209:
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/02/05(火) 21:50:27.21
ID:0a3ejGEJ0
とある世界にとても大きな大陸がありました。その大陸では昔に戦争が起こり、多くの人が剣を手に取って戦い、死んでいきました。
その大陸の中央都市からやや北西に外れた街のさらに外れに、一人の物書きがいました。
彼女は物心ついたころから天涯孤独の身で、必要な時以外には他人と関わらないようにして、息をひそめるように静かに暮らしていました。
街に住む人々は物書きを「さびしい人間だ」と言って、哀れんだり蔑んだりして、奇異の目を向けていました。
物書きはそれらの言葉や視線にただただ嫌悪感を抱いていました。
『人には人それぞれの生き方や考え方があるし、誰にどう思われていようとわたしの人生には関係ない』
生活に必要なものを買いに街へ出るたび彼女はそう思って、人々の言葉や目から逃れるように、いつも早足で用件を済ませては自分の家に帰りました。
そしてひとりの家で本を読み、ペンを手に取っては自分の空想を紙上につづって、それを売り物にして生きていました。
裕福な暮らしではありませんでしたが、物書きはほどほどに幸せでした。
人間は最低限の関りだけで生きていけるから、この先もずっとこうして生きて、そしていつか誰にも知られずに死んでいくんだろう。
そう思っていました。
210:
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/02/05(火) 21:51:03.38
ID:0a3ejGEJ0
ある秋の日でした。
家の窓から穏やかな風に揺れる木の葉を眺め、ぼんやりと物思いに耽っていると、ドンドン、とドアをノックする音が聞こえました。
太陽は西へ陰るころで、こんな時間に誰だろうか、と思いながら、物書きは玄関の扉に向かいます。
閉めていたカギを開けてドアノブを下ろし、少しだけ扉を開いて、その隙間から外をうかがいます。そこには自分のあごほどまでの背丈をした少女が立っていました。
「すいません、旅をしているんですけど……街の宿がいっぱいで、今晩泊めていただけませんか?」
ぐるっと一周つばのある帽子を被り、背中に大きなカバンを背負った少女は明るい声でそう言いました。
物書きは一番に、『どうしてわたしの家を訪ねるのだろうか』と思いました。
彼女の家は街の外れも外れで、ともすれば人々からは同じ街に住んでいるとは思われていない場所にありました。うっそうと茂る林も近くにあって、滅多なことでは人も寄りつかない場所です。
街の宿がいっぱいであっても、ここに来るまでにいくらでも民家があっただろうに。
「実は、どこの家も、私みたいに宿からあぶれた人でいっぱいだって言われちゃって……」
物書きの考えていることが分かったのか、旅人だと自称した少女はバツが悪そうに頬を掻いていました。
211:
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/02/05(火) 21:51:30.54
ID:0a3ejGEJ0
それ見て、物書きは少し考えました。
このまま少女を見過ごせば、きっと野宿をすることだろう。彼女は旅人だと言っているし、出で立ちからしてそれは嘘ではないはずだから、そういうことには慣れていそうだ。きっと断っても問題がない。
しかし少女を見過ごせば少し寝覚めの悪い思いをするだろう。街の人々とは全く違った少女の無垢な瞳がよりそういう思いを募らせる。
そのふたつのことを天秤にかけてから、ため息を吐き出して、物書きはこう言いました。
「ひと晩だけなら……どうぞ」
「ほんとですか!? ありがとうございます!」
物書きの言葉を聞いて、旅人の少女はパッと笑顔になりました。
それに少しだけ落ち着かない気持ちになりながら、彼女は少女を家に招き入れました。
212:
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/02/05(火) 21:52:18.07
ID:0a3ejGEJ0
「泊めてもらうので、なにか私の荷物で欲しいものがあればどうぞ。本当はお金がいいんですけど、あんまり持ち合わせがなくて……」
少女が物書きの家に入り、荷物を置いて、一番に口にした言葉がそれでした。
「別に……」
物書きは少女の荷物を一瞥もせずにそう答えます。
「いえいえ! 旅は道連れ世は情け、持ちつ持たれつが長生きの秘訣だって師匠が言っていましたから、遠慮せずに!」
「…………」
遠慮ではないんだけど、と言おうとしましたが、それも面倒になったので、物書きはさっさと少女の荷物から何かを貰ってしまおうと思いました。
しかし彼女の荷物は、おそらく旅で使うのであろう携帯用の日用雑貨や飲み水、日持ちのする食料といったものばかりでした。それを貰うのは少しだけ心苦しいし、そもそも自分にとっては必要がないものだと物書きは思いました。
「さぁさぁ!」
そんな物書きの胸中を知らず、少女は楽しそうな表情で急かしてきます。彼女はまた小さくため息を吐いてから、頭に思い浮かんだ案を口に出しました。
213:
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/02/05(火) 21:52:44.96
ID:0a3ejGEJ0
「……では、話を」
「はなし?」
「はい。わたしは物書きなので……あなたの旅の話を聞けば、それを元にした話を思いつくかもしれませんから」
「そんなものでいいんですか?」
「あなたにとっては“そんなもの”でも、私にとっては財産になるものかもしれません。あなたの持つ水や食料が私にとって“そんなもの”であるように」
「分かりました!」
少しだけ皮肉を込めた物言いをしましたが、少女はまったくそれに気づいていない様子で、「うーんと……」と考えるような仕草をしました。
それを見て、街の人間に対するような物言いはこの子にしないようにしよう、と物書きは思いました。
214:
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/02/05(火) 21:53:58.94
ID:0a3ejGEJ0
それから少女は、自分の生い立ちと旅をしようと思ったいきさつを物書きに話し始めました。
少女は元々、大陸の北の方の国で生まれたこと。
十年前に起こった戦争で両親が亡くなったこと。
そこから孤児院で過ごして、そこの院長……少女いわく「師匠」に生きる術を教えてもらったこと。
そして、幼い頃に母親が読み聞かせてくれた絵本のように、世界を旅してみようと思ったこと。
「絵本……ですか?」
「うん! もうずっと昔のことだから、絵本の名前も思い出せないんだけどね。えっと……」
気づいたら見た目相応の幼い口調になっていた少女は、あごに手を当てて言葉を続けます。
「青い鳩が病気のお姫様のために、魔法の木の実を採りに行く話なんだ。それでね、そこで他の鳥とか虫とかに会って話をするの。その中の、鳥……だったかな?」
少女はコホンと咳ばらいをして、
『自分たちは見えている世界の中だけを生きてるんだ。だから、出来るだけ広い世界を知っていた方がいいに決まってる』
と、澄ましたような声を作って言いました。
「その鳥がそういう風なことを言ってて、私も『確かにそうだなぁ』って思っててね? 世界中を見て回ろうって決心したの」
「……そう……ですか」
「だからね、師匠に旅の心得とか技術とかを教えてもらって、二年前に孤児院を旅立ったんだ」
「…………」
少女はニコリと笑って、何の迷いも後悔もなさそうにそう言いました。
物書きはそれになんて言葉を返せばいいのか分かりませんでした。
自分とは似ているようで正反対な少女がただまぶしく見えました。
215:
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/02/05(火) 21:54:28.46
ID:0a3ejGEJ0
それからも少女は話を続けていきます。
北の国の孤児院を出て、まずは中央都市に向かったこと。
そのまま中央都市を通り過ぎて、東の国へ行こうとしたら、正反対の西の国に向かっていたこと。
自分と同じような旅人と、少しの間だけ一緒に旅をしたこと。
その時に、悪い人間に騙されてお金を盗まれたこと。
それでも旅人と協力して、悪い人間をこらしめてお金を取り戻したら、近くの村の人々に感謝されたこと。
その旅人が村の人間と恋に落ちて、そこでずっと暮らしていくと決めたこと。
身振りや手振りを交えて、嬉しかったことも悲しかったことも、楽しかったことも大変だったことも、少女は全部を明るい声で話しました。いつしか物書きはその話に没頭していました。
自分が知らない世界のことを、この幼げな少女はずっとよく知っているんだ。
自分が空想の中で知った風にしていることを、肌で感じて知っているんだ。
そう思うと、少女の話はこの世界のどんな書物よりも輝いている素敵なものに感じました。
216:
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/02/05(火) 21:54:55.60
ID:0a3ejGEJ0
「ふわぁ……」
旅の話を続けていた少女があくびをして、物書きはすっかり夜が更けていることに気づきました。
「ごめんなさい、長々と話をさせてしまって」
「ううん、私も楽しかったから大丈夫だよ」
「ご飯を食べてもう寝ましょうか」
「あ、それなら私の食料を……」
「いえ、それには及びません」
荷物に手を伸ばした少女を物書きは制しました。
「え、でも」
「こんなに素晴らしい話を聞かせてもらったんです。これ以上あなたから何かを頂いても、わたしから返せるものがありません」
「そうなの?」
「はい。だから気にしないでください」
「分かった! えへへ、ありがとうございます!」
少女は無垢に笑顔を浮かべてお礼を言いました。物書きは、むしろこちらこそ、と思いながら、晩ご飯の支度を始めました。
そしてご飯を食べ終えると、空き部屋を少女にあてがい、物書きも自分の部屋で眠りにつきました。
217:
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/02/05(火) 21:55:25.22
ID:0a3ejGEJ0
翌朝、物書きがキッチンで朝ご飯の準備をしていると、眠たそうな目を擦りながら少女がやってきました。
「おはよーございまーす……」
「おはようございます。よく眠れましたか?」
「久しぶりのお布団だったからぐっすりだったよー……」
まだ半分夢の世界にいるようなやわやわとした口調で言われて、物書きは少し笑ってしまいました。
こうして朝に誰かと挨拶を交わすのはいつ振りだろうか。そんなことを考えながら、彼女は言葉をかけます。
「旅人なのに朝が弱いんですね」
「んー……師匠にも他の旅人にもよく言われる……」
「外に井戸の水を汲んでありますから、ご飯の前に顔を洗ってきてくださいね」
「はーい」
間延びした返事を残して、少女は玄関の方に向かっていきました。
強心臓というか能天気というか……どちらにせよ、ああいう性格の方が旅人に向いているんだろうな。
そんなことを考えながら、物書きは朝食の支度をすすめました。
218:
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/02/05(火) 21:55:54.32
ID:0a3ejGEJ0
朝食もとり終わり、少女は大きなバッグを簡単に整理すると、それを背負いました。
「寝床だけじゃなくてご飯までお世話になっちゃって……本当にありがとうございました!」
「いいえ、気にしないでください。わたしがやりたくてやったことなので」
もう出発の時間でした。それにさびしさを感じて、物書きは少し驚きました。ほんのわずかな時間で、あれだけ人を嫌っていた自分が心を許すなんて……と思いました。
「これからどこへ向かうんですか?」
物書きは、さびしさをごまかそうとする気持ちと、別れの時間を長引かせたい気持ちが半々にまざった言葉を少女へ投げかけました。
「西の国には行ったから……今度は南の方の国に行こうかなって思うんだ」
少女は昨日から変わらない、迷いのない明るい声でそう言いました。
その姿に少しだけ迷ってから、
「もし……もしもまたこちらの方に戻ってくるのなら、いつでもわたしのところを訪ねてください」
と、少女に告げました。
「いいの?」
「はい。あなたの旅の話の続きが……聞いてみたいので」
「それくらいだったらお安いご用だよ! えへへ、それじゃあ頼りにさせてもらっちゃうね!」
本心を半分隠した言葉にやっぱり少女は明るい声と笑顔を返してくるのでした。
「それじゃあまたね!」
「ええ。道中、気をつけて」
「ありがとっ!」
ぶんぶんと大きく手を振って、少女は出発しました。
物書きはその後ろ姿が見えなくなるまで、それを見送りました。
219:
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/02/05(火) 21:56:38.19
ID:0a3ejGEJ0
それからというもの、少女は旅の途中に物書きの家に寄って、それまでの旅路を話すようになりました。
物書きは、少女がいつでも自分の家に入れるようにと、合いカギを作って少女に渡しました。
中央都市に近いため交通の便もいい物書きの家は、どこへ行くのにも寄りやすい場所にあったことも、旅人の少女には幸いでした。
物書きもたまにフラリと訪れる少女の話を聞くのが好きで、彼女が訪れている間だけはペンを置き、物語をつづる側ではなく楽しむ側になりました。
少女の話はいつも不思議な魅力に満ちていました。
どんなものでも明るい声で語られる話は物書きの心を強く打って、いろいろな感動を与えてくれました。
220:
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/02/05(火) 21:57:07.60
ID:0a3ejGEJ0
そうして過ごしていると、まるで鳥が空を翔るように季節は早足に巡っていきました。
気がつけば初めて出会ったときのように秋になっていて、その季節ももう過ぎようかという頃に、少女は物書きの家にやってきました。
そしていつものように物書きに旅の話をして、もうほとんど少女のものになってしまっている部屋でひと晩を過ごしました。
「次はどこへ行くんですか?」
「今度は東の国かな。そこに行けば、この大陸で行ってない場所もほとんどなくなるし」
「そうですか。気をつけてくださいね」
「うん! いつもありがと!」
翌朝、いつものように言葉を交わして、物書きは少女を見送りました。
221:
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/02/05(火) 21:57:42.45
ID:0a3ejGEJ0
少女を送り出してからひと月後のことでした。
物書きは街へ買い物に出かけました。
そして日用品や食料を買った帰りに、のんびりと書店を覗いていると、ある絵本が目につきました。
どこかで聞いたことがあるような題名だな、と思い、その場で少し考えていると、ハッと気づきました。
『そうだ、あの子が話していた絵本だ』
ちょうど一年ほど前に少女が話していた絵本の内容とタイトルが重なりました。
あの子はタイトルを忘れてしまったと言っていたけれど、きっとこの絵本が彼女のきっかけになった話なんだろう。
そう思った物書きは、その絵本も買って帰ることにしました。
次にあの子が来てくれたら、一緒にこの絵本を読もう。それまでわたしが読むのは我慢しよう。
まるで幼い子供のようにワクワクしながら、物書きは家路をたどります。
222:
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/02/05(火) 21:58:13.68
ID:0a3ejGEJ0
その途中、顔見知りの行商人に声をかけられました。
「どうも、物書きさん」
「こんにちは」
物書きは足を止めて、軽く会釈しました。それからニ、三言、他愛のない会話を交わします。
旅人の少女と接しているうちに、いつの間にか彼女も街の人々に対する嫌悪感をなくしていて、普通に話が出来るようになっていました。
あの子のおかげでずっと世界が広くなったな。こんな風に自分に色々なものを与えてくれたあの子が、買った絵本を見て喜んでくれたらいいな。
そう思うと、物書きの顔には小さな笑みが浮かびました。
「そういえば、聞いたかい?」
「何をですか?」
と、行商人が改まったように声を潜めました。その様子に不穏なものを感じて、物書きもささやくように小さな声で返事をしました。
223:
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/02/05(火) 21:58:42.64
ID:0a3ejGEJ0
「どうにもな、東の国できなくさい動きがあるみたいなんだ」
「え……」
東の国。そこは旅人の少女が今向かっている場所だ。
心臓がキュッとするような感覚をおぼえながら、物書きは先をうながします。
「……何かあったんですか?」
「行商仲間に聞いたんだが、ここ一週間くらい、東の国の関が閉じられているんだ。うわさじゃあ、なんでもクーデターが起こって内戦状態なんだって」
「…………」
行商人の言葉が耳の深くまで突き刺さり、物書きは何も言葉を出せませんでした。
まるで自分が自分じゃないみたいな感覚がして、話もそこそこに、彼女はフラフラとした足取りで家に帰り着きました。
それから絵本以外の荷物をキッチンのテーブルに放り出して、家の窓から、東の空を見つめました。
たそがれた空は、東の方からだんだんと暗い色が迫ってきていました。行商人から聞いたうわさ話が頭の中で何度も繰り返されました。
『どうかあの子が無事でいてくれますように』
絵本をギュッと抱きしめながら、物書きはただそう祈りました。
224:
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/02/05(火) 21:59:14.86
ID:0a3ejGEJ0
そうしているうちに春になりました。
旅人の少女はまだ戻ってきません。
物書きは絵本を大事に抱えて、毎朝東の空へ祈りをささげました。
225:
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/02/05(火) 21:59:45.32
ID:0a3ejGEJ0
つぎに夏になりました。
旅人の少女はまだ戻ってきません。
雨の日も風の日も、物書きは東の空へ祈りつづけました。
226:
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/02/05(火) 22:00:12.14
ID:0a3ejGEJ0
やがて秋になりました。
旅人の少女はまだ戻ってきません。
風のうわさで、東の国のクーデターが失敗に終わり、内戦がおさまったと聞きました。
227:
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/02/05(火) 22:01:13.03
ID:0a3ejGEJ0
そして冬になりました。
一年経っても、旅人の少女はまだ戻ってきませんでした。どれだけ祈っても、姿を見せてくれませんでした。
物書きは、ひとりの家でぼんやりと考えごとをしていました。
こうしてひとりぼっちで一年を過ごしたことが、何十年ぶりにも思えました。
ずっと暮らしてきた自分の家がやけにがらんと広く感じられて、それがさびしくて、旅人の少女のことを考えると胸が張り裂けそうでした。
一年前の冬の日からずっと少女の無事を祈り続けましたが、まだまだ彼女は帰ってきません。
もしものことを考えてしまい、物書きの瞳には冷たいしずくがたまっていきます。
228:
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/02/05(火) 22:01:42.54
ID:0a3ejGEJ0
どうしてこんな気持ちにならなくちゃいけないんだろう。
底冷えのする部屋で、いつしか物書きはそんな自問自答を繰り返していました。
あの子と出会ってしまったから、ひとりがこんなにさびしいと知ってしまった。
あの子と出会ってしまったから、誰かと一緒にいることがあんなに温かいと知ってしまった。
いっそ出会わなければよかった。
そうすれば、わたしはひとりをさびしいと思うこともなく、誰かのぬくもりを知ることもなく、狭い世界の中で、さびしい幸福を感じて生きていけたのに。
そう思ったとたん、物書きの瞳にたまったしずくはとうとうこぼれ落ちてしまいました。
旅人の少女と出会わなかった自分が、今こうしてひとりでいる自分よりもずっとさびしく思えてしまって、涙が止まりませんでした。
物書きは机につっぷし、声をころしてすすり泣き、いつしか泣き疲れて眠ってしまいました。
229:
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/02/05(火) 22:02:20.79
ID:0a3ejGEJ0
ふと目を覚ますと、物書きの肩には毛布がかけられていました。
寝起きのぼんやりとした頭で、泣きはらした瞳を指で軽くこすりながら、物書きは考えます。
こんなもの羽織っていたっけ。
眠りに落ちる前のことを思い返すと、机につっぷしたままいつの間にか眠っていた、という記憶しかありませんでした。
そこで物書きは一気に目が覚めました。
彼女はいつも、家にはカギをかけていました。そのカギを持っているのは、この世界にふたりしかいませんでした。
物書きは椅子を蹴飛ばすように立ち上がって、慌ただしい足取りでキッチンへ向かいました。
230:
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/02/05(火) 22:02:56.95
ID:0a3ejGEJ0
すると、
「あ、おはよー! あんなところで寝てると風邪ひいちゃうよ?」
と、椅子に座って荷物を整理していた旅人の少女が、何でもないように言ってきました。
その姿を見て、声を聞いて、物書きの瞳からはまたボロボロと涙がこぼれました。そのまま少女に近寄って、無垢な姿をギュッと抱きしめました。
「ど、どうしたの? 怖い夢でも見たの?」
少女はちょっと困ったように言いました。それに物書きは首を振って、嗚咽まじりに声を出します。
「ううん……東の国で内戦があったって聞いて……あなたが心配で……」
「あ……そっか。心配させちゃってごめんね?」
「大丈夫……こうして無事に帰ってきてくれたから……」
鼻をすすりながら、震える声で物書きは言いました。
そんな彼女の頭に、旅人の少女は手を伸ばして、優しく髪をなでました。
231:
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/02/05(火) 22:03:44.91
ID:0a3ejGEJ0
「えっとね、戦争が終わるまで、物も人も通れなかったんだ」
少女はいつもよりもずっと柔らかい声で、今回の旅のことを物書きに話しました。
ちょうど少女が東の国に入ってすぐのころに、クーデターが起こったこと。
いつまでも続きそうな内戦に嫌になった凄腕の旅人たちみんなと協力して、王国軍をかげながら助けたこと。
内戦はおさまったけど、たくさんの人が死んでしまったこと。
それでも自分たちは生き延びて、またいろんな人たちと関りを持てたこと。
その話が終わるころには物書きの涙も止まり、少女から離れ、テーブルをはさんだ席に座って言葉を交わし合います。
「そうだったんだ……。怪我はしなかった?」
「大丈夫! えへへ、こう見えて私、けっこう強いんだよ!」
「そっか……そうだよね。ずっと旅をしてるんだもんね」
ニコッと笑って力こぶを作って見せる少女に、物書きは穏やかな笑みを浮かべました。
自分の世界にこもり、ただ祈ることしか出来なかったわたしと違って、この子はいつでも自分から世界を広げて、変えることが出来るんだ。
その姿がまぶしくて、自分よりもずっと強い少女に、物書きは少しだけさびしい気持ちになりました。
けれどそのさびしさは、ひとりの家で感じたものとはまったく違うさびしさで、こうしてまた出会えた嬉しさに近い種類のものでした。
232:
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/02/05(火) 22:04:11.49
ID:0a3ejGEJ0
「あ、そういえば……」
ふと少女が物書きを見て、首をかしげました。
「どうかしたの?」
「ううん、そんなに大したことじゃないんだけど……丁寧な言葉づかいじゃなくなったなーって」
「あ……」
少女が無事だった嬉しさに任せて、物書きは自然とくだけた言葉で話していたことに気づきました。
「ごめんなさい、嫌だった……?」
「ううん! むしろもっと仲良くなれたんだって感じがして、嬉しいよ!」
「そっか……よかった」
いつものような明るい声に、物書きも明るい声を返しました。
233:
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/02/05(火) 22:04:52.62
ID:0a3ejGEJ0
「そうだ」
一年ぶりのふたりでの晩御飯を食べ終えた物書きは、絵本のことを思い出しました。
食器の片づけを終えると、いそいそと自分の部屋に行き、去年の冬に買った絵本を手にしてキッチンに戻ります。
「どうしたの?」
「これ……多分、あなたが言ってた絵本だと思うんだ」
「絵本……お母さんが読んでくれた?」
「うん」
物書きがうなずくのを見て、少女は「わぁっ」と笑顔をはじけさせました。
「もしかしたら違うかもしれないけど……」
「ううん! ちょっとだけだけど、表紙に見覚えがあるもん! ねぇねぇ、一緒に読んでみようよ!」
「うん、分かった」
物書きは少女の隣に椅子を持ってきて座り、買ってから初めてその絵本を開きました。
「あ、そうだ……」
と、どうしてか少女はしょんぼりとした風に口を開きました。
234:
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/02/05(火) 22:05:32.33
ID:0a3ejGEJ0
「どうしたの?」
「あの、あのね……? 恥ずかしいからずっと言ってなかったんだけど……」
珍しく言いよどみながら、少女は物書きをチラリと上目づかいで見やりました。
「実は私……あんまり文字が読めないんだ」
「そうだったの?」
「うん……簡単なのなら読めるんだけどね?」
バツが悪そうに弁明する姿が、まだまだ幼さを残している顔立ちにしっくりと似合って、物書きは思わず頬をほころばせました。
「そっか。それじゃあ、わたしが読んであげるね」
「ありがと! えへへ、楽しみだなぁ」
一転して笑顔になった少女に微笑ましい気持ちになりながら、物書きは絵本を読みあげはじめました。
235:
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/02/05(火) 22:06:00.25
ID:0a3ejGEJ0
絵本は、お姫様に飼われていた青い鳩が病気になったお姫様のために、飛んだことがない空を飛んで魔法の木の実を採りに行く……という内容の話でした。
最初に出会った時に少女が話したように、ひばり、イモムシ、亀、老木に出会って、彼らの話を聞き、鳩は魔法の木の実を探していました。
「俺たちはその見えている世界の中だけで生きてるんだ。だから、できるだけ広い世界を知っているほうがいいに決まってるのさ」
自由を大切にするひばりはそう言いました。
「いま飛べるのと明日飛べるのと変わりはないんだよ。君だって卵のときは飛べなかっただろう?」
さなぎになっていつかは蝶になるイモムシはそう言いました。
「それがどんなことであれ、信じることだ。おれは木の実より、こうらの固さを信じるぜ」
危険や災難はジッとこらえて、平和がやってくるまで耐えしのぶ亀はそう言いました。
「こいつは薬にもなるし、毒にもなる。それどころか、なんでもない木の実かもしれんし、ただの石ころかもしれん。それは、これを持つものが信じる“よう”になるからじゃ」
魔法の木の実をつけた老木はそう言って、木の実を鳩に渡しました。
236:
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/02/05(火) 22:06:32.33
ID:0a3ejGEJ0
木の実をくわえた鳩は、急いでお姫様の元へ戻ります。
その時の空は、老木が話した死を降り注ぐ悪魔と英雄の言い伝えのように、ひょう交じりの嵐でした。
その中を鳩は懸命に飛んでいきました。木の実を――“どんな病気もたちどころに治す万能の薬”を、しっかりとくわえて。
やがて鳩はお城に帰り着きますが、その時にはもうお姫様はこと切れていました。
鳩は悲しみましたが、それでもお姫様の最期の顔がとても安らかだったことに不思議と落ち着いた気持ちで、そのまま眠りにつきました。
翌朝、お姫様のとなりに青い鳩の亡骸があるのを召使いが見つけました。
その鳩がお姫様の飼っていた鳩だと気づいた召使いは、こと切れてもなお大事そうにくわえていたオリオンポプラの木の実を、庭の、ちょうどお姫様の部屋の窓の下に埋めることにしました。
やがてそれは芽を出し、大きな木となりました。そのこずえからは、お姫様の部屋と窓辺の鳥かごがよく見えるのだそうです。
これは、オリオンポプラのこずえの中、枝から枝へ、親鳥から小鳥たちへとつたえられる、ちいさな奇跡のお話です……という風に、絵本の物語は終わりを告げました。
237:
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/02/05(火) 22:07:01.45
ID:0a3ejGEJ0
絵本の中にあった言葉の数々が、物書きの胸にしんと染み入りました。
「そうだ、こんなお話だったなぁ。懐かしいなぁ」
物書きの静かな声で物語を聞き終えた少女は、どこか遠くへ思いをはせるように、しみじみと呟きました。
その姿を見て、物書きはひとつの決心をしました。
238:
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/02/05(火) 22:07:27.69
ID:0a3ejGEJ0
翌日の朝でした。
いつものように朝ご飯の準備をして、眠たい目をこする少女と一緒に朝食をとり終わると、物書きは改まったように少女に声をかけました。
「お願いがあります」
「うん?」
荷物の整理をしていた少女は、きょとんと首をかしげながら物書きに向き直りました。
「わたしも……一緒に旅をさせてくれませんか?」
その姿に向かって、物書きはそう口にしました。
239:
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/02/05(火) 22:07:55.67
ID:0a3ejGEJ0
物書きが少女に絵本を読み聞かせた後にした決心は、自分から自分を変えてみようというものでした。
今までの生活は流されるままで、旅人の少女と出会って少しだけ変われたけれど、それでもただ彼女がやってくるのを待つだけでした。
そこから一歩でも前に、自分の足で進みたい。
この広い世界のことを、少女の言葉で知るのではなくて、自分の目で見て触れてみたい。
生まれてこの方ずっと自分の世界に閉じこもっていたわたしでは、この子の足手まといになるかもしれないし、彼女は嫌がるかもしれない。
だけど、絵本に書いてあったように、わたしもわたしの信じる“よう”になりたい。
この少女のように、自分から前へ進んで、誰かを変えられる人間になりたい。
その決意の言葉に、
「うん、いいよ!」
やっぱり旅人の少女は、いつものように明るい言葉でうなずいてくれるのでした。
「……ありがとう」
不安と期待が入り混じった、今まで感じたことのない熱い気持ちに浮かされながら、物書きはお礼を言いました。
240:
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/02/05(火) 22:08:30.25
ID:0a3ejGEJ0
それからふたりは、いろいろな場所へ旅をしました。
少女の生まれ故郷である北の国や、船を使って別の大陸に渡ったりして、世界中を見てまわりました。
彼女たちはひとつの旅が終わると、決まって物書きの家に帰って、その旅のことを語り合って、本に記しました。
物書きと旅人の少女は、そうやって身を寄せ合いながら、いつまでも仲睦まじく生きていきました。
そして彼女たちの記した本は、やがて大陸中に出回って、多くの人たちの間で楽しまれました。
その物語はずっと先の未来まで人々の胸の中に生き続けて、時には誰かを奮い立たせ、時には誰かを優しくさせ、時には誰かを幸せにしていくことになるのでした。
おしまい
241:
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/02/05(火) 22:09:22.83
ID:0a3ejGEJ0
参考にしました
『姫君の青い鳩』(エースコンバット5 作中のおとぎ話)
「りんりんが書いた話」という設定の話でした。
元スレ
http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1544965078/
- 関連記事
-
Amazonの新着おすすめ
おすすめサイトの最新記事