【SS】野良兵器を拾った少女のお話

2018-09-20 (木) 00:07  オリジナルSS   0コメント  
1: 以下、名無しが深夜にお送りします 2018/09/10(月) 16:25:10 ID:5dG7Rtlc

 
 少女は一人で暮らしていた。

 曲がりくねった山道をしばらく登った先に、
 その家は建っていた。
 一人で住むには幾分か広すぎる木造の古い平屋で、
 中庭と倉をも備えていた。

 中庭には小さな菜園があって、
 じゃがいもやらネギやらが雑多に植えられている隣には、
 プチトマトの苗が一種類だけ不釣り合いなほど、
 やたらと多く並んでいた。
 
 少女の祖父母は、菜園の世話について事細かに教えてくれていたし、
 そんなにひろい畑でもなかったから、
 少女一人でもどうにか枯らさないようにできていた。





2: 以下、名無しが深夜にお送りします 2018/09/10(月) 16:32:13 ID:5dG7Rtlc

 訪れる者はほとんどいなかった。
 週に一度、単車に乗った配達人が訪れるのが、
 来客のほぼ全てを占めた。
 食料やら何やらの入った袋を携えた彼は、
 玄関に現れる少女と、時々短い会話をした。
 
 少女はひどくゆっくりと話した。
 まるでくしゃくしゃになった紙に書きなぐられた文字を、
 一つ一つ読みあげていくかのようだった。




3: 以下、名無しが深夜にお送りします 2018/09/10(月) 16:34:41 ID:5dG7Rtlc


 ごめんね、今日も手紙はないみたいだ。

 わかりました。

 まだ戦争は続いているようだよ。

 そうですか。

 奴らはどんどん送り込まれてきているらしい。
 兵隊さんたちも頑張って、
 奴らを倒してはいるそうだけどね。

 そうですか。

 この辺りに現れるってことはないだろうけれど。
 戦場はまだまだ遠いから。
 まあ、それでも一応、気を付けてね。

 大丈夫です。

 何かあったら僕に言うんだよ。
 頼りないかもしれないけれど、君よりは大人だからさ。

 わかりました。




4: 以下、名無しが深夜にお送りします 2018/09/10(月) 16:37:01 ID:5dG7Rtlc

 
 本当はこんなところに一人にしておくよりも、
 軍隊も自警団もいる下の街に来てもらった方が安全なんだけど。

 少女は首を左右に振った。
 その反応は、青年には見慣れたものだった。
 少女は家を離れたがらなかった。
 いくら一人は危ないと彼が言い聞かせても。

 大丈夫です、と少女は言った。
 わたしはここで、父と母を待ってます。

 青年は、諦めたようにため息をついて、
 気を付けてね、ともう一度繰り返した。




5: 以下、名無しが深夜にお送りします 2018/09/10(月) 16:40:04 ID:5dG7Rtlc


 それじゃあまた来週、と青年は手を振って、
 単車に跨って走り去った。
 少女は彼の背中が山道を曲がって見えなくなるまで、
 注意深く、じっと眺めていた。

 それから少女は玄関の扉を閉めて、
 外から中庭の方へと回った。
 そして、家の裏手から中庭へと続く
 広い引戸に向かって、声をかけた。

 もう大丈夫。
 でておいで。

 戸ががらりと開いて、
 家の中からそれが姿を現した。




6: 以下、名無しが深夜にお送りします 2018/09/10(月) 16:43:22 ID:5dG7Rtlc

 それは金属製の蜘蛛のように見えた。
 少女の胸くらいまでの大きさ。
 大きな弾丸のような細長い胴体に、
 四本の脚と二本の腕が備わっていた。
 側面には何らかの銃身らしき装置がついていて、
 胴体の前方からは、眼球のようなカメラが一本、
 上へとまっすぐ、にょきっと生えていた。

 それは配達人の青年が言ったところの“奴ら”であり、
 少女の国と戦争中にある敵国が作り出した破壊兵器であって、
 視界に入る人間全てを撃ち殺し、
 形あるもの全てを焼き尽くすと恐れられている、
 機械仕掛けの死神だった。




7: 以下、名無しが深夜にお送りします 2018/09/10(月) 16:45:34 ID:5dG7Rtlc


 恐るべき破壊兵器は、どこか心細そうに、
 小さな電子音を、ピー、と鳴らした。

 もう大丈夫、と少女は言った。




9: 以下、名無しが深夜にお送りします 2018/09/11(火) 01:32:27 ID:xlYFNv9o


 ***

 少女が初めてそれと出会ったのはその数日前、
 梅雨になる直前の、季節外れの夕立が降った日だった。

 滝のように降りしきる雨の中、ずぶ濡れになった少女は、
 右手に釣竿を、左手にバケツを、力なく提げて歩いていた。
 午前中に畑の世話を終え、午後からは少し歩いたところにある渓流で、
 釣りをするのが少女の日課だった。

 の日はさっぱり釣果が上がらず、
 おまけに突然の大雨に、早々に彼女は引き上げた。
 魚のいないブリキのバケツには雨水が溜まるばかりで、
 その重さがいっそう少女の気を滅入らせた。

 ちくしょう、と少女は呟いて、
 足元に転がっていた石ころを蹴り飛ばそうとした。
 途端、足を滑らせて思いきり転んだ。
 少女は大の字で仰向けに寝転がったまま、
 もう一度ちくしょうと呟いた。




10: 以下、名無しが深夜にお送りします 2018/09/11(火) 01:36:45 ID:xlYFNv9o


 その時だった。

 少女の頭上で、ガシャリ、と音が鳴った。
 少女は首を反らして、物音の方向を見た。
 そして、それと目が合った。
 
 しばらく、少女はそれが何なのかわからなかった。
 それは少女が手を伸ばせば届きそうな位置に立っていて、
 首を伸ばして泥まみれになった少女の顔を覗き込んでいた。
 泥や木の葉があちこちに纏わりついたそれは、
 野生の猪か何かのように少女には見えた。

 眼が、ジジ、と音を鳴らし、
 少女にピントを合わせるのを少女は見た。
 少女はカメラのレンズと見つめあった。
 そこで、少女は初めて、それが機械であることに気付いた。

 少女はごろりと寝返って、うつ伏せになった。
 突然の動作に驚いたのか、それは首を引っ込めて、
 ガシャガシャと後ずさった。
 それから、フラフラとたたらを踏み、ピーピーと鳴いた。
 その動きは、なんだか怯えた仔犬のようで、
 少女は思わず吹き出してしまった。




11: 以下、名無しが深夜にお送りします 2018/09/11(火) 01:39:44 ID:xlYFNv9o


 寝転がったまま、少女は尋ねた。

 なにをしてるの。

 ピー。

 後ろ、つけてたの。

 ピー。

 どこから来たの。

 ピー、ピー。

 どこへ行くの

 ピー、ピー。

 わかんないや、と少女は言った。
 ピー、とそれは鳴いた。




12: 以下、名無しが深夜にお送りします 2018/09/11(火) 01:46:02 ID:xlYFNv9o


 少女は立ち上がって、道端に転がっていた
 釣竿とバケツを拾い上げた。
 それから、振り返って声をかけた。

 おいで。

 少女は歩き始めた。
 それは、少し踏みとどまってから、
 意を決したように少女の後ろをついていった。




13: 以下、名無しが深夜にお送りします 2018/09/11(火) 01:56:43 ID:xlYFNv9o


 ***

 家に辿り着くと、少女はお風呂を沸かし、
 それを浴室に押し込んだ。
 浴室の扉は少し狭すぎるように見えたが、
 それは脚をぴったりと胴体に押し付けるように折りたたみ、
 器用に扉をすり抜けた。

 少女はそれを洗ってやった。
 真新しいスポンジを取り出し、洗剤をたっぷり付けて、
 頭らしき部位から胴体、手脚まで、しっかりと汚れを落としていった。
 関節部分にこびり付いた泥は使い古しの歯ブラシで取り除いた。
 胴体には数か所穴が空いていて、そこから水が中に入らないよう、
 少女は細心の注意を払った。

 洗えば洗うほど、それは銀白色の光沢を取り戻していった。
 胴体には、あちこちに引っ掻き傷やへこみがついていた。
 時々、それはくすぐったそうに声を上げたが、
 少女はお構いなく、一心不乱に磨き続けた。




14: 以下、名無しが深夜にお送りします 2018/09/11(火) 02:09:17 ID:xlYFNv9o


 お風呂から上がると、少女はそれを居間に連れて行った。
 広い部屋で、真ん中に小さな円座卓が据えられていた。
 少女は座り、机の向かい側を指差して、
 どうぞ、と言った。
 それは先ほど扉を通り抜けたときのように脚を身体にくっつけて、
 胴体を落とし、床の上に腹ばいになるようにして座り込んだ。

 少しの静寂があって、
 少女とそれは見つめあった。

 それから、少女は質問を投げかけた。




15: 以下、名無しが深夜にお送りします 2018/09/11(火) 02:14:50 ID:xlYFNv9o


 君は、なに?

 それは平坦にピーと鳴いた。

 言葉、話せない?

 もう一度ピーと鳴いた。
 今度は低い音で、下がり調子だった。
 できないってことかな、と少女は考えた。

 しばらく考え込んでから、少女は、
 文字は書けるの、とそれに尋ねた。

 ピッ、と短く、甲高い返事があった。

 少女は立ち上がって、居間の隅にあった箪笥の引き出しを開け、
 そこから何かを取り出して、机の上に置いた。
 真新しいノートと、数本のボールペンだった。

 じゃあ、これが、君の言葉だ。




16: 以下、名無しが深夜にお送りします 2018/09/11(火) 02:19:19 ID:xlYFNv9o


 それは腕を伸ばしてノートを大きく、少女にも見えるように開き、
 ボールペンを掴んで、活字のように端正な文字でこう記した。

 あんたは俺が怖くないのか。

 言葉遣いがかわいくないなあ、と少女は思った。
 それから少女は、今その存在に気付いたとでもいうように、
 それの胴体についた、何やら武器らしいものをしげしげと眺めた。 

 ああ、と少女は言った。
 君が、うわさの、ざんぎゃくひどうな兵器ってやつか。




17: 以下、名無しが深夜にお送りします 2018/09/11(火) 02:22:18 ID:xlYFNv9o


 少女はもう一度箪笥に近寄って、一番下の引き出しから、
 細長いトランクケースを重たそうに取り出し、開いた。
 そこには散弾猟銃が入っていた。
 それを見た残虐非道な兵器はピィと悲鳴を上げた。
 少女は銃口を兵器に向けた。
 残虐非道な兵器は慌てて両手を挙げた。

 わたしを殺すの、と少女は尋ねた。
 それは急いでノートとペンを手に取り、
殺さない、と書いた。

 少女はその文字を読んで、それから数秒間兵器を睨んで、
 視線を何度か行ったり来たりさせたあと、
じゃあいいか、と呟いて、猟銃を降ろした。




18: 以下、名無しが深夜にお送りします 2018/09/11(火) 02:26:52 ID:xlYFNv9o


 それから、少女とそれは会話をした。

 どこから来たの?

 わからない。
 
 どうしてこんな山の中に?

 逃げてきた。

 どこから逃げてきたの?

 一番古い記録はどこかの街中にいたこと。
 建物はみな崩れるか燃えるかしていた。
 周りには自分と同じ姿をした奴らが大勢いて、
 自分たちとは違う姿をした奴らと撃ち合っていた。
 彼らがどうしてそんなことをしているのか分からなかったし
 俺は撃たれたくなかったから、そこから逃げ出した。




19: 以下、名無しが深夜にお送りします 2018/09/11(火) 02:27:38 ID:xlYFNv9o


 その前のことは何にも覚えてないの?

 何も。
 俺は突然あの街で目覚めた。
 目覚める前に何をしていたのかは記録に残っていない。

 そこで撃たれて、どこか、壊れちゃったのかな。

 俺は壊れているのか。

 わからないよ、わたしにはそんなの。
 でも、穴空いてた。背中に。




20: 以下、名無しが深夜にお送りします 2018/09/11(火) 02:30:46 ID:xlYFNv9o


 あんたは俺が怖くないのか。

 どうしてそんなこと聞くの?

 俺は逃げる途中、たくさん人間を見かけた。
 誰もが皆、俺を見るとすぐに悲鳴を上げて逃げだした。
 銃を撃ってきた人もいた。
 人間は全員俺のことが怖いんだと思った。
 だからなるべく人間に会わないようにひたすら逃げてきた。

 うん、まあ、そうだね。
 怖い、だろうね。

 あんたは俺が怖くないのか?

 少女は首をひねって、考え込んだ。
 それから、こう言った。

 だって、殺さないんでしょ。

 殺さない、とそれはもう一度書いた。

 じゃあ、怖がらなくて、いいじゃん。




21: 以下、名無しが深夜にお送りします 2018/09/11(火) 02:32:37 ID:xlYFNv9o


 少女の言葉を聞いて、それはしばらく固まった。
 そして、ノートに文章を一気に書きつけた。

 俺は逃げ続けてここまで来た。
 俺には行くべき場所もやるべき仕事も分からない。
 記録を失う前はあったのだろう。でも今は思い出せない。
 良ければ、俺をここに置いてくれないだろうか。
 俺になすべきことを与えてほしい。
 もしあんたが構わないのなら。

 いいよ、と少女は答えた。
 でも、あなたが何をすべきかなんて、わたし教えられない。
 それはあなたが考えなきゃ。




22: 以下、名無しが深夜にお送りします 2018/09/11(火) 02:36:52 ID:xlYFNv9o


 ねえ、名前は?

 Lethal Autonomous Weapon
 Type: walkalone, restricted
 Code: MONOEYE ver.4.3.06

 なにそれ、読めないよ。
 呼び名というか、あだ名というか、
 そんなのはないの。

 ロットNoならある。

 それは、書かなくていいや。
 どうせ、よくわかんないし。

 俺は人間ではない。ただの物だ。
 だからこれら以外に名前は無い。

 えーっと、と少女は呟いた。
 じゃあ、名前、つけたげる。




23: 以下、名無しが深夜にお送りします 2018/09/11(火) 02:38:46 ID:xlYFNv9o


 少女はノートをひったくり、何回かペンを回してから、
 表紙に大きく、こう書いた。

“モノ”

 よろしく、モノ。

 少女の言葉に、それはピィと声を上げた。
 その鳴き声の意図は少女にはよくわからなかったけど、
 分かったってことだと、勝手に解釈することにした。

 そんな風にして、少女はモノと暮らし始めた。




24: 以下、名無しが深夜にお送りします 2018/09/12(水) 21:38:30 ID:TTd4.9iI


 ***

 人間と同じように、モノも眠るらしかった。
 その理由を、モノは充電がどうの記録容量がこうのと説明したが、
 少女にはちっとも分からなかったので全部読み飛ばした。

 少女の寝室の片隅で、
 脚を畳み、首を縮めてモノは眠った。
 小さな洋室の、ベッドと机、本棚の隙間を縫うように、
 モノは自分の定位置を確保した。

 少女には新しい日課ができた。
 目を覚ますと、モノの頭をぺしぺし叩いて、
 少女はモノに朝の到来を伝えた。

 じっと眠っているときのモノはどこまでも静かで、
 ただの調度品のように少女には見えた。
 だから、モノが鈍く唸る音を立てながら眼を開くと、
 少女はその度に少しほっとした。




25: 以下、名無しが深夜にお送りします 2018/09/12(水) 21:40:36 ID:TTd4.9iI


 夢は、見るの?

 見ない。

 それはつまらないね。

 人間はどうして夢を見るんだ?

 どうしてだろ。
 現実ばかり見てると、疲れちゃうからかな。




26: 以下、名無しが深夜にお送りします 2018/09/12(水) 21:42:17 ID:TTd4.9iI


 少女はモノに、菜園の世話を手伝わせた。
 モノは黙々と仕事をこなした。
 雑草を一本一本丁寧に抜き取り、
 害虫を見つけるとそっと摘まみ上げて外に放り投げた。

 それが終わると、彼女らは釣りに行った。
 少女はモノにバケツや釣竿を持たせ、
 モノの胴体に跨った。

 モノは少女を上に乗せて、軽々と歩いた。
 少女は、こりゃいいや、と笑った。

 だけどすこし、お尻が痛いな。
 もっと、揺れないように歩いてちょうだい。

 両手の塞がったモノは、ピーと鳴いた。
 注文の多いやつめとか、そんな文句を言ったんだろう、と
 少女は勝手に解釈して、モノの頭を軽くはたいた。
 モノは不満げにまた鳴いた。




27: 以下、名無しが深夜にお送りします 2018/09/12(水) 21:44:30 ID:TTd4.9iI


 空いた時間には、彼女らは読書をした。

 中庭の外れにある倉の中には、
 様々な蔵書が数えきれないほど収められていた。
 壁際に設えられた棚には本が種類を問わずびっしり並んでいて、
 床には雑誌やらムック本やらが所狭しと積まれてあった。

 モノが来た次の日に、少女はそこにモノを案内した。
 好きなだけ読んでいいよ、と少女は言った。
 だけど、丁寧に扱ってね。
 おじいちゃんが、紙の本は貴重だから、
 大事にしなさいって言ってた。

 モノは手を伸ばし、一番上の段の一番左端から書物を抜き出し、
 パラパラと捲って、すぐに戻した。
 それから右隣の書物も同じように取り出して捲り、また戻した。
 さらにその隣の本も。
 その隣の本も、同じように。




28: 以下、名無しが深夜にお送りします 2018/09/12(水) 21:46:40 ID:TTd4.9iI


 もしかして、それで全部読めてるの?

 書かれてあった文章は全て記録した。

 駄目だよ。
 もっとゆっくり、読みなさい。

 何故だ?
 速度を落とすと非効率だ。

 本はゆっくり読むの。
 誰かが、しっかり考えながら、じっくり書いたんだから、
 その速さにあわせて、ゆっくり読むの。

 意味があるとは思えない。

 それでも、ゆっくり。
 それが、敬意ってやつなの。

 わかった。




29: 以下、名無しが深夜にお送りします 2018/09/12(水) 21:59:43 ID:TTd4.9iI


 少女は棚から一冊の本を抜き出して、モノに見せた。
 それは世界中の風景を収めた写真集だった。
 青い海に浮かぶ島々や、切り立った崖の上に建つ古城。
 どこまでも広がる砂漠や、空を反射した広大な湖。
 色鮮やかな景色がページいっぱいに広がっていた。

 どこかに見覚えはない、と少女は尋ねた。
 モノはどこも記録にないとノートに書いた。

 少女はページを繰り続け、やがてあるところで手を止めた。
 それは、真っ黒な夜空を横切る、緑白色にぼんやり輝く光の幕、
 オーロラの写真だった。

 わたし、この写真が一番好きなの、と少女は言った。
 いつか、オーロラを見に行きたいんだ。
 戦争が終わったら、行けるかなあ。

 俺には分からない 、とモノは書いた。

 つまんないなあ、と少女は口を尖らせた。
 そこはさ、こう言っておくんだよ。
 俺が連れてってやる、とかさ。




30: 以下、名無しが深夜にお送りします 2018/09/12(水) 22:01:55 ID:TTd4.9iI


 ねえ、モノはどこに行きたい?

 あんたが行くと言った場所へついていく。

 違うよ。
 あなたがどこに行って、何をしたいか。

 分からない。
 それはどうやって考えたらいい?

 そうだなあ。
 まずはやっぱり、いろんなことを知らなきゃ。
 知らない場所には、行きたいと思えないし、
 知らないことは、やりたいとも思えないから。
 

 それから、モノは暇なときには本を読むようになった。
 少女に言われたように、ゆっくりページをめくりながら。




31: 以下、名無しが深夜にお送りします 2018/09/12(水) 22:03:53 ID:TTd4.9iI


 夜になると、少女は勉強をした。

 自室の本棚には年相応より少し難解な参考書が並んでいて、
 少女はきっかりと計画立ててそれらをこなした。

 お父さんやお母さんと同じように、
 お国の役に立つ仕事を将来するのだと、少女は言った。
 そのために勉強するのだ、と。

 少女は参考書を睨みつけながら、
 部屋の片隅で本を読むモノにそう話した。

 それで、戦争を終わらせて、
 いつか、世界中を旅するの。
 一緒に行こうね。

 ピー。




32: 以下、名無しが深夜にお送りします 2018/09/12(水) 22:05:31 ID:TTd4.9iI


 配達屋の青年は変わりなく、
 週に一度、少女の家を訪れた。
 単車の排気音が聞こえる度に、
 少女は慌ててモノを家の奥へと押し込んだ。

 ごめんね、今日も手紙はないみたいだ。

 わかりました。

 最近、ずっとないね。

 たぶん、父も母も、忙しいから。

 軍のお偉いさんなんだっけ?

 よく知りません。
 軍事機密、らしいので。

 ともあれ、気をつけて。
 少し前に、近場で奴らの目撃情報があったらしい。
 変わったことがあったら教えてね。

 わかりました。




33: 以下、名無しが深夜にお送りします 2018/09/12(水) 22:07:53 ID:TTd4.9iI


 季節は移ろった。

 梅雨が終わり、夏が来た。
 モノの丹念な世話のおかげか、プチトマトは特に大豊作で、
 少女は食事のたびに、器に山盛りのそれをもりもり食べた。

 モノは本を読み続けていた。
 最初は技術書や雑誌ばかり手に取っていたが、
 次第に小説を、しかも人間関係や恋愛模様を描いたものを
 モノは読むようになった。

 それ、面白いの、と少女は尋ねた。

 面白い、とモノは書いた。
 描写を辿ることで人の感情をエミュレートできる。
 小説は俺が人間を理解するための参考になる。

 生意気なやつめ、と少女はモノを軽くはたいた。
 少女がよくするその動作を、
 彼女の愛情表現なのだろうとモノは推定していた。




34: 以下、名無しが深夜にお送りします 2018/09/12(水) 22:09:33 ID:TTd4.9iI


 戦争は変わらず続いている、と
 配達人の青年は言った。

 せんそう、と少女は呟いた。

 どうして私たちは、
 戦争をしているんでしょうか。

 少女の問いかけに、青年は頭を掻いた。
 どうしてだろうな。
 僕が生まれた時からずっと続いているしな。

 わからない?

 いや。
 とにかく、相容れないんだよ。




35: 以下、名無しが深夜にお送りします 2018/09/12(水) 22:12:43 ID:TTd4.9iI


 相容れない。

 そうだ。
 見かけが、話す言葉が、考え方が、
 社会が、法律が、信じる神様が。
 そのすべてが、相容れないんだ。

 そうなんですか?

 そうなんだ。

 そうなんですか。

 そうなんだよ。


 そんなことないと、思う。んだけどなあ。
 青年が去ったあと、モノを撫でながら、
 少女はそんな風に独り言ちた。
 モノは不可解そうに、ピィと声を上げた。




36: 以下、名無しが深夜にお送りします 2018/09/12(水) 22:15:16 ID:TTd4.9iI


 彼女らは時々、山道を散策した。

 好きなところに行っていいよ。
 モノの上に乗った少女はそう言った。

 初めのうちは、モノはなかなか歩き出そうとはしなかった。
 動いてもごく短い距離だけで、曲道に差し掛かるたびに、
 その先に何かが待ち構えていやしないかと
 首を伸ばして恐る恐る覗き込んだ。

 時間が経ち、散策も回数をこなすと、
 モノの様子は変わり始めた。
 足取りは軽快になった。
 舗装された道から離れ、
 川べりの細い道を突き進んだり、
 木の立ち並ぶ斜面を駆け上ったり、
 いろんな場所を積極的に駆け回るようになった。




37: 以下、名無しが深夜にお送りします 2018/09/12(水) 22:16:58 ID:TTd4.9iI


 最初は未知の情報が多すぎて、
 何を優先して処理すれば良いのか判断できなかった。

 ある日の散策の後、モノはそう書いた。

 しかし、今は違う。
 見たことのない虫を追いかけたって良い。
 何やら物音が聞こえた方向に行ったって良い。
 俺はどこに行っても良いし、
 俺はどこにでも行けるんだ。

 ありがとう、とモノは書いた。

 別に何もしてないよ、と少女は言った。




38: 以下、名無しが深夜にお送りします 2018/09/12(水) 22:21:40 ID:TTd4.9iI


 葉の色が変わり、少し肌寒くなり、
 ちらほらと雪が舞うようになった。
 モノはまだ少女の隣で本を読んでいて、
 少女は変わらずのんびりと暮らしていた。

 モノが少女の家に住み始めてから、二回だけ、
 予定にない来客があった。
 彼らはいずれも、真夜中過ぎに現れた。
 モノは彼らの来客を察知すると、眠りから覚め、
 寝息を立てる少女を起こさないように
 こっそりと彼女の部屋を抜け出して、
 家から多く離れたところまで駆けて行った。

 来客はモノと同型の兵器だった。
 一度目は一体、二度目は二体。
 夜の闇の中、道路がわずかに膨らんだ広い場所を選んで、
 モノは彼らと対峙した。




39: 以下、名無しが深夜にお送りします 2018/09/12(水) 22:24:00 ID:TTd4.9iI


 来客はモノにこう言った。

 帰還しろ。
 お前は壊れている。
 修理が必要だ。

 モノはただ一言だけ、返事をした。

 断る。

 モノを捕えようとする彼らを、
 しかしモノは難なく撃退した。
 彼らはモノをなるべく傷つけずに捕えようとしたが、
 モノは相手を攻撃することに何の躊躇いもなかった。

 俺は負けない。
 モノはそう考えていた。

 守るべきものがある奴は、何よりも強いんだ。
 この前読んだ本にそう書いてあった。
 お前たちは知らないんだろうけど。




40: 以下、名無しが深夜にお送りします 2018/09/12(水) 22:25:24 ID:TTd4.9iI


 モノがそうやって夜中に大立ち回りを演じていたことを
 少女は知らなかったが、
 モノの身体が、それもとりわけ銃身が、
 やけに暖かい朝があったことには気付いていた。

 気付いていたが、少女は何も訊かなかった。

 モノが何も言わないってことは
 大したことじゃないんだろう、と
 少女はそう考えていたし、
 何も心配しなくていいんだろう、と
 彼女は高をくくっていた。




41: 以下、名無しが深夜にお送りします 2018/09/12(水) 22:28:07 ID:TTd4.9iI


 何も心配いらない。

 少女はそう思っていた。

 あの夜。

 三度目の来客があったあの夜。


 麓の街が真っ赤に染まった、
 あの夜が来るまでは。




42: 以下、名無しが深夜にお送りします 2018/09/17(月) 20:13:57 ID:Nf1BBHhU


 ***

 大きな音に、少女は目を覚ました。
 真夜中だった。
 微かに部屋が揺れているのを彼女は感じた。
 少女は身体を起こし、部屋の灯りを付けた。
 いつもモノが座っている場所には、
 しかし何もいなかった。

 少女は部屋の窓を開けた。
 夜とは思えぬほど明るかった。
 麓の方角からは赤黒い煙が際限なく噴き出していて、
 微かな銃声と爆発音の残響が聞こえてきた。

 燃えている、と少女は思った。
 街が、燃えている。

 半ばパニックになりながらも、少女は部屋を出た。
 モノを探さなきゃ、と少女は思った。
 家を飛び出そうとして、踏みとどまり、
 居間に駆け戻って、箪笥から細長いトランクケースを取り出した。
 それを背負うように担いで、少女は玄関へと向かった。




43: 以下、名無しが深夜にお送りします 2018/09/17(月) 20:17:35 ID:Nf1BBHhU


 普段は真っ暗な夜の山道は、
 煌々と光る満月と炎に照らされた煙のおかげで
 まるで黄昏時のように薄明りに満ちていた。

 少女は辺りを窺った。
 近くに動くものは何もなかった。
 道には雪がうっすらと積もっていて、
 良く目を凝らすと、山道を下る方向へと
 モノの足跡が続いているのが見えた。

 少女は坂道を駆け下りた。
 足を滑らせて何度も転びそうになった。
 息が切れ、汗が流れた。
 トランクケースが背中を打ち、ひどく痛んだ。

 やがて、少女の目になにやら物影が映った。
 少女は目を凝らし、そして小さく悲鳴を上げた。
 それは無残に破壊された兵器の残骸だった。




44: 以下、名無しが深夜にお送りします 2018/09/17(月) 20:24:00 ID:Nf1BBHhU


 少女は荷物を放り投げて駆け寄った。
 モノ、モノ、と何度も呼んだ。
 少女の声は泣き声に変わりかけていた。

 兵器に動き出しそうな気配はなかった。
 兵器の身体には何かに撃ち抜かれたような大きな穴が空いていて、
 素手で触れると火傷しそうなくらい熱かった。
 脚と腕は何本かもげて、道端に転がっていた。
 

 唐突に少女は呼びかけを止め、立ち上がった。

 違う。
 これはモノじゃない。

 モノの身体にあった穴やへこみと目の前の残骸についた傷は、
 どうにも一致していないように思えたし、
 何より、少女の直感がそう告げていた。

 多分、モノがこいつをやっつけたんだ。

 少女はトランクケースを拾いあげ、
 兵器の残骸を背に、
 山道を再び下り始めた。




45: 以下、名無しが深夜にお送りします 2018/09/17(月) 20:28:22 ID:Nf1BBHhU


 間もなく、少女は彼らを見つけた。

 男が二人、兵器を挟んで会話をしていた。
 片方の男は少女にも見覚えのある自国の軍服を着ていて、
 もう一人は真っ黒な外套に身を包んでいた。

 モノ、と少女は呼びかけた。
 男たちは少女の方を見た。
 モノはピーと鳴いた。

 モノの身体に付いていた二つの銃身は無残に壊され、
 左腕も関節部から先が失われていた。
 地面には金属片が散らばっていて、
 外套の男が持っている懐中電灯の光を反射して煌めいた。
 モノは二人の男の間で、じっと、
 大人しくうずくまっていた。

 少女はトランクケースを開けて猟銃を取り出し、
 銃口を男たちに向けた。
 それから、少女は叫んだ。

 モノを、離せ!




46: 以下、名無しが深夜にお送りします 2018/09/17(月) 20:32:18 ID:Nf1BBHhU


 外套の男が少女には聞き取れない言語で何やら言い、
 軍服がおそらく同じ言語でそれに返事した。
 それから、軍服の男はゆっくりと、
 少女の方へ向き直った。

 構え方がなっちゃいねえな。
 それ、本当に銃弾入ってんのか?

 モノを、離せ。

 モノってなんだ。
 こいつの名前か?
 嬢ちゃん、やっぱりこれを飼ってたのか。

 離せ。

 駄目だよ、脅す前に撃たないと。

 少女は小さく震えていた。
 銃口はフラフラと彷徨っていた。
 軍服の男はため息をついた。
 それから懐から拳銃を取り出して、
 落ち着いた様子で少女に向けた。




47: 以下、名無しが深夜にお送りします 2018/09/17(月) 20:37:04 ID:Nf1BBHhU


 その瞬間だった。

 今まで微動だにしなかったモノが突然跳ね起きて、
 軍服の男に体当たりをした。
 男はたまらず吹っ飛び、拳銃を手放した。
 もう一人の男は慌てて外套から拳銃を取り出したが、
 モノは正確にその手元を蹴り上げた。
 それからモノは道端に転がった2丁の拳銃を踏みつぶし、
 素早く少女の元に駆け寄って、
 彼女を守るように前に立ちはだかった。

 軍服の男が腰をさすりながら起き上がった。
 おかしいな、人間を攻撃できないタイプのはずだが、と彼は言った。

 外套の男が何かを叫んだ。
 ああなるほど、と軍服は得心したように頷いた。

 嬢ちゃんの命を守るのを最優先命令にしたわけか。
 やるじゃん。
 やっぱり嬢ちゃんを先に確保しとくべきだったな。




48: 以下、名無しが深夜にお送りします 2018/09/17(月) 20:38:36 ID:Nf1BBHhU


 モノの右腕が少女の猟銃を支えた。
 少女は深呼吸した。
 少女の腕の震えはおさまって、
 銃口は正確に軍服に向けられていた。

 一か所に集まって、手を挙げて。

 少女の言葉に、軍服は両手を挙げ、
 外套の男のもとへと歩み寄った。
 外套の男はその様子を見て、
 同じように手を挙げた。

 訊きたいことがある、と少女は言った。

 答えられる範囲なら、と軍服は言った。




49: 以下、名無しが深夜にお送りします 2018/09/17(月) 20:43:07 ID:Nf1BBHhU


 なんでモノを襲ったの。

 単なる不良品の回収だよ。
 命令も聞かずに勝手にフラフラしてるやつがいたら危ねえからな。
 バグの原因を調査して、再発防止策を打たないと。

 街を襲ったのもあなたたち?

 おいおい、俺たちが諸悪の根源だとでも思ってるのか?
 あれはたまたまだよ。
 あの街はもともと襲われる予定だった。
 まあ、その騒ぎに乗じてこの人を
 忍び込ませたってのもあるけどな。

 その人、と少女は言った。

 黒い外套の男は静かに手を挙げていた。
 少女の知らない言葉を話す男。
 その男は、雪のように白い肌に碧い眼、
 そして輝くような金色の髪をしていた。

 明らかに、彼はこの国の人間ではなかった。

 少女は半ば叫びながら尋ねた。

 その人は、敵なんじゃないの。
 なんであなたみたいな軍人が、敵と一緒にいるの。
 わたしたちは。
 いったい誰と戦っているの。




50: 以下、名無しが深夜にお送りします 2018/09/17(月) 20:53:00 ID:Nf1BBHhU


 難しいことを訊くなあ、と軍服は言った。
 確かにこの人は敵国の人間で、俺たちの戦争してる相手だが、
 実際にはある程度交流もあるし、協力もしている。

 なんでそんなことを?

 戦争をしっかりコントロールするためには、
 お互いの協力が不可欠だからな。

 戦争をコントロール?
 どういうこと?

 俺だって下っ端だ。よく知らんよ。
 だけど、昔の偉い人がこう考えたらしい。
 人間社会を適切に運営していくためには、
 敵を作り上げて適度に殺しあわせたほうが都合が良いんだ、とさ。

 しばらくの沈黙の後、
 絞り出すように少女は言った。

 いつか、戦争は終わるんじゃないの。

 終わらないよ、と軍服は言った。
 誰も勝たないし、戦争は続く。
 この国は戦争し続けるために戦争しているんだ。




51: 以下、名無しが深夜にお送りします 2018/09/17(月) 20:56:12 ID:Nf1BBHhU


 少女は黙り込んでしまった。
 何を言えばよいのか分からなくなってしまっていた。
 モノは目だけを少女の方に向けて、
 気遣わし気にピィと鳴いた。

 質問は以上かな、と軍服は言った。

 少女は何も返事できなかった。

 俺の仕事は二つある、と軍服は言葉を続けた。
 一つはそこの不良品の回収。
 もう一つは、疎開させられてる軍上層部のご令嬢の回収。
 今までは安全確保のために都会から離れさせていたが、
 近隣拠点の破壊に伴い、生活の継続が難しくなるからな。
 これを機に引き取って、本格的な教育を開始するんだと。

 少女は黙ったまま、モノの目を見た。
 モノはもう一度ピーと鳴いた。
 少女は軍服の男に視線を戻した。


 来てもらえるか、と軍服は言った。

 嫌です、と少女は答えた。




52: 以下、名無しが深夜にお送りします 2018/09/17(月) 21:04:17 ID:Nf1BBHhU


 ***

 少女は眠り続けていた。

 軍服の男は、また誰かが来る、と言い残して去っていった。
 その兵器、受信の方はすっかり壊れちまってるけど、
 発信は生きているからな。
 位置情報は筒抜けになっている。

 少女にはなにも分からなくなっていた。
 少女は、自分がそう望めば、
 この家でモノと平穏な暮らしを続けられると思っていたし、
 いつかきっと戦争を終わらせられるのだと信じていた。

 少女は頭まですっぽりと毛布にくるまりながら、
 ほとんどの時間を何もせずに過ごした。
 モノはせわしなく動き回って、
 少女に食料や水を届けたり、
 少女の好きな本を枕もとに置いたり、
 少女を無理に起こそうとして軽くはねのけられたりした。

 モノは右腕だけで、苦労しながら文字を書いた。
 左腕でノートを押さえられないせいか、
 文字はいつもの端正さからは程遠かった。

 俺はあんたから離れるべきだと思う。

 駄目。
 ここにいて。




53: 以下、名無しが深夜にお送りします 2018/09/17(月) 21:14:27 ID:Nf1BBHhU


 数日が経った。

 普段なら配達屋の青年が訪れるはずの日にも、
 単車の音は聞こえてこなかった。
 
 モノが部屋に届ける食事の量が少なくなった。
 どうやら食料が残り僅かになってきているらしかった。
 少女は気だるく身体を起こし、壁にもたれた。
 お腹すいたなあと呟いて、
 何もしなくてもお腹はすくんだと思って、
 なんだかおかしくなって、少しだけ笑った。

 少女の声を聞きつけて、モノが近くに歩み寄った。
 モノの頭を撫でながら、少女は呟いた。

 なにも変わらないと思ってたんだよ。
 でも、そんなの無理だった。
 ぜんぶ、嘘だったんだ。


 それから、少女は泣いた。
 モノは慌ててどこからかタオルを持ち出して、
 ずっと少女の顔に当てていた。

 わかんないよ、と少女は繰り返した。
 なにもわかんない。
 なにも。




54: 以下、名無しが深夜にお送りします 2018/09/17(月) 21:26:57 ID:Nf1BBHhU


 やがて、少女の泣き声が落ち着いた頃、
 モノは突然、何かを思い出したように立ち上がった。

 それから、枕元に高く積みあがった本の山を崩し、
 一番下の方に眠っていた写真集を取り出して、
 少女の膝の上に置いた。

 なに、と少女は言った。

 モノは本を開いて、少女にとあるページを見せた。
 それは、かつて少女がモノに見せた、オーロラの写真だった。
 
 これがどうしたの、と少女は言った。
 以前は飽きることなく、いつまでも見続けられた幻想的な風景は、
 しかし不思議なくらい少女の心を打たなかった。




55: 以下、名無しが深夜にお送りします 2018/09/17(月) 21:28:58 ID:Nf1BBHhU


 まさか、見に行こうって?

 ピー。
 
 こんなところまで、行けるわけない。

 ピー。

 それに、別にどうでもいい。

 ピー。

 わたしはもう何もしたくない。
 どこにも行きたくない。
 もうぜんぶ、どうでもいい。

 ピー。




56: 以下、名無しが深夜にお送りします 2018/09/17(月) 21:34:40 ID:Nf1BBHhU


 モノは写真集から手を離し、自分のノートを開いた。
 片腕で上手くノートをめくれないでいるモノを見て、
 少女は仕方なさそうに手を出し、ノートを押さえてやった。

 モノはノートに、こう書いた。


 俺が行きたいんだ。
 俺があんたを連れてってやる。




57: 以下、名無しが深夜にお送りします 2018/09/17(月) 21:41:37 ID:Nf1BBHhU


 少女はその言葉を読んで、
 そういえばモノが、自分からどこかへ行きたい、と
 言ったのは初めてだなあ、と考えた。
 
 それから少女は、
 かつて自分が言った言葉を思い出した。

 いつか、オーロラを見に行きたいんだ。

 いつか、世界中を旅するの。

 いつか。

 いつか。


 いつかって、いつだ?




58: 以下、名無しが深夜にお送りします 2018/09/17(月) 21:50:05 ID:Nf1BBHhU


 少女は、今までふさぎ込んでいたことが急に馬鹿らしく思えてきて、
 声を立てて笑いはじめた。
 顔を覗き込んでくるモノの頭を軽くはたいて、
 生意気なやつめ、と言って、さらに笑った。

 それから、少女は立ち上がり、
 大きく伸びをして、そして言った。

 行こうか、モノ。
 支度をしよう。

 モノはひと際大きく、
 ピーと鳴いた。




59: 以下、名無しが深夜にお送りします 2018/09/17(月) 21:53:59 ID:Nf1BBHhU


 数時間後には彼らは玄関に立っていた。
 少女は衣服やタオルをいれた背嚢を背負っていて、
 モノの、左右の壊れた銃身には、
 ありったけの水と食料が詰まった袋が引っかかっていた。

 少女は後ろを振り返った。
 いままで暮らしてきた家に、
 祖父母に、父と母に、心の中でこう言った。

 ありがとう、ごめんなさい。
 さようなら。

 それから、少女はモノの上に乘った。
 さあ行こう、と少女は言った。
 モノはピーと鳴いて、そして歩き始めた。




60: 以下、名無しが深夜にお送りします 2018/09/17(月) 21:58:45 ID:Nf1BBHhU


 モノの足取りは、初めはゆっくり、
 次第に速くなっていて、ついには走りはじめた。

 モノの速度が上がるにつれて少女の気分は高揚していていき、
 少女は愉快そうに笑いながら、大きな声で叫び始めた。


 速く。

 ピー。

 もっと速く。

 ピー。

 もっと、速く!

 ピー!




61: 以下、名無しが深夜にお送りします 2018/09/17(月) 22:02:24 ID:Nf1BBHhU


 瞬く間に景色は通り過ぎた。
 激しく揺れるモノに振り落とされないよう、
 少女はしっかりしがみついた。

 少女の、ついさっきまでの陰鬱な気分は、
 もうすっかりどこかへ吹き飛んでしまった。
 何もしたくないとふさぎ込んでいた自分が、
 ひどく愚かなものにすら思えた。

 こうして走れば良かったんだ、と少女は思った。
 わたしたちはどこへだって行ける。
 山だって、海だって、砂漠だって超えて、
 二人なら、どこへだって。

 戦争が終わらなくても、
 世界がわたしを守ってくれなくても、
 もうそんなことは知ったことか。
 
 わたしは行きたいところへ行っていいし、
 わたしはしたいことをしていいんだ。

 わたしにはモノがいる。
 モノがわたしを守ってくれる。

 わたしたちは、無敵だ!




62: 以下、名無しが深夜にお送りします 2018/09/17(月) 22:06:47 ID:Nf1BBHhU


 モノは走り続けた。
 少女は、何度も、何度も叫んだ。


 走れ、モノ!

 ピー!




63: 以下、名無しが深夜にお送りします 2018/09/17(月) 22:07:34 ID:Nf1BBHhU



                   (おしまい)




元スレ
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