し――だが跡形もなく消え去った。

「え?」
「“我が名、イクトラ、それは虚偽”」

 そこにいる誰の声でもない声が聞こえた。振り返る。

「“虚ろの名、広がり、偽典の系譜を連ねる”」

 声は、魔王と勇者のいる方から聞こえてきた。膨大で巨大な構成が固定されている。それはついに威力を発揮する段に至ったようだった。

「“虚偽の名を贄に不正なる取引し、我、騙しの神の殺害を請求する!”」

 唐突に圧迫感が身を包み――そして跡形もなく消え失せる。
 はっとして肉塊の方を見る。だが、しかしそこには何も残されていない。

「“だが結果は真に残る。記録から削除せよ”」

 数呼吸をはさみ、茫然とつぶやく。

「消滅、魔術……?」
「いいや」

 シェロの声。

「これは消滅魔術よりも高次な魔術……いや魔法だ」
「我輩らは、ついに魔術を魔法に昇華する術を編みだしたのだよ。名付けるならば、そうだな、≪魔王術≫といったところか」
「なんですって?」

 ニギは頷く。

「我輩はかつて、時間の操作術を身につけた。それを昇華させて、世界の法則とでも呼ぶものに干渉する術を開発したのだ。それを使ってあの化け物を『最初からいなかったことにした』。だが、やすやすと使うことはできん。世界を改変してしまう技術だからして」

 ルイスは絶句して立ち尽くした。

「とにかくこれで脅威は去った、というわけだ」

 シェロが緊張を解いた声で言う。
 ルイスとリオの髪を、風が優しく揺らした。



36 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/12/25 23:05:45.88 ID:POTybwgo

  ――ずずん……
 その時、どこかそう遠くないところから地響きが伝わってきた。
 大きくはない。だが、確かに地面を伝わってルイスたちを揺らした。

「何だ?」

 もう一度、揺れる。

「女神……」

 倒れたままのイスターシバの方から小さな声がした。あわててルイスが駆け寄り抱き起こすが、彼女の身体には全く力がない。

「大丈夫か? 今魔術で治療を」

 だがイスターシバは薄く笑った。

「もともと死んでいたはずの身体を、オーリオウル様の使い魔となることでもたせていただけだ……今更治療など意味はない……」

 それよりも、と彼女は続けた。

「オーリオウル様が女神と戦っている……ついにこちらに侵攻を開始したようだ……」
「女神が?」

 彼女は弱弱しく頷くとさらに言葉を重ねた。

「始祖魔術士たちが張ったアイルマンカー結界のことは前に言ったな? それと女神の存在が反発を起こしている……」
「すると、どうなるんだ?」



37 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/12/25 23:06:39.40 ID:POTybwgo

「アイルマンカー結界は強力だ。世界を論理的に区切ることでほぼ全知全能の神の侵入をも防いでいる。だからそれと神が反発すれば、最悪世界が危ない……」
「また、世界の危機ということか」

 ニギがつぶやく。

「ならば、我輩らはどうすればよい?」
「女神を何とかするか、もしくはアイルマンカー結界を消すかだ……だが、女神をどうにかするにはこちら側に完全に侵入してからでないとならない。それでは世界の崩壊が始まってしまう……」
「じゃあ、そのアイルマンカー結界というのを消せばいいんだな」
「頼む……我にはもう力は残されておらぬ……」

 ルイスは深くうなずいた。

「あなたは、もう休んでいい」

 イスターシバは再びかすかに笑うと、瞼をそっと閉じた。
 しばらくしてニギが口を開く。

「……さて、アイルマンカー結界とやらを消すには、やはり発生源を叩く方がいいな」
「そこ、分かりますか?」

 ルイスの声に、ニギは頷いた。

「大体見当はつく。シェロ、準備はいいか?」
「ああ」
「では、――いくぞ」



38 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/12/25 23:07:31.76 ID:POTybwgo

◆◇◆◇◆


 そこはひどく静かだった。太古の昔――そう、アイルマンカー結界が発生してからであるから、千年以上前からずっとそうであったのではないかと思われた。そして広く、うす暗い。四人はそこに立っていた。

「ここは?」

 ルイスのつぶやきは広大な空間に吸い込まれて消えた。答える者はない。
 いや。

「≪アイルマンカー玄室≫」

 低く、尊大な声が響いた。
 ふっ、と見上げるほどに巨大な影が現れた。

「我らアイルマンカーのための場所だ。なぜここに我ら以外の者がいる」

 それは雄大な軍馬だった。その後ろにさらにいくつかの影が現れる。

「お前たちは何者か」

 それらは狼、亀、熊、小さな獅子の姿をしていた。獅子以外の者は軍馬同様に大きい。

「我輩らは」

 ニギが口を開く。

「我輩らはこの孤島の外より参った、人間種族だ」
「人間種族」

 獣たちは――アイルマンカーたちは、大きくどよめいた。



39 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/12/25 23:15:50.29 ID:POTybwgo

「一体何をしに来た。ここにはお前たちがいていい場所ではないぞ!」
「あんたたちの身勝手で世界が危機にさらされているんだ、悪いがアイルマンカー結界は解除させてもらうよ」

 勇者が言うと同時、魔王術の構成が彼と魔王からぶわりと広がる。

「させん!」

 声が響き、圧倒的な気配がルイスたちを襲う。しかし。

「なに!?」

 四人とアイルマンカーの間に一つの巨大な文字が現れた。

「オーリオウルか!」

 よくわからないが、その文字によってアイルマンカーたちの力が無効化されているいらしい。

「もともとあんたがたの間違いから始まった世界の混乱だ、責任はあんたがたに取ってもらうぞ」

 シェロの声が響く。構成が完成し――そして何かが砕ける音が響いた。



43 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/12/26(日) 01:03:19.31 ID:b5Aszg.o

◆◇◆◇◆


 そよそよと。風が吹いていた。あまりに心地よかったので、目を覚ますことに抵抗を覚えた。

「う、ん……」

 起き上がって見えたのは、どこまでも続く草原だった。

「ここは……?」

 地面に座ったまま思い出す。今までのこと。

「……」

 ふと手を見ると、ナイフがあった。リオに貸してもらったナイフ……

「姉さん?」

 リオは、すぐそばに倒れていた。少しゆすると、すぐに目を覚ます。身体を起こした彼女は、ぼんやりとした視線でルイスを見た。

「あれ……ここは?」
「僕にもわからない。こんな場所、孤島にあったのか……」

 どこまでもどこまでも、草原は続いている。
 立ちあがってリオに手を貸した。立ってみると、遠くに森があるのが分かった。あれが聖域のある場所だろう。

「爺さんたちは、どこにいるんだ?」



44 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/12/26(日) 01:04:43.66 ID:b5Aszg.o

 そして振り向いた時、見えたものは金に輝く何かだった。

「え……?」

 さっきまではそこにいなかったと断言できる。女の形をしたものが、虚空に浮かんでいた。
 長い髪の毛だった。金色のそれは、女の身の丈と同じくらい長かった。
 そして美しい。この世の何よりも澄んでいて、端正で、流麗だった。
 それの名は知っていた。

「め、女神……」

 その恐ろしさも、本能で。
 ルイスは恐怖の叫び声を上げた。

「“我は放つ光の白刃”!」

 リオの手をひっつかんで放った熱衝撃波は、女神の手前で掻き消えた。
 続いて放った衝撃波も、空間爆砕も、重力圧縮も。全てその発動前に掻き消えた。

「うわあああああああああ!!」

 次いで必死に編み上げた空間転移の構成。

「“我は踊る天の楼閣”!」

 ……何も、起こらない。

(そ、そんな……)

 リオと一緒にふらふらと後退する。



45 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/12/26(日) 01:05:44.50 ID:b5Aszg.o

 もう、何も手は残っていない。何も――

(……いや)

 まだ一つだけ残っていた。

「ルゥ君……」

 リオの絶望的な声音を聞き流し、ルイスは目を閉じた。視界から敵を外す不安と戦いながら、できるだけ集中に集中を重ねる。
 無駄にも思えるほどの膨大な構成を瞬時に組み立てる。彼らが編んだそれを、ルイスはほとんど記憶していた。

(いける、か……?)

 じりじりとした数秒を耐えながら、ついに完成したそれをルイスは解き放った。

「喰らえ! ≪魔王術≫!」

 構成に魔力を注ぎ込む。その瞬間。

(がっ――!)

 唐突にルイスは苦痛を覚えて身体をくの字に折った。

「ルゥ君!?」

 せっかく完成した構成が霧散する。
 そして聞こえてくる破壊の音。なかなか言うことの聞かない首を持ち上げると、地平の彼方にそれが見えた。
 草原の全てを爆砕する小爆発の群れ。それが押し寄せ、瞬時に目の前に迫る。

(……駄目、か)

 二人の身体はどこまでも続くその爆発にのまれ、砕かれ、ちぎられ――
 リオとルイスは、そこで一度死んだ。



51 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/12/26(日) 17:00:23.69 ID:b5Aszg.o

◆◇◆◇◆


  ――彼は真実を求めた。絶対に揺るぐことのない、世界の唯一の真実を。
 彼は希求した。切実に願った。

 なぜ、彼は求めたか。それはきっと、寂しかったからだろう。
 世界の真実を手に入れるということは、世界に愛されることと同義だったから。
 与えられない愛の代わりに、別の愛を勝ち取りに行ったのだ。
 愛されないことは苦痛だった。
 だが本当の苦痛は、世界の真実を手に入れると決めたその時に始まったのかも知れなかった。


◆◇◆◇◆



52 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/12/26(日) 17:01:28.62 ID:b5Aszg.o

 ルイスは女神を見つめていた。
 どれほどの時間が立ったのかは分からない。だが、確かにそこにいて、女神を見つめていた。

「あ…… れ……?」

 身体に怪我はなかった。というよりも全く何も変わっていなかった。
 確かに死んだはずだった。小爆発にのまれて身体がぼろぼろにされた記憶もある。周りの地面は爆発でえぐられてしまっている。だが現実として、確かに生きていた。
 リオも隣でぽかんと口をあけている。

「私が君たちの時間を少しだけ巻き戻した」

 唐突に声がした。聞き覚えのある声だった。
 振り向くと人影。朝日の中で黒く沈む影。

「ミ、ミサンガさん……」

 装いを黒一色に変えたサンダ―・ストロンガーは、ルイスの声に静かに首を振った。

「それは偽名だ。真の名はスウェーデンボリ―という」
「え……!?」

 リオが驚きの声を上げる。

「神殺しの、神」

 ルイスは思い出していた。聖域にいたカゲスズミノコギリコバト。あれは新大陸では千年前に絶滅してしまったらしい。だが、サンダ―は自分の故郷には腐るほどいたと言っていた。

それは彼が千年以上前から生きていることを意味している。



53 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/12/26(日) 17:02:20.73 ID:b5Aszg.o

「まあ、そういうことだ」

 サンダ―、いや魔王スウェーデンボリ―はこちらに歩み寄ってきた。

「私が女神の相手をする。さがっていてほしい」

 ルイスたちを追い越し前に出ると、スウェーデンボリ―は小さくため息をついた。
 風がかすかに吹く。

「長かった。千年はとても長かったよ。そうだろうヴェルザンディ」

 女神は答えない。だが、スウェーデンボリ―はそのまま続けた。

「彼らによってアイルマンカー結界が消滅した。そのおかげで、この孤島に来ることができた。……あなたに会うことができた」

 スウェーデンボリ―の声はわずかに震えていた。

「私は待っていたのだ、あなたに再開するこの瞬間を……」

 スウェーデンボリ―は大きく息を吸い込んだ。

「そうこの時を待っていた。数十年数百年いや千年! ずっと私は待っていた!」

 刹那、ぶわりと膨大な構成が彼の身体から展開した。見覚えのあるその構成。

(これは、魔王術!)

 だがその展開速度は尋常なものではない。一瞬にして虚空に固定され、さらにその次の瞬間にはもう魔力が注ぎ込まれている。

「私は今度こそあなたを手に入れる。もう、あなたを失いはしないよ。一緒に行こう」

 女神は不思議と抵抗の気配を見せなかった。それともスウェーデンボリ―がそれを無効化しているのかもしれなかったが。
 女神が、わずかに表情を動かした。ほほ笑み。ルイスにはそう見えた。

「一緒に行こう、姉さん」

 そして唐突に。二人の姿は消えた。そこにはもう何も残っていなかった。
 なんの気配も、なんの痕跡も残ってはいなかった。



54 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/12/26(日) 17:03:08.11 ID:b5Aszg.o

「……」
「……」

 再び風が吹いた。遠くから吹いてきて、遠くに吹き去った。暖かくもなく、だが寒くもなかった。
 短くはない時間が経過して。リオがぽつりと言った。

「……行こうか」

 ルイスは、ただ頷くしかなかった。
 森の方へ身体を向ける。リオの手を取って空間転移の構成を――
 だがそこで、後ろに何かの気配を感じた。

「……?」

 振り返ったそこには――

「……」

 空中に小さなしみのようなものが生じていた。目を凝らすと、それは球状の何かであることが分かった。
 ちょうど女神がいた場所。それはさして驚異的な気配を発しているわけではなかった。
 だが。
 ルイスの脈が速くなった。口の中が急速に乾いていく。

『神様はとても大事な宝物を持っていました。それは持っていると世界のすべてのことが分かるきれいな宝玉でした』



55 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/12/26(日) 17:03:45.98 ID:b5Aszg.o

 唐突にハーブの言葉を思いだす。それは神様と六匹の獣の話だった。

『宝玉は『真実』の比喩です』
「あ……」

 虚空の宝玉がうっすらと発色を始める。そして次々に色を変え始めた。
 ルイスはリオの手を離し、ふらりとそちらに足を進めた。宝玉に向かって手を伸ばす。
 本能的に知っていた。それは世界の真実、その権化であることを。
 ルイスはその宝玉に後数歩というところまで近づき、だが、そこで視界に別のものが入る。

「姉さん……」

 リオだ。

「どいて、姉さん……」
「……」

 彼女はまっすぐにルイスを見つめていた。薄い、ブルーの瞳。

「お願いだから、通して」

 だが、彼女はそこを動く気配を見せなかった。

「どいて!」
「やだ」

 リオはゆっくりと、噛み締めるように言った。

「やだよ。どいたら、ルゥ君が遠くに行っちゃう」



56 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/12/26(日) 17:04:16.66 ID:b5Aszg.o

 そんなことは。そう言おうとして、別の言葉が飛び出す。

「姉さん、分かって。これは僕の悲願なんだ。僕の長らく願ったものがそこにあるんだ」
「分かるわけないよ」

 じり、と胸の奥が焦げる。

「分かってくれよ! それは真実の権化だ! それを手に入れるのを、僕がどれだけ待ち焦がれたか! 僕は、このためだけに……」
「それでもやだ」
「……っ」

 奥歯をぎりりと噛み締める。

「いいよ、分かった。もうどいてなんて言わない。僕がそこを、僕の力で通る。邪魔するって言うなら――」

 叫ぶ。

「姉さんだって殺して見せる!」

 リオは悲しげに、少しだけ笑った。



57 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/12/26(日) 17:04:58.20 ID:b5Aszg.o

 このときにもナイフは手の中にあった。構え、飛び出す。気合の声ととともに、突進する。
 リオは動かなかった。かまわず飛び込む。
 ナイフは至極呆気なく、リオに突き刺さった。
 それでもルイスは止まらない。叫び声をあげてさらに押しこむ。ナイフは音を立ててリオの腹部に埋まった。
 ――それでも。
 それでもリオは倒れなかった。

「おおおおおおおおおお!」

 叫び声とともにさらに押す。動かない。

(この!)

 ならば突き飛ばそうとして身体を離す。がそれができないことに気付いた。
 リオがルイスの背に腕をまわしている。

(なにを……?)

 かまわず振りほどこうとして、ルイスは声を聞いた。耳元。

「あたしは――待ってるんだ」

 絶句する。腹部にナイフが深くうずまっているにも関わらず、リオの声には動揺はなかった。かすかな震えとともに、囁きがさらに聞こえる。

「あたしはルゥ君をずぅー……っと待ってる」

 リオに抱きしめられたまま。ルイスは動きを止めた。

「だって、あたしはルゥ君のこと、大好きだから」



58 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/12/26(日) 17:06:32.45 ID:b5Aszg.o

 意味は不明瞭だった。痛みで混乱しているのか? いやそうではない。そうではないはずだ。
 なぜならば――

「姉さん……」

 自分の目からは、とめどなく涙が流れているのだから。
 手がナイフのグリップから離れた。膝から力が抜ける。リオに抱きしめられながら膝をつく。

「姉さん……っ」
「いいから」

 リオの囁き声は優しかった。どこまでもどこまでも優しかった。

「ルゥ君はちょっと迷子になってるだけ。それは悪いことなんかじゃない。だから、謝らないで」

 口からでる悔悟と謝罪の言葉を、彼女は見越していたらしい。それらはルイスの喉の奥につっかえて出てこなかった。
 そしてリオの肩越しに見えた。宝玉がゆっくりと虚空に溶けて消えていくのを。それはもうどこにもなかった。常世界法則へのアクセス経路は、ゆっくりとその口を閉じたのだった。
 ルイスは泣き続けた。声を上げることなく、静かに泣き続けた。
 苦い味が舌に広がっていたが、リオの腕の中は暖かかった。

「ルゥ君」

 しばらくして彼女は口を開いた。

「行こうか」

 どこへ?
 目で問うルイスに、リオは――傷が痛むのだろう――弱弱しくほほ笑んだ。



59 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/12/26(日) 17:07:15.92 ID:b5Aszg.o

     ※


 風が――吹いている。突風が、二人の髪を巻き上げ、耳元でごうごうと音を立てる。
 まばゆい光が、地平線によく見えた。ここは先ほどいた場所のはるか上空。魔術により、そこに転移した。

「朝日がきれいだね、ルゥ君」

 重力に従って、落ちながら。リオが言うのが聞こえる。腹部の傷は治っているようだ。それをみて、ルイスは安心する。
 下を見ると、海に浮かぶ島が広がっている。これがドラゴン種族の逃げ込んだ孤島の全体だった。

「……」

 ルイスはぽかんと口を開けて、海の向こうの太陽を見ていた。
 あまりに高い場所にいるために、落下しているのにそれを感じない。まるで空中に浮遊しているようだ。
 だが、実際地面は急速な勢いで近付いてくる。

「ねえ」

 リオの声。

「ルゥ君はさ、真実にこだわってるけど、それってそんなに大事なものかな?」
「……」

 答えずにいると、リオは唐突に話を変えた。

「風ってさ、ほんのりキャンディーの味がするんだけど、知ってた?」
「いや……」
「そう? でもあたしにとってはそれは真実なんだよ」
「真実?」
「そう。あたしは、でもそんなくだらない真実だけで生きていける。ルゥ君にも、そんな“真実”があるはずだよ」



60 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/12/26(日) 17:07:49.76 ID:b5Aszg.o

 ルイスは困惑して口をつぐんだ。

「小さくてもいい。ルゥ君の真実を見つけて? きっとそれはルゥ君の力になってくれる」
「……」
「もし見つからなくても大丈夫。そのときはあたしが――」

 そこまで言ってリオはにこりとほほ笑んだ。
 ルイスはやはり黙っていた。
 が、地面がもうそこまで迫っている。

「着地は、どうするのさ、姉さん」
「大丈夫だよ、ほら」

 彼女の指さす方向。そちらに小さく、二人分の人影が見えた。
 ルイスたち二人を受け止めるように、ぶわりと構成が広がった。



61 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/12/26(日) 17:08:21.33 ID:b5Aszg.o


第六章、了



62 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/12/26(日) 17:09:32.98 ID:b5Aszg.o




 ~エピローグ~



63 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/12/26(日) 17:11:11.38 ID:b5Aszg.o

 レポートから目を離したケーガク教授は、深く息をついた。
 眼鏡をはずし、目をこすってからルイスを見る。

「これが……魔術の起源」

 ルイスは何も言わずに立っていた。狭い部屋。だが、最高学府の教授に与えられる最上級のもの。
 そして、と眼鏡をかけなおしながら教授は続けた。

「これが人工的平和維持機構の物的証拠、世界書か」

 レポートと古い書物。両方をルイスに手渡す。

「大仕事を無事完遂したな、まずは御苦労……いやおめでとうと言うべきか」

 受け取ってルイスはほほ笑んだ。

「ええ、ありがとうございます」
「これで君の助教授の地位は守られた。いやそれ以上の地位を望めるはずだ」

 それからしばしの沈黙をはさみ、しかしと教授は続けた。

「しかし、これは重大な真実だ。世に公表してもよいものか……人工的平和維持機構の方など上の者が最重要機密としていたものではないか」

 部屋に思い空気が流れる。

「君は、この真実をどうするのかね?」

 ルイスは肩をすくめると、部屋の明かりであるろうそくに近付いた。

「こうします」



64 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/12/26(日) 17:12:25.71 ID:b5Aszg.o

 レポートに火が燃え移る。

「……」

 ケーガク教授は静かにそれをみていた。
 日は徐々に燃え広がり、数秒で全てを燃やしつくした。

「……いいのかね?」

 教授の言葉にルイスは頷く。

「ええ。僕はもう真実に縛られるのをやめたんです」
「そうか……」
「それに教授にこれ以上迷惑をかけるのも忍びない――あ、いや、結局僕は成果なしになっちゃうからどの道教授の顔に泥を塗ることになっちゃいますね。申し訳ありません」
「それは気にするな。それよりも君はこれからどうするのかね?」
「僕は ――知ってしまった責任を取ります。それから」

 世界書を抱え直してルイスはドアに振り向いた。

「僕はもう一度新大陸に用事があるので、行ってきます。ある人のお墓参りをしなければならないので」
「ああ」
「そうだ、あと」
「なんだ?」
「僕、これから職なしになっちゃうんで、たまにアルバイトに雇ってください」

 ケーガクが頷くのを見る前に、ルイスは部屋を出た。



65 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/12/26(日) 17:14:05.33 ID:b5Aszg.o

◆◇◆◇◆


 空は曇っていた。そのせいか、甲板にいると寒かった。

「……」

 船は曇天の下を行く。

「ルゥ君、中に入らないの?」

 振り向くと、魔王の娘が歩いてくるところだった。

「ああ、ちょっと風に当たってたいんだ。姉さんは中に入っててよ」
「ううん、一緒にいる」
「そっか」

 苦笑して、海の向こうを見る。新大陸はまだ見えない。

(…… そうだ)

 ふと思い出す。数カ月後に母の誕生日が迫っている。長らく顔を合わせていないが、いまなら会いに行ける気がする。

(うん……)

 そっと、リオの手を取った。

「ん」

 リオは笑って手を握り返してきた。
 新大陸で母へのプレゼントを買おう。うん、そうだ、それがいい。
 そして会いにいくのだ。リオと手をつないで。優しい真実とともに。
 今なら思っているより、もっと遠くに歩いていける気がする。

「行こう、姉さん」
「……その呼び方じゃない方が、いいかな」
「え?」
「リオ……って呼んでくれない?」

 ぽかんとしてリオの顔を見る。

「あたしはその方がいいな」

 はにかむリオを見て、いつの間にかルイスの方もほほ笑んでいた。

「じゃあ……行こう、リオ」
「うんルイス」

 雲の合間から太陽が顔を出した。



66 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/12/26(日) 17:17:11.16 ID:b5Aszg.o

title: 魔王娘「さあ行こう、学者様!」 歴史学者「その呼び方はやめてよ姉さん」
   →魔王娘「繋いだ手と手」 歴史学者「優しい真実」





                   ~END~


 thank you for your reading,sien and criticism



67 :アナウンス:2010/12/26(日) 17:23:20.49 ID:b5Aszg.o
まず最初に……秋田先生すみませんでしたああああああああああああ!
こんなパクリ全開のモノ書いちゃって申し訳ありませんんんん!
……でも、楽しかったです。重ねて申し訳ありません

さて、ここまで付き合ってくれた皆さん、本当にありがとうございました
最後、思ったよりもコンパクトにまとまってしまい、もっとボリュームのあるの期待してた人には申し訳ないと思っております
もっと丁寧に書くべきだったかなと反省
でも終わり方には一応納得しております
それでも分からないところがあれば質問お願いします

さて、もっと早く終わらせられたものを、長々とつき合わせてしまい申し訳ありません
付き合ってくれてありがとうございました
またどこかでお会いしたら、その時はどうかよろしくお願いします
では



68 :アナウンス:2010/12/26(日) 17:27:00.67 ID:b5Aszg.o
おっと、まだ後日談等の短編があるんだった
書いてきますんで、また次回会いましょう



69 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/12 /26(日) 18:16:24.51 ID:mwnim6SO

おまいは最高だ



70 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/12/26(日) 19:23:16.73 ID:bFFGSYDO
超乙



71 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage ]:2010/12/26(日) 23:27:11.36 ID:pK5t43o0
マジ好きだぜ
ありがとう




73 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/12/27(月) 01:33:01.19 ID:LBW6q.SO
乙乙超乙

確かに振り返るとそんなに長い旅はしてないんだな
でも濃密で良かったよ
もう一回見直すわ




74 :アナウンス:2010/12/27(月) 21:02:28.97 ID:nXnI2jwo
今、後日談のプロットを練っているところですが報告があります
事前に短編のネタはいくつか出していたのですが、精査した結果使えるのが一つしかないことが分かりました
いや、無理やり書けば書けないことはないのですが、さすがにそれではボロがでるかと
よって、後日談の短編を一つ投下したらそこでシリーズの全編を終了としたいと思います
勝手な判断で申し訳ありませんがどうかご了承願います
以上アナウンスでした



75 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/12/27(月) 22:54:47.07 ID:nXnI2jwo




 短編:魔女のお仕事



76 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/12/27(月) 22:55:40.31 ID:nXnI2jwo

 自分が世界に愛されていないと知ったのはいつからだったか。もう覚えていない。ただ、気付いた時には身体だけでなく心も蝕まれてしまっていた。全てがぎしぎしと音を立ててきしんでいた。
 非情に過ぎていく時のなかで、彼女はいつだって悲鳴を上げていたのだ。
 彼女は救いを求めた。いつかやってくる幸福の兆しを、彼女は病の床で待ちわびた。世界に向かって、ずっとずっと哀願していた。
 そして、救いは思わぬ形でやってきた。

「あなたは……誰?」

 火の中で出された彼女の問いに、その人ならざるものは答えなかったが、確かに彼女を救ってくれた。
 彼女は苦痛から解放された。彼女は自由になった。
 だが、彼女は気付かない。その代わりにとても大切なものを失ったことを。



77 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/12/27(月) 22:56:39.12 ID:nXnI2jwo

◆◇◆◇◆


 いくら技術が進もうと、そう簡単に変わらないものもある。がたごとと音を立てて進むこの馬車がその一つだ。噂によると蒸気車が開発されたとか何とか聞くものの、それがすぐ庶民の生活に浸透するわけでもない。

「ふわ~あ……」

 この眠気も簡単に変わらないものに加えてもいいかもしれない。人間の生体リズムも、そうやすやすと変わったりはしないのだ。昼の穏やかな光の中、馬車に揺られて打とうとしながら彼女はそう付け加えた。
 時折眠気に負けて、頭がかくんと揺れる。それにつられて編まれた金髪もまた上下に揺れた。
 声をかけられたのはそんな時だった。

「眠そうだね」

 顔を上げると、対面に座る青年の姿が目に入った。

「起しちゃってごめん。話し相手になってくれないかな?」

 日焼けした顔に人好きのする笑顔を浮かべながら、彼はそう話しかけてきたのだった。



78 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/12/27(月) 22:57:39.30 ID:nXnI2jwo

「ナンパですの?」

 眠さが抜けきれず半眼で問いかける。その目に気圧されてか、青年は声のトーンを一つ落とした。

「え? いやそんなんじゃないけど……」

 彼女はそんな青年を静かに観察した。背は高い。そして筋肉質な体つき。ラフな格好で、顔同様腕もよく日に焼けている。

「いや、たださ、退屈したもんだからそちらの眠気覚ましを兼ねて雑談でもどうかなあって」
「そうですか。誤解してしまい申し訳ありませんわ」

 伸びをして座席に座り直す。青年は笑って続けてきた。

「はは、だいたい俺、年上好きだしね。一応交際相手もいるし、君みたいな若い子は守備範囲外さ」

 青年は見たところ二十代の前半といったところだろうか。対して彼女は十五、六歳ほどの外見をしていた。

「年上好き……わたしのお父様と同じですのね」
「へえ? ちなみにいくつぐらいの年の差なんだい?」
「お母様とは大体三十ほど離れてますわ」
「三十!?」

 青年が素っ頓狂な声を上げたので、彼女も驚いて目を見開いた。



79 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/12/27(月) 22:58:24.72 ID:nXnI2jwo

「ええ。お父様が十九の時にお母様は五十歳でしたわ」
「うわ、なにそのリアルな数字」

 驚きを混ぜたげんなり顔で青年が言う。

「その……よくその歳で君を産めたね」
「お母様はまだまだ元気ですわ。今、三人目をつくるどうかでお父様と話し合ってます」
「げっ、君の父さんも元気だな」
「いえ、むしろお母様の方が乗り気ですわ」
「……嘘だろ?」

 青年が信じないようなので彼女はさらに言葉を重ねた。

「お母様は出産に適した年齢は九十歳までっていつも言ってますし」
「どんだけですか……」

 あきれ顔で言うので、彼女は肝心のことを言うのを忘れていたことに気付いた。

「ああ、言い忘れてましたわ。お母様は亜人ですの」
「亜人?」

 キエサルヒマ大陸では魔物と称されていた人型のモンスター種族である。とはいえ、実のところ人間と亜人は根っこを同じくしているのだが知る者は少ない。



80 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/12/27(月) 22:59:19.25 ID:nXnI2jwo

「じゃあ、君は亜人と人間のハーフなのか」
「ええ」

 だいぶ亜人と人間の共同生活が長くなったからといって、その二つが結婚し子供を設ける例はきわめて少ない。

「珍しいな」
「よく言われますわ。ところであなたの恋人は何十歳上ですの?」
「いやそんなに離れてないよ」
「十何歳、ですの?」
「そんなに離れてないって……二歳上だよ。今馬車が向かってる開拓村にいるんだ」

 青年はほほ笑んで続けた。

「俺ももともとはそこで働いてたんだけど、上からの指示で別の村の開拓にまわされてたんだ。今日は休みをもらって久しぶりに彼女に会いに行く」
「そうですの」
「身体の弱い人でね、開拓民には向いていないんだけどお金がなくて……でも、近いうちに結婚を申し込んで楽な生活をさせてやるんだ」

 そう言うと青年は座席に深く座り込んで、行く手の方を見た。まだ村は見えないが、のどかな風景が広がっている。



81 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/12/27(月) 23:00:04.45 ID:nXnI2jwo

「ところで、君の名前は?」
「わたしですの? リリスですわ」
「俺はアレックスだ。よろしく」

 こちらに向き直り握手の手を差し出してくる。少し触れる程度の握手をした。

「ところで君のそのしゃべり方、ずいぶん丁寧というかなんかだけど、一体誰に躾けられたの?」
「おばあさまですわ。おばあさまは作法に厳しくて、守らないと膝が飛んできますの」
「膝?」
「とても痛いですのよ?」
「そ、そう」

 それこそ作法がなってないんじゃないかな、と青年がつぶやいたその時、御者席の方から声がした。

「なんだありゃ」

 青年が声をかける。

「どうかしました?」
「いや、あれ……」

 彼が指さす先。それは街道の続く正面だったが、地平線の向こうから、何かが立ち上っていた。

「……?」

 煙。それは何かが燃えている時の黒い煙だった。



89 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/12/29(水) 01:17:31.49 ID:mmYd8Xwo

 煙の出所はやはり向かっていた先の開拓村のようだった。近付くにつれて煙の大きさが明らかになる。燃えている家は一つや二つではなかった。

「これは……」

 村の入り口でアレックスが立ち尽くす。倒壊したり傾いたりした木造の建築物があちこちに見える。
 泣き声が聞こえてそちらを見ると、完全に呆けた顔をして座り込む女性とそれに泣きながら抱きつく子供がいた。

「一体何があったっていうんだ……?」

 彼はしばらく茫然とした後、はっとした顔になり走り出した。リリスも後を追う。
 走っているうちにも村の惨状が嫌でも目に入る。あちこちに倒れたりうずくまったり、あるいは座り込んだ人々がいる。死人も出ているだろう。それも少なくはない。
 アレックスは村の外れで足を止めると、それを認めて膝をついた。

「マ、マリー……」

 一際激しく炎上する家がそこにあった。

「マリー!」

 青年が絶叫する。しかし、どうすることもできない。既に建物は完全に火にのまれ、立ち入る隙すらなかったのだから。
 リリスはその隣に立って構成を編みかけ、中断する。魔術で炎を消すことはできるが、これほどまでに完全に燃えてしまっては既に手遅れだった。
 アレックスの繰り返される叫び声は、やがて泣き声に変わっていった。



90 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/12/29(水) 01:19:26.81 ID:mmYd8Xwo

     ※


「私たちにも何が何だか分かりませんでした」

 数時間後。唯一無事だった小さな家の中で、リリスとアレックスは初老の男性と向かい合っていた。

「いきなり轟音が響いたかと思うと火の手が上がり、次々に建物が崩壊していきました」

 彼は村長。ニューサイトからこの開拓村に派遣された統括者である。この正体不明の災害の中を無事怪我もなく生き残った人間でもあった。

「私は崩れた建物の中に埋まって気を失いましたから、詳しいことは分かりません。後で助け出されて開拓民たちから話を聞きました」

 彼はそれまで心もち俯けていた顔を上げ、二人を見た。

「化け物」

 その単語はいかにも間抜けに響く。科学という概念が生まれてだいぶ経った今、それは前時代的なものとなってきている。

「化け物、ですか?」
「ええ、彼らはそう言いました」

 だが村長はいたって真面目な顔で頷いた。

「巨人が襲ってきた、と」



91 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/12/29(水) 01:20:47.60 ID:mmYd8Xwo

「巨人?」

 アレックスの目は、恋人のために泣き腫らしたのでまだ赤かった。それでもいくらか平静を取り戻している。

「灰色の巨人。それが襲ってきたのだと」
「……」

 リリスの目が鋭くなる。
 アレックスがはっと気付いたように声を上げた。

「まさか、亜人?」
「恐らくは……」

 村長がそう言うのを聞いて、そこで初めてリリスが口を開いた。

「本当に? そんな亜人、見たことありませんわ」

 村長が彼女の方を見て、目をぱちくりさせた。

「あなたは?」
「リリスと申します」

 静かに頭を下げて、彼女は続けた。

「あちこちを回っている旅人ですわ」
「こちらへは何をしに?」
「観光です」



92 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/12/29(水) 01:22:30.70 ID:mmYd8Xwo

 村長は不可解げに首を傾げた。

「開拓村に、ですか?」
「新しく村ができる現場というのは、わたしにとってとても新鮮ですの」
「はあ」

 彼は納得しかねたようだが、かまわず彼女は続けた。

「で、どうですの。そんな亜人、あなたは見たことありまして?」
「それは……ないですが。しかし少なくとも人間ではない。そうくればあとは亜人と判断するしか……」
「……」

 それは正論だった。“知らない者にとっては”。

「じゃあ、早く上に連絡しないと」

 アレックスの言葉に村長が頷く。

「ええ、すぐにでも戦力を投入してもらい、その亜人を討伐してもらうつもりです」

 もともと頭のよい亜人にはめったにないことだが、彼らがその有り余る力に頼って暴走することがある。そのための抑止力としてニューサイトには亜人と人間種族の混成軍が置かれている。ちなみに武装盗賊の討伐もその管轄であり、要請によって開拓村の警備・守護も行う。彼らが言っているのはそのことについてだった。

「でも」

 リリスは言う。

「それでは亜人と人間との関係に大きな打撃を与えてしまいますわ」

 亜人と人間の友好関係は数十年前に始まり、今ではずいぶん深化した。相互理解も進みそう簡単に揺らぐものではない。とはいえ、亜人と人間の結婚例が少ないことに代表されるように少なからず溝はある。互いへの不信感はいまだに拭い去られてはいない。特に人間は亜人の強大な力に恐怖しているのだ。



93 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/12/29(水) 01:24:03.32 ID:mmYd8Xwo

「それは……でも……」

 村長が顔をゆがめる。

「それでは私たちに我慢しろというのですか? 全てをなかったこととして扱えと?」
「まさか」

 リリスは首を振った。それでは彼らは納得しないだろう。そんなことは分かっていた。

「そんなことは言いませんわ。ただ、少し時間を下さいませんか?」
「時間?」
「ええ」
「なんのための?」
「それは――」



97 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/12/29(水) 18:04:38.94 ID:mmYd8Xwo

     ※


「そんなの無茶だ!」

 アレックスの声が森に響いた。何度も繰り返されたそれを聞きながら、リリスは煩わしげにそちらを見た。
 ここは開拓村の西北にある森である。より内陸側に位置するそこは、夜の闇に沈んでいた。人間と亜人が原大陸に進出してはや数十年。しかし、ここのようにまだまだ未開拓の土地は多い。


「君一人で亜人を退治するなんて!」
「そんなこと言ってませんわ」

 うんざりと否定する。

「わたしは本当にあのようなことをしたのが亜人なのか確かめたいんですの」
「でも危険なことには変わりないじゃないか」

 先ほどよりはやや音量を落として彼は言う。

「あなたには関係ないことですわ」
「じゃあ、俺が行くよ」

 アレックスの言葉に、リリスはきょとんと彼を見た。

「俺は恋人を殺された。亜人に復讐する理由がある」

 彼は言って、引きずっていたスコップを示した。

「……」

 少し考えて。

「……わたしは調査に行くんですのよ? さっきも言ったように巨人とやらをどうこうしに行くわけじゃ」
「そこら辺はどうでもいい。俺には行く理由がある。それで充分だ」



98 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/12/29(水) 18:07:19.20 ID:mmYd8Xwo

「でもわたしは自分の目で確かめたいんですの」
「じゃあ俺が同行する。君一人で行かせるわけにはいかない」
「……わかりましたわ」

 正直気は進まなかったが、これ以上言っても聞きそうにないので諦めた。
 それから彼女は手の平を上にして差しのべる。

「“我は生む小さき精霊”」

 ぽう、と小さな光源が生じた。それはするすると頭上数メートルの位置に上ると、歩くのに支障がない程度にあたりを照らしだす。
 アレックスが驚きの声を上げた。

「魔術士?」
「ええ」

 だからそれなりの危険には対応できるし、中途半端な同行者はかえって足手まといであるのだが。

「凄いな、魔術なんて初めて見た」

 それは無視してリリスは森の中へ歩きだした。あわてて彼も後ろをついてくる。

「君は……どれくらいの魔術士なんだい?」
「どれくらい、とは?」
「えーと、どれくらい強いかってこと」

 彼女はしばし考えて答えた。

「それなり、ですわね。まあ少なくともわたしよりも強力な魔術士は見たことありませんわ」
「そうか……」



99 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/12/29(水) 18:08:19.08 ID:mmYd8Xwo

 彼の考えていることを予想して、忠告する。

「だからと言って巨人とやらに勝てるとは限りませんが」
「……」

 図星だったようでアレックスが黙る。

「大体、強さなど大まかな目安に過ぎませんの。本当に圧倒的な存在に対しては手も足も出ないのが普通ですわ」

 彼は沈黙を続けたが、一応ついては来ている。

「それにどんな強さにも、弱いところがあるというのがひいおじい様の言葉ですし。矛盾しているようですが。だから変な期待をされても困りますわ」
「……分かった」

 夜の暗闇はまだまだ深くなっていくようだった。魔術の鬼火の光量を上げながら歩き続ける。
 再びアレックスが口を開いたのは、森に入ってから三十分ほどがたったころだった。

「君は、襲ってきた巨人の正体を知っているのかい?」
「なぜそう思いますの?」
「いや、なんとなくだけど」

 頬を掻きながら後ろを歩く彼を肩越しに見て、彼女はしばし考えた。

「まあ、心当たりがないといえば……嘘になりますわね」

 アレックスは歩く速度を上げて彼女に並んだ。

「やっぱり。一体巨人とはなんなんだ?」
「……」



100 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/12/29(水) 18:08:58.57 ID:mmYd8Xwo

  “それ”は。そう簡単に話していいことではなかった。だから、彼女は慎重に言葉を吟味しながら口を開いた。

「そうですわね……少なくとも亜人ではないと思いますわ」
「まさか人間とは言わないよね?」
「いいえ」

 首を振って続ける。

「それはきっと人間でも亜人でもない……」
「人間でも亜人でもない?」

 当然アレックスは怪訝そうな表情になった。

「どういうこと?」
「人間種族にある可能性ですが、それはもう人間でも亜人でもありませんから」
「……?」

 彼はますます分からない顔になる。だが、懇切丁寧に解説するわけにもいかない。

「まあ、分からなくてもかまいませんわ。わたしが個人的に用があるだけですから」
「俺だって用がある」

 そこだけは力強く彼が言う。

「俺はそいつを許さない。マリーの仇をとる」



101 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/12/29(水) 18:10:33.27 ID:mmYd8Xwo

 リリスは口を開こうとして――
 突如刺すような寒気を感じた。

「“我は紡ぐ光輪の鎧”!」

 がごっ!
 不可視の何かが防御壁に突き刺さった。

「なっ!?」

 叫ぶ彼を引きずり倒す。同時、防御壁が破られ今まで二人が立っていた空間を何かが引き裂いた。
 そして、

「グオオオオオオオオオ!」

 地を揺らし響く咆哮。

(出た! こんなに早く!)

 胸中で叫び、起き上がる。

「な、何だ!?」

 アレックスが地に倒れたまま混乱して叫んでいる。それを起こしながらリリスはつぶやいた。

「おいでになりましたわ」

 ゆらりと。森の奥に影が立ち上った。



105 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/12/29(水) 22:35:05.02 ID:mmYd8Xwo

 その影は見上げるほどに大きかった。人型。巨人。だが顔と思われる部位にはのっぺりとした平面が広がっている。そして魔術の光の中ではいまいち判然としないものの、体表は灰色。

「こいつが……」

 アレックスはスコップを拾い、かまえる。
 察してリリスは叫び声を上げた。

「待ちなさい!」
「うおおおおおおおお!」

 走り出した彼を絶望的な心地で見送る。
 彼は数歩で巨人を間合いに捉えると、振りかぶったスコップを振り下ろした。
 ばきん!
 甲高い金属音とともに、リリスのすぐ横を猛烈な勢いで何かが通り過ぎた。スコップの先。

「そん……」

 アレックスのうめき声が聞こえる。彼のスコップは途中で折れていた。そしてその目の前には拳を振りかぶった巨人の姿。

「“我が腕に入れよ子ら”!」

 すんでのところで魔術が発動する。アレックスの身体が、何かに引っ張られたかのように後ろに吹き飛んだ。その目の前を巨人の拳が通過する。盛大に土が舞い上がる。

「うわっぷ!」

 大量に降りかかる土に、アレックスが悲鳴を上げた。だが彼のもといた場所には大穴が口を開けており、それに気付いてもう一度悲鳴を上げた。



106 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/12/29(水) 22:36:38.39 ID:mmYd8Xwo

「早く! 立ちなさい!」

 言って、構成を編み上げる。

「“我は放つ! 光の白刃!”」

 必死にもがいて立ちあがる彼の頭上を熱衝撃波が駆け抜けた。目にもとまらぬ速さで標的である巨人の頭部に突き刺さる。
 巨人の身体がゆっくりと沈み――突如上空に跳び上がった。

「――!?」

 そして、急速にこちらに降ってくる。

「“我は踊る天の楼閣”!」

 視界が暗転。回復。背後から轟音がとどろく。ついでそちらからの衝撃につんのめって倒れかけた。そこを何かに支えられる。

「大丈夫か?」

 アレックス。頷いて、振り返る。巨人もまたこちらに振り返ったところだった。

「グ、オオオオオオオオオオオ!」

 再び巨人の咆哮。しかしそれはただの叫び声ではなかった。



107 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/12/29(水) 22:43:08.08 ID:mmYd8Xwo

 ごっ!
 唐突に周りの地面が発火する、爆発する。巻き上げられた砂がばらばらと降り注ぐ。

(まずい!)
「“我は駆ける天の銀嶺”!」

 重力中和の構成。アレックスの手を取り地を蹴ると、二人の身体は宙高く舞い上がった。爆発の圏外に逃亡することに成功する。
 が。
 だん!

(しま……)

 それは失策。同じく地を蹴った巨人が目の前に迫った。拳を振りかぶり ――

「ふん!」

 急激に上昇の軌道が変化する。アレックスが手近な木を蹴ったのだ。すぐわきを突風が通過した。衝撃で平衡を失って墜落する。地面にたたきつけられて小さくうめいた。

「つぅ……」

 なんとか起き上がったところで巨人が目の前に立つ。

(く!)
「“我は”――っ」

 突如手を引かれて集中が途切れた。舌打ちしたが、そのすぐ後を拳が叩く。肝を冷やす。
 手を引っ張ったアレックスはそのまま走りだした。



108 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/12/29(水) 22:44:47.15 ID:mmYd8Xwo

「ちょっと!」

 文句を聞かず、アレックスは走り続ける。後ろを見ると巨人は地面に打ち込んだ拳を引き戻してこちらを振り向いたところだった。

「あんな奴相手にするのは無理だ! 逃げるぞ!」
「馬鹿言うのはやめなさい、このまま逃げたらまた村におびき寄せてしまいますわ!」

 アレックスは黙って走り続けたが、突如立ち止まると手を離した。

「……それもそうだ」
「そう、だからあなたはこのまま村に――」

 だが言いかけたリリスを遮って、彼女の背中を押した。

「俺があいつを引きつけるから、君は村まで逃げるんだ。そしてやっぱり軍を呼んでくれ」
「え……?」

 アレックスは迷わなかった。後を追って凄まじい勢いで駆けてきた巨人に向かって、徒手空拳のまま走り出した。
 アレックスの叫び声が響く。
 巨人が走ったまま拳を振り上げた。アレックスもまた拳を振り上げる。だが、サイズが違いすぎた。リリスの目に、青年がつぶされるのが見えた気がした。

「うおおおおおおおお――!」

 二つ大小の影が交錯した。



114 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/12/30(木) 11:27:19.25 ID:zn4S7RQo

「“我が名、イクトラ、それは虚偽”」

 虚空から声が聞こえる。それはリリスの声ではなく、空間の隙間から染み出す常世界法則――真なる神の声だった。魔術の構成によって導かれるそれが、この魔王術の媒体である。
 膨大な量の構成が空中に固定されている。それらは一つ一つは意味をなさない。全体となってようやく絵のように存在の力を持ち始める。
 そしてそれらは世界を塗り替えるための巨大な力の総体だった。その力を制御し、抑えるために構成は核となる部分の数倍の量の補足部を必要とする。それゆえ構成は際限なく膨らむ。
 通常の魔術構成とは次元が異なっていた。段違いに複雑な構成手法。しかしかつて開発者が時間をかけ二人がかりで行っていたものを、彼女はそれをものの数秒で展開して見せた。

「“虚ろの名、広がり、偽典の系譜を連ねる”」

 アレックスは巨人の目の前で尻もちをついていた。後ろ姿からでも呆けた様子がよくわかる。対して巨人は、その眼前に立ち尽くしていた。

「――」

 そして直立の体勢からゆっくりと身を折る。表情はないが、それはいかにも苦しそうではあった。

「“虚偽の名を贄に不正なる取引し、我、騙しの神の殺害を請求する!”」

 突如、うずくまった巨人の姿が掻き消える。すっかりと消えうせ、どこにも痕跡は残さない。

「“だが結果は真に残る。記録から削除せよ”」

 それで終わりだった。後には夜の静かさだけが残された。



115 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/12/30(木) 11:28:04.41 ID:zn4S7RQo

「あ……?」
「わたしの魔王術の力を感じ取って襲いかかってきましたのね。だから簡単に見つけることができた……」

 静かにつぶやく。

「下級の神で良かったですわ。もし上級の神でしたら、今のわたしでは歯が立ちませんでしたから」

 アレックスに歩み寄る。手を差し伸べると、彼はぼんやりとこちらを見た。

「あ……君は一体……?」
「本当はあなたに魔王術を見せるつもりはありませんでした」

 ため息をつく。

「でも、あなたが無茶するので仕方なく」
「あ、えっと……ありがとう……かな?」

 ようやく手を取って立ち上がる。

「あの化け物は亜人でも、ましてや人間でもありません。神と呼ばれる存在ですわ」
「神?」
「ええ。人間が魔術の存在によって変異し至る可能性のある、そういうものですの」

 アレックスは先ほどまで巨人がいた場所を見つめ、それからリリスを見、ゆっくりと口を開いた。

「……ごめん、よくわからない」



116 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/12/30(木) 11:28:48.33 ID:zn4S7RQo

「無理もありませんわ」

 言って、アレックスの身体に付いた土ぼこりを払ってやる。

「わたしはそういうものを常世界法則の記録から削り取り、“なかったことにする”ために旅をしている≪魔女≫ですの」
「魔女……」
「ええ、万能の力、≪魔法≫を行使する者の名称」

 あらかた払い終わり、彼の目を見つめる。

「魔女、リリス・フィンランディ。それがわたしですわ」

 アレックスはぽかんと口を開けたまま、

「魔女……」

 とだけつぶやいた。夜の肌寒い風が吹いた。
 そして。

「…… いらっしゃいましたね」
「え?」

 落ちた木の枝を踏み折る、乾いた音が聞こえた。
 アレックスが振り返る。そこにいたのは――

「マリー!?」



117 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/12/30(木) 11:29:36.83 ID:zn4S7RQo

 女性の姿がそこにあった。流れるような黒の長髪、それと対照的な真っ白の寝巻。裸足で夜の森をこちらに歩いてくる。そして何より目を引くのは。

「あの火事の燃え跡に遺体はありませんでした。やはり生きていらっしゃいましたのね」

 その背中から生えた、大きな翼。

「それでも無事ではなかった――いえ、それよりも悪い状態ですが」

 駆け寄ろうとしたアレックスの腕をつかんで止める。
 こちらを振り向く彼を無視して、彼女は口を開いた。

「“我は紡ぐ光輪の鎧”」

 がぎ!
 飛来した光が防御壁にぶつかる。

「な!?」

 アレックスが目に見えて動揺する。それはいきなりの攻撃のためだけではない。

「マリー……?」

 彼女の周りにいくつもの光球が浮かんでいた。彼女が、攻撃してきたのだ。

「やはりヴァンパイア化していましたか」



118 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/12/30(木) 11:30:39.21 ID:zn4S7RQo

 びき!
 突如何かが破断する音が響き渡った。それは女の方から聞こえてきたものだ。
 見ると、顔にひびが入っている。

「…… 人間は神の影響を受け入れた場合、その存在を昇華させ神への階段を昇り始める」

 静かに、構成を編む。それが見えたわけではあるまいが、アレックスが逆に彼女の腕をつかみ返してきた。

「ちょ、ちょっと待て! マリーに何をするつもりだ!?」
「……」

 それでも構成は中断しない。ゆっくりと言う。

「ああなってしまっては……もうどうしようもありませんの」
「何を言っている?」

 ばき!
 彼の背後でもう一度音が響く。音に驚いて振り向いた彼は見てしまった。
 耳まで裂けた口で笑う女の姿を。
 アレックスの悲鳴が上がる。

「もう変異が始まっていますのね……開始しますわ」

 構成は完成していた。



119 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/12/30(木) 11:32:17.85 ID:zn4S7RQo

 彼女の異変は続く。異音を立てて、彼女は人間から遠ざかっていく。

「マリー……マリー……」

 アレックスの泣き声がか細く響く中、彼女は急速に人間をやめていく。

「……神の影響を受ける人間は、この世に絶望していることが多いんですの」

 彼は聞いていなかった。それでも続ける。

「彼女は身体が弱いんでしたね。それでもきつい労働に耐えて、苦痛に耐えて、生きねばならなかった。村長さんに聞きましたわ。彼女、最近は身体を崩して寝たきりだったと」

 女が――もう変異が進んで、人間の姿をしていなかったが―― 咆哮する。悲しい叫び。

「わたしにもわかりますわ。死にそうな時、世界に絶望した時、どんな最悪な救いでも掴まずにはいられませんもの。わたしもそうでした。でも――」

 アレックスがこちらを見た。憔悴した瞳で哀願する。

「やめてくれ……俺はマリーを二度も失いたくない……」
「……でも、マリーさん、あなたは忘れてはいけなかった。大事な人がいることを」

 構成に魔力を注ぎ込んだ。

「せめて、彼女ごとこの事件を“なかったことに”しますわ。人には忘却も必要なもの……ごめんなさい、二人とも」

 リリスが手を掲げる。その手に光が生じた。小さい光はゆっくりと広がり、やがて全てを優しく包み込んだ。



120 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/12/30(木) 11:34:16.45 ID:zn4S7RQo

◆◇◆◇◆


 いくら技術が進もうと、そう簡単に変わらないものもある。がたごとと音を立てて進むこの馬車がその一つだ。噂によると蒸気車が開発されたとか何とか聞くものの、それがすぐ庶民の生活に浸透するわけでもない。

「……」

 優しい風もその一つ。彼女の髪をわずかに揺らして吹き去っていく。
 村を出る馬車の外の風景から目を離し内側に戻すと、青年の姿がそこにあった。俯いて、表情は読めない。

「眠そうですわね」

 彼女の声に青年が顔を上げる。その顔は暗く沈み、目はどこかうつろだった。

「ああ、いや……別に……」
「大丈夫ですの? ひどい顔をしていましてよ?」
「……」

 彼が黙る。乗り合い馬車には彼ら二人以外は乗っていない。そのため沈黙が落ちた。
 少しして、青年は口を開いた。

「いや、大したことじゃないんだ」
「もしよかったら話をうかがってもよろしいですこと?」
「……ああ」

 彼は頷いて、続けた。



121 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/12/30(木) 11:35:28.39 ID:zn4S7RQo

「俺は開拓公社で働いてる。さっきの村も、もともと働いていたところなんだ。ただ、今は別のところで働いてるんだけど」
「ではなぜあの村に?」
「いや、俺もよくわからないんだ。懐かしくなったのかな? でももっと不思議なのは、なんだかとても寂しいんだ」
「寂しい?」
「ああ。心にぽっかり穴が空いてしまった、そんな感じだよ。何があったってわけでもないんだけどね。うん、よくわからない……」
「……」

 いくら技術が進もうと。そう簡単に曲げられないものがある。事実を改変しようとも、残ってしまう痕跡がある。
 しばらく風が髪をもてあそぶのに任せて、彼女は彼を見つめた。
 馬車ががたんと石を乗り越え、そこで彼女は口を開いた。

「あなた、恋人はいますの?」
「え? 何だいいきなり」
「い・ま・す・の?」
「い、いやいないよ。いるように見えるかい?」

 詰め寄られて彼がたじろぐ。

「ふーん?」
「な、何?」
「あなた、どこまで行きますの?」
「職場の開拓村に戻るけど」
「仕事は楽しいですの?」
「やりがいはあるけど、楽しいかと訊かれると……。何が言いたいの?」



122 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/12/30(木) 11:36:25.32 ID:zn4S7RQo

 彼女はふふ、と笑って続けた。

「じゃあそこ辞めてわたしと旅、しません?」
「……なに、言ってるんだ?」
「わたし、こう見えてもお金ならありますわ。同行者が一人増えるぐらいなんともありませんし」
「えっと……」
「次はどこに行こうかしら。蒸気車というのを見てみたいから、一度ニューサイトにもどるのがいいですわね」
「いや待ってよ」

 困惑顔で口をはさむ彼にぴしゃりとたたきつける。

「いいから、一緒にいきますの!」
「え、あ、はい」

 思わず頷く彼ににこりと笑いかける。

「それにわたしあなたより年上ですのよ?」
「え?」
「二十六歳」
「うそだ」
「ほんと」

 ひとしきり驚いたあと、彼は首をかしげる。

「信じられないけど……それがどうかした?」



123 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/12/30(木) 11:37:10.21 ID:zn4S7RQo

「あなた年上好きでしょう」
「……なんで分かった?」
「そんな顔してますもの」
「どんな顔だよ」

 彼が初めて笑った。

「いい顔ですわね。あなた名前は?」
「俺? アレックスだ」
「わたしはリリスですわ、よろしく」

 差しのべた手を、彼が取る。触れるだけではない、しっかりとした握手。
 馬車はがたごとと進む。
 彼女は魔女。魔王術を受け継いだ力ある者。世界を改変する権利と重責を背負った女。彼女の旅はこれからもまだまだ続く。



124 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/12/30(木) 11:37:41.12 ID:zn4S7RQo

 短編:魔女のお仕事





     ~END~

 thank you for your reading,sien and criticism



125 :アナウンス:2010/12/30(木) 11:41:46.41 ID:zn4S7RQo
はい、ではこれにて全編終了です。こんなパクリSSを読んでくれてありがとうございました
最初は全て書き溜めてから投下することになってたのに途中から完全にながら書きでした。約束と違って申し訳ありません
でも全力は出し切ったと思っておりますので勘弁してもらえるとありがたいです

長い道のりでしたが、いろいろ勉強になりました
特に自分にはギャグセンスがないことが分かったり、日常描写が苦手だと分かったり、
戦闘への入りのバリエーションが少なかったり、叫び声が「あああああああああ!」とかしかバリエーションがなかったり、
それ以前に文章力がげふんげふん。そのほかにもいろいろ……

ついでに、前スレでいきなりスウェーデンボリ―が太古の魔王と看破された時は驚きました
ニギとミスリードさせようと思ったのですが
まあ、これからも趣味として上達していけたらなと思います

最後の短編は、この先も旅は続くぜエンドという感じで。
もともと最強の力を持っていますから、もし続くとすれば蟲師のような人助け系の話になるんでしょうね
いや、書きませんし書けませんが。

さて、これでいったんお別れ。またどこかであったらその時はどうかよろしくお願いします
ではまたいつか! さようなら!



128 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/12/30(木) 16:59:39.06 ID:bbQlH3Q0
乙です。
有難う。最高でした。感謝。




129 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage ]:2010/12/30(木) 21:11:39.10 ID:XlTs7Bc0
良いわ…
ルイスとリオの後日談とかも見たいけど…
もうお別れなのね
寂しいわ




130 :アナウンス:2010/12/30(木) 21:21:08.89 ID:zn4S7RQo
>>129
父母祖父母が集まって老人会、とか魔女さんの妹やフィンランディ家の一日とかとっかかりはあったんですが、どうにもネタがないんですよね
もう第三世代の話を書いちゃったんでさかのぼるのもどうかと思うし、キリがいいんで申し訳ありませんけど今回は勘弁してください
次回作に期待ということで



131 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/12/30(木) 21:44:28.41 ID:6RNx1Zko
乙でした
もっと読んでいたいけど




132 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/12/31(金) 00:12:29.38 ID:pPzgeQDO
次回作は決まってたりする?
楽しみなんだけれど




133 :アナウンス:2010/12/31(金) 06:09:40.58 ID:ZGi4A5Io
>>132
いくつか案はありまして、「ふと思いついたスレ」に書きこみしました
全てオリジナル系で短編、台詞系です
魔王・勇者物ではないですけれど

地の文は今しばらく封印で。VIPの文才スレなんかで修行してきます
あとは二次創作としてはオーフェンやりたいですねオーフェン
これは VIPで、って考えてますが

今回中二病だったので、マイルドなのを書きたいなとか思ってます
あと、主人公たちが最初から強いのばかりなので、そのうち成長物のファンタジーもやりたいです
上でも言ったようにギャグセンスがいまいちなのでそこの補強もしたいですね



134 :アナウンス:2011/01/01(正月) 21:18:33.93 ID:Cd0YYGEo
長い間お付き合いいただきありがとうございます
またいつか会いましょう



135 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2011/01/01(正月) 21:53:49.11 ID:dqiTb2DO
お疲れ様でした



136 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2011/01/01(正月) 22:09:02.54 ID:Ldlk08wo
本当にお疲れさまでした







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魔王・勇者SS   コメント:6   このエントリーをはてなブックマークに追加
コメント一覧
2612. 名前 : 名無し@SS好き◆- 投稿日 : 2011/01/22(土) 09:58 ▼このコメントに返信する
世界観オーフェンのオリジナルもの?
音声魔術とか説明無いと解らなくない?
2617. 名前 : 名無し@SS好き◆- 投稿日 : 2011/01/22(土) 12:27 ▼このコメントに返信する
リンクで秋田禎信もオーフェンも存在しないのが納得いかない
2641. 名前 : 名無し@SS好き◆- 投稿日 : 2011/01/23(日) 06:41 ▼このコメントに返信する
前が良かっただけ結末が残念!
7752. 名前 : 名無し@SS好き◆- 投稿日 : 2011/06/07(火) 10:32 ▼このコメントに返信する
リリスが長女として45歳現役バリバリか。
9798. 名前 : 月影王◆- 投稿日 : 2011/07/26(火) 10:38 ▼このコメントに返信する
ちょっと勇者捕まえて来るわ
14151. 名前 :  ◆- 投稿日 : 2011/11/07(月) 09:16 ▼このコメントに返信する
世代交代モノは好きだけど「登場人物の老いや寿命、死」を突きつけられてしまうのがツラい
文中では特に追求されてないけど、その瞬間をどうしても想像してしまう
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