598:
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/05/26(日) 20:52:31.26
ID:h6AWmXvL0
山吹沙綾(高校を卒業してから、気付けば二年が経っていた)
沙綾(花粉の季節もゴールデンウィークも気付けば過ぎていて、今年も今年でもう五月が半分以上が終わったある日)
沙綾(勤めているいる某パン会社から一人暮らしの小平駅近くのアパートへ帰る道すがら)
沙綾(春の風、というには少し温い夜風を浴びながら、ふと気づく)
沙綾(そうだ、今日は私の誕生日だった)
沙綾(そう思って手にしたスマートフォンには、一時間前くらいにみんなからのお祝いのメッセージが届いていた。それに逐一返事を返す)
沙綾(「おめでとう!」「ありがとう」「またみんなで集まりたいね!」「休みの予定はこんな感じだよ」……なんて)
沙綾(高校の友は一生の友、とはよく聞く言葉で、その例に漏れず私が花咲川女子学園で得た親友たちとは今でも深いつながりがある)
沙綾(みんなは大学生で、私は社会人という立場だけど、それでも青春を共にしたという事実が変わるわけでもなくなるわけでもない)
沙綾(みんなとこうして繋がっているんだ、と思うと、社会の荒波に揉まれ、知らず知らずに強張っていた肩からすっと力が抜けるような感覚をおぼえる)
沙綾(私は少しだけ軽くなった足取りで家路を辿った)
599:
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/05/26(日) 20:53:18.30
ID:h6AWmXvL0
――沙綾のアパート――
沙綾(……そして、玄関のドアを開けて、ダイニングキッチンに足を踏み入れて、私は硬直することになる)
沙綾(キッチンとくっついたダイニング。そこに置かれた小さなテーブル)
沙綾(その上に、明らかに出来立てほやほやのペペロンチーノが置かれていたからだ)
沙綾「…………」
沙綾(なにこれ、空き巣? 空き巣の新しい形なの?)
「こんばんは、沙綾さん」
沙綾「えっ!?」
沙綾(不意に名前を呼ばれる。びっくりしてきょろきょろ室内を見回すけど、誰の姿も見えない)
600:
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/05/26(日) 20:54:13.16
ID:h6AWmXvL0
沙綾「だ、誰? 誰かいるの……?」
「私です」
沙綾「私って……まさか……?」チラ
「そうです。あなたの目の前にいるペペロンチーノです」
沙綾「……えぇ」
沙綾(唖然として言葉を失う私を意に介さず、目の前のペペロンチーノは続ける)
「私の名前はチーノ。ペペロンチーノのチーノです。気軽にチーノちゃんとでも呼んでください」
沙綾「え、あ、はぁ……」
チーノ「今日……お誕生日ですよね? 待っていましたよ、あなたが帰ってくるのを」
沙綾「…………」
沙綾(まずいと思った)
沙綾(どうやら私は、気付かないうちに相当疲れをため込んでいたようだ)
沙綾(もう二十歳を超えて、高校生の頃みたいに無理は効かない身体になったんだ)
沙綾(きっとそうだ、そうに違いない。ああ、こういう日は早くお風呂に入って寝よう……)フラフラ
601:
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/05/26(日) 20:55:12.89
ID:h6AWmXvL0
チーノ「あ、お風呂ですか? 沸かしてあるのでゆっくり温まってきてくださいね」
沙綾「え」
チーノ「大丈夫です、ちゃんと浴槽も綺麗に洗っておきましたから」
沙綾「あ、はい……え、いやどうやって……?」
チーノ「お部屋の片付けも簡単にしておきましたよ。捨てようと思ったものは部屋の隅にまとめてあります。曜日ごとに分別してあるので、忘れずに捨ててくださいね」
沙綾「いや……どうやって……」
チーノ「さぁさぁ、何も心配せずに早くお風呂に入ってきてください。今日の入浴剤はヤングビーナスβですよ」
沙綾「買ったおぼえのない入浴剤が勝手に使われてるし……」
沙綾(ダメだ、考えれば考えるほど分からない。このペペロンチーノがどうやってお風呂と部屋を掃除したのか、勝手に知らない入浴剤を使っているのかとか……)
沙綾(……いや、真面目に考えちゃダメだ。きっとこれは夢だ)
沙綾(そうだよ、夢に違いないよ。やだなぁホント、夢の中でこんなマジになっちゃって……さっさとお風呂に入って寝よ……)フラフラ
チーノ「ごゆっくりどうぞ」
……………………
602:
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/05/26(日) 20:55:52.12
ID:h6AWmXvL0
チーノ「ヤングビーナスβは別府温泉の湯の花エキスを配合した入浴剤で、温泉由来の成分が温浴効果を高め血行を促進し、新陳代謝を促します。弱アルカリ性のまろやかな湯質で、敏感肌の方、乾燥肌の方にもおすすめです」
沙綾「…………」
沙綾(湯船に浸かってぼんやりとしてから再びダイニングキッチンに足を運ぶと、やっぱりペペロンチーノはほかほかと湯気を上げながらテーブルに鎮座していた。そして聞いてもいない入浴剤の説明を饒舌にしてきた)
チーノ「βの特徴としましては、無香料・微着色という点が挙げられます。入浴剤と言えば香りで気分をゆったりさせるものですけども、このヤングビーナスβはあえて香料を用いず、温浴効果を際立たせることを重要視しています」
沙綾(そっかー……夢じゃないのかー……)
チーノ「微着色というのは、ビタミン色素によってほんのりとお湯の色が変わるということです。これなら浴槽の洗浄も比較的楽ですし、淡い山吹色のお湯に浸かることは精神的にも――」
沙綾「ねぇ、えぇと、チーノちゃん……?」
603:
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/05/26(日) 20:56:26.28
ID:h6AWmXvL0
チーノ「はい、なんでしょうか」
沙綾「君はペペロンチーノ……なんだよね?」
チーノ「イエス、ペペロンチーノ」
沙綾「えーっと、その、どうして喋れるの?」
チーノ「むしろどうしてペペロンチーノが喋れないのかと。そういう常識を疑うべきです」
沙綾「えぇ……」
沙綾(当たり前みたいな風に言い切られた……)
チーノ「ふんふんふーん♪」
沙綾(鼻歌まで歌ってる……いや、もうこの際それはあんまりよくないけどいいや)
604:
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/05/26(日) 20:57:23.73
ID:h6AWmXvL0
沙綾「それで、どうして君はここにいるの?」
チーノ「よくぞ聞いてくれましたっ」
沙綾(うわぁ、待ってましたと言わんばかりの嬉々とした声……)
チーノ「私がここにいる理由。それは沙綾さんの助けになりたかったからです」
沙綾「助けに?」
チーノ「はい。私は沙綾さんにご購入いただいてから、ずっと戸棚の中であなたのことを見ていました」
沙綾「購入……?」
チーノ「覚えてませんか? 一週間前、スーパーの割引コーナーにいた私のことを」
沙綾「……あー」
沙綾(そういえば先週の日曜日にペペロンチーノのパスタソースが安かったから買ったような気がする)
605:
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/05/26(日) 20:58:15.14
ID:h6AWmXvL0
チーノ「あの日のことは今でも鮮明に思い出せます」
沙綾「はぁ」
チーノ「あの割引コーナーは食材の墓場です。打ち立てられた【大特価!】の赤札は、さながら現代の飽食を象徴した墓標です」
沙綾「…………」
チーノ「その地獄から私を救い出してくれたのがあなたです、沙綾さん」
沙綾「ああ、うん……」
チーノ「あなたは毎日忙しそうにしていました。朝早くに家を出て、夜遅くに帰ってきて……休みの日は家事に追われて……」
沙綾「いや、そんな言うほどでもないけどなぁ」
チーノ「だから私は決めたんです。大変そうな沙綾さんを癒してあげよう! と。そう強く思っているうちに、こうなっていました」
沙綾「因果関係がこれっぽっちも分からないよ」
チーノ「アレです、付喪神みたいなものです」
沙綾「……そっか」
沙綾(付喪神がつくほど売れ残ってたのかな……賞味期限の偽装とかされてないよね……)
沙綾(いや、ていうかそんなことよりもペペロンチーノが喋ったりする方がよっぽどおかしいか……)
606:
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/05/26(日) 20:59:07.74
ID:h6AWmXvL0
チーノ「なので沙綾さん。存分に癒されてくださいね」
沙綾「……気持ちは嬉しけど、もうこれ以上は平気だよ」
チーノ「何を言ってるんですか、メインはこれからですよ」
沙綾「え」
チーノ「さぁ、食べてください」
沙綾「食べてって……君を?」
チーノ「はい。食べ物ですから」
沙綾「…………」
沙綾(いや、こんな喋ったりする得体のしれないものなんか食べたくないんだけど……)
607:
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/05/26(日) 20:59:57.81
ID:h6AWmXvL0
チーノ「沙綾さん? どうかしましたか?」
沙綾「えっと、気持ちだけでお腹いっぱい……かな」
チーノ「何を言ってるんですか。沙綾さんはペペロンチーノが大好物じゃないですか」
沙綾「好きは好きだけど、流石にちょっと……」
チーノ「じれったいですね……そっちがその気なら……」フワリ
沙綾「え……えっ?」
沙綾(パスタ麺が宙に浮いた……?)
チーノ「私が食べさせてあげますから、沙綾さん。お口を開けてください」
沙綾「ちょ……!」
沙綾(ひゅん、とどこからともなくフォークが飛んできて、ペペロンチーノに刺さる。そしてくるくる巻かれる。それからそれが私の口元へ迫ってくる)
沙綾(なにこれ……?)
608:
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/05/26(日) 21:00:33.46
ID:h6AWmXvL0
チーノ「食べ物は食べられてこその食べ物なんです。それが私たちのレゾンテートルなんです。知り合いのところてんさんも言っていました。『売れ残るとスーパーで肩身が狭い』って」
沙綾「そ、そう言われても……」
チーノ「ペペロンチーノ、好きって言ったじゃないですか」
沙綾「好きは好きだよ? でも、流石に君は食べ辛いっていうか――」
チーノ「好きなら問題ありませんよね。はい、あーん」
沙綾「いや、しないよ……?」
チーノ「どうしてですか」
沙綾「……正直に言うと、得体の知れないペペロンチーノは食べたくない……かな」
チーノ「…………」
沙綾「…………」
沙綾(ちょっと言い過ぎちゃったかな……)
609:
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/05/26(日) 21:01:08.61
ID:h6AWmXvL0
チーノ「……仕方ありませんね」
沙綾「あ、よかった。大人しく引き下がって――」
チーノ「無理 矢理食べさせましょう」
沙綾「くれてない!」
チーノ「はぁっ!」
沙綾「きゃっ!? ……え、あれ……か、身体が動かせない……!?」
チーノ「見えない麺で拘束させて頂きました。付喪神ですから、この程度造作もありません」
沙綾「なにそれ!?」
チーノ「ついでに肩と背中をマッサージしてあげます」モミモミ
610:
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/05/26(日) 21:02:02.00
ID:h6AWmXvL0
沙綾「チ、チーノちゃん! そんなワケ分かんない力でマッサージしないで!」
チーノ「うるさいですね……」モミモミ
沙綾「あ、あぁ~……肩こりと背中の張りが楽になってく……」
チーノ「はい、今日のお仕事は終わりですよ。お疲れさまでした」モミモミモミモミ
沙綾「うぅ……」
チーノ「こんなにがっちがちに肩がこるまで一生懸命頑張ってしまう沙綾さんを見過ごせません。やはり私が癒してあげないと……」
沙綾「いや、もう十分に癒されたから……」
チーノ「ダメです。まだ足りてません。さぁ、お風呂で温まって、凝り固まった肩と背中をほぐしたら、次は美味しいご飯の時間ですよ」サッ
沙綾「だからペペロンチーノは……好きだけど、それは……」
611:
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/05/26(日) 21:03:03.86
ID:h6AWmXvL0
チーノ「上手にブレーキを踏めない沙綾さんのために、私があなたの中にいます。胃の中でしっかりもたれてあげますから」
沙綾「いやそれは本当にゴメンなんだけど」
チーノ「私のベーコンを噛まないで飲んでください」
沙綾「いやいや、そのベーコンの厚さはヤバすぎでしょ? ベーコンステーキって呼ばれるやつだよねそれ?」
チーノ「ニンニクとオリーブオイルに絡めて、風味もばっちりです。美味しいですよ」
沙綾「美味しそうは美味しそうだけど……ちょ、近い、そんなグイグイしないで!」
チーノ「あーんしてください。あーん」グググ
沙綾(あ……これ食べないと多分ダメなやつだ……ペペロンチーノに窒息させられるやつだ……)
612:
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/05/26(日) 21:04:48.96
ID:h6AWmXvL0
沙綾「うぅ……あんまり食べたくないけど……あ、あーん」
チーノ「それでこそ沙綾さんですね。それっ」
沙綾「あむ、むぐ……あ、美味しい」
チーノ「でしょう?」
沙綾「う、うん……」
チーノ「ふふ……お誕生日おめでとうございます、沙綾さん」
沙綾「えーっと、ありがと」
チーノ「さぁ、さめる前に食べきってくださいね」グイグイ
沙綾「わ、分かったからそんなにフォークを押しつけてこないでってば」
沙綾(けど……本当に美味しいは美味しいし……まぁいいのかな……)
チーノ「ああ、沙綾さんの中に私が入ってます……ひとつになってます……」
沙綾「……いややっぱ食べづらいよ……」
――――――――――
―――――――
――――
……
613:
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/05/26(日) 21:05:20.59
ID:h6AWmXvL0
――山吹家 沙綾の部屋――
――ピピピピピ...
沙綾「……はっ」
――ピピピピピ...
沙綾「…………」ムクッ、カチャ
沙綾「…………」
沙綾「ああ、やっぱり夢だった……」
沙綾「ここ私の部屋だし……自分の家だし……今は高校二年生だし……」
614:
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/05/26(日) 21:06:42.39
ID:h6AWmXvL0
沙綾「なんであんな変な夢見たんだろ。誕生日は先週だったのに――あ」
沙綾(枕元のスマートフォンに目をやって、昨日の夜にモカから送られてきた動画を思い出す)
青葉モカ『沙綾にぴったりの歌見つけたから、弾き語りした動画送るね~』
沙綾(とか、そんな感じのこと言って、おかしな歌詞の歌をやたらと切ない調子の弾き語りで披露してくれた)
沙綾「絶対あれのせいだ……なんか本当に胃もたれしてる感じがする……」
沙綾(恨みがましくスマートフォンを見つめる)
沙綾(誕生日をまた祝ってくれたのは嬉しいけど……もう少し、何かこう、他になかったのかな……)
沙綾(胸のあたりには、夢の中で厚切りベーコンステーキを本当に噛まないで飲み込まされた感触が残っているような気がした)
沙綾(もうしばらく……ペペロンチーノは食べたくない……)
おわり
615:
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/05/26(日) 21:07:29.92
ID:h6AWmXvL0
参考にしました
家の裏でマンボウが死んでるP 『誕生日、ペペロンチーノにやさしくされる』
https://nico.ms/sm14794929
言い訳だけします。
お誕生日というのは特別なものだし妙齢の女性とかでもなければ何度祝われても嬉しいものは嬉しいだろうと思いました。当日はメットライフドームで端から見たら気持ち悪いくらい心を込めてバースデーソングを沙綾ちゃんに歌ったしこれくらいはまぁいいんじゃないかと思いました。
そんなアレでした。
ハッピーバースデー沙綾ちゃん。そしてごめんなさい。
元スレ
http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1544965078/
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