1:
以下、名無しが深夜にお送りします 2018/09/10(月) 16:25:10
ID:5dG7Rtlc
少女は一人で暮らしていた。
曲がりくねった山道をしばらく登った先に、
その家は建っていた。
一人で住むには幾分か広すぎる木造の古い平屋で、
中庭と倉をも備えていた。
中庭には小さな菜園があって、
じゃがいもやらネギやらが雑多に植えられている隣には、
プチトマトの苗が一種類だけ不釣り合いなほど、
やたらと多く並んでいた。
少女の祖父母は、菜園の世話について事細かに教えてくれていたし、
そんなにひろい畑でもなかったから、
少女一人でもどうにか枯らさないようにできていた。
2:
以下、名無しが深夜にお送りします 2018/09/10(月) 16:32:13
ID:5dG7Rtlc
訪れる者はほとんどいなかった。
週に一度、単車に乗った配達人が訪れるのが、
来客のほぼ全てを占めた。
食料やら何やらの入った袋を携えた彼は、
玄関に現れる少女と、時々短い会話をした。
少女はひどくゆっくりと話した。
まるでくしゃくしゃになった紙に書きなぐられた文字を、
一つ一つ読みあげていくかのようだった。
3:
以下、名無しが深夜にお送りします 2018/09/10(月) 16:34:41
ID:5dG7Rtlc
ごめんね、今日も手紙はないみたいだ。
わかりました。
まだ戦争は続いているようだよ。
そうですか。
奴らはどんどん送り込まれてきているらしい。
兵隊さんたちも頑張って、
奴らを倒してはいるそうだけどね。
そうですか。
この辺りに現れるってことはないだろうけれど。
戦場はまだまだ遠いから。
まあ、それでも一応、気を付けてね。
大丈夫です。
何かあったら僕に言うんだよ。
頼りないかもしれないけれど、君よりは大人だからさ。
わかりました。
4:
以下、名無しが深夜にお送りします 2018/09/10(月) 16:37:01
ID:5dG7Rtlc
本当はこんなところに一人にしておくよりも、
軍隊も自警団もいる下の街に来てもらった方が安全なんだけど。
少女は首を左右に振った。
その反応は、青年には見慣れたものだった。
少女は家を離れたがらなかった。
いくら一人は危ないと彼が言い聞かせても。
大丈夫です、と少女は言った。
わたしはここで、父と母を待ってます。
青年は、諦めたようにため息をついて、
気を付けてね、ともう一度繰り返した。
5:
以下、名無しが深夜にお送りします 2018/09/10(月) 16:40:04
ID:5dG7Rtlc
それじゃあまた来週、と青年は手を振って、
単車に跨って走り去った。
少女は彼の背中が山道を曲がって見えなくなるまで、
注意深く、じっと眺めていた。
それから少女は玄関の扉を閉めて、
外から中庭の方へと回った。
そして、家の裏手から中庭へと続く
広い引戸に向かって、声をかけた。
もう大丈夫。
でておいで。
戸ががらりと開いて、
家の中からそれが姿を現した。
6:
以下、名無しが深夜にお送りします 2018/09/10(月) 16:43:22
ID:5dG7Rtlc
それは金属製の蜘蛛のように見えた。
少女の胸くらいまでの大きさ。
大きな弾丸のような細長い胴体に、
四本の脚と二本の腕が備わっていた。
側面には何らかの銃身らしき装置がついていて、
胴体の前方からは、眼球のようなカメラが一本、
上へとまっすぐ、にょきっと生えていた。
それは配達人の青年が言ったところの“奴ら”であり、
少女の国と戦争中にある敵国が作り出した破壊兵器であって、
視界に入る人間全てを撃ち殺し、
形あるもの全てを焼き尽くすと恐れられている、
機械仕掛けの死神だった。
7:
以下、名無しが深夜にお送りします 2018/09/10(月) 16:45:34
ID:5dG7Rtlc
恐るべき破壊兵器は、どこか心細そうに、
小さな電子音を、ピー、と鳴らした。
もう大丈夫、と少女は言った。
9:
以下、名無しが深夜にお送りします 2018/09/11(火) 01:32:27
ID:xlYFNv9o
***
少女が初めてそれと出会ったのはその数日前、
梅雨になる直前の、季節外れの夕立が降った日だった。
滝のように降りしきる雨の中、ずぶ濡れになった少女は、
右手に釣竿を、左手にバケツを、力なく提げて歩いていた。
午前中に畑の世話を終え、午後からは少し歩いたところにある渓流で、
釣りをするのが少女の日課だった。
の日はさっぱり釣果が上がらず、
おまけに突然の大雨に、早々に彼女は引き上げた。
魚のいないブリキのバケツには雨水が溜まるばかりで、
その重さがいっそう少女の気を滅入らせた。
ちくしょう、と少女は呟いて、
足元に転がっていた石ころを蹴り飛ばそうとした。
途端、足を滑らせて思いきり転んだ。
少女は大の字で仰向けに寝転がったまま、
もう一度ちくしょうと呟いた。
10:
以下、名無しが深夜にお送りします 2018/09/11(火) 01:36:45
ID:xlYFNv9o
その時だった。
少女の頭上で、ガシャリ、と音が鳴った。
少女は首を反らして、物音の方向を見た。
そして、それと目が合った。
しばらく、少女はそれが何なのかわからなかった。
それは少女が手を伸ばせば届きそうな位置に立っていて、
首を伸ばして泥まみれになった少女の顔を覗き込んでいた。
泥や木の葉があちこちに纏わりついたそれは、
野生の猪か何かのように少女には見えた。
眼が、ジジ、と音を鳴らし、
少女にピントを合わせるのを少女は見た。
少女はカメラのレンズと見つめあった。
そこで、少女は初めて、それが機械であることに気付いた。
少女はごろりと寝返って、うつ伏せになった。
突然の動作に驚いたのか、それは首を引っ込めて、
ガシャガシャと後ずさった。
それから、フラフラとたたらを踏み、ピーピーと鳴いた。
その動きは、なんだか怯えた仔犬のようで、
少女は思わず吹き出してしまった。
11:
以下、名無しが深夜にお送りします 2018/09/11(火) 01:39:44
ID:xlYFNv9o
寝転がったまま、少女は尋ねた。
なにをしてるの。
ピー。
後ろ、つけてたの。
ピー。
どこから来たの。
ピー、ピー。
どこへ行くの
ピー、ピー。
わかんないや、と少女は言った。
ピー、とそれは鳴いた。
12:
以下、名無しが深夜にお送りします 2018/09/11(火) 01:46:02
ID:xlYFNv9o
少女は立ち上がって、道端に転がっていた
釣竿とバケツを拾い上げた。
それから、振り返って声をかけた。
おいで。
少女は歩き始めた。
それは、少し踏みとどまってから、
意を決したように少女の後ろをついていった。
13:
以下、名無しが深夜にお送りします 2018/09/11(火) 01:56:43
ID:xlYFNv9o
***
家に辿り着くと、少女はお風呂を沸かし、
それを浴室に押し込んだ。
浴室の扉は少し狭すぎるように見えたが、
それは脚をぴったりと胴体に押し付けるように折りたたみ、
器用に扉をすり抜けた。
少女はそれを洗ってやった。
真新しいスポンジを取り出し、洗剤をたっぷり付けて、
頭らしき部位から胴体、手脚まで、しっかりと汚れを落としていった。
関節部分にこびり付いた泥は使い古しの歯ブラシで取り除いた。
胴体には数か所穴が空いていて、そこから水が中に入らないよう、
少女は細心の注意を払った。
洗えば洗うほど、それは銀白色の光沢を取り戻していった。
胴体には、あちこちに引っ掻き傷やへこみがついていた。
時々、それはくすぐったそうに声を上げたが、
少女はお構いなく、一心不乱に磨き続けた。
14:
以下、名無しが深夜にお送りします 2018/09/11(火) 02:09:17
ID:xlYFNv9o
お風呂から上がると、少女はそれを居間に連れて行った。
広い部屋で、真ん中に小さな円座卓が据えられていた。
少女は座り、机の向かい側を指差して、
どうぞ、と言った。
それは先ほど扉を通り抜けたときのように脚を身体にくっつけて、
胴体を落とし、床の上に腹ばいになるようにして座り込んだ。
少しの静寂があって、
少女とそれは見つめあった。
それから、少女は質問を投げかけた。
15:
以下、名無しが深夜にお送りします 2018/09/11(火) 02:14:50
ID:xlYFNv9o
君は、なに?
それは平坦にピーと鳴いた。
言葉、話せない?
もう一度ピーと鳴いた。
今度は低い音で、下がり調子だった。
できないってことかな、と少女は考えた。
しばらく考え込んでから、少女は、
文字は書けるの、とそれに尋ねた。
ピッ、と短く、甲高い返事があった。
少女は立ち上がって、居間の隅にあった箪笥の引き出しを開け、
そこから何かを取り出して、机の上に置いた。
真新しいノートと、数本のボールペンだった。
じゃあ、これが、君の言葉だ。
16:
以下、名無しが深夜にお送りします 2018/09/11(火) 02:19:19
ID:xlYFNv9o
それは腕を伸ばしてノートを大きく、少女にも見えるように開き、
ボールペンを掴んで、活字のように端正な文字でこう記した。
あんたは俺が怖くないのか。
言葉遣いがかわいくないなあ、と少女は思った。
それから少女は、今その存在に気付いたとでもいうように、
それの胴体についた、何やら武器らしいものをしげしげと眺めた。
ああ、と少女は言った。
君が、うわさの、ざんぎゃくひどうな兵器ってやつか。
17:
以下、名無しが深夜にお送りします 2018/09/11(火) 02:22:18
ID:xlYFNv9o
少女はもう一度箪笥に近寄って、一番下の引き出しから、
細長いトランクケースを重たそうに取り出し、開いた。
そこには散弾猟銃が入っていた。
それを見た残虐非道な兵器はピィと悲鳴を上げた。
少女は銃口を兵器に向けた。
残虐非道な兵器は慌てて両手を挙げた。
わたしを殺すの、と少女は尋ねた。
それは急いでノートとペンを手に取り、
殺さない、と書いた。
少女はその文字を読んで、それから数秒間兵器を睨んで、
視線を何度か行ったり来たりさせたあと、
じゃあいいか、と呟いて、猟銃を降ろした。
18:
以下、名無しが深夜にお送りします 2018/09/11(火) 02:26:52
ID:xlYFNv9o
それから、少女とそれは会話をした。
どこから来たの?
わからない。
どうしてこんな山の中に?
逃げてきた。
どこから逃げてきたの?
一番古い記録はどこかの街中にいたこと。
建物はみな崩れるか燃えるかしていた。
周りには自分と同じ姿をした奴らが大勢いて、
自分たちとは違う姿をした奴らと撃ち合っていた。
彼らがどうしてそんなことをしているのか分からなかったし
俺は撃たれたくなかったから、そこから逃げ出した。
19:
以下、名無しが深夜にお送りします 2018/09/11(火) 02:27:38
ID:xlYFNv9o
その前のことは何にも覚えてないの?
何も。
俺は突然あの街で目覚めた。
目覚める前に何をしていたのかは記録に残っていない。
そこで撃たれて、どこか、壊れちゃったのかな。
俺は壊れているのか。
わからないよ、わたしにはそんなの。
でも、穴空いてた。背中に。
20:
以下、名無しが深夜にお送りします 2018/09/11(火) 02:30:46
ID:xlYFNv9o
あんたは俺が怖くないのか。
どうしてそんなこと聞くの?
俺は逃げる途中、たくさん人間を見かけた。
誰もが皆、俺を見るとすぐに悲鳴を上げて逃げだした。
銃を撃ってきた人もいた。
人間は全員俺のことが怖いんだと思った。
だからなるべく人間に会わないようにひたすら逃げてきた。
うん、まあ、そうだね。
怖い、だろうね。
あんたは俺が怖くないのか?
少女は首をひねって、考え込んだ。
それから、こう言った。
だって、殺さないんでしょ。
殺さない、とそれはもう一度書いた。
じゃあ、怖がらなくて、いいじゃん。
21:
以下、名無しが深夜にお送りします 2018/09/11(火) 02:32:37
ID:xlYFNv9o
少女の言葉を聞いて、それはしばらく固まった。
そして、ノートに文章を一気に書きつけた。
俺は逃げ続けてここまで来た。
俺には行くべき場所もやるべき仕事も分からない。
記録を失う前はあったのだろう。でも今は思い出せない。
良ければ、俺をここに置いてくれないだろうか。
俺になすべきことを与えてほしい。
もしあんたが構わないのなら。
いいよ、と少女は答えた。
でも、あなたが何をすべきかなんて、わたし教えられない。
それはあなたが考えなきゃ。
22:
以下、名無しが深夜にお送りします 2018/09/11(火) 02:36:52
ID:xlYFNv9o
ねえ、名前は?
Lethal Autonomous Weapon
Type: walkalone, restricted
Code: MONOEYE ver.4.3.06
なにそれ、読めないよ。
呼び名というか、あだ名というか、
そんなのはないの。
ロットNoならある。
それは、書かなくていいや。
どうせ、よくわかんないし。
俺は人間ではない。ただの物だ。
だからこれら以外に名前は無い。
えーっと、と少女は呟いた。
じゃあ、名前、つけたげる。
23:
以下、名無しが深夜にお送りします 2018/09/11(火) 02:38:46
ID:xlYFNv9o
少女はノートをひったくり、何回かペンを回してから、
表紙に大きく、こう書いた。
“モノ”
よろしく、モノ。
少女の言葉に、それはピィと声を上げた。
その鳴き声の意図は少女にはよくわからなかったけど、
分かったってことだと、勝手に解釈することにした。
そんな風にして、少女はモノと暮らし始めた。
24:
以下、名無しが深夜にお送りします 2018/09/12(水) 21:38:30
ID:TTd4.9iI
***
人間と同じように、モノも眠るらしかった。
その理由を、モノは充電がどうの記録容量がこうのと説明したが、
少女にはちっとも分からなかったので全部読み飛ばした。
少女の寝室の片隅で、
脚を畳み、首を縮めてモノは眠った。
小さな洋室の、ベッドと机、本棚の隙間を縫うように、
モノは自分の定位置を確保した。
少女には新しい日課ができた。
目を覚ますと、モノの頭をぺしぺし叩いて、
少女はモノに朝の到来を伝えた。
じっと眠っているときのモノはどこまでも静かで、
ただの調度品のように少女には見えた。
だから、モノが鈍く唸る音を立てながら眼を開くと、
少女はその度に少しほっとした。
25:
以下、名無しが深夜にお送りします 2018/09/12(水) 21:40:36
ID:TTd4.9iI
夢は、見るの?
見ない。
それはつまらないね。
人間はどうして夢を見るんだ?
どうしてだろ。
現実ばかり見てると、疲れちゃうからかな。
26:
以下、名無しが深夜にお送りします 2018/09/12(水) 21:42:17
ID:TTd4.9iI
少女はモノに、菜園の世話を手伝わせた。
モノは黙々と仕事をこなした。
雑草を一本一本丁寧に抜き取り、
害虫を見つけるとそっと摘まみ上げて外に放り投げた。
それが終わると、彼女らは釣りに行った。
少女はモノにバケツや釣竿を持たせ、
モノの胴体に跨った。
モノは少女を上に乗せて、軽々と歩いた。
少女は、こりゃいいや、と笑った。
だけどすこし、お尻が痛いな。
もっと、揺れないように歩いてちょうだい。
両手の塞がったモノは、ピーと鳴いた。
注文の多いやつめとか、そんな文句を言ったんだろう、と
少女は勝手に解釈して、モノの頭を軽くはたいた。
モノは不満げにまた鳴いた。
27:
以下、名無しが深夜にお送りします 2018/09/12(水) 21:44:30
ID:TTd4.9iI
空いた時間には、彼女らは読書をした。
中庭の外れにある倉の中には、
様々な蔵書が数えきれないほど収められていた。
壁際に設えられた棚には本が種類を問わずびっしり並んでいて、
床には雑誌やらムック本やらが所狭しと積まれてあった。
モノが来た次の日に、少女はそこにモノを案内した。
好きなだけ読んでいいよ、と少女は言った。
だけど、丁寧に扱ってね。
おじいちゃんが、紙の本は貴重だから、
大事にしなさいって言ってた。
モノは手を伸ばし、一番上の段の一番左端から書物を抜き出し、
パラパラと捲って、すぐに戻した。
それから右隣の書物も同じように取り出して捲り、また戻した。
さらにその隣の本も。
その隣の本も、同じように。
28:
以下、名無しが深夜にお送りします 2018/09/12(水) 21:46:40
ID:TTd4.9iI
もしかして、それで全部読めてるの?
書かれてあった文章は全て記録した。
駄目だよ。
もっとゆっくり、読みなさい。
何故だ?
速度を落とすと非効率だ。
本はゆっくり読むの。
誰かが、しっかり考えながら、じっくり書いたんだから、
その速さにあわせて、ゆっくり読むの。
意味があるとは思えない。
それでも、ゆっくり。
それが、敬意ってやつなの。
わかった。
29:
以下、名無しが深夜にお送りします 2018/09/12(水) 21:59:43
ID:TTd4.9iI
少女は棚から一冊の本を抜き出して、モノに見せた。
それは世界中の風景を収めた写真集だった。
青い海に浮かぶ島々や、切り立った崖の上に建つ古城。
どこまでも広がる砂漠や、空を反射した広大な湖。
色鮮やかな景色がページいっぱいに広がっていた。
どこかに見覚えはない、と少女は尋ねた。
モノはどこも記録にないとノートに書いた。
少女はページを繰り続け、やがてあるところで手を止めた。
それは、真っ黒な夜空を横切る、緑白色にぼんやり輝く光の幕、
オーロラの写真だった。
わたし、この写真が一番好きなの、と少女は言った。
いつか、オーロラを見に行きたいんだ。
戦争が終わったら、行けるかなあ。
俺には分からない 、とモノは書いた。
つまんないなあ、と少女は口を尖らせた。
そこはさ、こう言っておくんだよ。
俺が連れてってやる、とかさ。
30:
以下、名無しが深夜にお送りします 2018/09/12(水) 22:01:55
ID:TTd4.9iI
ねえ、モノはどこに行きたい?
あんたが行くと言った場所へついていく。
違うよ。
あなたがどこに行って、何をしたいか。
分からない。
それはどうやって考えたらいい?
そうだなあ。
まずはやっぱり、いろんなことを知らなきゃ。
知らない場所には、行きたいと思えないし、
知らないことは、やりたいとも思えないから。
それから、モノは暇なときには本を読むようになった。
少女に言われたように、ゆっくりページをめくりながら。
31:
以下、名無しが深夜にお送りします 2018/09/12(水) 22:03:53
ID:TTd4.9iI
夜になると、少女は勉強をした。
自室の本棚には年相応より少し難解な参考書が並んでいて、
少女はきっかりと計画立ててそれらをこなした。
お父さんやお母さんと同じように、
お国の役に立つ仕事を将来するのだと、少女は言った。
そのために勉強するのだ、と。
少女は参考書を睨みつけながら、
部屋の片隅で本を読むモノにそう話した。
それで、戦争を終わらせて、
いつか、世界中を旅するの。
一緒に行こうね。
ピー。
32:
以下、名無しが深夜にお送りします 2018/09/12(水) 22:05:31
ID:TTd4.9iI
配達屋の青年は変わりなく、
週に一度、少女の家を訪れた。
単車の排気音が聞こえる度に、
少女は慌ててモノを家の奥へと押し込んだ。
ごめんね、今日も手紙はないみたいだ。
わかりました。
最近、ずっとないね。
たぶん、父も母も、忙しいから。
軍のお偉いさんなんだっけ?
よく知りません。
軍事機密、らしいので。
ともあれ、気をつけて。
少し前に、近場で奴らの目撃情報があったらしい。
変わったことがあったら教えてね。
わかりました。
33:
以下、名無しが深夜にお送りします 2018/09/12(水) 22:07:53
ID:TTd4.9iI
季節は移ろった。
梅雨が終わり、夏が来た。
モノの丹念な世話のおかげか、プチトマトは特に大豊作で、
少女は食事のたびに、器に山盛りのそれをもりもり食べた。
モノは本を読み続けていた。
最初は技術書や雑誌ばかり手に取っていたが、
次第に小説を、しかも人間関係や恋愛模様を描いたものを
モノは読むようになった。
それ、面白いの、と少女は尋ねた。
面白い、とモノは書いた。
描写を辿ることで人の感情をエミュレートできる。
小説は俺が人間を理解するための参考になる。
生意気なやつめ、と少女はモノを軽くはたいた。
少女がよくするその動作を、
彼女の愛情表現なのだろうとモノは推定していた。
34:
以下、名無しが深夜にお送りします 2018/09/12(水) 22:09:33
ID:TTd4.9iI
戦争は変わらず続いている、と
配達人の青年は言った。
せんそう、と少女は呟いた。
どうして私たちは、
戦争をしているんでしょうか。
少女の問いかけに、青年は頭を掻いた。
どうしてだろうな。
僕が生まれた時からずっと続いているしな。
わからない?
いや。
とにかく、相容れないんだよ。
35:
以下、名無しが深夜にお送りします 2018/09/12(水) 22:12:43
ID:TTd4.9iI
相容れない。
そうだ。
見かけが、話す言葉が、考え方が、
社会が、法律が、信じる神様が。
そのすべてが、相容れないんだ。
そうなんですか?
そうなんだ。
そうなんですか。
そうなんだよ。
そんなことないと、思う。んだけどなあ。
青年が去ったあと、モノを撫でながら、
少女はそんな風に独り言ちた。
モノは不可解そうに、ピィと声を上げた。
36:
以下、名無しが深夜にお送りします 2018/09/12(水) 22:15:16
ID:TTd4.9iI
彼女らは時々、山道を散策した。
好きなところに行っていいよ。
モノの上に乗った少女はそう言った。
初めのうちは、モノはなかなか歩き出そうとはしなかった。
動いてもごく短い距離だけで、曲道に差し掛かるたびに、
その先に何かが待ち構えていやしないかと
首を伸ばして恐る恐る覗き込んだ。
時間が経ち、散策も回数をこなすと、
モノの様子は変わり始めた。
足取りは軽快になった。
舗装された道から離れ、
川べりの細い道を突き進んだり、
木の立ち並ぶ斜面を駆け上ったり、
いろんな場所を積極的に駆け回るようになった。
37:
以下、名無しが深夜にお送りします 2018/09/12(水) 22:16:58
ID:TTd4.9iI
最初は未知の情報が多すぎて、
何を優先して処理すれば良いのか判断できなかった。
ある日の散策の後、モノはそう書いた。
しかし、今は違う。
見たことのない虫を追いかけたって良い。
何やら物音が聞こえた方向に行ったって良い。
俺はどこに行っても良いし、
俺はどこにでも行けるんだ。
ありがとう、とモノは書いた。
別に何もしてないよ、と少女は言った。
38:
以下、名無しが深夜にお送りします 2018/09/12(水) 22:21:40
ID:TTd4.9iI
葉の色が変わり、少し肌寒くなり、
ちらほらと雪が舞うようになった。
モノはまだ少女の隣で本を読んでいて、
少女は変わらずのんびりと暮らしていた。
モノが少女の家に住み始めてから、二回だけ、
予定にない来客があった。
彼らはいずれも、真夜中過ぎに現れた。
モノは彼らの来客を察知すると、眠りから覚め、
寝息を立てる少女を起こさないように
こっそりと彼女の部屋を抜け出して、
家から多く離れたところまで駆けて行った。
来客はモノと同型の兵器だった。
一度目は一体、二度目は二体。
夜の闇の中、道路がわずかに膨らんだ広い場所を選んで、
モノは彼らと対峙した。
39:
以下、名無しが深夜にお送りします 2018/09/12(水) 22:24:00
ID:TTd4.9iI
来客はモノにこう言った。
帰還しろ。
お前は壊れている。
修理が必要だ。
モノはただ一言だけ、返事をした。
断る。
モノを捕えようとする彼らを、
しかしモノは難なく撃退した。
彼らはモノをなるべく傷つけずに捕えようとしたが、
モノは相手を攻撃することに何の躊躇いもなかった。
俺は負けない。
モノはそう考えていた。
守るべきものがある奴は、何よりも強いんだ。
この前読んだ本にそう書いてあった。
お前たちは知らないんだろうけど。
40:
以下、名無しが深夜にお送りします 2018/09/12(水) 22:25:24
ID:TTd4.9iI
モノがそうやって夜中に大立ち回りを演じていたことを
少女は知らなかったが、
モノの身体が、それもとりわけ銃身が、
やけに暖かい朝があったことには気付いていた。
気付いていたが、少女は何も訊かなかった。
モノが何も言わないってことは
大したことじゃないんだろう、と
少女はそう考えていたし、
何も心配しなくていいんだろう、と
彼女は高をくくっていた。
41:
以下、名無しが深夜にお送りします 2018/09/12(水) 22:28:07
ID:TTd4.9iI
何も心配いらない。
少女はそう思っていた。
あの夜。
三度目の来客があったあの夜。
麓の街が真っ赤に染まった、
あの夜が来るまでは。
42:
以下、名無しが深夜にお送りします 2018/09/17(月) 20:13:57
ID:Nf1BBHhU
***
大きな音に、少女は目を覚ました。
真夜中だった。
微かに部屋が揺れているのを彼女は感じた。
少女は身体を起こし、部屋の灯りを付けた。
いつもモノが座っている場所には、
しかし何もいなかった。
少女は部屋の窓を開けた。
夜とは思えぬほど明るかった。
麓の方角からは赤黒い煙が際限なく噴き出していて、
微かな銃声と爆発音の残響が聞こえてきた。
燃えている、と少女は思った。
街が、燃えている。
半ばパニックになりながらも、少女は部屋を出た。
モノを探さなきゃ、と少女は思った。
家を飛び出そうとして、踏みとどまり、
居間に駆け戻って、箪笥から細長いトランクケースを取り出した。
それを背負うように担いで、少女は玄関へと向かった。
43:
以下、名無しが深夜にお送りします 2018/09/17(月) 20:17:35
ID:Nf1BBHhU
普段は真っ暗な夜の山道は、
煌々と光る満月と炎に照らされた煙のおかげで
まるで黄昏時のように薄明りに満ちていた。
少女は辺りを窺った。
近くに動くものは何もなかった。
道には雪がうっすらと積もっていて、
良く目を凝らすと、山道を下る方向へと
モノの足跡が続いているのが見えた。
少女は坂道を駆け下りた。
足を滑らせて何度も転びそうになった。
息が切れ、汗が流れた。
トランクケースが背中を打ち、ひどく痛んだ。
やがて、少女の目になにやら物影が映った。
少女は目を凝らし、そして小さく悲鳴を上げた。
それは無残に破壊された兵器の残骸だった。
44:
以下、名無しが深夜にお送りします 2018/09/17(月) 20:24:00
ID:Nf1BBHhU
少女は荷物を放り投げて駆け寄った。
モノ、モノ、と何度も呼んだ。
少女の声は泣き声に変わりかけていた。
兵器に動き出しそうな気配はなかった。
兵器の身体には何かに撃ち抜かれたような大きな穴が空いていて、
素手で触れると火傷しそうなくらい熱かった。
脚と腕は何本かもげて、道端に転がっていた。
唐突に少女は呼びかけを止め、立ち上がった。
違う。
これはモノじゃない。
モノの身体にあった穴やへこみと目の前の残骸についた傷は、
どうにも一致していないように思えたし、
何より、少女の直感がそう告げていた。
多分、モノがこいつをやっつけたんだ。
少女はトランクケースを拾いあげ、
兵器の残骸を背に、
山道を再び下り始めた。
45:
以下、名無しが深夜にお送りします 2018/09/17(月) 20:28:22
ID:Nf1BBHhU
間もなく、少女は彼らを見つけた。
男が二人、兵器を挟んで会話をしていた。
片方の男は少女にも見覚えのある自国の軍服を着ていて、
もう一人は真っ黒な外套に身を包んでいた。
モノ、と少女は呼びかけた。
男たちは少女の方を見た。
モノはピーと鳴いた。
モノの身体に付いていた二つの銃身は無残に壊され、
左腕も関節部から先が失われていた。
地面には金属片が散らばっていて、
外套の男が持っている懐中電灯の光を反射して煌めいた。
モノは二人の男の間で、じっと、
大人しくうずくまっていた。
少女はトランクケースを開けて猟銃を取り出し、
銃口を男たちに向けた。
それから、少女は叫んだ。
モノを、離せ!
46:
以下、名無しが深夜にお送りします 2018/09/17(月) 20:32:18
ID:Nf1BBHhU
外套の男が少女には聞き取れない言語で何やら言い、
軍服がおそらく同じ言語でそれに返事した。
それから、軍服の男はゆっくりと、
少女の方へ向き直った。
構え方がなっちゃいねえな。
それ、本当に銃弾入ってんのか?
モノを、離せ。
モノってなんだ。
こいつの名前か?
嬢ちゃん、やっぱりこれを飼ってたのか。
離せ。
駄目だよ、脅す前に撃たないと。
少女は小さく震えていた。
銃口はフラフラと彷徨っていた。
軍服の男はため息をついた。
それから懐から拳銃を取り出して、
落ち着いた様子で少女に向けた。
47:
以下、名無しが深夜にお送りします 2018/09/17(月) 20:37:04
ID:Nf1BBHhU
その瞬間だった。
今まで微動だにしなかったモノが突然跳ね起きて、
軍服の男に体当たりをした。
男はたまらず吹っ飛び、拳銃を手放した。
もう一人の男は慌てて外套から拳銃を取り出したが、
モノは正確にその手元を蹴り上げた。
それからモノは道端に転がった2丁の拳銃を踏みつぶし、
素早く少女の元に駆け寄って、
彼女を守るように前に立ちはだかった。
軍服の男が腰をさすりながら起き上がった。
おかしいな、人間を攻撃できないタイプのはずだが、と彼は言った。
外套の男が何かを叫んだ。
ああなるほど、と軍服は得心したように頷いた。
嬢ちゃんの命を守るのを最優先命令にしたわけか。
やるじゃん。
やっぱり嬢ちゃんを先に確保しとくべきだったな。
48:
以下、名無しが深夜にお送りします 2018/09/17(月) 20:38:36
ID:Nf1BBHhU
モノの右腕が少女の猟銃を支えた。
少女は深呼吸した。
少女の腕の震えはおさまって、
銃口は正確に軍服に向けられていた。
一か所に集まって、手を挙げて。
少女の言葉に、軍服は両手を挙げ、
外套の男のもとへと歩み寄った。
外套の男はその様子を見て、
同じように手を挙げた。
訊きたいことがある、と少女は言った。
答えられる範囲なら、と軍服は言った。
49:
以下、名無しが深夜にお送りします 2018/09/17(月) 20:43:07
ID:Nf1BBHhU
なんでモノを襲ったの。
単なる不良品の回収だよ。
命令も聞かずに勝手にフラフラしてるやつがいたら危ねえからな。
バグの原因を調査して、再発防止策を打たないと。
街を襲ったのもあなたたち?
おいおい、俺たちが諸悪の根源だとでも思ってるのか?
あれはたまたまだよ。
あの街はもともと襲われる予定だった。
まあ、その騒ぎに乗じてこの人を
忍び込ませたってのもあるけどな。
その人、と少女は言った。
黒い外套の男は静かに手を挙げていた。
少女の知らない言葉を話す男。
その男は、雪のように白い肌に碧い眼、
そして輝くような金色の髪をしていた。
明らかに、彼はこの国の人間ではなかった。
少女は半ば叫びながら尋ねた。
その人は、敵なんじゃないの。
なんであなたみたいな軍人が、敵と一緒にいるの。
わたしたちは。
いったい誰と戦っているの。
50:
以下、名無しが深夜にお送りします 2018/09/17(月) 20:53:00
ID:Nf1BBHhU
難しいことを訊くなあ、と軍服は言った。
確かにこの人は敵国の人間で、俺たちの戦争してる相手だが、
実際にはある程度交流もあるし、協力もしている。
なんでそんなことを?
戦争をしっかりコントロールするためには、
お互いの協力が不可欠だからな。
戦争をコントロール?
どういうこと?
俺だって下っ端だ。よく知らんよ。
だけど、昔の偉い人がこう考えたらしい。
人間社会を適切に運営していくためには、
敵を作り上げて適度に殺しあわせたほうが都合が良いんだ、とさ。
しばらくの沈黙の後、
絞り出すように少女は言った。
いつか、戦争は終わるんじゃないの。
終わらないよ、と軍服は言った。
誰も勝たないし、戦争は続く。
この国は戦争し続けるために戦争しているんだ。
51:
以下、名無しが深夜にお送りします 2018/09/17(月) 20:56:12
ID:Nf1BBHhU
少女は黙り込んでしまった。
何を言えばよいのか分からなくなってしまっていた。
モノは目だけを少女の方に向けて、
気遣わし気にピィと鳴いた。
質問は以上かな、と軍服は言った。
少女は何も返事できなかった。
俺の仕事は二つある、と軍服は言葉を続けた。
一つはそこの不良品の回収。
もう一つは、疎開させられてる軍上層部のご令嬢の回収。
今までは安全確保のために都会から離れさせていたが、
近隣拠点の破壊に伴い、生活の継続が難しくなるからな。
これを機に引き取って、本格的な教育を開始するんだと。
少女は黙ったまま、モノの目を見た。
モノはもう一度ピーと鳴いた。
少女は軍服の男に視線を戻した。
来てもらえるか、と軍服は言った。
嫌です、と少女は答えた。
52:
以下、名無しが深夜にお送りします 2018/09/17(月) 21:04:17
ID:Nf1BBHhU
***
少女は眠り続けていた。
軍服の男は、また誰かが来る、と言い残して去っていった。
その兵器、受信の方はすっかり壊れちまってるけど、
発信は生きているからな。
位置情報は筒抜けになっている。
少女にはなにも分からなくなっていた。
少女は、自分がそう望めば、
この家でモノと平穏な暮らしを続けられると思っていたし、
いつかきっと戦争を終わらせられるのだと信じていた。
少女は頭まですっぽりと毛布にくるまりながら、
ほとんどの時間を何もせずに過ごした。
モノはせわしなく動き回って、
少女に食料や水を届けたり、
少女の好きな本を枕もとに置いたり、
少女を無理に起こそうとして軽くはねのけられたりした。
モノは右腕だけで、苦労しながら文字を書いた。
左腕でノートを押さえられないせいか、
文字はいつもの端正さからは程遠かった。
俺はあんたから離れるべきだと思う。
駄目。
ここにいて。
53:
以下、名無しが深夜にお送りします 2018/09/17(月) 21:14:27
ID:Nf1BBHhU
数日が経った。
普段なら配達屋の青年が訪れるはずの日にも、
単車の音は聞こえてこなかった。
モノが部屋に届ける食事の量が少なくなった。
どうやら食料が残り僅かになってきているらしかった。
少女は気だるく身体を起こし、壁にもたれた。
お腹すいたなあと呟いて、
何もしなくてもお腹はすくんだと思って、
なんだかおかしくなって、少しだけ笑った。
少女の声を聞きつけて、モノが近くに歩み寄った。
モノの頭を撫でながら、少女は呟いた。
なにも変わらないと思ってたんだよ。
でも、そんなの無理だった。
ぜんぶ、嘘だったんだ。
それから、少女は泣いた。
モノは慌ててどこからかタオルを持ち出して、
ずっと少女の顔に当てていた。
わかんないよ、と少女は繰り返した。
なにもわかんない。
なにも。
54:
以下、名無しが深夜にお送りします 2018/09/17(月) 21:26:57
ID:Nf1BBHhU
やがて、少女の泣き声が落ち着いた頃、
モノは突然、何かを思い出したように立ち上がった。
それから、枕元に高く積みあがった本の山を崩し、
一番下の方に眠っていた写真集を取り出して、
少女の膝の上に置いた。
なに、と少女は言った。
モノは本を開いて、少女にとあるページを見せた。
それは、かつて少女がモノに見せた、オーロラの写真だった。
これがどうしたの、と少女は言った。
以前は飽きることなく、いつまでも見続けられた幻想的な風景は、
しかし不思議なくらい少女の心を打たなかった。
55:
以下、名無しが深夜にお送りします 2018/09/17(月) 21:28:58
ID:Nf1BBHhU
まさか、見に行こうって?
ピー。
こんなところまで、行けるわけない。
ピー。
それに、別にどうでもいい。
ピー。
わたしはもう何もしたくない。
どこにも行きたくない。
もうぜんぶ、どうでもいい。
ピー。
56:
以下、名無しが深夜にお送りします 2018/09/17(月) 21:34:40
ID:Nf1BBHhU
モノは写真集から手を離し、自分のノートを開いた。
片腕で上手くノートをめくれないでいるモノを見て、
少女は仕方なさそうに手を出し、ノートを押さえてやった。
モノはノートに、こう書いた。
俺が行きたいんだ。
俺があんたを連れてってやる。
57:
以下、名無しが深夜にお送りします 2018/09/17(月) 21:41:37
ID:Nf1BBHhU
少女はその言葉を読んで、
そういえばモノが、自分からどこかへ行きたい、と
言ったのは初めてだなあ、と考えた。
それから少女は、
かつて自分が言った言葉を思い出した。
いつか、オーロラを見に行きたいんだ。
いつか、世界中を旅するの。
いつか。
いつか。
いつかって、いつだ?
58:
以下、名無しが深夜にお送りします 2018/09/17(月) 21:50:05
ID:Nf1BBHhU
少女は、今までふさぎ込んでいたことが急に馬鹿らしく思えてきて、
声を立てて笑いはじめた。
顔を覗き込んでくるモノの頭を軽くはたいて、
生意気なやつめ、と言って、さらに笑った。
それから、少女は立ち上がり、
大きく伸びをして、そして言った。
行こうか、モノ。
支度をしよう。
モノはひと際大きく、
ピーと鳴いた。
59:
以下、名無しが深夜にお送りします 2018/09/17(月) 21:53:59
ID:Nf1BBHhU
数時間後には彼らは玄関に立っていた。
少女は衣服やタオルをいれた背嚢を背負っていて、
モノの、左右の壊れた銃身には、
ありったけの水と食料が詰まった袋が引っかかっていた。
少女は後ろを振り返った。
いままで暮らしてきた家に、
祖父母に、父と母に、心の中でこう言った。
ありがとう、ごめんなさい。
さようなら。
それから、少女はモノの上に乘った。
さあ行こう、と少女は言った。
モノはピーと鳴いて、そして歩き始めた。
60:
以下、名無しが深夜にお送りします 2018/09/17(月) 21:58:45
ID:Nf1BBHhU
モノの足取りは、初めはゆっくり、
次第に速くなっていて、ついには走りはじめた。
モノの速度が上がるにつれて少女の気分は高揚していていき、
少女は愉快そうに笑いながら、大きな声で叫び始めた。
速く。
ピー。
もっと速く。
ピー。
もっと、速く!
ピー!
61:
以下、名無しが深夜にお送りします 2018/09/17(月) 22:02:24
ID:Nf1BBHhU
瞬く間に景色は通り過ぎた。
激しく揺れるモノに振り落とされないよう、
少女はしっかりしがみついた。
少女の、ついさっきまでの陰鬱な気分は、
もうすっかりどこかへ吹き飛んでしまった。
何もしたくないとふさぎ込んでいた自分が、
ひどく愚かなものにすら思えた。
こうして走れば良かったんだ、と少女は思った。
わたしたちはどこへだって行ける。
山だって、海だって、砂漠だって超えて、
二人なら、どこへだって。
戦争が終わらなくても、
世界がわたしを守ってくれなくても、
もうそんなことは知ったことか。
わたしは行きたいところへ行っていいし、
わたしはしたいことをしていいんだ。
わたしにはモノがいる。
モノがわたしを守ってくれる。
わたしたちは、無敵だ!
62:
以下、名無しが深夜にお送りします 2018/09/17(月) 22:06:47
ID:Nf1BBHhU
モノは走り続けた。
少女は、何度も、何度も叫んだ。
走れ、モノ!
ピー!
63:
以下、名無しが深夜にお送りします 2018/09/17(月) 22:07:34
ID:Nf1BBHhU
(おしまい)
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