彼女を言い負かすのはたぶん無理 (スマッシュ文庫)1:
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2010/10 /14(木) 15:56:05.79 ID:2dY8J2hE0
あくまでIFのお話。2:
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2010/10 /14(木) 16:00:53.08 ID:2dY8J2hE0
――――― ――
「受かった!」
律は私に会うなりそう言うと、嬉しさのあまりか抱き着いてきた。
私も「おめでとう!」と律の背中に手を回して言った。
「……これでお互い、無事笑って卒業出来るな」
「そうだな」
それはまだ少し肌寒い日のこと。
律が言って、私が頷いて。
私たち二人、笑顔のまま。たぶん、少しだけ心を軋ませて。
――――― ――
4:
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2010/10 /14(木) 16:11:46.28 ID:2dY8J2hE0
「なあ澪、私、大学に行くことにした」
突然、律は電話越しにそう言った。本当に突然のことで、私は「え?」と間抜けな
声を出してしまった。その時の表情もたぶん、間抜けだったと思う。それくらい驚いた。
律がまだ進路を決めていないことは知っていた。だけど何となく、漠然と、同じ大学に進む
ことになるんだろうなって思っていたから。
けど、律が口に出した大学名は、まったく知らない名前で。
「驚いた?」
律が笑いながら訊ねてきた。私は頷くことも忘れて、「それ、どこだよ」と訊ねた。
語尾が少し荒っぽくなってしまった。
別に律と一緒がいいわけじゃない。
ただ、何で私にそんな大事な進路のことを今まで話さなかったんだ、って。
寂しいわけじゃ――ない。
「どこって……」
律は困ったように黙り込んでしまった。それで私は悟った。
あぁ、遠いとこなんだな、って。5:
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2010/10 /14(木) 16:19:17.08 ID:2dY8J2hE0
「……一人暮らしとかするの?」
「ん、まあな。ここから通うのはさすがに無理そうだし。親にも迷惑掛けちゃうしな」
「そっか」
頷いた。沈黙が訪れた。
私は律との間に出来る沈黙は嫌いじゃない。寧ろ好きだった。だけど、今のこの
沈黙はなんだか重苦しくて、「それじゃ」と電話を切ろうとした。
すると、律がその間際「ちょっと待って!」と言った。
「なに?」
「あのさ、澪!明日から三連休だろ、一緒にどこか行かない?」
私はまたもや突然の提案に、少しだけ困惑しながらも「いいけど」と言った。
すると律は、「やっぱり無理」と私に断られることを避けるみたいに「ありがと」と
お礼まで言うと、電話を切ってしまった。
私は携帯を見詰めながら、まだどこに行くか、とか色々決めてないんだけど、と
心の中で律に呟いた。
まあけど。長年の付き合いだ。なんとなく、何時からとか、どこで待ってるかとか、
わかっている。どこに行くのかまではわからないけど。
そういえば、律の行く大学って、どんな大学なんだろう。
私は携帯をベッドに放り投げると、自分もベッドにダイブして、いつのまにか
重くなっていた瞼をゆっくりと閉じた。7:
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2010/10 /14(木) 16:26:59.25 ID:2dY8J2hE0
.
次の日、目が覚めると日はだいぶ高くまで昇っていた。何時だろうと思って時計を
見ると、10時はとっくに過ぎていた。
律と遊ぶ場合、いつも待ち合わせは10時と決まっていた。慌てて急かすように光る携帯を
開けると、案の定律からのメールが二件、届いていた。
一つ目は昨日。私が眠ってしまってからすぐに来ていたらしい。
『明日、いつもの時間、いつもの場所で』
私と律の間じゃ「いつも」で通じてしまう。改めてそれを意識して、本当にずっと、
一緒にいたんだな、と変なとこで感傷的な気分になってしまった。
もう一件は今さっき。
『やっぱり駅に変更』
あれ?何で駅なんだ?
私はそのメールを見て首を傾げてしまった。遊びに行くとしてもどうせ近場だと
思っていた。一応私たちは受験生で、遊びに行く時間なんてないに等しいのだから。
それでも昨日、断らずに頷いてしまったのはたぶん、律の話を聞いて動揺していたから。8:
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2010/10 /14(木) 16:33:40.73 ID:2dY8J2hE0
駅か。やっぱり行かない、ってメールしようかな。
手櫛で髪を梳きながら考えた。
けど、私がいざそのメールを打とうとしたとき、携帯が震えて私は思わず手を
離してしまった。携帯はベッドの上に着地した。ディスプレイに表示された名前は律だった。
私は溜息を吐きながら通話ボタンを押した。
「超能力者か」
『は?何の話か知らないけど、澪、遅い!もう電車来ちゃうって!早く来いよ!』
「え、ちょ、律……」
律の急いた声に、私は断ることが出来なかった。断ろうとしたときにはもう既に遅し。
電話の向こう側は昨日の夜のように虚しい音が響いていた。
「まったく、ちょっとは人の話聞けよ……」
私は呟くと、よいしょ、と部屋のクローゼットを開けて服を探した。
……まったく。私はやっぱり、律に甘い。
.9:
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2010/10 /14(木) 16:48:21.77 ID:2dY8J2hE0
10時半を少しまわってしまったけど、何とか駅に辿り着いた私は律の姿を探して
辺りを見回した。
さすが三連休とあって、人の出入りも激しくて見慣れた姿とはいっても中々見付かるもの
ではない。
すぐには見付かりそうにないなと判断すると、私はポケットから携帯を取り出した。
その時、後ろからポンっと肩を叩かれた。
「ひっ!?」
「なーに驚いてらっしゃるの、澪さん?」
律がいた。律は私が遅れたせいか、あまり機嫌が良さそうには見えなかった。悪い
ようにも見えないけど。律は下に置いていた鞄をよいしょ、と持ち上げると「行くぞ」と
歩き出した。
「え、ちょっと待てよ律!」
「質問は受け付けませーん、澪が遅れた罰」
「うっ……」
聞きたいことは山ほどあるのに。
まずはその荷物。何でそんなに大きい荷物を持って来てるんだ?
遠出でもするみたい。買物とかそんなんじゃないのか?
それにいつもとは違うホームへ入っていく。どこに行こうとしているのか、全くわからない。
律は予め買っていたのか、私に「はい」と手際よく切符を渡すと先に改札口を抜けていく。
私も仕方なく、その後に続いた。11:
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2010/10 /14(木) 17:08:15.80 ID:2dY8J2hE0
長い階段を上りきると、電車を待つホームに出る。中学も高校も電車通学じゃないので
あまり駅には詳しくない。おまけにあまり来たことのない方面で、電光掲示板にある駅名も
ほとんど知らない名前ばかりで、私の不安を煽らせた。
律だって私と同じようなものだ。なのに律は、涼しい顔で私の隣に立っている。
「なあ律」
「質問は無し」
「……、どこに行くんだ」
「質問は無しって言ったよな、私」
「これは質問じゃない。語尾を上げてない」
「そんなの知らねーし!」
一向に会話が進まない。何もわからない。
律はわざと行き先を隠しているようだった。
そうこうしているうちに、電車がホームに滑り込んでくる。律が足元に置いていた
鞄を持ち上げると、さっさと他の乗客と同じように電車の中に吸い込まれていく。
私も慌てて律を追いかけると、電車のドアは程なくして閉まってしまった。
もう、後戻りは出来ない。
私は仕方無い、と溜息を吐いた。今日一日くらい、律に付き合ってやるか、と。12:
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2010/10 /14(木) 17:21:03.36 ID:2dY8J2hE0
.
前に座る律はさっきから、あまり眠っていなかったのかうとうとと舟を漕いでいる。
私はすることもなく、ただ移り変わる景色を眺めていた。
ガタンガタン、ガタンガタン
周りに人がいないわけでもないのに、電車の音がやけに大きく響く。
こうなるんだったら音楽プレイヤーでも持ってこればよかったかな、なんて思いながら
窓枠に頬杖をついて今日何度目かわからない溜息を吐いた。
律の横に置いてあるやけに大きな鞄が、電車の振動でさっきから落ちそうになっている。
私は立ち上がると、どこで下りるかは知らないけどそれを網の上に置いてやろうと
持ち上げてみた。それが思ってた以上に重くて、電車の揺れもあったので私は情けなくも
律の上に倒れてしまった。当然律は目を覚ます。
「……ん、澪?って、何やってんだよ」
律は私を見ると呆れたように笑いながら私から鞄を取り返し、網の上に置いた。
最初からそこに置けばいいのに。
そう思いながらも、「何が入ってるんだ?」と訊ねると「お、澪、海が見えるぞ!」と
話をはぐらかされてしまった。14:
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2010/10 /14(木) 17:32:31.90 ID:2dY8J2hE0
私は「まあいいや」と律の指差すほうに目を向けた。
窓の外ではさっきまで山や住宅地ばかりだったはずなのに、一面の青が広がっていた。
何度も見ているはずなのに、思わず目を奪われる。
「夏の合宿以来か、海見るの」
「あぁ、そうだな……。カメラ持ってこればよかった」
私が言うと、律は「あるよ」と言ってポケットから小型カメラを取り出し私に差し出した。
何でカメラまで持ってるんだ?と疑問に思いながらもカメラを受取った。
次の駅で停車したときに、一旦電車から降りると、私は海のよく見える場所に走った。
そして律のカメラを構えるとシャッターを押した。
まだあと何枚も撮りたかったけど、電車が出てしまうといけないので、私は名残惜しい気も
しながら踵を返した。
「それだけでいいのか?」
律が不思議そうに言った。
手にはちゃんと、あの大きな鞄を提げている。
「なんだ、ここで降りる予定だったの?」
私が訊ねると、律は「まあね」と曖昧に返事をした。私はもう一度カメラを構えて
シャッターを押すと、律を振り返った。律はもう先に改札口へと歩いていた。15:
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2010/10 /14(木) 17:37:08.37 ID:2dY8J2hE0
どうやら田舎の方まで来ていたらしく、無人の駅だった。さっきは気がつかなかった
けど、私たちのほかに降りた人もいなかったようだ。
駅を出て周りを見渡すと、真正面に海、そしてその後ろには山。
田んぼが沢山あって、トンボが沢山飛んでいた。
こんなとこ、あったんだ。
律は知っててここに来たのかな。そう思って律を見ると、律も物珍しげに私と同じように
首をきょろきょろと回していた。
私が不審げに見ているのに気付き、律が「さ、行くか!」と慌てたように歩き出す。
「どこ行くんだよ」
私は答えてくれないだろうとは思いつつ、律に訊ねた。
が、律は答えてくれた。
「さあ」30:
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2010/10 /14(木) 21:28:12.12 ID:NakqnbA50
私は固まってしまった。
ということは、全部無計画なのか?
私の批判の目に気付き、律が慌てたように続けた。
「べ、べつにたまにはこういうのもいいだろ?二人でのんびり散歩、みたいな」
「もう散歩の域じゃないんだけど」
「けどさ!とりあえずせっかく来たんだし、な?ちょっとくらいはここで遊ぼうぜ!」
私が帰ると言い出す前に、律は言うと私の手を引っ張った。
「カメラも持ってていいしさ!これで最後だから」
「わかったよ」
最後という単語が妙に心に引っ掛かったけど、それを無視して私は渋々頷くと
「ただし帰ったらしばらくは相手してやらないからな」と付け足した。
律は一瞬だけ表情を曇らせると、すぐに嬉しそうな顔をして「よっしゃ!行っくぞー!」と
目の前の海へと私の手を握ったまま走り出した。
小さな身体で、あんな大きな荷物を持って、しかも私の手を引いてよく走れるな。
私は呆れながらも、おかしくなって笑った。
律がなんだよ、と振り返る。なんでも、と返す。
ただそれだけのやり取りなのに、私はそれがとても特別なことのように思えた。32:
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2010/10 /14(木) 21:33:36.89 ID:NakqnbA50
海岸まで走ると、律が「うわーっ、すげー!」と声を上げた。
確かにすごい。海は何度見てもその広さと青さに声を上げてしまう、そんな何かを
持っているのかも知れない。
「ってかさむっ」
走って温まったはずの身体が急に冷えていくのを感じた。
さすがに季節が季節。夏の終わりとはいえ秋の始まり。冷たい風が私たちの間を
通り過ぎていく。
ふと律を見ると、律も私の隣で震えていた。
やっぱり帰らない?
そう言い掛けて、やっぱりやめた。
律の横顔があまりにも無邪気で、私を躊躇わさせた。私は言葉を口にする代わりに、
子どもっぽいけど大人びていて、いつも傍にいてくれる、そんな幼馴染にカメラを向けると、
律との“今”を焼き付けたくてシャッターを切った。33:
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2010/10 /14(木) 21:40:40.97 ID:NakqnbA50
.
太陽が空高く昇っている。気が付くともう昼過ぎで、私と律は海岸を離れて
歩き出した。
「腹減ったー」
「我慢しろ」
「つーかここで降りなきゃよかったんじゃんかよー」
「私は電車に戻ろうとしたけど?」
「そのまま私を引っ張って連れて行けば良かったんじゃんかー」
「勝手なこと言うな」
「ていうかさ」
突然、律が立ち止まった。気が付けば、真昼間だというのに薄暗い場所に来ていた。
今まで少しずつだけど建っていた家もどこにも見当たらない。木々が生い茂る、森と
呼ばれる場所に踏み込んでしまっていたようだった。
「ここ、どこ?」
「わ、私に聞くな!」
「……、こっち行ってみるか」
「あ、ちょ、無闇やたらに動くなよ!」
律がまた歩き始めたので私も慌てて追いかける。
追いかけながら、動揺した頭の隅のどこか隅で、私はそういえば、と思い出していた。34:
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2010/10 /14(木) 21:50:21.63 ID:NakqnbA50
――――― ――
まだ幼い頃。確か、小学校の低学年くらいの頃だったと思う。
夏休み、私と律は少し背伸びしたくて、『冒険』と称して二人で隣町まで歩いた。
今は大したことの無い距離だけど、小さい頃の私たちにとってはまさに『大冒険』で、
調子に乗った律がどんどん先に進んでいって帰り道がわからなくなったときがあった。
けど律は、帰り道がわからないというのに、それでもやっぱりどんどん先に進んでいった。
その時は幸い、帰りの遅い子どもを心配して迎えに来た両親に見つけられたけど、
もしあの時もっともっと遠いところへ行ってしまっていたら、と考えるとぞっとする。
――――― ――35:
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2010/10 /14(木) 21:51:38.74 ID:NakqnbA50
けど、それでも今私が律を信じて着いていけるのは、途中で迷子になったとわかって
怖くなって泣いてしまった私の手を握って、律が「大丈夫だよ」って笑ってくれたから。
今考えると、律だってきっと怖かったはずだ。だけど私を励ましてくれた。
あの時の律の手の暖かさは今でもちゃんと、覚えてる。
「澪、大丈夫か?」
律が振り返って訊ねてきた。私はあの時の律と今の律が重なって、思わず笑ってしまった。
「な、何で急に笑うんだよ?人が折角心配してやってるのに」
「だって、思い出しちゃって……」
「何を?」
律がきょとんとして立ち止まった。律のことだ、多分本当に覚えてないんだろう。
私は何でも、と言うと少しだけこの状況が楽しくなってきて、「ほら、行くぞ」と
あの頃とは逆に律の手を掴んで先に歩き出した。36:
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2010/10 /14(木) 22:02:02.45 ID:NakqnbA50
けど歩き出してすぐ、さっきよりももっと暗くなってきて、流石の律も危険だと
感じたのか「戻ろっか」と私の手をぎゅっと握って言った。
私も「そうだな」と頷くと踵を返した。
そして、さっき辿ってきた道を思い出しながらもう一度、歩き始める。
木々の間から、太陽の光が降り注ぐ。大丈夫、怖くない。森林浴だって思えば良い。
怯える心に言い聞かせていると、律が「そういえば」と何気なく、というように口を開いた。
「な、なに?」
この際、どんなくだらない冗談でも付き合ってやろう、そう思いながら訊ねると、
少し後ろに居た律は私の隣まで来て、そして私を見上げて「やっぱいいや」と押し黙った。
「なんだよ?」
気になった私が訊ねると、律は「ここで言う話じゃないし、後でな」と言って目を
逸らし、ついでに話題も逸らされた。
「こういうとこっていかにもさわちゃんが現れそうな場所だよな」
「は?なんだよそれ……」
そこまで言って、私は二年生のときの合宿を思い出した。そうだ、肝試しであの時、
確かにさわ子先生はこんな場所で凄く恐ろしい声を上げて私たちの元に現れたんだった。
「ま、そんなわけないけどなー」と律が笑ったとき、近くの茂みから何かが動く気配がした。37:
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2010/10 /14(木) 22:05:20.99 ID:NakqnbA50
「なっ、なに!?」
「まさかほんとにさわちゃん……」
びくっと私は律に抱き着いた。そんな私を安心させるように肩に手を置きながら
律が言いかけたとき、ガバッと茂みから何か黒い影が飛び出した。
「キャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」
「よ、さわちゃん」
「やっほー、りっちゃん、澪ちゃん」38:
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2010/10 /14(木) 22:09:30.49 ID:NakqnbA50
私は悲鳴を上げて座り込み、震えていた身体をゆらゆら起こして前を見た。
確かにそこには、律と、さわ子先生がいた。
「って、さわちゃん!?」
普通に挨拶していたと思った律が、今更驚いたように仰け反った。
さわ子先生が「何よー」と唇を尖らす。
「っていうか何でさわちゃんがここに!?」
「何でって、それはこっちの台詞よ。ここ、私の地元なのよ、いるのは当たり前でしょ?」
「いや、まあ別にそれはいいんだけどさ、……なんでこんな森の中を……」
律はそう言って、さわ子先生の全身を見て、そして再び仰け反った。
さわ子先生の手には狸が握られていた。
「あぁ、これ?美味しいわよ?良かったら家で食べてく?」40:
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2010/10 /14(木) 22:14:16.38 ID:NakqnbA50
.
気が付くと、さわ子先生のいつもの車に乗せられ揺られていた。
どうやらあの狸のせいで気を失ってしまっていたらしい。前の席で、さわ子先生と
律が談笑していた。ふと後ろを見ると、狸の死骸が乗せられていて、私は慌てて視線を
逸らした。
「お、澪、気付いたか?」
律が座席から身を乗り出して私を振り向いた。
「もうすぐ家に着くわよ澪ちゃん」
「あ、はい」
頷くと、本当にすぐに車は止まった。「降りていいわよ」と言われて車を降りると、
意外と大きな日本家屋が私と律の前にどっしりと構えていた。
「さわちゃんって結構いい家の育ちなんだな……」
「何よー、何か文句ある?」
「いや、別に」42:
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2010/10 /14(木) 22:18:47.72 ID:NakqnbA50
さわ子先生がどんどんと家に入っていく。私たちもそれに着いて行きながら、
珍しげに辺りを見回しているとさわ子先生が玄関を開けながらにこやかに言った。
「今日は両親でかけているのよ、それであんたたちに頼みごとが……」
「お断りします」
言われる前に律がきっぱりと言い放って、踵を返そうとした。するとさわ子先生は
「じょ、冗談よ冗談!」と引き攣った笑顔で言って「せっかくだから寄って行きなさいよ、
りっちゃんには話さなきゃいけないこともあるし」と律と私の手を引っ張った。
さわ子先生が律に話?
それで私は、今まで忘れていた大学の話を思い出した。
「あ、うん」
律はあまり私に聞かせたくないのか、面倒臭そうにそう返事をした。43:
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2010/10 /14(木) 22:26:09.86 ID:NakqnbA50
.
さわ子先生の手料理をご馳走してもらい、(さっきの狸を使った料理は二人で
丁寧に遠慮した)落ち着いているとさわ子先生が「さて」とわざとらしく咳払いを
した。
「ほんとは次の日学校で聞きたかったんだけどね」
「ま、ついでだって思えば良いじゃん?」
「アンタはねえ……。まあそうね、他の子の進路相談もあるし、ちょうど良いかもね。
それでりっちゃん、大学の件、大丈夫そう?」
「うん、大丈夫。準備は万端だぜい!」
私は何となく、聞かない振りをして二人の話に耳を傾けた。
さわ子先生の言い方、まるで大学受験はもうすぐみたいな言い方だ。
それとも律の受ける大学というのは普通のところより早いのかな。
「卒業式はちゃんと来れそう?」
「うん、多分な」
「そう、それで澪ちゃんにはちゃんと言ったの?」
突然私の名前が出てきて、私は「へ?」と俯いていた顔を上げた。
さわ子先生が、私と律を交互に見る。
「……ちゃんと話しなさいね」
「わかってるよ」46:
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2010/10 /14(木) 22:33:20.22 ID:NakqnbA50
律は頷いた。
だけどその後、律はまた話を違う方向に持っていった。さわ子先生の昔話とか、
そんなどうでもいいことばかりが私の耳に入ってくる。
「りっちゃん、そろそろ行かなきゃいけないんじゃないの?」
いつもよりも、まるで何かの穴を埋めるように話をする律の言葉を止めたのは、
意外にもさわ子先生だった。そろそろ帰らないか、って私が口にする前に。
律はあぁ、うん、と頷くと、立ち上がった。私も律と一緒に立ち上がる。
「それじゃりっちゃん、頑張ってね。澪ちゃん、ここのことは口外無用よ。それから
駅はこのすぐ近くにあるから」
「あ、はい」
「じゃーな、さわちゃん。ありがと」
律が玄関を出て行く。私は一旦振り向くとさわ子先生に「ありがとうございました」と
頭を下げ、律を追いかけた。
空はそろそろ暗くなってきていて、丁度いい時間帯。私が駅の方向へと歩き出そうとすると、
律が「澪」と私の名前を呼んで手を引っ張った。強い力で引っ張られ、手を振りきろうとしても
振り切れなかった。振り切りたくなかった。何となく、離してしまったらだめな気がした。
だから私はそのまま、駅とは反対方向の道を歩き出す。48:
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2010/10 /14(木) 22:37:37.54 ID:NakqnbA50
.
律に引っ張られる形で辿り着いた先は、さっきと同じ海岸だった。
けどさっきと違うのは、夕日が海に沈んでいくところで青じゃなくオレンジ色に
輝いているところ。
暫くの間、私たちはその光景に目を奪われて何も言えなかった。
夕日が沈んで、辺りに闇が下りてきたとき、律はやっと口を開いた。
「ほんとはさ、期待してた」
突然、律は言って苦笑を浮かべた。私は何を言われているのかわからずに、
ただ律の次の言葉を待った。
「澪が止めてくれるんじゃないかって」
「……大学のこと?」
「そう」49:
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2010/10 /14(木) 22:42:00.14 ID:NakqnbA50
「止めないよ」
私は言った。
だって、止めたって律が私と同じ大学に行くわけじゃないし、何よりも律が自分で
決めた進路だ。私が口出しする権利も無いし、律だってそれくらいの覚悟じゃないはず
だから。
「そっか」
律はそう言うと、少しだけ寂しげに笑った。
何でそんな風に笑うんだよバカ律。どうしてか泣きそうになった。
「今日な、こうやって澪を誘ったのはさ、最後に澪と二人でいたかったから。
別に澪ん家でも私ん家でも良かったんだけどな」
「最後、って?」
「私、推薦で大学受けることにして、その推薦入試がもうすぐなんだよ。それで、
学校からも許可貰って少し早いかも知んないけど向こうに行くことにした」51:
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2010/10 /14(木) 22:48:38.85 ID:NakqnbA50
何だよ、それ。
私はただ驚いて、どうすればいいかわからなくて、律を見詰めた。
先に目を逸らしたのは私だった。
「……そう、なんだ」
律が遠くへ行ってしまう。しかも突然。私の前から居なくなってしまう。
ほんとはわかってたはずだ、いつかこうなることなんて。
けどまだもう少し先だって思ってた。なのに。
今日の律の行動や言葉を次々と思い出す。
律は無鉄砲に見えるけど今日みたいに無茶苦茶に行動する奴じゃない。
それにあの大きな荷物。もしかしたら今日、そのまま直行するつもりなのかも知れない。
少しだけ変だって思ってた。けど大して気にしなかった。
こんなことならもっともっとちゃんと、律と一緒の時間を過ごしたかった。
律はずるいよ。
何で今まで何にも言わずに黙ってたんだよ。
ほんとはわかってたんだろ?こうしないと私が止めちゃうことを。
私が止めたら律は止まっちゃうことを。
「まあけど、来年の二月くらいにはこっち戻ってくるし、ちゃんと卒業式も出るし」52:
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2010/10 /14(木) 22:55:09.72 ID:NakqnbA50
律の言葉が突然、止まった。
暗闇に染まる海に、律の声が吸い込まれていく。
「……なのに……、何でこんなに寂しいんだろうな」
震える声で、律は言った。
私は泣いちゃだめだって思った。泣いたら律が見えなくなる。律の声が聞こえなくなる。
そんなのやだ。
「昨日からずっと、さ。おかしいんだよ、私……。何するにも感傷的になっちゃって、さ。
それにもっと早く、澪に大学のこと、言いたかったんだけど……、言えなくて。
あ、唯とかムギには、さ、ちゃんと言ったんだけど……あぁ、もう、無茶苦茶だな、今の私」
律が笑った。涙を拭おうともせずに、律は笑いながら「ごめんな、澪」と謝った。
「ほんとはちゃんと、言いたかったし、……笑って、別れたかったのに、だめだなあ、
私……、もう、どうすればいいかわかんねーや……」53:
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2010/10 /14(木) 23:01:04.65 ID:NakqnbA50
「バカ律」
もう、耐え切れなかった。私も泣いていた。
本当に、どうしてこんなに寂しいんだろう。どうしてこんなに悲しいんだろう。
永遠の別れじゃないってわかってるのに。またすぐに会えるってわかってるのに。
ずっと会えないわけじゃない。
それなのにどうして。
律が「何で澪が泣いてるんだよ」って泣きながら笑った。私も「うるさい」と笑いながら
泣いた。
「なあ、律。私たち、離れても――」
私は訊ねようとした。けど怖くて聞けなかった。律は何も言わなかった。
私たちはただ、身を寄せ合うようにして静かに泣いていた。77:
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2010/10 /15(金) 12:11:47.22 ID:3OyziIH10
.
別れの儀式はそれだけだった。
それだけで充分だった。
それ以上律といると、私はきっと律にすがってしまったから。
だからそれでよかった。
律と二人、暗い道を歩く。
暗闇で前が見えないのに、不思議と怖いとは感じなかった。
昔のことを思い出す。
そうだ、私はあの時もこうして二人で歩いていた。親が迎えに来るまでの間、
私たちはずっと手を繋いでいた。そして今も。
駅が近付いてくる。
お互い手を握る力が強くなる。
私たちは、別々の電車に乗ることにした。どっちが先に乗るかで揉め、結局律が
先に乗ることになった。
電車が近付いてくる。
絡まった指が解けてゆく。78:
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2010/10 /15(金) 12:14:02.38 ID:3OyziIH10
私はまだもう少し、律の温かさを感じていたくて手を伸ばした。
電車に乗り込んだ律が振り返った。
伸ばした手は冷たいドアに阻まれ、律に届かなかった。
電車が走り出す。私は叫んだ。力いっぱい。さっき訊ねられなかったことを。
「律、私たち離れても、親友だからな!」
私の声は、夜の闇に消えていった。
返事は返ってこなかった。
――――― ――80:
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2010/10 /15(金) 12:21:42.98 ID:3OyziIH10
あの日から、私と律は暫く連絡を取り合わなかった。
律がいない生活は、私にとっては窮屈で、色褪せていた。だけど軽音部の
皆やクラスメートがいてくれたから、私はいつもどおり笑顔でいられた。
私も律も、別々の大学に無事入学した。
大学に合格したことがわかった日、私は律が遠くへ行ってから始めてメールを送った。
桜の絵文字が一つだけ書かれたメール。ほかには何も書かなかった。
律から返事は返ってこなかった。けど、それでよかった。
そして今。
私と律は一緒に通いなれた通学路を歩いている。
二月に一旦戻ってくると言っていたくせに、律が私の前に現れたのは結局今日。
向こうで何をしていたのかは知らないけど、私は何も聞かなかった。律も何も言わなかった。
今日は卒業式の日。
卒業式も、そして軽音部の引継ぎも無事済ませた。
私たちはずっとそうしてきたように、帰り道を二人で辿っていた。81:
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2010/10 /15(金) 12:28:51.09 ID:3OyziIH10
何か言わなきゃいけない。わかってるけど言葉が出てこない。
ずっと伝えなきゃと思っていた想いが沢山あるのに、いざ律を前にしてみると
どこかへ飛んでいってしまう。
私たちは無言のまま、ただ足を動かし続けた。
もうすぐで、律は行ってしまう。今度こそ、遠いところへ。
多分、会いたいと思ってもすぐには会えない、そんなところへ。
「そういえば」
律の足が突然止まった。
「なに?」
私も足を止めて、律と向き合う。
律は真剣な顔をして、言った。
「澪、今日のパンツは何色?」83:
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2010/10 /15(金) 12:37:41.81 ID:3OyziIH10
突然、今までぐだぐだと考えていたことがどうでもよくなった。
律はいつもどおりの律で、きっとこの先も何も変わらない。
「うるさい」
私が律の頭に拳骨を落としてやると、律は「最後なのに澪が怒ったー!」と
大袈裟に泣き真似しながらも、どこか嬉しそうな表情をしていた。
そうだ。私たちはいつもどおりでいい。
いつもどおり、別れ道で「じゃあな」「またな」でいい。
そうじゃないと、もっともっと辛くなる。
再び歩き出しながら、律は言った。
「なあ澪」
「ん?」
「ずっと思ってたんだけど、澪、私の行く大学のこと、知ってたよね?」
「知らないよ」
「え?」
「調べてないし、興味も無い。何の学部があるのかとか、全然わかんない」
私は答えた。
本当はどこにあるのかとか調べるとよけいに律との距離が開きそう怖かったし、
興味が無いわけじゃないけど、私はそう言った。
「律が何になりたいのかとかも、何にもわかんない。だからさ、律。今度帰ってきた
ときに私に教えて、何になったのか」85:
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2010/10 /15(金) 12:49:49.94 ID:3OyziIH10
律は少しだけ驚いた顔をすると、いつもの笑顔で「当たり前だろ」と頷いた。
別れ道が近付いてくる。
自然に私たちの足が遅くなる。
「いつ発つんだっけ」
「明日」
「見送りに行ってほしい?」
「いいよ別に」
「じゃあここで」
「うん、ここで」86:
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2010/10 /15(金) 12:50:33.73 ID:3OyziIH10
私たちは立ち止まった。あの夜、悲しい涙や寂しい涙は全部流した。
だから私はもう、絶対に泣かない。
律は私に手を振ると、背を向けた。私はその背中に声を掛けた。あの日と同じ言葉を。
「なあ律」
私たち、離れても、親友だからな、と。
律は一旦立ち止まると、振り向くことはなく、ただ「たぶん」と答えた。
私は満足した。
それでいい。先のことなんてわからないのだから。容易く「当たり前だろ」なんて
答えられるより、「たぶん」のほうがずっといい。
律はやっぱり振り向くことはなく、私に手を振って「じゃあな」って言った。
私は「またな」って返した。
私たちはきっと、離れたって何も変わりはしないだろう。
たぶん、ずっと――
終わり。89:
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2010/10 /15(金) 12:52:34.47 ID:3OyziIH10
昨日、もうすぐで終わりそうだったのに途中で書くのやめてごめん。
保守してくれた人、ありがとうございました。
やっぱり律澪至高だけど一番律澪が書けないorz91:
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2010/10 /15(金) 13:00:27.47 ID:iMdwE/Vk0
乙乙
大学から帰ってきていいもん見れた92:
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2010/10 /15(金) 13:04:41.16 ID:JJEPBK0j0
乙
いい雰囲気だ
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