1:
◆cgcCmk1QIM 2018/11/07(水)01:06:54
ID:mk9
私が事務所を辞めようと決意したのは、工藤忍と綾瀬穂乃香の二人ユニット『フリルドスクエア』の結成が決まった、その次の日の朝だった。
普通に女子寮で朝ごはんを食べて、学校も普通の顔で過ごして、夕方事務所に顔を出してからPさんとちひろさんに意志を伝える。
『残念だよ』とPさんは言った。
だけど、引きとめてはくれなかった。
ちひろさんが淡々と、契約を中途終了するにあたっての手続きを教えてくれて、親に書いてもらわなくちゃいけない書類とかを渡してくれた。
「週末、実家に戻って書いてもらいます」
「急がなくてもいいですよ」
ちひろさんは、少し名残惜しそうにしてくれた。
だけど、引きとめては、くれない。
多分私みたいに途中でアイドルの道を諦めちゃう子はたくさん居て、引き止めても仕方ないことだって、二人ともよく知ってるんだ。
ううん、もしかしたら。
その子たちと同じように私も続かないだろうって、二人はとっくに気がついていたのかも――。
2:
◆cgcCmk1QIM 2018/11/07(水)01:07:26
ID:mk9
◇◇◇
「『 』、待って『 』!!」
事務所に預けてた荷物を片付けて、スタッフさんたちに挨拶してるとけたたましい足音とともに私の名を呼ぶ声がすっ飛んできた。
真っ直ぐ駆け寄ってくる女の子。
汗でしっとり湿った前髪の下から、きらきら星が散ったみたいな青い目が私を睨んでた。
「忍? まだレッスンの最中でしょ」
「なかなか『 』がレッスンに来ないから――Pさんに聞きに言ったら、レッスンにはもう出ないって、事務所やめちゃうって」
「知られるの、もうちょっと後になると思ってんだけどなあ」
運が悪い。
できればもうちょっとだけ、この子――工藤忍には、私がやめちゃうこと知られたくなかった。
知らぬそぶりで最後にもう一回ぐらい、いつも通りのふりして一緒に晩御飯を食べたりしたいなと思っていたのだ。
「ね、ホント? 『 』がやめちゃうって」
「うん、まあ、本当」
でもまあ、隠しててもしょうがないし、私はあっさりと白状した。
「『 』はね、アイドル目指すの、諦めたの」
『 』。
それは私の名前。
本名と同じ読みで、漢字だけもじった芸名。
だけどその名前はもう消えたものだ。
アイドル『 』は、卵のままで消えちゃったんだから。
だから今、ここにいる私は名無しの女の子だ。
3:
◆cgcCmk1QIM 2018/11/07(水)01:07:53
ID:mk9
「どうして!?」
忍は悲しんでるって言うより、怒ってるみたいだった。
「『 』はアタシよりずっと出来たじゃない。ううん、今だって」
うぬぼれかも知れないけど、それは本当の事だった。
工藤忍と私は同期入所。
だけど、ダンスも歌も、物にするのはいつも私が先だった。
工藤忍は要領が悪くて、私と同じように出来るようになるのにずっと時間がかかっていたものだった。
要領がいいからってレッスンに手を抜いてたわけじゃない。
私だって努力はうんとしてた。
だから正直なところ、私は自分のほうが工藤忍よりずっと先にデビューできるだろう、って思ってた。
だけど、現実はそうじゃなかった。
デビューは、忍のほうが先だった。
他の何人もの――多分、忍よりずっと要領のいい何人もの研修生とともに、私は取り残された。
何で?
私のほうがずっと出来るのに。
努力だって、きっと、したのに。
そう思わなかったわけじゃない。
そう思わなかったわけじゃないけど――
私は、わかってしまった。
だから。
4:
◆cgcCmk1QIM 2018/11/07(水)01:08:10
ID:mk9
「私、もう、出来ないんだ」
首を振る。
そうだ、もう、できない。
「――遅くなったけど、フリルドスクエア。おめでとう。辞めても応援してるから」
そうだ、あれを見ちゃったら、もう応援するしかない。
「納得行かない!!」
だけど忍は噛み付いてくる。
「『 』は、力があるんだよ。努力すればきっともっと。アタシよりも輝いて――」
「だから、それができないんだって」
ため息と一緒に投げやりな言葉。
「私はもう、努力できないの」
「だから、なんで!!」
「忍と、綾瀬さんを見ちゃったから」
「え――」
工藤忍の激情が凍った。
5:
◆cgcCmk1QIM 2018/11/07(水)01:08:34
ID:mk9
「え、アタシ?」
「それと、綾瀬さんね」
そう、二人一組。
ちょっと笑って、私は白状することにした。
「綾瀬さんて凄いよね。キレイでさ。ダンス凄くて。なんていうか――そう。白鳥みたい」
「バレエで凄い賞も取った、って言ってたね」
なんだかそれが嬉しいことみたいに笑って、工藤忍は頷いた。
綾瀬穂乃香は、つい数ヶ月前にPさんがスカウトしてきた女の子だった。
その実力は文字通り私たちから頭1つ抜けた――
ううん、そんなもんじゃない。
私たちが地面を走ってるのに、一人だけ翼を持ってて空を飛べる。
そのぐらい、私たちとは差がある存在だった。
身体能力、ルックス、ダンス、経験、知識、努力――
数え上げればきりが無い。
レッスンスタジオに綾瀬穂乃香が立つ。
まるで体重がないみたいに、水面に立っているみたいに軽やかに、立つ。
それだけで私たちにはわかってしまった。
ああ、そこに本物がいる。
私たちより才能があって、私たちよりはるかに努力してきた本物が、今目の前に居るんだ――って。
6:
◆cgcCmk1QIM 2018/11/07(水)01:09:14
ID:mk9
「私はね、綾瀬さんには敵わない、って思ったの」
そう。
もし今から全力を傾けて努力したとしても、綾瀬さんには絶対敵わない。
私は、そう思った。
「そりゃ――そうだよ。綾瀬さんは凄いから」
「それからね、忍。私はその時、あんたにも敵わないなって気がついちゃったの」
「え、でも――」
工藤忍は戸惑ってる。
自分より貴方のほうが出来るのに、才能があるのになんで、って。
だから私は――恥を晒すことにした。
それだけがきっと、私が工藤忍にできる、手向けだった。
「あのね、忍。私ね――綾瀬さんに敵わないって感じたとき、悔しくなかったんだよ」
じっと、工藤忍の目を見て言う。
それは私の恥。
私の心を折ったものの片割れ。
7:
◆cgcCmk1QIM 2018/11/07(水)01:09:33
ID:mk9
「こんなに違う。敵わないのは当然だって――競おうという気にもならなかった。悔しい、とすら思えなかったんだ」
同じ道を競うはずの相手に、戦う前から負けを認めてしまった。
勝てなくて当然だ。
勝てなくていいって――思ってしまった。
だけど、工藤忍は違ってたんだ。
「綾瀬さんとレッスンするようになってさ。忍だけが、食いついていこうとしたじゃない。バカみたいにさ。基礎体力なんか全然違うのにさ」
「や、まあ、今思うと身の程知らずだったというか」
最初のうち、工藤忍は全く綾瀬さんについていけなかった。
ひょいと上がる脚を真似しようとしてひっくり返ったりして。
そのうち綾瀬さんにたしなめられて、アドバイスまでされたりして。
それが恥ずかしいのか工藤忍は頬を赤らめてごにょごにょ言ったけど――
「でも、ついていけなくて本気で悔しがったのも、忍だけだったんだよ」
8:
◆cgcCmk1QIM 2018/11/07(水)01:09:59
ID:mk9
自分が出来ない。
自分が、同じ道を競う誰かについてすらいけないことを、本気で悔しがった。
それが工藤忍。
それが、私を折ったもう半分。
「それを見てさ。私、思っちゃったんだ――ああ、わたしはこんな風に悔しがれない、って。自分の実力が及ばないことを、これほど苦しく思えないって。アイドルになる資格は、これなんだって」
工藤忍の中にあるアイドルへの情熱。
何があっても、越えていこうとする力。
どれほど目標との間に距離があろうと歩いていこうとする意志。
私には、それが足りなかった。
私は、多分工藤忍より要領がいい。
ルックスだって負けてない。
才能だって、無いわけじゃない。
だけど、私の中にあるこの道への思いは、工藤忍よりずっとひ弱だった。
アイドルの世界は、たくさんの才能がぶつかり合う場所だ。
宝石みたいな才能は、きっとたくさんある。
だから悔しがれないなんてダメだ。
無謀でもなんでも、越えていこうと足掻くことができなきゃダメだった。
そして、私にはそれが出来なかった。
それが、工藤忍が私より先にデビューした理由。
それがきっと、綾瀬穂乃香と工藤忍がユニットを組んだ理由だった。
9:
◆cgcCmk1QIM 2018/11/07(水)01:10:23
ID:mk9
「もう、無理なの?」
寂しそうに、忍が問うた。
「うん、無理なんだ」
笑って、私が答えた。
「ここで戦う資格があるのは、忍みたいな悔しがりかたが出来る子だけなんだよ。才能が違う、なんて物分り良く言っちゃう子には、ここに居る資格がないんだ――それが忍の才能なんだよ」
それが私に無い才能だったんだよ。
だから、去ると決めた。
忍の手を握って、笑う。
「頑張って、なんて言わない。忍は勝手に頑張るって知ってるから――さよなら。応援してる」
戦いの舞台から降りた私には、それ以上の事を言う資格がなかった。
「ずっとずっと、応援してるから! 工藤忍を見てるから!」
私になかった熱いあつい情熱が、ステージで輝いてるのを、画面の向こうで見ている。
それだけが出来ること。
ここで戦えないものが出来ることだった。
10:
◆cgcCmk1QIM 2018/11/07(水)01:10:44
ID:mk9
工藤忍が何か言おうとした。
私はその口が開く前に、駆け出した。
「『 』――!!」
工藤忍が、名を呼んだ。
それは、私がアイドルになったとき、名乗れるはずの名前だった。
今日、永遠に失われた名前だった。
私はこの世界に居る資格を失って、画面の向こうに行く。
無数にいる、名前の無い脱落者になる。
それが思ったより辛くない。
そのことが辛くて、私は一人で、ほんのちょっとだけ泣いた――。
(おしまい)
元スレ
http://wktk.open2ch.net/test/read.cgi/aimasu/1541520414/
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