1:
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/03/27(月) 22:10:28.07
ID:4Rea9gbvo
風邪をこじらせて臥せっているはずの彼女は、
プロデューサーだけにそのメッセージを送った。
速水奏のプロデューサーは、とにかく馬鹿正直だと、もっぱら評判だった。
細やかな気配りができない代わりに、裏表のない快活な人物だ。
奏のほうもそれをよく知っているからこそ、短い言葉で済ませた。
「アイドルを辞めます」
2:
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/03/27(月) 22:11:31.40
ID:4Rea9gbvo
「なぜ」
時間をおいてプロデューサーの返事が来る。
「とにかく」
と、奏はひどく不器用な手つきで文章を打つ。
「なんでも」
プロデューサーが奏の住む賃貸アパートを訪ねてきたのは、日が暮れたあとだった。
インターホンの音に、もそもそと布団の中でスマートフォンを操作しはじめる。
以前の自分だったら――と、奏は考える。
すぐにでも、来てほしかったのだけれど。
そう言って、悪戯っぽく笑うこともわけなかった。
馬鹿正直なプロデューサーの困った顔をからかっては、
さて、この人にはどこまで伝わっているのだろう――
そんなスリルのようなものに身を捩っていた。
3:
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/03/27(月) 22:12:33.75
ID:4Rea9gbvo
「どうして」
冷たく湿った指先では、うまく文章が打てない。
結局、自分のしようとしていることの結果は同じなのだから、
と思うけれど、すぐに玄関へ向かうことも、迂遠な言い回しを止めてしまうことも、
奏にはできなかった。
「どうして来たの」
いままで、ずっとそうだった。
面倒な手続きを経なければ、プロデューサーとのコミュニケーションはうまく取れず、
迂遠な言い回しでもって、馬鹿正直なプロデューサーをからかっていなければ、
今度は自分が馬鹿なことをしでかしてしまいそうだった。
それも、いまの自分には似つかわしくない――そう思いながらも、結局、奏はこのやり方しか知らなかった。
4:
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/03/27(月) 22:13:28.89
ID:4Rea9gbvo
「速水、部屋に居るのか」
そして、プロデューサーは、奏の期待通りに戸を叩いてくれた。
「鍵なら」
いつもなら、もっと時間をおく。が、そうも言ってられない。
「鍵なら開いてるわ」
プロデューサーはためらいがちにドアを開け、奏の部屋へと入った。
床に、洋服と下着とが散らばっていた。
「速水」
彼は部屋の隅で塊になっている布団へ声をかけた。
「風邪で顔でも変わったか」
「その通り」と、奏はプロデューサーのスマートフォンへメッセージを送った。
5:
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/03/27(月) 22:14:27.42
ID:4Rea9gbvo
「声が出せないのか?」
頭から被った布団の中の暗闇、奏の目に涙が滲んだ。
微かな震えに気づいて、プロデューサーは戸惑った。
「どうしたんだよ。急に、辞めるなんて、びっくりするじゃないか。なにか、嫌なことでもあったのか……?」
すすり泣く声が、布団の塊から漏れた。
その声は、以前の細く美しい声ではなく、太く、痰の絡まったような泣き声だった。
プロデューサーはぼんやりと、なにかを察した。
「病院、行ったか」
「行ってないわ」と、ようやく布団の中から返事が返ってきた。
「行けるわけない。こんなんじゃ、外にも出られない」
すすり泣きは、慟哭に変わった。
その泣き声は、ワー、オウッ、オウ、……こんなところであろうか。
6:
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/03/27(月) 22:15:17.27
ID:4Rea9gbvo
プロデューサーは塊の傍へ屈みこんだ。そして、布団をそっと撫でた。
「いやっ、やめて……」
奏はかなり強く抵抗した。が、プロデューサーは無理やりに布団を剥がした。
「速水、お前……どうした」
「だから、いやなのよ……」
そこには、涙で顔中を濡らした大きなカエルが、居た。
7:
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/03/27(月) 22:15:58.05
ID:4Rea9gbvo
「たまげたな」
プロデューサーが呆気にとられていると、そのカエルは顔を覆って泣きに泣いた。
「私、なにか悪いことしたかしら。どうしてこんなことが起こるのよ、ねえ、プロデューサー……」
「いつからだ?」
「昨日から……」
「ふぅむ」
「夢だと思ったの。寝て起きたら、元に戻ってるって……でも夢じゃないのね、プロデューサーがここに居るってことは……」
「ああ、そうだなぁ」
「そうだなぁ、じゃないわよ。貴方ってホントのんきね」
「一緒になって慌てても仕方ないだろ」
「そこは、頼もしいけど。ゲロゲロ。ねえ、この姿、気持ち悪いでしょう……」
大きなカエルはうつむいて、また涙をボロボロと落とした。
8:
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/03/27(月) 22:16:58.55
ID:4Rea9gbvo
「俺、爬虫類は好きだぜ」
プロデューサーはペタリとカエルの肩に手を置いた。
「慰めになんか、ならないわよ……!」
「ごめん」と、プロデューサーは立ち上がった。
「ところで、速水。ごはんは食べたのか」
「…………」
「食べてないんだな。なんか買ってくるよ」
「待って、置いてかないでよ!」
「あ、一緒に行く?」
「行けるわけないでしょ!」
「じゃあ待っててくれよ。大丈夫、すぐ戻ってくるから……」
「そういう問題じゃなくて……」
結局、奏の押し負けだった。プロデューサーは言葉通りすぐに帰ってきた。
大量のミネラルウォーターとインスタント食品を袋いっぱいに入れて。
9:
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/03/27(月) 22:18:06.06
ID:4Rea9gbvo
二人は床へ直に座って、カップ麺を啜った。
プロデューサーは不思議な気分だった。
奏は顔だけでなく、体までがカエルそのものだった。
頭髪どころか体毛もなく、わずかに湿った皮膚が筋肉の動きに伸び縮みしている。
しかし、プロデューサーにとって、カエルへの変身以上に不思議だったのは、
どうして彼女が速水奏だとわかるのか――そのことだった。
カエルはカエルだが、彼女はいまもなお速水奏で、そのことに違和感もなく腑に落ちてしまっている。
そして、それはきっと自分にとってだけなんだろうな、と妙な確信があった。
10:
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/03/27(月) 22:19:03.61
ID:4Rea9gbvo
「味、変わらないか」
「ン……いつもよりおいしいくらい」
「そうか」
プロデューサーは、まだなにか入ったままのビニール袋を隅に追いやった。
一応、ソレ用の食べ物も買ってきていたのだ。
「ねえ、プロデューサー」と、奏は大きな口を開いた。
「気持ち悪いでしょう」
「俺は平気だぜ」
「そうね、そう見える」
「これからどうする?」
「どうしたらいい?」
そう言って、奏はパカっと口を開けた。
それはどうやら微笑らしい――、が、すぐにまた泣き出してしまった。
11:
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/03/27(月) 22:19:58.96
ID:4Rea9gbvo
「どうしたらいいのよ。一生このままだったらどうしよう、アイドルなんて無理。
外へだって一生出られない。どうしよう、ねえ、プロデューサー」
「とにかく、食ってから泣けよ。悪かったよ、俺も」
「なにが悪いの? プロデューサー、悪いこと言った……?」
「先のことは、もう少し落ち着いてから話そうってこと」
そう言って、プロデューサーはカップ麺のスープをぐいっと飲み干した。
「健康に悪いわよ」
12:
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/03/27(月) 22:20:35.31
ID:4Rea9gbvo
腹を満たして、なんとなく映画など観始めると、その状況に慣れてきたらしい。
プロデューサーと奏は肩を並べて、テレビ画面に見入っていた。
俳優の顔がアップになって、奏はポツリと呟いた。
「もう、私はダメね」
「そうか」
「あんな風にはなれないのね」
「映画の登場人物みたいに?」
「そう。憧れだった」
なんでもない場面なのに、奏は泣いた。
13:
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/03/27(月) 22:21:13.75
ID:4Rea9gbvo
「今日は泣いてばかりだな」
「いつも、独りで泣くからね」
彼女はパカっと口を開け、微笑した。
「泊まっていくよ」
「布団、ないわよ」
「昨日は眠れたのか」
「……ぐっすり」
「嘘が下手になったなァ、そこはずっとそのままでもいいんだぜ」
「ひどい人」
ぐすん、と奏は水かきのついた手でプロデューサーの肩を叩いた。
15:
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/03/27(月) 22:22:18.87
ID:4Rea9gbvo
奏の好きな映画を2本観終わってから、風呂に入った。
順番はプロデューサーが先で、石鹸などと一緒に置いてあるカミソリに、少しだけ影のような心配事が湧いた。
けれど、彼は奏を信じることにした。
「熱いお湯は、やめておいたほうがいいかもな」
「優しいのね」
プロデューサーはいい加減に髪を乾かすと、ベッドに寝転んだ。
そうして、ある童話を思い出そうと努めた。
詳しい話の筋はほとんど忘れてしまっていたけれど、ともかく、
カエルの変身はキスで魔法が解けるものと相場と決まっている。
16:
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/03/27(月) 22:23:00.18
ID:4Rea9gbvo
彼の心は奏との出会いにまで遡った。
出会ってすぐ、キスをせがまれた。
年頃の娘さんが……、馬鹿正直に言って聞かせて、奏はきょとんとしていた。
二度、三度と繰り返して、ぷーっと吹き出した彼女に、ようやく彼は気づいた。
なーんだ、冗談だったのか。
あの日交わされなかったキスは、互いにとって特別で、
プロデューサーにとっても、奏にとっても、忘れがたい思い出だった。
17:
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/03/27(月) 22:23:41.06
ID:4Rea9gbvo
「プロデューサー、上がったよ」
奏の口は、あの日と違う。けれど、プロデューサーには同じのような気もした。
「寝よう」
「うん、寝よう」
二人で寝ると、そのベッドは狭かった。
抱き合って、ようやく体が収まるくらいだ。
体をよじるたび、パイプがギシギシと唸った。
「プロデューサー、あったかいね」
「お前の肌は冷たいな」
「カエルだもの」
18:
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/03/27(月) 22:24:16.60
ID:4Rea9gbvo
「なあ、奏」
「なによ」
「一緒に暮らさないか」
奏はぎゅっとしがみつくように、彼の体を抱いた。
「アイドルができなくて、一生外に出られないなら、俺が面倒見るから、一緒に暮らそう」
「ありがたい申し出ね」
「そうだろう」
暗闇の中で、お互いの瞳を覗くと、心の底まで見えるような気がした。
「でも、ダメよ」
19:
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/03/27(月) 22:24:47.42
ID:4Rea9gbvo
「どうして」
「カエルだもの。私は醜くなったから」
「綺麗なときだって、そう変わらんぜ」
「結果としてはね」
「愛してるんだ」
プロデューサーは、奏の冷たい肌をあたためるように、自分の体をこすりつけた。
「カエルを?」
「お前をだ」
20:
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/03/27(月) 22:25:48.62
ID:4Rea9gbvo
彼は彼女を抱き寄せて、湿った口にキスをした。
触れた瞬間から、お互いに目を閉じて、透明な言葉が音もなくすり抜けていくのをじっと聴いていた。
そうして、魔法は解けた。
「奏……」
奏は自分の頬に両手を当て、それから慌てて裸体を隠した。
「私ったら」
顔を赤らめる奏から、目をそらして、プロデューサーはベッドを出た。
21:
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/03/27(月) 22:26:23.77
ID:4Rea9gbvo
「帰る」
「カエル?」
「帰宅します」
「あら、泊まっていくんじゃなかった?」
「そんな嘘に、騙されるなよ」
彼は身繕いを済ませると、部屋を出て行った。
部屋を出る直前、後ろを振り返って、奏に言った。
「明日から、また仕事だぜ」
22:
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/03/27(月) 22:27:05.00
ID:4Rea9gbvo
「ねえ、プロデューサー」
「なんだ」
「もう一日、おやすみを貰ってもいい?」
「……いいとも、風邪、こじらせたんだものな」
「それともう一つ」
「なんだよ」
「キスしてくれない?」
「馬鹿」
23:
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/03/27(月) 22:27:42.07
ID:4Rea9gbvo
「おやすみ」
「ああ、おやすみ」
ベッドのシーツに湿気が残っている。
奏は暗闇に白い手のひらを浮かべた。
水かきは、ずいぶん小さい。
24:
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/03/27(月) 22:28:10.29
ID:4Rea9gbvo
以上です。読んでいただきありがとうございました。
28:
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/03/28(火) 07:46:24.29 ID:WpT/Zhkc0
何これ綺麗
乙
29:
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/03/28(火) 09:45:18.95 ID:L5ekrrbUo
何となくミュージアムのカエル男思い出したわ
乙
元スレ
http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1490620227/
- 関連記事
-
Amazonの新着おすすめ
おすすめサイトの最新記事